四章 時の門をくぐって(3)

 巨人。

 体が大きくなったとしても、空には近づけない。

 薄い雲が西から東へ流れている。

 いつもそうだったろうか。

 崩壊した鳴居の街と同じように、海は平らだ。

 海の青と、空の青は違う。

 アルファの中の青も。

 もしも。

 三日前、紅の呻く声を無視していたら、後悔していただろう。

 知らぬ存ぜぬを通す選択肢は持たなかった。

 だからここに立っているのも、紅がタイムリープをして来た瞬間から、決まってたんじゃないかって。

 偉そうな事を思う。

 未来から、過去に時間を超えてやって来たとき。

 人は別の世界——似ているようで違う、平行世界へ移動している。

 行く先の未来は、だから紅も知らない。

 紅は今まさに、この世界の未来を新しく創ろうとしているんだ。

 みんなが幸せでいられる世界に。

 俺は、彼女が作り、導こうとしている世界の先へ。

 一緒に行きたい。

「アルファの脈動パターンの大幅な変化を検知。波木、何か来るかも」

 握りしめた両手を構える。

 アルファが小刻みに震えていた。

 A腕、B腕共に地上にだらりと垂れている。

 変化は本体と地面との接点で起こった。

 鱗が絡まり合う蔦のように変形し、徐々にアルファの体を持ち上げる。

 二つの、アルファのための台座。

 いや——。

「足だ」

「アルファの進化が始まったわね。でもまさか最初が足なんて」

 目を凝らすと、ほんのわずかに前進しているのがわかる。

 アルファの足は図体に対してとても短く、人間みたいに一本足で体を支えられるものじゃない。

 戦車のキャタピラよろしく、変形した鱗を前から後ろに流して移動する。

「あの速度じゃ相手の戦術には何の変化もないはずよ。そこまで警戒する必要はないわ」

「もっと進化が進む前にケリをつけないと」

 俺はやや後退する。

 目の前の地面をB腕が叩きつける。

 ——今だ。

 さっきまでは自分の生身の体の動きとARMの鈍い動きの差が大きく、あらゆる行動にぎこちなさがあった。けれど今は、自分とARMが完全に一体となって、どれくらいの速度で足を運んでいけば良いのかがわかる。俺自身がARMになってきているという感覚。走る速度も——決して軽快とは言えないけれど——上がってきて、アルファへ到達する時間も短い。

 でも。

 アルファだって同じように環境に馴染んでいくのだ。

 宇宙の果ての、どこかから来て。

 これほどの速度で。

「相手も速いわ。A腕に動きあり、足下を狙ってくる」

 跳べないことに気づいているのか。

 鱗に伸ばした左手はそのまま、左の足裏でA腕を防いだ。

 右手のダガーで鱗を切除。

 成功。

 このまま中に突き刺し——。

「右上方からB腕!」

 やっぱり速い。

 咄嗟に右腕でガード。

 肘付近にぶつかり、痺れが襲う。

 紅が上書きしてくれたけれど、その前にダガーを落としてしまった。

 露出した内部構造の表面に、早くも薄い膜が出来つつある。

 左手でダガーを拾い、慌てて切っ先を向け。

 アルファへ。

 突き刺さる。

「いいわ。そのまままっすぐ突き刺せば本体中央よ」

 いけ。

 いけ!

「A腕に動き。すぐに来る」

 それなら——。

 俺はアルファの足下、俺の左手より出来るだけ遠い位置に蹴りを入れた。バランスを崩しそうになるのを、突き刺さったダガーを支えに堪える。

 ほら、そこに三本目の手があるぞ。

 ARM本体に向かいかけていたA腕が軌道を変え、俺が蹴った部分を上から叩いた。

「外れだ!」

 作戦成功だな。

 少しずつダガーはアルファ内にめり込んでいるが、まだ手の半分が埋まったところだ。せめて腕の半分は入らないと、中心部には届かない。

 アルファの心臓——オルフィレウス・コアには。

「紅、もっと力は出ないのか!」

「もう限界よ。防御しながらそのまま続けて。次、右から」

 それなら右手で押さえられる。

 左手は完全に埋まった。少し柔らかくなってきた気がする。

 右手を開く。

 掴もうとしたが、アルファのB腕は手前で小さく曲がる。まるでARMの右手が見えていて、それを避けるかのように。

 慌てて腕。

 どうにか前腕の側面で防ぐことが出来る。

 左前腕の半分が、アルファ内に入った。

 もう少し——。

 あれ?

