29話
「いつの間にか好きになっちゃったんだよな縁の事」
水に反射する縁の顔は笑っていた。
濡れている頭を撫でて過去の事を忘れようとする。
家に帰りたくない。
まぁ暗い話はここまでにしておこう。
まだ数十日あるこのバイトを、この生活を楽しもうじゃないか。
縁、お前からは絶対に離れないぞ!
そうこの世の中を作った神に誓った。
「ゆーくん?」
「ううん。なんでもない」
縁は笑う。俺は笑う。
何事もない日々それはこれ以上ない幸せだ。
これは身に染みている理解している事だ。
しかし、事は翌日起こる。
「ただいまー!!」
そう言って、朝食中に入ってきたのは顔見知りでもない人。
それを見た縁は凍えるように震え出す。
「ゆかたん、ただいま」
男女の二人組。
年齢的に俺だったら両親に当たる。そんな人たち。
「パパ。ママ。どうして居るの?」
今まで聞いた事が無い声だった。
震え、怯え、拒絶した声。
「次に行く国の中継地だったのよ! そしたら一日、暇になっちゃってね。帰ってきたの」
「面白くない冗談だ。縁。お前に婿をやろう」
父親らしき、人間が言った。
「これから行く国の王子がな。お前の写真を見た瞬間、四番目の妻に迎え入れたいと言ってな。一二三とお前と同じ年頃の少女集まっている。きっと今までみたいに寂しくないぞ? これを伝えにきた」
王子の妻?
理解が追いつかず、眺める事しか出来なかった。
「あなた達は、縁が雇ったお手伝いさんね。今の話聞いてわかっただろうけど。彼女、日本に住まなくなるから。すみません解雇でいいかしら? 縁が設定していた給料の五倍を払うから、それでいい? いいね? はい給料」
そう言って渡された少し重たい封筒。
困惑しているのは、柚子も一緒だった。
柚子も同様の封筒を渡されポカンとしている。
「じゃぁ縁。行こっか」
手を差し伸べるのは、俺ではない縁の父だ。
「いやだ」
縁は言った。
「おっと。それは困ったな。じゃぁ欲しい物なんだって買ってやるから」
縁の手を掴み、椅子からずり下ろした。
「おっと。乱暴にしすぎたかな?」
こいつら、縁の事を人間として見てない。
気付けば、俺は縁を抱きしめていた。
「待ってください」
目を丸くする人間。
「君、どいてくれないか?」
顔面に衝撃が走る。打たれたのだ。
「いやだ。縁は俺と結婚するんだ!」
「君。君みたいな、一般人、下等生物が縁の名を呼ぶな! 何様のつもりだ。縁と結婚? 面白くないジョークだ。笑わせてくれる。だが笑うのはお前だ」
鳩尾に勢いよく足の先端がめり込む。
反射的に、猛烈な痛みと息苦しさを覚える。
息を吸ったのに反射的に吐き出される。声を出す所じゃない。
そんな事は知っている。
「ゆ、縁を、離、せ」
「まだ言うか。面白い」
再び衝撃。腕が飛んでいくと思うほどの力。
「やめてください!」
叫んだ柚子。
「そんな乱暴していいと思っているのですか? 下等生物? よっぽど人に手を出す方が酷いと思います!」
「柚子、やめ、て、おけ」
必死な思いで、叫ぶ。
「ほう。お嬢ちゃんもう一回言ってみろ」
暴力の横行する世界とはこの事か。
柚子は、突き飛ばされ壁にぶつかる。
重い音と共に、彼女の身につけていた金属製品が、床に転がる。
何も面白い事は無い。
だが、人間は面白そうに高笑いする。
「何も、歯向かう事はなかろうに。面白い」
恐怖に腰が抜けた縁は、言葉も抵抗も出来ていない。ただ震えているだけだ。
「縁!」
必死に彼女に手を伸ばす。
触れる。
そんな事を知らない人間はのばした手を蹴り飛ばす。
「気安く触れるな。王家の妻になる人間だぞ!」
蹴り飛ばされた手は机の足にぶつかり聞くからに痛そうな音を出した。
「パパやめてよ。お願いだからやめてよ」
「ゆぅかぁりぃ」
必死に彼女の名前を呼ぶ。
「これ以上やったら警察呼ぶよ!」
縁の本気だ。
これほどの、必死になった縁の姿は初めて見た。
「ごめんよ。ゆーくん酷い事されちゃったね」
と伸ばしたはずの手に触れた。
「パパママ出てって。私は王子のお嫁なんて行かない。このゆーくん。大坪優と結婚するの!」
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