スパムな彼女に恋してた。

津蔵坂あけび

第1話

”もしかして、また私のメッセージ、スパム認定されてるの?”


 スパムボックスの中で瀬菜は不機嫌にしていた。

 しばらく連絡がないなあ、なんて思ってたらこれだ。”このアカウントからのメッセージをスパムボックスに入れない”にチェックを入れて、ようやく彼女との連絡が取れる状態に復旧させる。これで何回目だろうか。瀬菜からのメッセージが、スパムボックスに入ってしまうのは。セキュリティシステム、GUARDUSガーダスの普及により、個人宛にメッセージを送ることができるSNSを利用した詐欺事件は、格段に減少した。しかし、稀にごく普通の一般市民のアカウントからのメッセージも、スパムボックスに入れられ、連絡がとれなくなってしまうことがある。

 そう、僕の恋人の、西野江瀬菜にしのえ せなのように。


「遅いよ。電話もしたのに」


 待ち合わせ場所、大きな瞳を模したオブジェを背にして、瀬菜は頬を膨らませた。せっかくのデートの待ち合わせ場所に向かう途中で、連絡が取れなくなり、大幅に遅刻してしまった。


「悪い。さっき瀬菜のメッセージが、スパム認定されているって気づいて」

「だろうなーって思った」


 スパム認定されれば、電話さえもつながらなくなり、完全に音信不通になってしまう。

 お陰でこの辺の地理に慣れていない僕は大幅に遅刻してしまった。このオブジェは、一目見れば忘れられないくらい印象が強いんだけど、ちょっと場所が分かりづらい。

 そぞろ歩きを始めて、カーキのガウチョパンツの裾が、緋色のストールが、リズミカルに揺れる。彼女のファッションセンスを褒めたけれど、「柄でもないこと言わないの」と流されてしまった。


「でも、ありがとう」


 僕の方を振り替えって、とびきりの笑顔を見せてくれた。右頬にえくぼができる。口許にあるほくろと合わさって、とってもチャーミングだと思う。しばし見とれていたところで、手を引かれて連れていかれる。今日のデートの目的は、流行りのミステリー映画だ。


     ***


「面白かったね」

「そうね」


 瀬菜は、どこか素っ気ない返事をして、残り少ないオレンジジュースを飲み干した。ストローから、ずぞぞ……と音が出る。映画を見終わった客たちが口々に感想を言い合っているなかで、その音だけがクリアに聞こえた。


「私ね、ちょっと主人公に共感したのかもしれない」


 映画の主人公は、詐欺師だった。人の良心につけこんで多額の金銭を騙し取るような極悪人だ。なのに、嫌悪感をそこまで抱かずに見れた。瀬菜も同じように感じたのだろうか。


「ずっと誰かを騙して生きている。生き残るためなら何でもやっていい。けれど、罪悪感が完全にないわけではない。罪に対する後ろめたさは、言わば本能に組み込まれているようなもので、やがて重圧に耐えきれなくなって、誰かを愛し始める。薄汚い自分を隠して」


 つらつらと語る声にどこか哀愁を感じてしまって、少し戸惑った。なんというか、今まで感じたことがない影が、瀬菜にとり憑いているような気がして。


「どうかしたの?」

「ちょっとセンチメンタルな気分になっただけ。ねえ、ちょっと聞いていいかな?」

「なに?」

「あの主人公の決断って正しかったのかな?」


 虚ろな目でうわ言を呟くように瀬菜は僕に問いかけてきた。難しい問題だった。詐欺師であることがバレないうちに、主人公は恋人の前から姿を消した。


「すぐ答えは出せないかな。でも、好きな人が自分を思いやっての決断なら、そうするしかなかったのかな、って。一生、騙していて欲しいなんて言えないかな、僕は」

「ーー、そう」

 

 僕の回答に納得しているとも、納得していないとも取れるような、曖昧な返事だった。

 それから憑き物が落ちたように、瀬菜は無邪気に笑うようになった。けれど帰り道で別れて、独りきりで家に着いても、あのとき見えた影が脳裏に焼き付いてしまっていた。

 

 デートから三日が経って、僕は味気のない日々を忙殺されながら過ごしていた。真っ黒に塗りつぶされた中にぽつぽつと消えそうな灯りが揺れている。そんな景色が電車の窓の向こうを流れていく。そろそろ瀬菜から「今週末は何する?」なんて連絡があって僕を癒してくれるはず。思い立ってスマートフォンに入った通知を念入りにチェックするが、瀬菜からの連絡はない。

 おかしい、とも思ったが、とりあえずこちらから「今週末どうするの?」とメッセージを送っておいた。

 が、そのメッセージが読まれないままに週末が過ぎて、ついに一ヶ月が過ぎてしまった。          

 今までは連絡が途絶えてもスパムボックスを覗けば、胡散臭い詐欺メッセージの中で、瀬菜からのメッセージが燦然と輝いて見えたのに。完全に連絡が途絶えてしまうのは、初めてだった。

