四章 時の門をくぐって(4)
母さんと、自分のことだけを考えてた。
だから将来自分が結婚するかとか、どんな風に子供を育てるかなんて思いもしなかった。
それに、自分のことといっても、やりたい仕事があるわけでもない。
具体的な目標も持たず、そこそこ稼げるサラリーマンになれればラッキー。
俺は、今目の前に見えている以外のものを、想像する力がないのかもしれない。
未だ来ぬもの、未来。
俺はどんな年の取り方をしているだろう。
「——司令官。波木司令官?」
「ん……」
「聞こえますか。司令官?」
唐突に目が見えなくなることがある。
目の前が真っ暗になったときは危険だが、真っ白の場合はさほど大きな病気ではないらしい。ストレスでも起こりうるようだ。
私は——。
いや。
俺は、そんな話聞いたことがない。
「……」
「働き過ぎですよ。もうお年なんですから、休み休みやらないと」
白髪の老人がいた。初めて見る人だ。後ろに四十代くらいの女性も控えている。内装から病院だと推測できるけれど、ベッドが随分汚い。
まるで野戦病院だ。
アルファも、触手の爪も、ARMも、紅も、存在しない場所。
また俺は別人になっているのか。
幻の中、別人である波木晃太に。
自分の手のひらを見てみると皺だらけだった。服は軍服。司令官、と呼ばれていたけれど、もしかして自衛隊だろうか。
体が重い。
「今は、何年の何月何日ですか?」
声もしゃがれている。
老人が「お年」というくらいだ。
俺も老人になっているということ。
「やめてくださいよ。世界終焉の予言——ニューナルイ内はそういうジョークに敏感な状況です。おわかりでしょう?」
「ジョークじゃないとしたら?」
俺がアルファと戦ってる最中だなんて、信じちゃくれないだろう。
半ば諦めていた。けれど、老人は俺の言葉で急に真剣な顔つきに変わる。
「——私の名前をご存じですか」
「知らない」
「堤克哉。あなたの主治医です。最近だと喉の手術も担当しました」
「記憶にないな。第一俺は、年寄りじゃない」
「まさか……おい君、録画だ! 今すぐカメラを持ってきなさい!」
慌てて後ろにいた女性が部屋を出て行く。
「体中がだるい」
「失礼ですが司令官。あなたのことを教えてください」
女性はすぐに戻ってきて、三脚についたカメラを回す。
「俺は司令官じゃない。波木晃太。十七歳。今まさに……アルファと戦っている、はずなんだ」
まったく、俺は、どうなっているんだ。
生きたまま生まれ変わった気分だ。
「アルファと? 二〇一九年ですか? 二〇一九年から来たんですね?」
「八月二十五日だ……」
「詳しく教えてください」
「詳しく? あんたたちの方がよく知ってるだろ? 戻らないと、早く」
「今は二〇六一年です。焦らず、落ち着いて聞いてください。あなたは——あなたは、二〇一九年のあなたは別の並行世界に存在する二〇六一年のあなたの意識に入り込んだのです。私たちが幾つも同様の事例を確認しています」
「別の世界?」
「そうです。アルファと戦っているということは、ARMに乗っているのでしょう? アルファと接触したはずです。であれば、誰かから並行世界やタイムリープについて聞いているのでは? 肉体を置いて意識だけが、並行世界の自分へと飛ばされてくることがあるのです」
「うっ……」
ひどい頭痛だ。
「大丈夫、安心してください。痛みに抗わず、身を任せて。アルファと戦っているのですね? 戦況は?」
「殺される……あと、あと少しだったのに……」
「あと少し! 可能性はあるはずです。諦めないでください。あなたは強い意志を持った人だ。あなたが母の死をきっかけとして人生の全てを賭け、アルファを倒そうと、日本人の故郷を取り戻そうとしてきた姿を私はずっと傍で見てきました。想いです。大切なその強い気持ちを忘れないで。あなたも持っているはずだ」
「想い……」
「そうです。オルフィレウス・コアあるいはオルフィレウス・ビットとの接触により、並行世界間の意識は互いに行き来できるようになる。まだ意図的に意識を飛ばすことはできませんが……どこかの並行世界にいるあなたが、あなたの肉体がある世界を救済することが出来るかもしれない。いや、できる。あなたの強い想いが、別の世界のあなたさえも動かし、必ずやあなたに手を差し伸べるでしょう、司令官」
「痛い……頭が……どういうことだ?」
「残念ながらこの世界はもう終わりが近い。私たちはアルファに敗北したのです。第五世代の開発も失敗に終わり、ARMは全て破壊され、無数のガンマが世界中に巣くい、人類は滅びつつあります。しかし別の世界なら——あなたを救える手が残っているかもしれない。
諦めないでください。強く、強く念じるのです。あなたを救えるあなた自身を、無数の世界から見つけ出すのです」
「俺……自身を?」
「そうです。痛みに身を任せて、漂うのです。世界の向こう側へ。あなたには救わなければならない世界があり、守りたい人たちがいる。私は無力ですが……あなたの成功を願っています。
人類の未来を、取り戻してください」
頭を貫く痛みと共に、意識が飛んだ。
白い、視界だ。
大丈夫な視界だ。
俺は。
時間から外れてしまったのか。
《ガーディアンの機能不全を観測、感情をコントロール出来ません。ダブルパイロット方式へ移行します。リミッター解除、ガーディアンの神経系がARMとリンクされました。設計限界を超えた出力が出る可能性がありますのでご注意ください》
一瞬のうちにシステムからのメッセージが頭の中に入り込んでくる。
ARMの無機質な声。
《エマージェンシー、エマージェンシー。コクピットが危険な状態です。すぐに戦線を離脱してください》
《error code= 00000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000……》
《ガーディアンの感情限界突破。認識出来ません。オルフィレウス・ビット不足、SR機関コントロール不能》
《ガーディアンより指示あり。守護。守護。守護。守護。守護。休眠状態のオルフィレウス・ビットの再稼働を試みます……》
《一部オルフィレウス・ビットの再稼働を確認。SRドライブ起動、ヤヌス解放。時の門を開きます。一時的にリンクが切断されます。ご注意ください》
紅が——。
紅が何かしてくれてるのか?
