四章 時の門をくぐって(2)

 ARMの胸部は開口するようになっていて、コクピットはその奥にあった。本体とは異質な黒い十二角形の箱に扉が付いている。内装は俺がシミュレーターで見たものとまったく同じだった。

 あの時は自動的に座席に座り、いつでも起動できる体制が整えられていた。今回は違う。先に紅が入って後部のガーディアン席に座る。前方のパイロット席との違いは、外見上はモニターの有無だけだ。ガーディアンはARMと視覚連動しておらず、複数のモニターで外部の状況を三六〇度把握し、パイロットの状態を監視しつつ支援を行うという。人間の視野と一致させるため、パイロットと連動するARMのメインカメラが見られる範囲は人間と同じに設定されていた。

「はい。ひとつあげるわ」

 紅が差し出したのは、クッキーだ。見た目はよくある円形のカントリー風。いかにも喉が渇きそうな粉が吹いていて、それが逆に本格的な雰囲気を醸し出している。俺の好きなチョコチップ入り。

「水もあるわよ」

「紅が作ったのか?」

 彼女は早くも一つ頬張っている。

「そう。操縦前は必ず食べることにしているの。私が食べれば、パイロットは絶対に死なない」

「願掛けか」

「一度材料が手に入らなくて、食べずに出撃したことがあるわ。そのときのパイロットは、私の目の前で串刺しになって死んだ。もうそんなことは御免よ」

 想像しそうになったけれど、ぎりぎりで踏みとどまった。

 一口でクッキーを食べる。

「砂を食べてる気分だ」

「どの平行世界のあなたも絶対にモテないわね」

「真面目な顔で言わないでくれ……これ、砂糖と塩を間違えてるんじゃないか?」

「それがニューナルイ風クッキーなの。砂糖は稀少なんだから。これでもありったけつぎ込んで作ったのよ」

「そう言えば資源不足だって言ってたな。そんなに酷いのか」

「そうね。純正バター一キロで家が建つわ」

「げ……マジかよ」

 乾いた口に水を流す。

 気を取り直して、戦闘準備だ。

 自分の席に座り、ベルトを締める。動きやすい方が良いかと思い緩めに締めたのだけれど、紅に怒られてしまった。操縦は実際に自分の体が動くわけではない。怪我防止のため身動きできないくらい固定する必要があるらしい。

「紅、これじゃ腕がグローブの先まで届かないぞ」

「先に座席位置を調整してないからよ。ベルトを外して。右の肘掛けにあるボタンで背もたれの角度と座席の位置を変えられるわ。指先がぴったりグローブの先端に触れるようにしてね」

「オーケー」

 これで、よし。

 もう一度ベルトを締め、グローブを手に嵌める。自動的にグローブから空気が抜けて、皮膚にぴったりと張り付いた。

 紅はモニターを弄っている。起動するにも色々と手続きがいるのだろう。ガーディアンは大変なんだな。

「紅」

「なに」

「おでこがめちゃくちゃ痒いんだけど」

「我慢しなさい」

「どうやったらグローブを外せるんだ?」

「アルファを倒したら」

 本気で痒いのにな。

「RT−28W起動準備。モニター全画面正常、ガーディアンの身体ステータス確認、異常なし。パイロットの右肩に損傷。常時監視、上書きを実施する。ESM起動、ガーディアン〈沈着〉、パイロットに軽微な〈緊張〉と〈興奮〉を確認。上書きにて対処、操縦への影響なしと見なす。ベルト圧適正、グローブ位置適性。機体物理ステータス確認。頭部異常なし。胸部異常なし。右腕異常なし。左腕異常なし。右脚異常なし。左脚異常なし。各部SR機関のステータス確認。胸部異常なし。右腕異常なし。左腕異常なし。右脚異常なし。左脚異常なし。オルフィレウス・ビットのプリ・コントロール開始……総エネルギー残量五十六%。パイロット登録——」

