絶命の32564
ヴァゴー
序章 蕨と紅秋
-1話 いつ死ぬか解ってても、別に怖かぁない
生まれたときに、死ぬ日が決まった。
物心つく前に施設の職員から受けた説明が、
役所で照会するINO値が、検索する度に減っていることは「なるほど」だったし、日数でしか表示されないそれを年数に計算し直しても「なるほど」だった。しかしそれらの「なるほど」に深い納得は伴わない。
なにせ紅秋は死んだことがないし、まだたった十三年しか生きていないのである。
「実際、どうなんだろね?」
授業中、後ろの席の女友達、
「あんた、終わったん?」
今は『創作プログラミング』の演習時間だ。
生徒に一台ずつ学習用の簡易プログラミング端末が配られている。薄く色の付いたゴーグル状の本体を被ると、目の前に風景と重なってテキストや画像などの情報が表示される。大昔には
その本体と無線で繋がった板状のキーボードを机の上に置いて、コマンドを入力してプログラムを組み上げていく、という実践重視の授業である。
「終わったよ」
紅秋は当たり前じゃん、という口調で答える。
「まだ五分しか経っとらんよ? それに、ひとつ終わってもまだ次が」
「だから、全部終わった。ほら」
入力したコードを転送してくる紅秋に、蕨は「こいつ、なにか勘違いしてるんじゃ?」という顔になる。
入力速度には個人差があるので、必須課題の一問を含み、全五問が出されている。平均的には最初の一問目で三十分はかかって然るべき内容であり、三問目以降はそもそも学生に組めるレベルではない。
が、コードを斜め読みした蕨の顔は引きつった。
「五問目の《反射》まで……これ、プロでもそうそう組める奴おらんぞ」
「え、そーなの?」
「……あ? なんやこれ? 六つ目ある」
「あー。暇だから組み合わせてみたの。これをこーして、こうしたら……ほら、面白くない?」
「……な……これ……っ!? この化物め」
「酷いなぁ、せめて怪物にしてよ」
「どう違うん、それ」
「好みの問題? で、で、どう思う?」
「なにが。あのな……あたし、まだ二問目ねんけど」
「必須課題は終わってんじゃーん。それに、蕨ちゃんなら喋りながらでも打てるっしょ?」
「お前に言われると腹立つな」
友人ながらの遠慮のなさで、蕨は苛立ちを隠そうともせず舌打ちする。
蕨は同学年で教科問わず五指の指に入る秀才だ。足元近くまである飛び抜けて長い黒髪をてっぺんでひとくくりにしており、形のよい額と意志の強そうな切れ長の瞳が顔立ちを美しく見せている。外見の年齢は十八、九くらいだ。
対して紅秋はいかにも田舎娘な、量ばかり多い首筋までのショートカットに、目の大きさとひとの良さだけが取り柄ですと言わんばかりの顔であり、いつも意味なく笑顔という点も手伝って、ひと言で言えばアホの子っぽい。
その紅秋に、蕨はプログラミングだけが敵わない。しかも圧倒的に。
規格外であることを認めながら、消化し難い思いを抱えて蕨は息を吐く。
「そもそも質問が解らん。なにが『実際どうなんだろね?』なん?」
「いやあ、わたしもはっきりとは解らんのだけどさ」
紅秋は応じてもらった嬉しさをそのまま顔に出す。
「いつ死ぬか解ってても、別に怖かぁないんだよね。それってどうなん?」
「そら、あんたがまだ若いからやろ」
「あれ? わたし、歳言ったっけ?」
「見れば解る。そもそもまだ固定されとらんし」
「あらま。成長期だと解っちゃうもんなんだねえ。そーなの、わたし、ぴちぴちの」
「理解ってのは」
話が逸れそうになるのを感じ、蕨は語調を強くする。
「絶対的なものと、相対的なものがある」
「なんの話?」
「あんたの質問の話や!」
「おお。でも、どーいうこと?」
「例えば、制限時間五十分の課題を五分未満で終わらせたあたしは優秀」
「うん! そだね」
「あぁ? 馬鹿にしとんのか」
「同意したのに!?」
「……まあいい。あたしは優秀や。でも隣に、同等以上の難易度の課題を計五問、五分未満で終わらせ、暇潰しまでし終えた奴がいる。それを知ってしまうと、どうや?」
「そいつ、すげー!」
蕨が紅秋の額をグーで殴る。
「いたいっ! えっ? えっ!?」
なんで殴られたの? みたいな顔をする紅秋を蕨は引き絞った目で睨む。
「死ね」
「なぜにっ!?」
「逆になんで解らないん」
蕨は顔を引きつらせつつ、課題を打つ手は止めない。
「ともかく、そーいうこと」
「どういうこと!?」
「あんたは天然で、無意識にひとを傷つける天才やからあたしが成敗してやった」
「さっぱり解らんよ!?」
本気で解らない、という様子で突っ込む紅秋に、蕨の表情がふ、と緩む。
「まったく……しょうがない奴やな、あんたは」
「そ、かな?」
申し訳なさそうな顔ながら、紅秋は蕨の怒りが緩んだことにほっとする。
「あ……そういえば今ので、蕨ちゃん、減っちゃったんじゃないの?」
「ああ」蕨は驚きもなく、むしろ薄く笑う。「せやな」
「だ、だ駄目だよ! こんなことで。あ、まだ間に合うよね相殺」
「いいって別に。どうせ」
「いいわけないじゃん! ……えっと、あの、失礼します」
紅秋は目を閉じて数回深呼吸する。
そしておもむろに、目を開けて蕨の頬を往復ビンタで張った。
「この筆ヘアーがっ!」
「痛ぇ! まさかの過剰報復かっ!」
「昔のひとは言いました。倍返しだ! と」
「なんやそれ。つか、なに筆ヘアーって」
「ほら、そのくくった髪を真ん中で切ったら筆っぽいだろなと前々から思ってまして」
「何故切ること前提でディスられた……」
ふたりの会話はそこで、強制的に打ち切られる。
「君たち。演習の手順書に『級友をぶん殴れ』って書いてあったかい?」
ふたりの横に、いつの間にか引きつった顔の三沢教師が立っていた。
蕨と紅秋は同時に顔を向ける。
「いいえ、そのような記載はありませんでした。しかし先生」
「この授業が『創作プログラミング』である以上、手順書にない手順を試すことこそが学習の本懐と捉えまして!」
端から見たら殴り合って罵倒し合っていたはずのふたりの息の合いように、三沢教師は額を押さえながら溜息と共に吐き出す他なかった。
「課題が終わったら、速やかに早退してください」
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