 流石に不審に思った僕は、GUARDUSを管理している国家機関を訪ねることにした。ここではユーザーが所持している端末の現在位置、移動履歴、会話履歴の全てを調査することができる。僕らは、GUARDUSに徹底的に管理されている上、それなりの額を積めば簡単にデータを取り出せてしまう。それに異を唱える者も少なくはない。けれど、犯罪者との接触機会や、行方不明者が発見されないままに亡くなってしまう事例が、うんと減ったのも事実だ。

 調べてもらったが、端末の現在位置を掴むことはできなかった。


「三十二日前の日曜日を最後に、端末からの信号が途絶えていますね」


 その日は、デートをした日だ。それ以降、瀬菜は完全に消息を絶ってしまっている。位置情報を調べた調査員の推測によると、僕と別れた後に瀬菜は、橋の中ほどから、川底に向かって端末を投げ捨てたと。


「西野江さんの過去の行動履歴と照らし合わせて、同じ人物が持っている端末を絞りこむこともできますが、どうしますか?」


 瀬菜は、自ら僕との繋がりを絶った。だから、今さら居場所を知ったって、どうしようもないのだけれど、首を縦に振ってしまった。  

 瀬菜と行動パターンが近い都内在住者は、十四人。さらに、都内に設置されている監視カメラの映像を解析した結果。

 なんと、そのうち八人が同じ顔をしていた。


「これはどういうことですか?」

「西野江さんは、合計九台の端末を所持して使い分けていた。そして、そのそれぞれで別の男性と繋がっています。それもただ会って話したとかいうレベルではなくーー」

「もう、いいです!」


 聞きたくないあまり、机を乱暴に叩いて立ち上がる。そのまま調査員に詰め寄ろうかというところで、我に帰って椅子に座り直した。


「すみません、取り乱しました」

「いえ、無理もありません。おそらく西野江さんと交際している全ての男性が同じ感情を抱くと思います。このまま弁護士を紹介することも可能ですが、どうされますか?」


 そこで僕は、踏みとどまった。好きだった瀬菜を相手取る気は流石にない。そんなに簡単に、彼女への気持ちを憎しみには変えられない。

 彼女が、複数の男性との肉体関係を持っていることを、GUARDUSは見抜いていた。彼女は、近づいてはいけない人だった。と調査員は僕に語るけれど、そんなうんざりな真実は聞きたくない。僕が札束をはたいて買ったのは、消してしまいたい記憶だった。

 それが無駄な買い物かどうか、決めたくもない、考えたくもない。もう、いっそのことなら、彼女の存在ごと忘れてしまいたい。思考を夜空と同じ真っ黒に塗りつぶしながら、家にたどり着く。


「いい加減、ちゃんとしなきゃなあ」


 不意に、自分の部屋の郵便受けが、溢れ放題になっているのが、目に留まった。大きなため息をひとつついて、乱暴につっこまれた広告を引っこ抜く。

 そのとき、一枚の手紙が、はらりと宙を舞った。年賀状さえ、デジタルになって久しいこの時代に、手紙なんて代物を目にしたのは何年ぶりだろうか。空中でそれを掴み取り、差出人を見ると、「西野江瀬菜」とあった。


「せ、瀬菜!?」


 もう彼女に対する気持ちをどう処理していいか分からない。けれど、それを読まずに捨てることなんてできず。凍てつく寒さのせいで、家の中に入ってもまだ震える手で手紙を開封する。紙面に懐かしい丸文字が並んでいた。


 ”端末が使えなくなったので、時代遅れの手紙なんて書いてみました。あなたからすれば、最初から最後まで意味分からないと思うけど、これが私の気持ちだから読んでくれたら嬉しいです。

 あなたの他に、私のことを心の底から思ってくれる人はいませんでした。気の利いたことを言ってくれる人なら沢山いたけれど、みんなひとつも考えずにさらりと話すものだから薄っぺらく感じてしまう。しっかりと考えてから、私の目を見て言ってくれるあなたのことが、好きでした。

 だから、あなたの前から消えようと思います。あのとき、「一生、騙していて欲しいなんて言えない」って、あなたの口から聞いたから決断ができました。

 さようなら、あなたと過ごした時間のことは、ずっと忘れません。”


 彼女は、あの日見た映画の主人公と同じ決断をしたというわけだ。戻れるならば、あのときの回答を撤回したい。どうせなら、一生騙していて欲しかった。知りすぎた僕は、声をあげて苦笑いをしながら、手紙を破り捨てた。

 GUARDUSは蔓延する詐欺から国民を守るために作られたシステムだ。けれど、真実から僕を守ってはくれなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

スパムな彼女に恋してた。 津蔵坂あけび @fellow-again

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る