 体が倒れそうになるのを、足で踏ん張る。

 急に右腕にかかる負荷が上がった。

「紅、B腕の力が強くなってる! 骨が折れそうだ……」

 直接骨を持って折られようとしているかのような、味わったことのない痛み。

「上書きを強化したわ。どうして……駄目よ波木、ARMの強度じゃ持ちこたえられないわ、アラームが出てる。このままじゃ右腕を失ってしまう」

「それでもコアをぶっ壊せば良いんだろ?」

 俺は紅の忠告を無視し、左手に集中する。

 来た——。

 ARMの前腕が完全に内部構造に埋まった後は、すんなりと腕の根元まで入っていった。

 オルフィレウス・コアを壊したんだ。

 俺はそう思っていた。

「波木、逃げて! アルファの活動が止まってない。そこにはオルフィレウス・コアがないのよ!」

 何だって?

 俺は左腕を引き抜く。アルファの中央にぽっかりと空いた穴の中は、内部構造の淡い光に照らされて奥まで見えた。無数の静脈が通っている、むき出しの白い肉。それはまだ脈動している。

「左からまた来るわ。逃げて!」

「間に合わない!」

 A腕を左腕で上にはたく。ARMの頭の上をすれすれで通り抜けていった。

 ——でも、このままじゃ右腕が持たない。

 痛みこそ感じないが、装甲がひしゃげている。何とかB腕から離れようとしているのに、鱗の挟み込む力が強すぎてどうにも出来なかった。

「くそっ、取れない」

「オルフィレウス・コアが存在しない……それならどうやって体を動かしているの……あれがもし後天的に生まれたものだとすれは……でもこの力は……外形の変化もなしになんて……」

 紅が焦っているのがわかる。

 俺は左手のダガーを捨て、右手を掴んでいる鱗を外そうとした。

 びくともしない。

 鱗はそのまま獰猛な牙がごとく腕の装甲をかみ砕いた。

 瞬間、大きく開いた鱗の隙間から。

 勿忘草の色。

 巨大な多角形。

 透き通る宝石。

 オルフィレウス・コアの一部が見えた。

《エマージェンシー、エマージェンシー。右腕前部装甲の破損を確認しました。SR機関に損傷、外気に触れています。早急に処置をするか、当該部品を切り離した後退避してください》

「なんだ?」

 機械的な声が頭の中に響く。

「右腕に搭載したSR機関のコントロール不能、オルフィレウス・ビットの暴走開始——右腕は爆発するわ。切り離すから、すぐ逃げて!」

 右腕が爆発?