「波木。大丈夫?」
さっきまでARMの目で外の様子を見ていた。
それが今は、波木晃太の目でコクピット内を見ている。
リンク切断。
これは、本当の自分なのか。
「ああ……紅は?」
振り返ると彼女は汗だくだった。息が上がっている。
「問題ないわ。つい叫んじゃったけれど……殺されるって思ったら、ね。あなたを守れないなんて、ガーディアン失格だわ。そんなの嫌だった」
「まだ死んでない。クッキーを食べたからな」
「この状況でそれを言うの? でも本当、不思議なこともあるものだわ。これは一体……」
俺と紅は正面の巨大ホログラムディスプレイに目を向ける。
触手の鋭利な爪は俺たちのいるコクピットに、すぐにでも触れそうな位置にある。
だがそこでぴたりと止まっていた。
それだけじゃない。他の触手、アルファの体の脈動、不安定な体勢のARM、近辺を飛んでいる自衛隊の戦闘機、ヘリコプター——。
それらが全て不自然に停止していた。
「まるで時間が止まってるみたいだ」
「そう——あっ」
紅が手元のモニターの一つを回転させ、俺の方に向ける。
「見て、これ」
画面上にはずらりと意味不明な言語が並んでいた。一文字ずつよく見ると、ギリシア文字だとわかる。その右下に時間の表記。秒の後にずらりとゼロが並んでいるその一番下の数字——一〇〇〇〇分の一秒の単位が、ゆっくりと、一つずつ増えていた。
「止まってるんじゃないのよ。このARMの中の時間の経過だけが、とてつもなく遅くなっているの」
「どうしてこんなことが」
「わからない。こんな機能があるなんて聞いてないわ。でも、さっきヤヌス解放って言葉が聞こえた。何かがきっかけで、試験段階のプログラムが起動したのかも」
「どっちにしろこれで考える時間は出来たな」
「逃げないの? ARMはもう両腕がないのに」
「頭も、胴体も、両足もある。諦めるわけにはいかない」
「波木……」
「君だって本当は同じ想いだろ?」
「——もちろんよ」
紅と俺は強く頷き合う。
「君が諦めなかったから、こんな風にチャンスが与えられたんだ」
「あなたの頑張りのおかげよ」
「俺の仕事はこれからだ。なぁ、紅は別の自分と入れ替わってた経験ってあるか?」
「さっきまさにそんな経験をしたわ。目が覚めたらまたここに戻ってた」
「どこにいた?」
「ニューナルイシティ。そこで私は、年老いたあなたと一緒にいた」
「話をした?」
「ええ。私自身状況が飲み込めてなくて、支離滅裂だったけれど——そう、でも——具体的には——思い出せないわ。夢みたいに」
「夢だったのかも。でも、賭けてみても良い夢だと思う」
あの堤という老人の言葉。
自分たちはもう絶滅寸前で、他人の心配なんてしてる余裕なんてこれっぽっちもないはずなのに。
俺に助言をしてくれた。
そして、託してくれた。
期待に応えなきゃいけない。
「どういう意味?」
「細かいことはいいからさ。俺は偉そうだった?」
「ふふ……そうね。何だか立派になってるみたいだったわ。研究者のような」
「君には優しかった?」
「とても」
「じゃあそこに行くよ。俺は、俺と、紅と、母さんと、賢志と、平野さんと、店長と、学校のみんなと、鳴居のみんなと、この地球のみんなを守るために、そこにいく」
《クールダウン完了、パイロット二名、再接続します》
「そして私たちを助けてくれるのね?」
「もちろん。欲張りだろ?」
「そうね——でも、言ったからには一人だって諦めないでよ。口先だけの強欲は愚かだけれど、実現するのなら、それはロマンになる」
「男にぴったりの夢だな」
「信じてるわ——晃太」
体がARMと繋がる。相手は止まったままでも、俺のほうも腕がないので出来ることなんて殆どない。
祈ること以外は。
願うこと以外は。
ただ、こいつを倒したいという想いを抱き続ける以外は。
でも、そういう気持ちが俺みたいな弱っちい高校生にも考えられないような力を与え。
可能性を与え。
奇跡を起こしてくれる。
そういう想いに応えてくれる何かかがこの世界には満ち満ちていて。
その中で一番の俺の理解者は。
やっぱり俺自身なんだ。
「——何回目だよ」
脳に痙攣。
痛みに身を任せ。
俺は飛んでいく。
みんなのために。
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