三章 天秤の外側(1)

 日本国陸上自衛隊ニューナルイ基地、司令室。

「〈異界獣の子ガンマ〉の出現が確認されました。〈第八一段階異界獣アルファ・エイティーワン〉のE腕から分離、形態は流線型の魚類で鮫に類似しています。体長およそ一三〇メートル。時速およそ六〇キロで太平洋を泳ぎ米国西海岸へ移動中」

「ハワイはどうしてる」

「進路から外れているため静観を決め込んでいます。こちらからの協力要請にも応答はありません」

「まったく、使えんやつらだ。陸上に上がってくる可能性はあるのか」

「自重で潰れる可能性もありますが……こちらの戦艦、潜水艇は無視して進んでいるため、上陸し北米大陸に根を張ることを目的としていると推察されます。海岸に到着次第形態変化し、陸上での活動に移るかと」

「海上自衛隊がこのガンマを見逃したのは何故だ」

「彼らは現在九十九里浜にて本土奪還のための作戦行動中で、かなりの戦力をそちらに割いています。E腕付近にも部隊は展開されていますが数が少なく、対処不可と判断しあえて見逃したのではと」

「ふん、あくまで本土奪還だけが任務であとはこちらに丸投げか。カミカゼもどきの作戦しか手のない無能め」

「アルファ討伐の最後の砦、このニューナルイを守ることは本土奪還にも劣らぬ日本人の責務と考えます」

「その通りだ。よし、三・五世代ARMを沿岸に展開する。上陸前に海中で仕留めるぞ。豊崎少尉、もう良い。鳴居作戦頑張ってくれたまえ……と、まだノーマン大尉の承認待ちだったか。とにかく、行きなさい」

「はっ。失礼します」

 私は敬礼し、司令室を後にする。大尉に指名された側なのに、彼の承認がなければ作戦の正規メンバーとして認められない。奇妙な立ち位置だ。

 その間他の作戦に志願することも出来ず、こうしてアルファからの使者が襲い掛かってくる度に、仲間の無事を祈る羽目になっていた。

「第十七作戦室は——と、ここね」

 大尉に指示された部屋の扉を開ける。

 作戦室にはテーブルが一つに椅子が四脚。壁一面を覆う電子黒板には鳴居市内の作戦区域をフォーカスした地図が映っていた。もちろん、二〇一九年当時のものだ。

 つつみ博士は椅子に腰掛け、ノーマン大尉は電子黒板の横に立って操作用のタブレットを手にしている。

「来たか。座ってくれ」

 今日は私への作戦説明会だという。非公式ながら大尉の中では相方は私と決まっているようで、事前に作戦用のデータも送られてきていた。

「三人だけ、ですか」

 私は博士の隣に座った。

「作戦決行に必要な手続きは既に終えているのでね。タイムリープという要素が含まれる以上、西海岸防衛や本土奪還とは異なり、作戦が始まってしまえば君たち二人を誰もサポート出来ない。よってこの場は二人に加え、発案者である私がいれば充分だろう」

 博士が髭を撫でた。齢六十を超えているのに、精気がみなぎっている。外部から招聘された特別顧問という立ち位置ながら、許可をもらって施設でトレーニングをしている変わり者の医師兼研究者だ。

 私の相づちがなかったのを、博士は不満と受け取ったようだった。

「心配しなくて良い。この作戦がいかに重要であるかは全隊に認識されている。特に陸自の田井中たいなか大佐は期待していたよ。出発の際には大勢連れて君たちを見送るとのことだ」

「それは凄いですね。楽しみにしています」

 NBAの優勝パレードみたいに派手にしてくれるのだろうか。それよりも美味しいアイスクリームのほうが嬉しいのだけど。

「そんな手間と金を掛けるくらいなら、俺は鯖の味噌煮を出してくれた方が嬉しいんだがな。まぁいい。豊崎少尉、始めるぞ」

「はい」

 ノーマン大尉が形式的に作戦名、目的、関係者の名前を読み上げる。それから電子黒板上、鳴居市西部の湾岸から離れた海上をマークした。

「——ARMをアルファとの決戦まで隠しておける現実的な場所は海中しかない。従って俺たちは〈SRドライブ〉によってここ、鳴居港の西およそ四〇キロメートルの海底にタイムリープする。当時のデータによるとちょうど台風十一号——名称バイルーが最接近しているため波が高く、タイムリープで海中にARMが出現したことによる海の環境変化を誤魔化すことが可能だ。タイムリープ後はコクピット内で台風の通過まで待機、翌午前二時三十分、コクピットを出て浮上、午前四時四十分上陸。そして上陸地点からおよそ徒歩十分、この位置に放置された倉庫がある。倉庫内へ侵入し現地風俗に合わせた服に着替え、休息。夜明けを待つこととする」