 ならいっそそれを利用してやる。

「紅、B腕の中にオルフィレウス・コアが見えた。爆発を使って壊そう」

 B腕がもう一度右腕を狙ってくるのを、俺はそのまま待った。そして喰らいついた時、右腕が根元から本体を離れる。

「RT−28W右腕、分離成功」

 遅れて俺の右腕からも感覚がなくなった。

 逃げないと——。

 そう思ったが、右腕を失ったせいでうまくバランスが取れない。

 どうにか左腕で機体を支える。

 右足、左足。

 右足、左足。

 焦るな。

 着実に逃げろ。

 だが俺がアルファに背中を向けた途端。

 A腕に胴体を強烈に打たれた。

 ふらついている内に、切り離した腕が発光する。

 轟く爆破音。

 爆風でARMが飛ばされる。

 背中を激しい痛みが襲ったけれど、機体は無事だ。

 衝撃が収まった後、巻き上がる砂がゆっくりと静まっていく。

 これで、オルフィレウス・コアは——。

 アルファは。

 死んだ、はずだ。

 俺たちが倒した。

 はずなのに。

「どうしてだよ……」

 向かって右側、アルファのB腕は殆どが消失している。

 爆発が地面にも巨大なクレーターを作っていた。

 なのに、アルファは平然とその場で。

 鱗を波打たせ。

 もう一本の腕で、俺の居場所を探していた。

 本体の真ん中にぽっかりと空いた穴。

 それは少しずつ奥から塞がれつつあった。

 俺は、右側からゆっくりと動いてアルファ本体中央に収まる、勿忘草の宝石を見た。

 オルフィレウス・コアは、アルファの体内を移動することが出来るんだ。

「オルフィレウス・コアが移動するなんて……そんなの、他のどの形態でも観測されていないのに……」

 紅が絶句する。

 そうか。さっきはARMを上回る力を出すために、コアを一時的にB腕へ移動。危険を察知して爆発前にまた本体に戻した。

 コアはただの燃料源じゃなくて、力の源。

 コアに近ければ近い部位ほど、より強い力が出せるようになっているんだろう。

 本体の傷が、みるみる塞がっていく。

 考えてる暇はない。もうARMの腕は一本しかないんだ。

 さすがに効いているのか、アルファの残った腕も動く気配はない。

 俺は体を起こし、再びアルファに接近。

 さっきのダガーは爆発に巻き込まれて消えた。落としていた一本目を拾ってから左腕を本体中央に押し込む。

 治りきらない傷口にするすると入っていく。

 けれどダガーの切っ先にコアがぶつかる感触はない。

 また移動したんだ。

 内部構造に阻まれながらも、そこから左右に手を動かし、コアを探す。

「A腕が動いたわ。頭を狙ってる」

 冷静さを取り戻した紅がモニターを再開した。

 どうする。

 今、コアは本体のどこかに隠れているのか。

 それともA腕に移動して、俺を殺すことに全力なのか。

 さっきと同じパターンなら、A腕に移動している可能性が高い。

 でも一度腕を爆破されてるんだ。

 安全策でコアは本体に残ってるかも。

 そんなことを考えるだけの知力はあるのか?

 わからない。

 どっちだ。

「紅、左腕を爆発させてくれ! 本体を壊そう!」

「本気なの? 失敗したらもう使える手が」

「迷ってる場合かよ!」

「——わかったわ。あなたの決断に賭ける」

 脳内にARMシステムの声が響く。《左腕SRドライブ起動。オルフィレウス・コア残量不足、残量不足。管理者権限により強制起動。異常察知、SR機関暴走。ただちにSRドライブを停止してください。緊急停止モード起動——管理者権限により、停止モードキャンセル。左腕暴走、左腕暴走、エマージェンシー……》

「RT−28W左腕、分離成功」

 左腕はアルファ体内に深く埋もれたまま、切り離される。俺は若干後ろに後退し、襲ってくるA腕を避けるのではなく——。

 頭に設置された無用のアンテナで迎え撃った。

 鱗に当たって、俺の狙いがA腕だとアルファに思わせられれば御の字だと思った。それがうまく鱗と鱗の隙間にアンテナの先が突き刺さり、A腕の動きは止まる。

 ここにコアはない。

 悪くない賭けのはずだ。

 どっちみち片腕では鱗を剥がして攻撃する、という戦術は使えず手詰まり。であれば既に空いた穴からできる限りの火力で攻撃し、コアを破壊する可能性を最大にする戦略がベストだ。

 間近で、閃光。

 のち、爆発。

 衝撃がアンテナに刺さったアルファのA腕ごと俺たちを突き飛ばす。

「胸部装甲に損傷、コクピットが剥き出しだわ」

 狙い通り本体は粉砕されている。A腕は先端付近にARMのアンテナが突き刺さり、そこから長く延びて、爆発に巻き込まれずに残った本体の一部がくっついていた。

 鱗はまだ動いている。

 爆発で剥き出しになった内部構造を覆うように、膜が形成される。

 ——失敗、だ。

 打ちひしがれる俺に、紅の声が届く。

「波木、A腕にのしかかるのよ! 動きを止めるの。アルファだって腕だけになればろくな攻撃も出来ない、せいぜい地上でのたうつだけだわ。今ならこの時代の兵器でも、鱗の隙間から地道に攻撃すればそのうちコアを破壊できる」

「さすが紅、まだ諦めてなかったんだな」

「あなたは諦めてたの?」

「ちょっとショックを受けてただけだ」

 俺は何とか体を動かそうとする。

 まだ希望はある。

 俺たちだけじゃない。

 みんなの力で勝つ可能性が、残っている。

 と、思った。

 でも。

 A腕——いや、オルフィレウス・コアを持ちアルファ本体となったその細長い物体が体をくねらせる。

 ARMのアンテナから離れると、一つ一つの鱗の中央から細い触手が生え、ムカデのような形態に変化した。触手の先端は鱗と同じ黒い金属質の素材だが、爪のように尖っている。

 その内の一本を。

 アルファは、ARMの胸。

 俺たちのいるコクピットに伸ばした。

 一瞬のことだった。

 また形態変化を起こしたアルファにどうやって戦うのか。

 そんなことを考えている暇もない。

 ARMの視界。

 俺は、俺がまさに刺し殺されそうになっているのを外から見ている。

 幽霊にでもなったみたいだ。

 ムカデ形態になったアルファの頭部に、これまでには見られなかった球体が飛び出していた。

 まるで——。

 まるで瞳。

 全てを吸い込むブラックホールにも似た、巨大な眼。

 その視線の先には、幽霊である俺がいた。

 お前に。

 お前には負けられないんだ。

 だから、なにか。

 どうしかして。

 逆転の一手を——。

 俺は考える間もなく。

 叫ぶ。

 遠く。

 果ての、果ての、果ての、果てにある世界の向こう側まで届くような。

 大声で、叫んだ。

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