 そこで紅が言葉を切る。

「波木、名乗って」

「ん? ああ……波木晃太」

「パイロット登録完了。ガーディアン登録、豊崎紅。ガーディアン登録完了。パイロットとRT−28Wのユニオンを開始する」

 俺の視界が真っ暗になる。ここはシミュレーターと一緒だ。

 次に目が見えるようになった時に、俺には港でうなだれる柳井の姿が点に見えた。

「波木、視界に問題はないわね?」

「ばっちりだ」

「良い返事よ。パイロット、ガーディアン、準備完了。RT−28W、起動」

 まだ体はベルトで縛られている感覚があった。けれど紅が起動、と発した途端体は自由になり、ARMを——自分自身を動かせるようになっていた。

「時刻は二〇一九年八月二十五日、午前十時〇二分。アルファの侵略的活動開始まであと七分」

「活動開始までまだあるのか? ならすぐに……」

「侵略的活動開始まで、よ。自己防衛のためなら即座に動くわ。それより距離を取ってる今のうちに戦略を話しておくわね」

「そういうのがあるならこの前のシミュレーションの時に言ってくれよ」

「あれはお遊びだったから」

「あれでお遊び、か」

「ここからは本番。首を飛ばされるわけにはいかないわよ」

「もちろんだ」

 俺は気を引き締める。

 アルファは視界やや左手で不安定な液体のように身を波打たせていた。

「まずは注意事項。アルファの表面の鱗は絶対に破壊できない。ARMは非常時以外跳べない、非常時跳躍は最大一回のみ。相手の腕は全部で二本、今後は向かって左側の腕をA腕、右側をB腕と呼称する。そしてアルファは、二本の腕のうち一本ずつしか動かせない——今のところは」

「後で変わるって?」

「そう、変化すればね。相手は驚異的な速度で環境や敵に適応して形態変化する化け物よ。油断はしないで。

 アルファの腕力はこの第四世代ARMの力と互角かそれ以下と計算されているわ。腕の長さを考えると相手の攻撃は避けるのではなく受け止めるのが基本的な手段になる。アルファが片腕で攻撃をしかけてきた後、隙が出来たところを懐まで潜り混む。波打つ体から鱗が浮いたところを狙ってARMの片腕で鱗を掴み、内部構造を露出させる。そこにもう一方の手に持った〈超振動ダガーMVD〉を突き刺し、体の奥にあると思われるアルファの心臓——〈オルフィレウス・コア〉を破壊する」

「計算とか思われるとか心配になる言い方だな」

「ごめんなさい。でも仕方ないの。〈オリジナル・アルファ〉が出現した時、私たちはARMを持っていなかった。それにこの怪物を詳しく分析する前に自衛隊が総攻撃を行ったせいで、早々にオリジナルは多段進化を遂げた。オリジナル・アルファに関する情報は少なすぎるのよ」

「そのオルフィレウス・コアってのはどんなのだ?」

「外観は流動的。巨大なダイヤのようである時もあれば、目映い恒星のような時もある。ただ色は固定されていて、日本的に言うと勿忘草わすれなぐさの色よ」

「勿忘草って——?」

「内部構造に青い血管のようなものが通っているでしょう。あれと同じ色ね。ちなみにあれは血管というよりは脳のシナプスに近いのよ」

「俺たちはこれから、巨大な脳みそと戦うってわけだ。オルフィレウス・コアはビットの上位互換みたいな感じなのか?」

「ええ。このARMを動かしている燃料、オルフィレウス・ビットは〈異界獣の子ガンマ〉から採取された有限のものなんだけれど、アルファ本体は永久機関であるオルフィレウス・コアによって動いている。私たちの時代でもそうだから、このオリジナル・アルファにも存在するはず」

「コアをひと突き——だったら一発勝負で決めるつもりの方が良さそうだな」

「期待しているわ、ヒーロー」

 俺は頭を掻く。ARMの頭に指が触れると、俺の頭にもその刺激が来た。

 ごつごつしていて、ちょっと痛い。

「あなたが死んだら、私は泣くわよ」

「そりゃあ死ねないな。よし、前説は終わりだ。行こう!」

 ヘリコプターが数機、アルファから距離を取って飛んでいる。

 地上とは距離があるので、鳴居市の人たちの混乱は拾えない。

 静けさが恐ろしかった。

 アルファは今にも殻を破り産まれようとしている絶望の卵のようで。

 憎らしかった。

 俺は一歩を踏み出す。それと同時に、アルファが腕をひと払いし鳴居市を破壊し始めた。午前十時〇九分、侵略的活動開始。足下に人影が見えないということは、避難は完了したのだろう。遠く右手に車の行列が映った。その反対側、アルファの左手から回り込むようにARMを動かす。左手の鳴居湾側で戦闘した方が、被害は少なく済む。

