三章 天秤の外側(3)

 監禁場所を出る。日はとうに暮れ、空にぽつぽつと星が見られた。

 街灯のない辺鄙なところだ。俺たちのいた建物は外からだと何の変哲もない倉庫に見える。

 大きな空き地を挟んで数軒、人の気配がしない一軒家が並んでいた。

 その奥の通路にうっすらとパトカーの赤い光が見える。

「あそこで銃声がした、ということになっている。さ、こっちだ」

 柳井の案内に従い、パトカーと反対方向へ歩いた。

 彼のセダンが路肩でエンジンを温めている。

「波木、腕は大丈夫?」

「ああ。なんかこう、アドレナリン? みたいなのかも。痛みも一周回って歩けてる感じだ」

「これを飲みなさい。鎮痛剤だ」

 柳井から錠剤を受け取る。飲み水がないので、車に置いてあったブラックコーヒーで流し込んだ。

 苦い。

「さすがヒーロー、どんな状況も一発で解決だ」

「遅すぎる登場よ、お爺ちゃん。変身シーンで映画一本分はあるんじゃないかしら」

 運転席に柳井、左に紅。また同じ光景だ。

「すまなかった。君たちの頑張りは全て聞いていた。だが、あれにはGPS機能はないんだ」

「聞いていた? 何のことだ」

 柳井が来たこと自体に驚きはない。だがその経緯は俺が思っていたものと少し違うようだ。

「これよ」

 紅がポケットから車のキーを出す。

 ホンダのロゴが入っている。

「これが?」

「車のキーじゃARMは動かないわ。これは私のものじゃなく、お爺ちゃんが私に仕掛けた盗聴器よ」

 その通り、と柳井。

「君たちに協力すべきかどうか。私のいないところでの会話は、良い判断材料になる」

 まだ疑ってたってことか。

 だが失望したのは俺だけだったようだ。

「理解できるわ。私が気づいたのは、監禁場所でこのキーを見つけた時だったけれど。でもGPS機能がないって本当?」

「ああ。私の元々の目的を考えれば、君たちの居場所まで知る必要はない。君が会話でも場所を引き出そうとしていたことはわかっていたが、上手くいかなかったね。困っていたところにこのメッセージが来た」

 柳井がスマホの画面を後部座席に向ける。SOSと言う短いメッセージの後にURLが付いていた。タッチすると俺たちがいた場所がしっかりマークされている。

「エナ、やってくれたんだな。良かった……」

「お安いご用です」

 AIの声は、こころなしか自慢げに聞こえた。

「あなた無事だったの?」

 紅がバックパックの蓋を開け、タブレットを取り出す。

 罅割れているものの、画面は車内で煌々と輝いている。

「ええ。あのロシア人を騙すつもりが、あなたまで騙されてしまいましたね」

「AIが死んだふりなんて……してやられたわ」

 座席の上にタブレットを投げる。

「しかしコウタは気づいてくれました。私にタカキの連絡先を伝え、助力を求めた。私一人の力でも自分の居場所はすぐにわかりますが、誰かにそれを伝えるのが難しかった。

 あの場にはタカキが最適だと判断したものの、彼の電話番号、メールアドレス、住所は不明。ネット上で調べあげるのはかなりの時間が必要です。恥ずかしながら私はハッキングに適した合理的なAIとはほど遠い存在なのです。彼が番号を教えてくれなければ、二人はより多くの危険にさらされたでしょう。コウタの行いは賞賛に値します」

「俺があの部屋でタブレットを見つけたとき、画面が光ったんだ。何かわざとらしいなーと思ってさ」

「わざとらしい、ですか」

「ああ。熊に襲われたときにする典型的な死んだふりって感じ」

「なるほど。参考にします。コウタ、おかげで私の演技力に磨きがかかるでしょう。感謝します」

「今のままで良いよ。俺が気づかないと困るだろ?」

「そうでしょうか。しかし私からも一言。あなたが電話番号を伝える時の台詞、あれも非常にわざとらしい、と判断します。あなたは気づかれないように嘘をつく練習をすべきでしょう」

「あれくらい許してくれよ、必死だったんだ」

 自然に笑みがこぼれる。

 監禁されてからの緊張感が、ようやく解けてきた。

「AIが私にSOSを……まったく、未来というやつは本当に……私のところにやってきたんだね」

 車が発進する。

 どこへ向かうかは——この後の柳井の返事次第だろう。

「そうよ。未知のテクノロジー、誰も知らない未来の出来事——つまり予知を行うことが出来る人間。それが突然現れるんだもの、こういう事態が起こるリスクは作戦立案時点で考慮されていた。でも……油断したわ。

 ところであの男、逃がしても良かったの?」

「問題ない、どうせ小物だ。本物のSVRならあんな出方はまずしない。だがフィクションの物真似であそこまで出来るとも考えにくい。おおかた工作員としての訓練を受けたものの逃げ出したか、ヘマして本国に帰れなくなった脱落者といったところか。君とロボットを手土産に母国に戻れると考えた、なんてありそうな話だ」

「彼の無能さのとばっちりを食らったって訳ね」

 あまりの言い草にあいつが不憫に思えてくる。

 ナイフで刺された時は本当に怖かったけれど、あの逃げっぷりは確かにプロの工作員というイメージから離れすぎている。

「あの男の方は柳井さんを知ってそうだった」

 俺は疑問に思ったことを率直に聞いた。

「顔を見ていないからはっきりとは言えないが、聞き覚えのない声だな」

「でまかせに決まってるじゃない。仕事仲間だったとか、お爺ちゃんが抜け殻だとか。おぞましいわ」

 紅が窓の外に顔を向ける。

 機嫌を悪くした、のか?

