二章 太陽の顔が違う気がする(3)
ガタゴトと眠りを誘う電車の震え。
紅と隣あって座席に座る。
車窓から差し込む夏の日差し。
太陽の顔がいつもと違う気がした。
昨日と同じく千佰寺駅で降りたのは俺たちだけだ。駅員は透明な箱の中で退屈そうにしている。
生花店のシャッターは閉まっていた。途中にヒメジョオンの咲く坂道がある。紅はしゃがんで白い花を愛でた。
「花が好きなんだな。ニューナルイにはどんな花があるんだ?」
俺は周囲に人がいないことを確認し、尋ねた。
「——あそこに自然の花は咲かないわ」
紅は小ぶりな花びらを撫で、言った。
「〈グルームレイクの悲劇〉。第三世代ARM以降で実装される、新しい動力源——〈
だからニューナルイには初めから動植物の類いは皆無だったわ。新しい研究所、米軍と自衛隊の基地、そこに勤務する人々の家——人工的なものだけが急ピッチで建造された。その後たくさんの人が植林に挑戦したし、様々な花の種を植えもした。そうでなくとも普通なら雑草は自然に根を張り、芽を出すもの。でもなぜかグルームレイクでは植物は育たないの。私たちは野菜や果物、穀物の全てを輸入に頼って生きている」
それで果物や花に惹かれるのか。
紅にはこの世界がとても贅沢で、掛け替えのないものに映っているのだろう。
「悪い。嫌なことを話させた」
「そんなことはないわ。私はニューナルイを誇りに思う」
「——ごめん」
「気にしないで。ただ暮らしている環境が違うというだけのことよ」
「ああ……じゃあ、そろそろ行こうか」
千佰寺の前には昨日の住職が立っていた。
俺たちは軽く一礼して墓地に入る。
住職はまさに仏の微笑み。今日また来ることも、何をしに来たのかもわかってるみたいだ。
一面の墓石。
スーツ姿の男が一人、奥のほうで手を合わせている。
猛暑日にジャケットというスタイルなのに、暑苦しさを感じさせない。
それはひとえに、彼に漂う真摯さのためなのだと思う。
人が死ぬということ。
その死に、生きた人間としてそばで遭遇してしまうということ。
また父さんのことを考えてしまった。
紅がその男の傍に向かう。
「柳井貴樹さんですね」
迷いなく声をかける紅。
柳井という男は警戒の色をはっきりと顔に出している。
「君たちが昨日、私のことを尋ねたという子供たちか」
「そうです」
「どうして私を?」
「私に協力して欲しいんです」
「——理解しかねるね」
男は体を墓石の方に向けたまま、紅を見下ろす。
身長も、体格も標準的。なのにどうしてこんなに圧迫感があるのだろう。
「無理もありません。私はあなたのことをよく知っていますが、あなたは私のことを知らない」
「どこまで知ってる」
「警視庁公安部外事第一課第四係所属、主任。一九八二年生まれの三十七歳。五年前——三十二歳の時、二つ年下の妻との間に娘を授かる。妻の名は柳井
「よく調べているようだ」
すらすらと個人情報を述べる紅に対しても、柳井は冷静だ。
「君は何者だ」
紅はちらと背後に視線をやる。
他に聞かれるとまずい話だ。けれど住職は墓には入ってきていなかった。
「私は豊崎紅。あなたの娘、柳井
それを聞いて柳井は苦笑する。
「面白いことを言うね。私の孫——娘の名前は確かにその通りだが、あの子はまだ五歳だ。当然、私に孫なんていようはずがない」
「ジョークだとお思いですね? 確かに可笑しい、普通の感覚で言えば。けれど私は二〇五二年から時を超えてここに来ました。あなたの娘が私を産んだのは二〇三五年、現在のあなたにまだ私という孫がいないのも道理です」
馬鹿馬鹿しいとばかりに柳井は空になったバケツを手に持ち、その場を去ろうとする。
けれど紅がその進路を絶った。
「いくつか証拠も持ってきています。良いのですか? 公安の人間が、自分の個人情報をたっぷり持った小娘を放っておいて。頭のおかしいガキだと判断するには早計に過ぎると思いますよ。私はもっとプライベートなことも知っています、政界とのパイプも、アメリカ側の協力者も、今あなたが取り扱っている事案の詳細も——周りの人間には知られたくないことでは?」
柳井の足が止まる。
「それは脅しか?」
「信じてもらうために必要な弾丸です」
「変わった言い方だ。なるほど未来風のつもりなのか。だが情報という形のないものに宿る信憑性は幻想だ」