 動きは心なしかシミュレーターの時より鈍い気がした。

 自分の思い通りに体が動かず、もどかしい。

 二本目の腕が振り下ろされる。大きな揺れと共に周辺の建物が崩れていく。転倒しそうになったけれど、足を踏ん張って耐えた。

 最初に腕で破壊された市の一部が平地になっている。

「波木、最初のA腕の攻撃で相手のリーチがわかったわ。ぎりぎり腕の届かない場所に立って待機しましょう。次の攻撃の後で接近よ」

 俺は頷き、足を早める。

 波打つ鱗の隙間から、アルファが俺の方を見ているように思える。

 気のせいだろうか。

 左の腿からダガーを抜いた。

 鱗を引っ張り、突く。

 鱗を引っ張り、突く。

 頭の中でイメージを作り、繰り返した。

「来た!」

 三回目の攻撃。次は空中に弧を描く軌道。

 攻撃というよりは、腕で周辺の状況を確認しているみたいだ。

 目の前を通り過ぎた瞬間、接近。

 走る動作がスローモーションになる。

 足がほとんど宙に浮かず、地面に接する。

 少しずつ大きくなって見えるアルファ。

 手が届く範囲。

 中空を空振りした腕は俺から見てアルファの後方へ。

 六角形の鱗が下から上に向かって波打っている。

 黒光りする鱗の一つ一つが生き物で、マスゲームをやっているかのよう。

 そのうちの一つを左手で掴んだ。

 うっすらと内部から青白い光が漏れているのがわかる。

 引っ張る。

 引っ張れ——!

 シミュレーションの時よりもずっとしぶとい。抵抗に負けまいと力をこめるけれど、うまくいかない。腰を左に捻り、足を踏ん張る。

 やっと隙間が広がった。

「波木、右からB腕よ! 受け止めて!」

 右上方から触手状の腕。

 咄嗟にダガーを捨てる。

 すんでのところで右手を開き、捕まえた。衝撃で腕と肩が痺れ、一瞬骨が折れたような痛みがきた。

 紅によってすぐに痛みは上書きされる。それでも、幻痛のようにさっき受けた痛みは緩やかに萎みながらも残っていた。

「あっぶねぇ!」

「次は左よ!」

 左からA腕の横払い。今、ARMの左手は鱗を掴んでる。仕方ない。俺は一旦手を離し、A腕を待ち受ける。

 ——上手く掴めた。

「で、これからどうするかな……」

 お互い両手が塞がっている状態だ。一旦離れて仕切り直したほうが良いかもしれない。

 手を離そうとした。けれどアルファの腕についた鱗が内部構造からやや飛び出して、がっしりとARMを掴んでいる。

 鱗の一つ一つが指でもある、か。

 でも力比べならこっちのほうが上だ。

 俺はまず右手を地面に振り下ろした。衝撃で鱗が外れると思ったが見当違い、痛覚もないのだろうか。そのまま右手を反対側に振り上げ、B腕を左手が掴んでいるA腕とぶつける。金属が震える音が耳を劈く。それでも鱗は手から外れない。

 俺は右脚を上げ、足の裏でアルファの胴体を叩いた。

 アルファにとって想定外の攻撃だったのか、途端に鱗が握力を弱める。

 急に両手が外れたので、バランスを崩して後ろに倒れてしまった。

 まずい。

 慌てて立ち上がり距離を取る。アルファは動きを止めていた。

 そんなに効いているとは思えないけど。

「そうか——アルファはあなたの行動から自分の腕に当たるものがARMにも同じく二本しかないと考えていたのかも。足という概念はわからないはずだから」

「へぇ。でもこれで三本と思われたわけだ」

「同じ手は通用しないわね」

「あの鱗、思ったより抵抗が強い。鱗を引っ張りながら突くのは難しいと思う」

「読み間違いね。シミュレーターのパワーは推測でしかないから。なら一手間増えるけれど、鱗を外してから突くしかないわね。鱗を引っ張ったとき、接着されている内部構造も一緒に伸びてきたでしょう? その部分をダガーで切れば剥がれるわ。でも鱗はすぐに再生されるから、一旦退避したらまた元通り。鱗を切り離してからダガーでオルフィレウス・コアを突き刺すまでは、一気にやらなきゃいけない」

