四章 時の門をくぐって(5)
眠気がひどい。
金属を叩く音がそこら中から発せられ、閉め切った室内にこだましている。梁が視認出来ないくらい、天井が高い。正面にはクレーンで持ち上げられたARMの腕があり、左側は格納庫なのだろう、ARMがすっぽり収まりそうな縦型のカプセルがずらりと並んでいる。
俺はデッキの上に立っていた。体を見る限り、さっきと同じように年を取った姿のようだ。
二〇六一年——この世界は、無事なのだろうか。
「博士。お休みになるべきです。少々の仮眠だけで、三日も働き通しではないですか」
隣には白衣を着た女性。
博士、ということは彼女は助手か同僚か。
まだ若いのに目の下に深い隈を作り、顔には化粧っ気がまったくない。
十年くらい経っているのかな。
それでも俺にはわかった。彼女が豊崎紅だということが。
「アルファとARMについて、教えてほしい」
紅が首を傾げる。
この世界の彼女は、感情表現が豊かなようだ。
「質問を変えるよ。アルファ・エイティーワンはどうしてる」
「私たちが今戦っているのはエイティーナインですよ。休みましょう、博士」
「俺たちに勝つ可能性はあるのか」
「らしくありません。博士が弱気になるなんて……勝つために私たちはこの新型兵器を——第五世代ARMを完成させたんじゃないですか」
「第五世代が? 完成してるのか?」
「元の計画よりはかなりダウンスペックになりましたけど。しかし機体の表面のみにSRドライブのタイムリープ機能を展開し、接触した物質をランダムな座標に素粒子レベルで飛ばす——〈SRグローブ〉の完成は非常に大きいです。肥大化したアルファのオルフィレウス・コアへ到達するのが困難なことには変わりありませんが、人類逆転のきっかけとなり得る、これ以上ない武器ですよ」
「あれか……」
目の前のクレーンで運ばれている腕。俺の乗っていたARMのものより一回りは大きいが、装甲の造形はよりスマートに角が少ないものとなっている。
「紅、君は並行世界の話を知ってる?」
「今日は本当におかしいですよ、博士」
口元に手を当て、紅は微笑む。
「おかしくて構わない。答えて欲しい。ごめん、紅。時間がないんだ」
「不思議なひと……当然みんなわかっていますよ。なにせ私たちは、未来からやってきた第五世代の試作機を元にこの完成形に辿り着いたのですから。どの世界の私たちがそれを送ったかはわかりませんが——そこと異なる平行世界にいる私たちの使命は、第五世代を完成させること。そして出来るだけ多くの並行世界へ送り届けることです」
「できるのか?」
「まだそれぞれの並行世界がどのような位置にあるのか……それが掴めないというか……掴みようがないのです」
「わかるはずだ。俺なら」
この世界なら。
可能性は、ある。
「あなたが?」
「そうだ。紅は、俺を信じてるか?」
彼女は照れたような顔をする。
「今さらそんな……関係でもないでしょう」
「俺は二〇一九年八月二十五日、アルファとの戦闘中にここに来た波木晃太なんだ。未来から来た君と戦ってる。あと少し、あと少しなのに。俺たちは負けそうなんだ。もうARMは両腕がやられて、アルファは形を大幅に変えてしまって、どうしようもない。でも、君たちなら——君たちに、助けて欲しいんだ」
「そんな……複数意識による肉体の共有が、まさか、本当に……」
俺は紅の手を握る。
この世界の紅は、その手をしっかりと握り返してくれた。
「俺は俺を信じてる。そして君を信じてる。勝手なことを言ってるのはわかってるんだ。この世界の君には何もしてあげられない。ただ一方的に助けを求めてるだけ。俺は弱くて、自分の力じゃ結局どうにもできなくて、負けそうで、紅に約束したのに、応えてもやれない。最悪だ。でも、最悪が最悪のまま死んで終わるなんてもっと最悪だ。俺はそんなダサい終わり方をしたくないんだ。そしてみんなを守れないのが本当に嫌なんだ」
「あなたはどんなときも勇敢でした」
「君の知ってる俺はそうなんだな——同じ人間でも、違うもんだよ」
「では聞きたいのです。あなたの傍にいる私は、どんな人ですか」
「ガーディアンだ。感情を殆ど表に出さなくて、俺と同い年なのにすごくしっかりしてて、頼りになる。自分たちの世界を放り出して、俺たちの世界を救うために来てくれたんだ。そして何とかアルファを倒そうと、頑張ってくれた」
「そう……ガーディアンに……私は、幸せそうでしたか」