 私はそこで挙手をする。

「なんだ」

「レベッカ・ソーンの証言により、タイムリープの影響で天候に影響が出ることが示唆されています。台風十一号の進路変更の可能性を考え、ARMの到達座標をより沖合にするほうが安全ではないでしょうか」

「確かに台風が来ず晴天だった場合、何者かが異常を察知する可能性がある。しかし同じくレベッカの証言から確認されたいくつかの変化点において、あらゆる事象は悪化の方向で変化しており改善をみた例はない。そして仮に悪化するとなると、沖合から俺たちが目的の岸に到着することが困難になる。海上移動に使えるのは平凡なゴムボート一隻だ。以上の理由から到達座標は近いほうを選んだ」

「失礼しました。異議ありません」

「その悪化した場合だが——一日目に使用するこの倉庫が倒壊している可能性も考えておいた方がいいだろう。記録では強風であっという間に飛ばされそうな建物だ。

 また、俺たちはタイムリープ先では協力者候補以外との接触を極力絶つこととする。もしも接触が避けられなかった場合のために、現地人としての設定を用意しておいた。詳細は既に送ったフォルダの中に入っているから確認しておくように」

 それについては事前に確認済みだ。ノーマン大尉と私は血の繋がりのない親子。二人が出会ってから養子縁組をするまで、親子で旅に出て鳴居に着くまで。偽装された経歴は全て暗記してある。

 そのフォルダ内には、万が一ばらばらになった時のために、夏休みに一人旅をしている学生という設定もあった。

 使わないことを願っている。

「言うまでもないが、現地の人間と深い関係になることも控えろ。アルファ討伐後、俺たちはそれまでの経歴を捨ててまた一から二〇一九年を生きていくことになる。協力者を得て鳴居市を離れ、戸籍を取り、仕事を見つける。お前は学校だな。深い関係になったところで、お互いに悲しみが募るだけだ。

 その協力者だが、それも作戦フォルダ内に入っていたはずだ。見たか?」

「はい。最優先となるターゲットはおじ……柳井貴樹、三十七歳」

「その通り。お前の祖父だな。彼はニューナルイシティ建設の功労者であり、ニューナルイ市長の経験もある。俺も個人的にお世話になっていたし、信頼できる人柄だ。彼に提示する未来の証拠は君に任せることになるが、頼めるな?」

「もちろんです」

「時は人を変える」

 唐突に堤博士が口を開いた。

「どうしました、博士」

「柳井君とは私も交流が深かった。作戦のために協力を依頼出来るだけの人格者であることには依存はない。けれどそれは、私たちが知っている柳井貴樹であればの話。二〇一九年当時の彼の人間性は誰も知らない」

 私は挙手もせず、口を挟んでしまう。

「失礼ですが博士。人の本質はそう簡単には変わらないものと愚考します。柳井貴樹が我々生き残った日本人に対して行って来た数々の功績、そして作戦に関わる私たちが個人的に接触した際に感じた人柄を考慮するに、人間性を疑うべき要素はないのでは」

 博士は私の反論にも気分を害するそぶりはない。むしろ楽しんでいるかのようだ。

「そう断定するのは尚早だと言っているんだよ。人の心は弱い。不撓不屈の精神を持つ軍人でも、たった一人の仲間の死によって薬に溺れ自害することもあれば、殺人に手を染めてしまう者もいる。帰還兵の中にそのような人間がいるのを、君たちも随分見てきただろう。豊崎君。私にも孫がいるからね。お爺さんを大好きな孫の気持ちというのは、是非とも尊重したいところだ。だが任務に私情は必要ないよ」