「もっとこう、アイデアが光る作戦ってのはないのか? 二〇五二年の人たちなら色々準備できただろ」

「ないわ」

 紅の声は後頭部から聞こえてくる。

「——アルファに鱗がある限り、飛び道具は一切無意味。タイムリープが並行世界を指定出来ないせいで、二体以上のARMを同じ世界に送り込むことも出来ない。取れる戦術は限られているの」

「せめて飛んだり跳ねたりできればな」

「私の時代なら、まず作戦域に補給拠点を作ってからロケットエンジンを惜しみなく使うのだけど」

「補給拠点をこの時代に作れるわけもない。結局このやり方だけが残るってことか」

 俺は再び戦闘態勢になる。アルファの腕が明後日の方向へ一撃を加え地面を貫く。ダガーを回収しつつ攻撃するため、さっきと同じ場所へ走った。

「波木、焦っちゃだめ。チャンスは何度でもあるし、私たちは負けない」

 わかってるさ。

 鱗とは逆に、腕自体の力は思ったほどじゃなかった。シミュレーターより遙かに弱い。もっと積極的に攻めてみよう。

 ダガーを回収。そのまま左手で鱗を掴み、全力で引っ張り上げる。アルファの青白い内部構造が鱗に引きずられ、ガムのように伸びた。そこをダガーで切断する。

 硬い。

 刃で触れて、紅がこれを内部構造と呼ぶ意味がわかった。動物の肉とは全く異なる感触——人工の樹脂みたいだ。

「アルファ背面から大振りで来るわ。A腕よ」

 紅の警告。

 どうする?

 もちろん、切るさ。

 すっと刃が抜ける感覚。

 どうにか鱗を剥がすことに成功する。

 すぐに本体だ。

「攻撃の軌道を計算——左肩に当たるわ」

 左手で掴んでいた鱗を投げ捨て、A腕を受けた。

「ぐ……っ!」

 さっきより明らかに威力が高い。遠心力のせいだろうか。

 どうにか堪え、露出した内部構造にダガーを突き刺す。

 見た目は柔らかな肉なのに。

 全力で押しても、突き立てた刃はゆっくりとしか入っていかない。

 内部構造自体の硬さ、ダガーの切れ味の問題だけじゃない。ダガーとそれを掴む手を内部構造でしっかりと挟まれ、押さえられている。

 抵抗する内部構造に力負けしないよう、体ごと前に押しつける。

 その時。

 徐々にめり込んでいく腕とアルファの内部構造との隙間から、一瞬強い光が漏れた。

 頭が痙攣する。

 視界が真っ白になり。

 青い、電気の通り道が見える。

 あれは——。

 無数の稲妻が繋がって網の目を形成し、それはやがて平面から立体へ、どこにも出口のない球体へ変わる。

 これは地球?

 あるいは、もっと、大きな——。

 思考が途切れた。

 失われていた体の感覚が戻ってくる。

 けれど、俺は、ARMではなく。

 波木晃太の体を動かしていた。

 右手に箸。左手は中空で固まっていた。その真下で米の入った茶碗が傾いている。

「もう何してるの? お茶碗割れなかったからいいけどさ。しゃんとしなさいよ」

 テーブルを挟んで正面に母さんが座っている。和風おろしソースのハンバーグとほうれん草の白和え、洗っただけのトマト、大根だらけの味噌汁。

 見たことのない献立だ。

「い、いや……」

 俺は茶碗を立てる。米はしっかりと茶碗の中にくっついていたので、こぼれなかった。テレビからニュースキャスターの声。「あの新宿召死夜事件から四年。加害者の公然自殺という衝撃の結末を迎えた凄惨な出来事の、その後に迫ります」被害者家族を追う特集のようだ。

 茶碗の上に箸を置く。カーテンレース越しに夕焼けの橙が部屋に差し込んでいる。ソファーの後ろにある日めくりカレンダーは、二〇一九年八月二十八日、水曜日になっていた。

 俺は。

 俺はどうしてここにいる?

「あれ? もしかして今さら夏休みの宿題で焦ってるとか?」

 母さんはハンバーグを頬張りながら言う。

「宿題も恋も先手必勝よ。覚えときなさい」

 八月二十八日。

 俺がアルファと戦ってるのが、二十五日。

 これは夢か?

 ——アルファは?