「情報が命の公安が言う台詞ではありませんね」
「公安だからこそ、だよ。そこまで言うなら物的証拠を見せてもらおう」
「わかりました」
紅はバックパックを下ろし、中から数枚の写真と小ぶりな木箱を取りだした。
「私は二〇五二年、ニューナルイシティにある自衛隊に所属する少尉です。ニューナルイはこの時代で言うと、アメリカ合衆国ネバダ州グルームレイクに当たります。エリア51という都市伝説で有名な場所ですね。これはインスタントカメラで撮影した基地の写真です。私と、ニューナルイという文字の書かれた看板、奥にこの時代の兵器であるロボットが見えます。カメラの機能によって、裏に撮影された日時が記録される仕組みです」
「次はロボットと来たか。こんなものいくらでも加工して作れる」
「もし加工したものであるなら、見抜けるのではないですか? 裏面にうっすらとメーカーのロゴが刻まれていますが、この時代にこのメーカーは存在しません。決して誰にも渡さないと約束してくれるのであれば、持ち帰って分析してもらっても結構です。写真をもう一つ。私が幼い頃にあなた——お爺ちゃんと撮影した写真です」
その写真を手にした途端、柳井の顔色が変わった。
俺の角度からはどんな写真か見えない。
「年老いてはいますが、自分の顔ならわかるのではないでしょうか。そして最後に……これはあなたが死ぬまで大事に保管し続けたものの一つです」
「俺が死ぬ?」
「ええ。二〇四一年、五九歳であなたは亡くなっています」
言って紅は木箱の蓋を開ける。
「四年前、奥さんが〈新宿
紅が柳井に渡したそれは、画面に大きく罅が入っていた。裏側には黒い模様——血の跡だろうか。
「まさか……」
「あなたもまったく同じものを持っているはずです。傷や血の位置、大きさ、型番、全て一致する。それでも信じられないようでしたら、サルベージしたスマートフォン内のデータも私は持っています」
「もう良い」
柳井はスマホを握りしめ、言った。
それまでまったく動じていなかった、能面のような顔が歪んでいる。
怒り——。
そして、とてつもない憎しみを感じる。
「ごめんなさい。本当は奥さんのこと、事件のことを思い出させたくはなかった。ただ信じてもらうには必要だと……」
「わかった、だからその話は止めてくれ」
背後から声がした。
参拝に来た家族だ。幼い男の子が寺の前を走り回っている。
「——場所を移動しよう。聞かれるとまずいんだろう?」
俺たちは静かに頷いた。
近くの駐車場で柳井の車に乗る。後部座席左に紅、右に俺。助手席には柳井の鞄が乗っている。
公安も銃を持ち歩いているのだろうか。
「で、隣の君は?」
俺はまだ一言も喋っていなかった。
「波木晃太。紅に協力してる」
「君も未来からやってきたのかい?」
「二〇〇二年生まれの、普通の高校生だよ」
「最近の普通の高校生は、友達が未来からやって来るのかい?」
柳井が車のエンジンを掛ける。
「ここは目立つ。走らせながら話をしよう」
彼はやけに慎重だった。俺たちに気を遣っている、というだけではなさそうだ。気になったが話が逸れそうなので、そのことについて聞くのはやめておいた。
「先に言っておくが、私はまだ彼女の言葉を全て信じたわけではない。ただやけに私に詳しいこと、あり得ないものを所持していること。これは事実だ」
「もしかすると、あなた個人の問題ではないと考えているの?」
さっきよりやや砕けた調子で紅は言った。
「公安として対処する事案、と考えているならすぐに改めて。私の存在が公になると厄介なことになる。任務に支障が出るの」
「任務? それは私に協力を仰ぐことと関係しているのか」
「そうよ。やっと本題に入れそうね」
言うと紅は俺に話したのと同じこと——ARMの存在、異界獣の襲来、鳴居計画の目的を柳井に語った。
「そこまでいくと何だか興奮してきたよ——童心を思い出す、という感じだな。私に鳴居市民を避難させ、巨大な人型ロボットに乗って地球外生命体から地球を救って欲しいなんて。映画の主人公になれと、そう言われる日が来るとは思わなかった。公安は常に影に生きているものだしね」
「この物語の主人公にも光は当たらないわ。ARMに何者が乗っているかは誰にも知らされない。アルファを倒した後、ARMは宇宙空間に放出し爆破する。オーバーテクノロジーは戦争の火種になりかねないもの。パイロットとして世界を救ったあなたは、これまで通り影の公務員として勤務し続けるのよ」
