エピローグ ******
エピローグ オリジナル世界と幼い希望
〈並行意識症候群〉の患者——通称〈トリプルシー(a Case of Confused Consciousness)〉が急増していた。当初はオルフィレウス・ビットへの接触が原因と目されていたが、今ではガンマに触れたことのない人間も発症している。これはニューナルイシティだけの現象なのだろうか? 他の街や国の発症例は聞いたことがないが、私たちと同じように隠蔽しているだけという可能性もある。
患者の往診を終え、私はニューナルイ基地内で与えられた個室に戻った。簡易ベッドと机が一つあるだけの質素なものだが、個室が与えられているだけマシだ。
煙草に火を点ける。
一息ついていると、開けたままのドアをノックする音がした。
「どうぞ——ソーン君かな」
思った通り、レベッカ・ソーンだ。タイムリープをしていない方の。
「失礼します。博士の感想をまだ伺っていませんでしたので」
青い瞳が澱んでいる。研究に根を詰めすぎているようだ。
「どの感想かな。まずは君の意識がどちらのレベッカ・ソーンなのか聞きたい」
この世界に存在する二人のレベッカ・ソーンは、〈並行意識症候群〉が最も強い形で出ている患者だ。ときどき互いの意識が入れ替わり、あるいは一方の肉体に二つの意識が共存したりする。
「私は純粋な、二十七歳のレベッカよ」
意識もタイムリープ前のもの、ということか。人類の時間移動がアルファの戦略の一つと断じ、禁止すべきだと説く。
「——アルファは、宇宙という巨大な生き物から見れば、あまりにも幼すぎる生命体だ」
レベッカが顔をしかめるが、私は気にせず続けた。
「君はあらゆる可能性を網羅した並行世界があらかじめ用意されているものと考えているようだが、私は少し違うと思う。元々存在する平行世界というのは、時間移動を考慮していない。〈レベッカ・ソーンの証明〉は、観測者が時間移動をすることで平行世界に干渉出来るかどうかを確かめることを目的としていた。つまり時間移動というのは、移動先のある一点に対しこれまで存在しえなかった新たな可能性——時間移動者がやってくるというイレギュラーを提示することで、新しい平行世界を生み出す行為だ。何者かが時間移動したとき、A世界のこれまでの歴史を完全にコピーし、タイムリープした者が出現した〈今〉以降が異なるA’世界が生まれる」
「それはつまり、タイムリープする者が行く先の世界の創造主であるという——」
「そうとも言える。君自身の、いや、タイムリープしてきた方の君が信奉する考え方だ」
「あんなのは自分を神格化したい狂人の戯れ言です!」
レベッカは激昂し、壁を叩いた。
「すまないね。私はこういうことについては、嘘はつけない。アルファは確かに強大な敵だが、その力や知恵を過大評価するのはどうかと思うのだよ」
「ではこの世界の神が彼女だとして崇めるのですか」
「創造した者が必ずしも神であるとは限らないし、神だからといって崇め奉らなければならないわけでもないよ。私たちは冷静に真実を捉え、どのようにアルファと戦っていくのかを考える。それが仕事だ」
あくまで個人的なものではなく、同じ研究者という立場の意見。
それをはっきりさせることで、レベッカは少なからず落ち着いたようだった。
「失礼しました……ではもう一つお尋ねしたいのですが。博士は鳴居作戦に、本当はどのような夢を乗せていたのですか?」
気づかれていた、か。
「表向きはアルファを倒し、人類が生き残る世界——日本が侵略される前の姿のまま存続する世界を作ることが目的ですね。もしもこの世界の人類が滅びたとしても、別の世界の人類が生きながらえているのであれば、種の保存という私たちの最低限の責務は果たされる。しかし本当にそのような目的で行われたというのなら、やはり作戦は無意味です。アルファは私たちの知らない時間、場所からタイムリープすることで鳴居市に出現しました。つまり元々アルファが宇宙の果てのどこかで漂っていた世界——〈オリジナル世界〉からはアルファが消えていることになります。鳴居作戦の有無に関係なく、アルファのいない世界が既に一つ存在していることは確実です」
私は伸ばしっぱなしの白髪に触れる。
一瞬にして年を取ってしまった。
過去からやってきた私の意識は、もう元の世界に戻ることはないだろう。
「初めからアルファのいない世界が、幸せな世界だと思うかね?」
質問に質問で返す。
こういうやり方も、こちら側に来てから覚えた。
「当然です。私たちのこの現状を踏まえれば、間違いなくその世界の人々は恵まれています」
「その恵みが当たり前のものであると思っている限り、人は幸せにはなれない。私や君がアルファのいない世界が幸せだと考えるのは、アルファのいる不幸せを知っているからだ。その不幸せを知らない彼らオリジナル世界の人間たちに、アルファとそれに付随する数多の不幸を学び、今の幸せを噛みしめろと言うのは酷な話。地球外生命体という共通の敵を見出した私たちの世界の人類は、多少のいざこざこそあれど、これでもよくまとまっているのだよ」
「まるで見てきたような言い方ですね。オリジナル世界ではアルファじゃなく、人間が人間を滅ぼそうとするとお考えですか」
「その通りだ。私も年だし、後継者も必要になってくる。君には正直に話しておこう。オリジナル世界の人類は決して安泰ではない。鳴居作戦の真の目的は、地球という箱の中でなく外側に敵がいることに気づいた人類に、一致団結してもらい、永い繁栄のために何を為すべきなのかを考えさせること。そのためにはアルファという地球外生命体を目撃しつつそれを駆逐する、新たな平行世界を創造する必要があった」
レベッカは俯き、目を閉じていた。
私の言葉を反芻しているのだ。
そして、自分に出来ることを考えている。
二人のレベッカの存在が彼女の行動を狂わせている点はあるが、冷静になれば頼りになる子だ。
「博士らしくありませんね。オリジナル世界を諦めるなんて」
レベッカが部屋の奥に入ってきて、ベッドの上に腰掛けた。
「今の口ぶり、博士の意識はオリジナル世界から飛んできたんですね? であれば、私たちの考え——〈平行意識症候群〉の発症には、オルフィレウス・コアあるいはビットとの接触が必要という条件は間違っていることになる。もしオリジナル世界に、アルファと戦う私たちの意識が飛んでいくことがあれば? 私たちは彼らに伝えることが出来ます」
彼女も——。
やはり、未来からやって来ただけのことはある。
強い使命感と、どこか幼い希望を抱いている。
未来を切り拓くことが出来る、素晴らしい幼さを。
「私たちの、地球外生命体との戦いの物語が、オリジナル世界の未来を変えると?」
「ええ、そうです。だから博士、まだ引退なんて言わないでくださいよ。誰がいつオリジナル世界に行って、私たちの話をするかわからないんですから。諦めた人類の姿なんて、見せたくないじゃないですか」
そうだね。
私は、何一つとして諦めない。
そう決めたんだった。
アルファの存在しない世界での、人間同士の戦争の絶望も。
アルファの存在する世界での、侵略者との戦争の絶望も。
両方見てきた。
それでも私は、望みを捨てるわけにはいかない。
豊崎紅少尉。
「人が好きだからです」
そう言った君の気持ちは、よくわかる。
私も、そのために。
この世界でもう少し、もがいてみようじゃないか。
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