「化け物は」

「ん?」

「あの黒い化け物はどうしたの? ロボットが倒した?」

 母さんの口からハンバーグの欠片がこぼれた。

「ほ、ほんとどうしたのよ晃太。化け物って何? 何か嫌な夢見たの?」

「これが夢なんだよ! 今は八月二十五日。そうだろ?」

「二十八日よ。私が日めくりにどれだけ厳格か知ってるでしょ?」

「なんで……」

「こっちの台詞よ。夏休みぐだぐだしすぎて頭がおかしくなったんじゃないの」

 俺はジャージのポケットに手を入れる。スマホを出して画面に触れた。表示は二〇一九年八月二十八日十八時五分。チャットアプリを起動して中を確認する。

 賢志や平野さん、店長とのやり取りが残っている。

 けれど八月二十一日以降の履歴は、俺の記憶にはない内容だった。

 ——待てよ。

 なんでスマホが直ってるんだ?

「紅は?」

「次は何よ」

「紅だよ。豊崎紅。俺がちょっと前に——ええと、二十二日に助けた女の子だ。体中に傷がある……」

「そういう映画、あった気がするわ。妄想もやり過ぎると現実に影響が出るからね。ほどほどにしときなさい」

「嘘だ!」

 机を思い切り叩く。コップが倒れ麦茶が床に零れる。俺は椅子を蹴飛ばし、玄関に向けて走った。

 嘘だ。

 俺はさっきまで、アルファと戦っていた。

 早くしないとARMが。

 紅が!

 サンダルをつっかけ、鍵を開け、夕暮れの街に飛び出す。

「嘘だろ……」

 傷一つない鳴居の街。

 そのまま俺は溶けていくように、意識を失った。

 ——俺には肉体がない。

 脳みその、考えている、一瞬の、点の部分だけになったみたいだ。

 そこには俺の声も入り込めないのに。

 紅は、ちゃんとわかって、話しかけてくれる。

 ……。

 ……。

「波木、右からB腕よ! 衝突箇所、胸の右側面」

 朝の光のすがすがしさに、黒光りする奇怪な生き物。

 俺の体は村ひとつ踏み潰して壊せるほどの大きさで。

 角の多い金属板の皮膚を持つ。

 ARMだ。

 元の場所に戻ってきている。

 ダガーもまだ、ちゃんとアルファに突き刺さってる。

 夢のようなものを見たのに、時間は経っていないようだ。

 紅の警告に従い、避けようとする。

 けれど、アルファの内部構造に右手をしっかりと掴まれ、退避できない。

「駄目だ、手が抜けない!」

 B腕が速度を上げて接近してくる。

 両手が塞がっていて、防ぐことも出来ない。

 ふと、自分が左腕にほとんど力をこめていないことに気づく。

 なのにA腕は、ちゃんと押さえられている。

 A腕の力が弱まっているのか?