「ほう、よく考えたものだね、未来人も。ちなみに君がタイムリープしてきた方法は?」
フィクションとして面白いと思っているのか、真面目なのか。とにかく柳井はこの話にかなり食いついたようだ。
「ARMよ。あの機体には、SR機関という異界獣起源の動力源が使われているの。SR機関は人間のテクノロジーである電子機器に、異界獣の肉体とその起動因子である〈オルフィレウス・ビット〉を接続したもの。オルフィレウス・ビットはガソリンのような燃料と思ってもらえれば良いわ。そのオルフィレウス・ビットを人間側のテクノロジーで制御することで、時間移動を可能にしている」
「燃料一つでそんなことが出来るのか?」
「奇妙な燃料と、奇妙な生物の奇妙な肉体と、未来人のテクノロジーの融合で、よ。実際にはオルフィレウス・ビットはただの燃料ではないし」
「そこは未来人の専門家の領域ってわけだな」
柳井が笑う。
やっぱり面白がっているだけのようだけど。
「そのARMはどこに? 聞く限りかなりの大きさだ。隠し場所も限られているだろう」
「秘密よ。決戦前にバレれば、どこかの国に悪用されかねない」
「賢明だ。それを手に入れれば世界の支配者になれるだろう」
柳井は頻繁に道を曲がり、ほとんど同じ道を通らない。なのに車はずっと早霧町付近を走っているようだ。喋るカーナビだな、と俺は思う。
「ここまで話しても、まだ私を狼少女だと考えてるのね」
「——悪いが職業柄慎重なんだ。少なくともさっき墓地で話していたときと比べれば、君に都合が良い方向に進んではいるよ。君は年相応に可愛らしく、どこかの諜報機関の人間ではないとまで考えは変わっているからね。しかしその目的は、やはり私には理解しがたい」
「未来から過去に来て人類を救うということが?」
「そうだ。人類を救う、という大義名分が嘘臭いと言っているわけじゃない。立派な志で、私だってそういう正義感は持ち合わせているつもりだ。こう見えて警察官だからね。だが他でもない君が過去改変によって世界を救う、というのはどうだろうか。過去が変われば未来も変わる。君は私の娘がニューナルイで出会った男との間に出来た子なんだろう? そしてそのニューナルイは異界獣を人類が倒せないがために生まれた都市だ。もし原因たる異界獣をここで殺してしまえば——」
「ニューナルイシティは建設されず、紅は生まれない?」
俺は衝撃のあまり声に出してしまう。
バックミラー越しに柳井が頷くのが見えた。
だが紅は平気な顔だ。
「タイムパラドクスね。それは〈レベッカ・ソーンの証明〉により私たちの世界では解決されている」
私たちの世界——そう言えば紅は初め、俺にもそのような言い方を使った。未来じゃなく、世界。
「二〇四六年、ニューナルイ基地に登録されていない第四世代ARMが突如として出現。コクピットからは一人の女性、レベッカ・ソーンが現れた。彼女は自分が二〇五一年からやってきたと語ったわ。タイムリープの理由は、〈観測者の時間移動が平行世界への干渉を可能にする〉ことを立証するため」
「宇宙には無数の平行世界が存在している。多世界解釈というあれか……」
柳井の顔が真剣な面持ちに変わる。
「未来のレベッカは二六歳で、ニューナルイ出身。つまり二〇四六年時点でも、二一歳のレベッカが存在するということよ。二人は実際に会い、遺伝子検査の結果同一の人物であることが証明された。その上で私たちは彼女——未来のレベッカの計画に協力し、二〇五一年九月七日、未来のレベッカがタイムリープした時間に、現在のレベッカがタイムリープしないよう計らった。もしもタイムパラドクスが存在するのなら、その時点で未来のレベッカは消滅しなければならない。
だけど実際は違った。未来のレベッカも現在のレベッカも存在し続け、今も生きている。私たちはタイムリープは異なる平行世界への移動であり、タイムリープした者は別世界から来たのだから、その者がどのような行動を起こそうとも矛盾は起こりえないと結論付けた」
「これまた、世界はずいぶん都合の良いように出来ているんだね」
「時間という概念がある以上、そこを移動することを織り込んだ上で宇宙は構築されるべきだとは思わない?」