「はい。留意します」

「まぁ俺も一緒ですから。判断ミスはさせませんよ。では豊崎少尉、ここまでで質問は?」

 ノーマン大尉が頭を掻く。私もすぐに頭を切り替えた。

「質問、ではないのですが。大尉、私は当時の女子高生の流行や話し方に詳しくありません。情報収集を行うため、オープン・ウェブへのアクセス許可を頂けませんか?」

「ふむ。確かにあそこから過去の動画配信サイトに当たれば勉強にはなると思うが……」

「それは不要でしょう」

 博士の言葉だ。

「下手に真似をすると墓穴を掘る可能性もありますし、その時代もみんながみんな一様でなきゃおかしいということはないんじゃないですか。普段通りの豊崎さんでいきましょう」

「ですが……」

 私が再び博士に反論しようとするのを、大尉が止めた。

「そうですね。俺も博士に同意します。オープン・ウェブは東側のサイバー攻撃のリスクも高過ぎますから。他にあるか、豊崎少尉」

「はい。これも質問ではないのですが」

 私は一瞬口ごもり、それからはっきりと、

「……クッキーを持っていっても良いでしょうか」

「遠慮するな。詰められるだけ詰めていけ」

 大尉と博士が同時に笑みを見せる。初めてARMに乗るとき、母が作ってくれた質素なクッキー。私はそれからも戦闘の前には必ず食べることにしている。

 その後も作戦の説明は続いたが、私程度の者が提案し、改善するような隙はなかった。話が終わると先に堤博士が出て行き、大尉と二人きりになる。

 大尉は煙草に火を付け一口、思い切り煙を吸い込んだ。

「——どうして俺がこの作戦に志願したか、話してなかったな」

 ぽつりと大尉は言った。

「考え直せって言葉は何回も聞いたよ。うんざりするくらいな。でも俺は折れなかった。何でだと思う?」

「——アルファの脅威から人を守るため、ですか」

「違うな。俺は日本が好きなんだ」

 煙草の灰が床に落ちる。

「俺がガキの頃はまだ日本は無事だった。あの国の漫画にどハマりしちまってな、聖書より熱心に読むってんで親父にこっぴどく叱られたもんだ。それでも俺は母さんと兄さんを味方につけてジャパニメーションに手を出し、神社仏閣を学び、サムライやニンジャのグッズを集め、箸を持つ練習をした。いつか日本に渡って、日本文化の研究者になりたいって思ってたんだ。それがアルファの登場で全てパー。日本の有形文化財はことごとく破壊され、世界中に散り散りになった日本人は徐々に移住先に同化。ニューナルイシティの成立と共に日本文化保護を掲げる非営利団体が精力的に活動するようになったが、実際はどいつもこいつもアルファとの戦闘で精一杯でそんなやつらの言葉に耳を傾ける余裕もない。人類がアルファを倒せるとしても、まだ何十年も先の話だろう。そのうちに日本文化なんて消え失せる。

 俺はな、俺が大好きで、憧れていた日本を守りたいんだよ。そのためには過去に戻るしかないんだ。そういう自分勝手な想いで、俺は二〇一九年に行く」

 結局一口しか吸わずに、手元の煙草はフィルタまで燃え尽きていた。

「そうか、ノーマン大尉は知っているんですね。アルファ以前の日本を」

 大尉は頷く。

「素敵な理由だと思います。守りたいものが、とても大きいのに、すごく具体的で。そう思わせるのは愛があるからだって、感じます」

「俺が愛、なぁ。その言い方は恥ずかしいからやめろ」

 大尉が照れた顔を初めて見た。

「私にはそういうものがありません。以前の日本を実際に見たことがないし、オープン・ウェブが閉鎖されている今、教育を除けばその頃の文化に直に触れる機会も与えられていない。それでも私はニューナルイで生まれ、自衛隊に入ることを選びました。それは何故なのか。

 初めは祖父や母のためでした。堤博士のように、二人もかつて自分が生きた日本を取り戻したいと願っていました。二人の願いが、私の願いでもありました。

 そして、私自身、アイデンティティーを求めていた。私は入隊以前から、ガーディアンの適性があると言われてきました。実際に試験はうまく通過し、今もこうして戦いを生き延びています。他に自慢できることなんてありません」