 俺にはあのロシア人の台詞にはどこか親しみが込められていたような気がした。俺と向き合い、ナイフを刺した時に見せたのと同じ狂気的な親しみの表情が。

 でもまぁ、紅の言うとおり。的を射ない言葉だったり協力だと言い通したり、男の方を信用する理由はない。

「あと柳井さんから話を聞いたとか言ってたけど。あれも盗聴?」

「ああ。昨日二人を乗せて運転している時、仕掛けられてるとわかった」

「気づいてたのか?」

「当然だろう。しかし東京で働いている時に仕掛けられるならともかく、今は完全な休暇だ。私を普段から追っていれば、大阪まで尾行して設置したとしても大した収穫がないのはわかるはず。プロの犯行である可能性を私は除外し、君たちが仕掛けたのではないかと推察した。もしかするともう一人、表に出てこない仲間がいるのかもしれない。だとすると盗聴器に気づいて君たちを詰問するよりも、無視した上で泳がせた方が後で本音を聞けると考えた」

「それでこの車のキーってわけね」

「すごいな。スパイ映画みたいだ」

 巻き込まれるのはもう二度と御免だが。

「そういう君も、映画のような活躍だったよ。よくもまぁあれだけの脅しを受けて、助かるための手を考えられたものだ。その上体を張って彼女を庇ったなんてね。凡百の高校生じゃそうはいかないよ」

 その言葉に紅も同調した。

「最後にはタックルまで喰らわせたし」

「あれはナイフを持ってなかったからだ。俺は生まれ持ったビビりだから、いつだって自分の身を守ることを考えてる。時々戦う時があるけど、それは勝てる勝負だけ。最悪だよ」

「エナ、彼の本心は?」

「分析中、分析中……彼は元来勇敢な人間です。しかし何らかの理由により、自らの誇るべき能力を卑下し、抑圧している」

「らしいわね、ヒーローさん」

 紅が茶化すように言う。

「AIを使うのはずるいぞ。それこそでまかせだ」

「エナはとても優秀よ、間違えないわ」

「そう、私は多くの場合間違えません。しかしいくつかの点で勉強が必要なことがあります。ベニがコウタに対して好意を持っていることに関して、この異性的……」

 ガラスがひび割れる音がした。紅がナイフの柄でタブレットを叩いたのだ。画面がブラックアウトしている。

「しばらく眠っていなさい」

「了解しました。私は主人には忠実です」

 エナ……とんでもない主人に巡り会って大変だな。

 さっきまで拉致監禁されていたとは思えない、和やかな雰囲気になっている。これもエナが計算してやってくれたことなのだろうか。

 でも俺には聞いておかなければいけないことがあった。

 思いついてから機会を逃していたこと。

「紅、気づいたんだけどさ。もう元の未来には戻れないんだろ?」

 窓越しに夜景を見ていた紅は、そのまま視線を動かさない。

「ええ。私たちのタイムリープは特定の並行世界を選んで移動することが出来ない。私はこの世界でずっと生きていくのよ。アルファを倒してからも」

「どうしてそこまでしてくれるんだ? この世界は、君とはまったく関係のない場所じゃないか。君が知っている人はほんのわずかにいるけれど、それだって別人みたいなものだ。君が、君の命を賭けてまで戦って守るべき世界だとは思えない」

「聞き捨てならない台詞ね」

「じゃあ教えてくれよ。なんでこの世界を救おうと思ったんだ?」

「人が好きだからよ」

 俺はすぐには反応出来なかった。

「人が、好き?」

「そうよ。あなたは重大な勘違いをしているんじゃないかしら。私が私一つの命と、その他大勢の命を天秤にかけ、守るべき大勢のために戦っていると。けど守るべき大勢は別の世界の人間なのだから、私視点で見た命の重みとしては——私一つの命の方が重いのではないか、と。

 でもそれは違うわ。私は人が好きで、人を救いたい。その想いで動いているのよ。私の命が危険にさらされるかどうかなんて初めから考えはしなかった。

 命と命の天秤じゃないのよ。想いは、それとはまったく違うところで人を動かす」

 自分の命のことは考えてない? 死んだって構わないって言うのか?

 そんな。

 そんなことが許されて良いのか?

 いや、良くないはずだ。

「その台詞、全警官の前で聞かせてやって欲しいね」

 俺より早く柳井が口を開く。

「お話中悪いんだが、いつまでも夜道をドライブデートというわけにもいかないんだよ。提案がある」

「何かしら?」

「これから私が昔世話になった病院に行く。波木君の治療のためだ。その後私の家で作戦会議といこうじゃないか」

「それって——」

「そう、君たちに協力するよ。妻を救えなかった私だが、まだ出来ることがある。これは私自身に与えられた更生のチャンスなんじゃないかと思う」

「そう……そうなんだ。ありがとう」

 時間は夜の七時を回っている。設置した煙幕装置が起動している頃だ。

 これで住民の事前避難も、できる限りのことはしたことになる。

 あとはアルファを迎え撃ち、倒すだけ。

 俺の出番は終わりだな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る