「幸せ? それは、たぶん、アルファに勝てばきっと感じてくれると思う。いや、幸せにするよ。俺にはそうやって彼女に恩を返すしかないし、そうしてあげたい」
「ふふ……あなたがそういう気持ちを持っているということは……その世界の私はきっと、今でも既に幸せでしょう」
「なに?」
「こちらの話です。私にも、あなたを守りたいと想う理由があります。そしてもちろん、あなた自身にも。必ずあなたを助けてみせる」
「ありがとう」
もし、この世界の俺が。
俺と同じくらいじつはへたれで。
逃げ腰になることがあるなら、言ってやってほしい。
俺みたいに、気合いで何とかしろって。
「気合い、熱意……研究者にはあまり似合わない言葉ですが。あなたは、常にそれが事態を打開するものであり、無限の可能性をもつXであると考えています」
「それは楽しみだな」
彼女の左手薬指には、指輪が嵌まっていた。
全てが終わった後、もう一度、この場所へ感謝を告げに戻ってくることは出来ないだろうか。
それも気合い次第かな。
そんなことを考えながら、俺は元の世界へ帰還した。
「ああああああああああああああああああああああ!」
俺は雄叫びを上げていた。劇薬が体中に注ぎ込まれているようで、獣にでもなってしまったかのような、感情の大爆発が起こっている。
「晃太、晃太!」
紅の声が聞こえ、ようやく正気に戻る。
そして俺は。
自分の。
ARMの右腕が存在することに気づく。
「タイムリープ現象を確認、突然ARMの右腕が転送されてきたわ。その上ダブルパイロット方式というのがキャンセルされて、また私は元のガーディアンに戻ってる。右腕の接続は良好、オルフィレウス・ビット残量九五パーセント——そんな、タイムリープしてもこれだけ維持できるなんて——」
「まさか本当に願いが叶うとはね。俺も君も、サンタに向いてるかも」
興奮しているのか、紅は俺の声が耳に入らないようだった。
「でもこの腕、私の時代には見たことない形状だわ。内部にインストールされていたシステムがこっち側のシステムを書き換えてる」
「きっと大丈夫だよ」
「——そうみたい」
《第五世代ARM右腕の接続を確認。システムアップデート。ハロー、ナミキコウタ、トヨサキベニ。私たちの願いを、君たちの願いに。君たちの想いを、私たちの想いに。貴重な腕だ、負けるなよ》
「晃太、これは第五世代の完成形——ウソ、〈SRブロウ〉が使用できるわ」
「だろうね。向こうじゃ〈SRグローブ〉って言ってたけれど」
「向こう?」
「後で話すよ。さっそくこれでぶん殴りたいんだけど、すぐ使えるか?」
「なんでそんなに知った顔——じゃない、声なのよ! もう、今やるわ。ちょっと待ってて」
「紅はそれくらい感情表現豊かなほうが良いな」
「うるさい! オーケー、起動準備完了。使い方まで知ってるとか言わないわよね?」
「むかつくやつを殴れば良いんだろ?」
「まったく。その通りよ」
「でもコアがどこにあるかわからない」
「細長い形状が幸いしたわね。形態変化したアルファの頭から尻尾まで、拳で貫くように殴ればどこにコアがあっても当てられるわ」
「最高だな」
俺はまずARMの体を横に動かし、触手の攻撃を避ける。
ARMだけが動ける、まるでここは時のない世界。
時の遙か向こう側からやってきた腕で、俺はこの化け物を倒す。
——殴り方って、どうやるんだろうな。
もっと父さんや賢志と、喧嘩しとけばよかったな。
肘を後ろに引く。
拳を握る。
《SRグローブ発動。拳に攻撃対象以外のものが触れないよう充分ご注意ください》
アルファの頭部、その先端についた目玉と向き合う。
それは時間の殆ど進まない今でさえ、俺をしっかりと捉え、憎んでいるように見える。
——こいつはどんな想いでこの地球にやってきたんだろう。
肘を伸ばす。
その目玉に拳をぶつける。
接触した物質をランダムな座標に、素粒子レベルで飛ばす機能。
感覚はまったくない。
空気抵抗さえも感じない。
それでも触れた部分は、アルファの強固な鱗は、綺麗に消えてなくなってしまう。
頭から尻尾まで。
砂漠の砂がさらさらと風に乗り。
見えなくなってしまうように。
どこか俺の知らない場所へ。
アルファの欠片は旅立ち。
アルファという個体は、消滅した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます