四章 時の門をくぐって(1)
二〇五二年——〈ガンマ
「堤博士、ここでしたか」
年若い男が入ってくる。彼もまたアルファに魅せられた者の一人だ。あの怪物に窮地に追い込まれているというのに、人間の知的好奇心は憎悪を上書きして憧憬の気持ちに変えてしまうほど馬鹿になってしまったらしい。
アメリカ中から研究者がここニューナルイにやって来ては去る。彼は二年前ニューヨークから来た。まだ残っていると言うことは、誰かに優秀と判断されているのだろう。
「どうかしたかね」
「レベッカ・ソーンの論文を読みましたか?」
「未来から来た方の?」
私は煙草の先を潰す。
未来と現在、二人のレベッカは表向き衝突こそしていないものの、それぞれが競い合ってアルファ研究の分野で成果を上げている。それを良好なライバル関係と見なすものも多いが、まさか。彼女たちは自分のアイデンティティを証明するために必死なのだ。本物の、同じ人間が二人いる。本物らしさを見せつけ、認めさせるには自分の優位性を示すしかない。
ドッペルゲンガーに会ったら殺される、という都市伝説が事実にならなければいいが。
「いえ、タイムリープを経験していない方のレベッカです。ガンマの持つオルフィレウス・ビットについて書かれています」
「ああ、そちらか。もちろん読んだよ。興味深い話だ」
それは仮説どころか想像でしかないようなものだった。しかしそれでも論文らしく仕上げて一定の注目を集めるのだから恐れ入る。
曰く、オルフィレウス・ビットとそれを利用したSR機関はアルファが意図的に人類に授けた一種のウイルスである。
未来から来たレベッカ・ソーンはそう警鐘を鳴らした。
我々がオルフィレウス・ビットを活用した第三世代ARMを開発、戦場に送り込んでからアルファが異様に戦略的な手段を取るようになったこと。そしてオルフィレウス・ビットを搭載したARMは、設計時点で定められた最大出力を憤怒・恩讐・快楽と言ったパイロットの心の働きによって軽々と超え、想定外のパワーを出すこと。この二点から、オルフィレウス・ビットはアルファの一部としてガンマから採取した後もアルファとの通信機能を維持しており、ARMを介してアルファが人間の精神と直接接触し、それを理解・分析しているのではないかとレベッカは言う。
人類を知る。それがアルファにとってここで勝つためだけの手段なのかどうかは、私には疑問だが。
彼女はそれから一歩進んで、タイムリープについても危険な行為だと推論している。それは未来のレベッカを否定したいという希望も少なからず含まれているだろうが、決して的外れな指摘ではない。
「タイムリープによってアルファは並行世界にさえも自らの分身を送り込み、あらゆる時代のあらゆる人間を調査するという。これについて君はどう思う?」
「信じられませんよ。確かにタイムリープ——SRドライブは偶発的に生まれた技術で、その仕組みに謎の部分が多すぎる以上、アルファが意図的に私たちに使えるようにしたというところまでは一考の価値はあると思います。しかし、並行世界の出来事をアルファが認知するなんて不可能では」
「意識の共有——並行世界間で生物が相互に情報をやり取りできるのであれば、可能だ」
「もしそうなら、僕も色んな世界の僕からもっと別世界の情報を得ていると思うのですが。記憶には自分の経験しか存在しません」
「意図的な意識の交換は難しいのだろう。全ての人間が自分の分身とリンクしているとは私も考えていない。しかし、いくつかの条件を満たせば——可能かもしれん」
彼は知らないのだから無理もない。だが根拠はある。この時代の二人のレベッカは互いの記憶の一部を共有していることがわかっている。そして、時々もう一人の方のレベッカになって行動していることさえあると——二人共がはっきりと発言しているのだ。
そして。
この私さえも、もう一つの世界で見たものを覚えている。
「どちらにしても現状を変革するには力不足でしょう。僕たちは引き続きこの世界でアルファを倒すことに全力を注げば良い。そしてそのためなら、アルファが授けたものであろうが何だろうか使いこなさなければなりません。第五世代の開発は何としても成功させなければ」
私は彼を見くびっていたようだ。
研究者としてアルファに惹かれているのではなく、それを駆逐するために自らの能力を尽くそうとしている。
「そうだね。私もそのために老体に鞭打って、やれるだけのことをやろう」
「まだまだ博士は僕たちのボスですよ」
彼は一本も吸わずに去って行った。
この研究所で非喫煙者は珍しい。
休憩室のガラス張りの壁から、隣の解剖室の様子が覗ける。先日現れた鮫型ガンマの解剖が佳境に入っていた。ガンマは腐敗しない。オルフィレウス・ビットは人類にどのような影響を与えているのか——。
極秘扱い。解剖担当医の全員が発症する特殊な精神疾患。未婚者が存在しない妻に語りかけ、ギターに触れたことすらない人間がプロ顔負けの弾き語りを披露し、子を産んだばかりで幸せ絶頂なはずの親が突如として人格が変わった後、自害する。
〈並行意識症候群〉。
彼らは、並行世界の自分と繋がっているのだ。
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