四章 時の門をくぐって(6)

 家屋、工場、電柱、電波塔、見渡す限り地上に突き出したものは均され、空き地になった街の向こうに、隣町が遠景として映る。目を凝らして風景を見るなんて、これまでやったことがなかった。

 午前の陽のもとで点々と、パトカーや救急車、消防車の赤色灯が光る。

 どの車にも俺と紅は見つけられないだろう。

 鳴居市はこんなに広かったんだ。

 僅かに残ったアルファの死骸を抱いて、ARMがロケットエンジンで宇宙に向かい発進した。宇宙空間で爆発し、アルファと未来のテクノロジーを全て消し去るために。

 ARMを運転しているのはAIのエナだ。

 一時間前のこと。

「そんな……どうして!」

「仕方ないのです、コウタ。この仕事のために人間であるあなたやベニを犠牲にするわけにはいきません。それに、私はそもそもこの最後のARM操縦を一番の目的として、鳴居作戦に参加することになったのです。あなたとベニがアルファを倒したことで、私も私の任務を成し遂げられる。感謝します」

「どうにかならないのかよ! AIならコピーを取るとか、そういうことも出来るだろ? 実はエナはたくさんいて、どこかからひょっこり新しいエナが現れたりするんだろ?」

「私はそのような存在ではありません。唯一無二の個体であることがAIにとってもどれだけ重要なことか、あなたたちの時代の人たちはまだ理解していない。ですがいずれ気づいてくれるでしょう。私が私であったからこそ、あなたたちの役に立ったのだと」

「でも——」

「晃太、お別れをしましょう。彼女に感謝するお別れを」

 紅がバックパックを背負う。コクピットは地上に降ろされ、今はエナの入ったタブレット端末がパイロットの座席でコードにより繋がっていた。

「まず前言を撤回させて。あなたはとても優れたAIよ。私なんかよりよっぽど人間を理解しているんだとさえ思う。本当にごめんなさい。そして、ありがとう。ノーマン大尉が死に、私が一人ぼっちになってしまったときも、あなたは賢明に私の背中を押してくれた。晃太と私を結びつけ、こうして共に戦うきっかけが出来た。あなたなしでは決して為しえなかった勝利よ……」

 紅はパイロット席に背中を向けている。

 彼女のまなじりで涙が光った。

「ベニ。私にもしも人間らしさがあるのだとすれば、それはあなたが持っていたものです。私はあなたから全てを学び、エナとしての生を得た。あなたがガーディアンという仕事を突き詰めるあまり、人の心を失ってしまったのではないかという恐怖を覚え、そのことと日々戦っていたことを私は知っています。忘れないで、ベニ。ARM操縦におけるガーディアンとは、人の心の最大の理解者です。あなたが信じているその想いは正しい。あなたにガーディアンとしての適性があったのは、冷酷だからではなく、誰よりも心豊かで、人の感情を愛しているからなのです」

 紅から流れ続ける涙がコクピットの床を濡らす。

 見えなくともエナには、その音が聞こえただろう。

 やめてほしい。

 俺だって、泣きそうじゃないか。

「俺が操縦するより、君にしてもらったほうが良かった気がするな」

「コウタ……それは買いかぶり過ぎです。ARMは私のような人間のことを知っているだけのAIの命令では上手く動きません。SR機関が人間の友と呼ばれる所以です」

「監禁された時、助けてくれてありがとう。そして、今朝電話をくれたこと。俺は本当は、始めからこうしてARMで戦いたかったんだ。そして、自分の力でみんなを守りたかった。紅と一緒に手を取り合って、やってみたかったんだ。柳井のことだって気になってたのに、ずっと自分に嘘をついてた。君の電話がなきゃ、今頃俺は後悔していたと思う。誰にも顔合わせできない、逃げるばかりのずるい人間になってた」

「あなたは自分を卑下する癖がありますね。それは感心出来ません。何度も言いますが私は優秀なAIです。私の判断は——うーん、自分で言ってしまいますが——他の何者の判断と比較しても、理性的で価値あるものです。私が頼ったあなたは、そのことを誇るべきでしょう」

「ははは……そうだな。生涯それを自慢にするよ」

「その意気です。あなたはヒーローなのですから」

「そう、俺はヒーロー。君はヒーローを導いたヒロインだ。自慢していい」

「ええ、平らな板のようですが、こう見えて胸を張っています」

 見えるさ、エナ。

 胸を張ってる、君の心が。

 俺たちは彼女にさよならを告げ、コクピットを降りる。

 のちに俺のスマホが修理されて戻ってきた時、エナが出発前に送った最後のメッセージを読むことが出来た。

 ——コウタ、私はあなたのことが好きです。この気持ちはどこから?

 ——またね、ベニ。AIにも死後の世界があればいいな。


 港にはもう柳井はいなかった。

 鳴居湾は驚くほど凪いでいる。

 これも全てが終わった証か。

 誰かが誰かのために命を賭けるということを、俺はもう貶めない。

 揺るぎない想いが、そこにあるなら。

「紅。行こうか」

 未来から来た少女、豊崎紅。

 日本国陸上自衛隊ニューナルイシティ基地所属、少尉。

 彼女はその肩書きを捨てて、ここからまた新しい道を歩み始める。

 これから先の未来は、誰も知らない。

 俺は、二人で一緒に知っていきたいと、そう願っている。

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