「お前はお前自身を低く見積もりすぎている。人の価値は、他人より秀でている部分だけで評価されるものじゃないぞ」

「はい……」

 私は大尉の傍に行き、テーブルの上の煙草を一本取った。口に付ける前に大尉が横からその煙草を奪い、火を点ける。

「で、今はどうだ。戦場は自分自身の存在意義や、他人の願いのために戦っている者が生き残れるような場所じゃない。それはわかっているだろう」

「はい。私には私の想いがあります。人を救いたい、という想いが」

「なぜだ」

 再び、この質問だ。

 けれど私は、もう見つけた。

「人が好きだからです。ガーディアンはただ冷静に、何事にも無関心でいれば良いという仕事ではありません。自分を、他人を誰よりも知ることから私たちの仕事は始まる。パイロットがどのようにARMを動かし、どの程度の痛みに耐え、どの程度の感覚的麻痺を許容出来るのか。めまぐるしく変わる戦況の中で、パイロットがどういった感情を抱き、戦うのか。そしてそれらに対処するために私たちガーディアンはどういった心を持ち、彼らを守るのか。

 私は今、大尉が日本を愛するが故に戦うのと同じように、人を愛するが故に戦います。そしてこの世界とは例え異なる世界だとしても——そこに多くの人が生き、そして死のうとしているのであれば。私はその世界の人々を救いたいと思います」

 大尉が煙草を口に咥えたまま拍手をした。

「ブラボー。素晴らしい」

「ちょっと大尉、やめてください……」

「ははは。本当に良いことを聞けた。試すようなことをしてすまない。よし、これでお前も正式に鳴居計画の一員——俺のパートナーとなるわけだ。よろしくな」

 大尉の大きな手が出る。

 私はその手を力強く握った。

「それと、今の顔。声。忘れるな。お前が入隊してきた頃の、格好いい姿だ。そしてお爺ちゃんに遊んでもらってたときの、人間の姿だ」

「知ってるんですか?」

「何言ってんだ。ニューナルイシティほど小さい世界はないぞ。どこで誰が子供を産んで、その子がどのように生きたのか。みんな知ってるだろ」

 大尉は私の肩を叩き、出て行く。

 私には想いがある。

 そのことに大尉の宿題が、気づかせてくれた。

 やっぱり偉大な人だ。

 私が部屋を出ると、もうとっくにラボに戻ったと思っていた堤博士が外にいた。

 壁に背をもたせかけ、私に向けて手を挙げる。

「すっきりした顔をしているね。最近思い悩んでいたようだから、心配していたんだよ」

「ええ……後は任務に備え、訓練に励みます」

 部屋に戻ろうとした足が、博士の一言で止まる。

「ガーディアンがそのように呼ばれることもある。ガーディアンになるために教育される、アンドロイドのように作られた感情のない人間。世界にはガーディアン教育に反対する団体も複数存在しているね」

「誤謬ですよ。私たちガーディアンは感情がないわけではありません。感情をコントロールするのに長けているのです。そしてガーディアンが子供の頃からそのように教育を受けているのは、感情のコントロール法は幼い頃の方が学びやすいからです。外国語教育と同じこと。ガーディアン教育に反対する組織は全て西欧の国々に拠点を置いている。東側や私たちがアルファを食い止めているおかげで、彼らは自分たちが被害を被ることなく平和ボケしていられるというのに」

 博士に対し、無礼な言い方だったかもしれない。

 けれど彼は私の言葉を聞いて、破顔した。

「すまない、私も君が呪われてるなんて言うつもりじゃなかったんだよ。実はノーマン大尉との会話が聞こえてしまってね。私も長いことこの基地にいる。君みたいなガーディアンが現れてくれて嬉しいんだ。君ならきっと、私たちに祝福を与えてくれるはずだ。作戦の成功を祈っている。西欧のデモ隊が虚空に向かって叫んでいる間に、我々は世界を一つ救ってやろうじゃないか」

 博士は。

 その口から出る言葉がどこまで本心なのか、わからないところがある。

 けれど誰もが口をそろえて言う。

 彼は誰よりも日本の救済を願い。

 誰よりもアルファを憎んでいる、と。

「もちろんです。そのために私は旅立つんですから」

 彼もまた人生をアルファとの戦いに捧げてきた。

 私がこの鳴居作戦で、あいつに勝つことで。

 彼の苦労も報われるだろうか。

「一方通行の旅に、ね。作戦を成功させた君に会えないのが残念だ」

「いつか博士が特定の平行世界へタイムリープ出来る装置を作って、会いに来てくれると期待しています」

「そりゃあ大変な難題だ。だが、頑張らないとね」

 博士はゆらゆらと手を振って研究室の方へ歩いて行く。

 私たちはみんな、アルファのせいで何らかの檻に囚われている。

 それこそが呪いで。

 この世界では、人類はみな呪われているのだ。

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