 わからない。紅の上書きのせいで感覚が鈍いんだ。

「紅、左腕の上書きをやめてくれ!」

「——わかった」

 ずしん、と左腕全体に負担がかかる。

 けれどそれはアルファが力をこめているからじゃない。ただ重みをはっきりと感じるようになっただけだ。

 A腕、B腕のうちどちらかしか動かせないのかも。

 左手の力を抜く。

 A腕が力なく地面に落下。

 よし。

 ——だけどアルファにめり込んだ右腕が邪魔で、左手を回してB腕を止めるのは難しい。

 もっと腕の長いロボットにしてくれれば良かったのに。

 思いつきで俺は足を折り、その場にわざと倒れ込んだ。

 アルファに掴まっている右腕の上をB腕がかすり、過ぎ去る。

 俺の動きが予想外だったんだろう。紅が上書きを失敗した。

 左腕。

 左背面。

 地面にぶつかり、強烈な痛みが走る。

 これくらい我慢するさ。

 すぐ起き上がって——。

「って立つの遅いな!」

 ARMは重量があり過ぎて、思った通りには動いてくれない。

 左手を地面に突き、体を起こす。

 その途中。

 A腕が再び動き出し、俺の脇腹を直撃した。

 ARMがわずかに浮く。

 右手を掴んでいた力が弱まり、内部構造からすっぽりと抜けた。

 横に飛ばされ、街を滑りながら破壊していく。

「くそっ! もうちょっとだったのに」

「波木、大丈夫? ひとまず退きましょう」

「ああ——」

 といっても、立ち上がるのに時間が掛かりすぎる。

 ならいっそ倒れたままで。

 俺はガキみたいに体を寝転んだまま回転させ、アルファから距離を取った。

「さっきからホント素人の喧嘩みたいな動きね」

「素人なりに頑張ってるんだから、もっと褒めてくれ」

 目が回る。

「よく言ってがむしゃら、ね。でも私は好きよ」

「な……」

 確かに褒めろとは言ったが。

 照れるな。

「A腕とB腕はどっちか片方しか動かせないみたいだな。あと、内部構造の力が強すぎて奥まで突き刺すのに結構時間がかかる」

「片方だけ、という固定観念は持たないほうが良いわ。たぶんそろそろ適応してくる」

「もう?」

「ええ。初期のアルファのほうが適応力は高いの。私の時代ではF15——自衛隊の戦闘機に対応するために、活動開始から一時間足らずでB腕の至る所から無数の細い触手が生えてきたわ。機動力のある触手で多数の戦闘機を一気に貫くためにね」

「とんでもないな。気をつけるよ」

「オリジナル・アルファがARMと戦闘してどう変わるのかは未知数よ。どんな変化があっても驚かず、冷静に対処しましょう」

「内部構造をこのまま突き刺していったら、腕が圧力で潰されたりしないか?」

「さっきのパワーであれば計算上は問題ないわ」

 よし、ならもう一度——。

「あ……く……」

 また頭に痙攣。

 紅の声、ARM、アルファ、鳴居、全てが消滅する。

 何もないところ。

 自分は粒になっている。

 ほんの小さな粒子。

 かよわくて。

 でも、小さいからこそ——。

 何もかも見えているようで。

 ここは?

 俺は?

 俺は——。

 俺は、鎌を持っていた。

 草刈りに使う平凡な鎌だ。

 また、ARMから降りている——夢。

 唐突に流れ込んでくる憎悪。

 嫌悪。

 恩讐。

 悪意の塊。

 そして、記憶——。

 母さんが死んだ?

 アルファに潰されて、跡形もなく。

(母さんを、母さんを、母さんを、よくも……この野郎ぉぉぉぉぉぉぉ!)

 俺は、人間の小さい体で、力いっぱい叫んで。

 青白いアルファの内部構造に鎌を振り下ろす。

 返り血を浴びた。のではない。

 俺の左足が、鱗の間に挟まって潰されたのだ。

 痛みより先に恐怖が来た。

 我に返った時には、もう、俺の体は影に覆われていて。

 上から落ちてくる鱗に。

 アルファに、頭を、潰され——。

「うっ……」

「どうしたの波木!」

 吐き気を堪える。紅の声、ARMの体。

 まただ。

 俺は幻の世界にいた。

 左足の感覚は戻っている。ARMの左脚は無事だ。

 頭も当然、ちゃんとついてる。ARMには。

「紅、俺の体はなんともないか? 左足はついてるよな?」

 紅なら生身の俺の状態が見える。

「もちろんよ。ARMがどれだけやられても肉体には影響はないわ。安心して」

 違うんだよ、紅。

 俺は、アルファに足を潰されたんだ。

 殺されたんだ。

 記憶なんかじゃない。幻でもない。

 今まさに俺は母さんの復讐のためにアルファに鎌を振り下ろし。

 殺されたばかりなんだ。

 それを経験してここに戻ってきたんだよ。

 これは何だ?

 これもアルファの力なのか?

 さっきのも同じ……。

 ただの夢じゃない。

「ESMの表示がめまぐるしく変わってる……混乱、畏怖、復讐、絶望、殺意……error code=20591791241284712735913583815206589……」

「大丈夫だ。ぐるぐる回ったせいで頭がふらついただけだから」

 あれだけ柳井に啖呵を切ったんだ。

 母さんや賢志や平野さんが。

 俺たち人間みんなが生きている鳴居だ。

 守らないと。

「少しだけ休みたい。一分くれ」

 俺は深呼吸をする。

 吸って。

 吐く。

 吸って。

 吐く。

 ふいに、海のぬるさが体を包む。

 両手をばたつかせ。

 どうにか息を吸おうとしても。

 口の中には海水が入り込んでくる。

 父さんの。

 父さんの指が、俺の指に、触れた。

「いくぞ!」

 これで最後だ。

 決めてやる。

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