「神さまも馬鹿ではない、ということか」
俺は紅の言葉に安堵した。とにかく、彼女が消えてしまうことはない、ということなのだろう。
しかしそれと同時に違和感も残る。
何だろうこの気持ちは。とても大事なことの気がするけれど……。
「例え未来にニューナルイなる都市が存在しなくなったとしても、かつてニューナルイが存在していた未来の世界で君が生まれたという事実は変わらない。今私たちがいるこの世界は、別の平行世界から豊崎紅という人間がタイムリープしてきた世界として既に独立して存在している……」
「未来にニューナルイがあり、私が生まれ、私がこの時代を訪れ、ニューナルイはなくなる。この一連の因果関係は決して揺るがないようになっているのよ」
「ほう……そこまでして、ということか」
「だから紅は〈別の世界〉という言い方をしたんだな」
今さらながら俺は言う。
「未来から来たっていう言い方、未来人って言うのは正しくないんだ」
「そういうことよ。あなたたちの言う〈未来〉に私はいないもの。これからアルファに勝ってこの世界で長生きしたら、お婆ちゃんになった私は〈いる〉ことになるけれど」
「なるほどな。ちなみにその平行世界って、どれくらいあるものなんだ?」
「さぁ。レベッカ・ソーンが元々いた世界と、私が元々いた世界。そして私が今いるこの世界……後はもう、数えられるような次元の話ではないわね」
「俺がモテモテの世界とか、金持ちの世界とかもあるかな」
「もしそういう世界があったとしても、あなたはそんな自分を自分だって思えるの?」
「そりゃあ俺だろ」
「自分とは何か。モテモテでも金持ちでもないということも、あなたらしさを形成している要素なんじゃないかしら」
「俺らしさ、か」
今の自分なんて、別に、変わってしまっても構わないんだけどな。
「一回モテ男になってみてから考えたいところだ」
「そんなに都合良く自分を入れ替えられるわけないでしょ」
二人でそんな話をしているうちに、柳井は決意したようだ。
広い道に出た。のんびり走る俺たちの車を、軽自動車が抜き去っていく。
ラジオの音量が突然小さくなったように思った。
「私の負けだよ」
青い信号が続く。
「笑ったりしてすまなかった。君の話を信じよう。ただ、私に君の協力者となる資格があるのかどうか。あまりにも責任が大きすぎる仕事だ。考える時間が欲しい」
「ありがとう、お爺ちゃん。でも、二日後にはアルファが鳴居に現れるわ。事前の訓練を考えると、時間はないの」
「だろうね……。一つ私からもお願いがあるんだが」
「何?」
「もしもその地球外生命体に勝利したら、ARMは破壊するんだね。それなら私をタイムリープさせてくれないか。どちらにせよこの世界からARMは消滅するのだから、目的は達成できる。そして私も、タイムリープした後の世界でARMを破壊することを約束する」
「——どうして過去に?」
「妻にもう一度、会いたいんだ」
柳井は苦しそうに言った。
「気持ちはわかるわ。でもそれは出来ない。オルフィレウス・ビットは無尽蔵じゃないの。既に一度のタイムリープでかなり消耗している状態よ。今でさえもう一回タイムリープできるくらいしか残されていないのに、アルファとの戦闘後じゃ……絶望的なの」
「そうか。仕方ないね」
「ごめんなさい。本当は何か見返りがあるべきだとは思うわ。でも、用意できるものは……」
「良いんだ、そのような行為に見返りを求めるなど——英雄的とは言い難い。無償の奉仕であるべき、だろう?」
紅は答えず、ただ柳井の横顔をじっと見た。
「こうして欲を持ってしまうのは、私が英雄に相応しくないということの証左なのかもしれない。それでもよければ、前向きに考えさせて欲しい。明日の夕刻までには連絡する」
「人間の内に英雄像を求めるのは酷よ。わかったわ」
「ありがとう。家まで送ろうか?」
「できれば千佰寺で下ろして欲しいわ。ああ、連絡は波木にしてもらえるかしら? 私はこの時代に使える連絡手段を持っていないから……」
柳井は頷く。そして俺たちは一度別れることになった。
「お爺ちゃん。お願い」
柳井には聞こえていただろうか。紅は最後にそうつぶやいていた。
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