一章 未来という言い方(5)

異界獣アルファ〉の触手が大地を貫く。

 砕けて吹き飛ぶ建築物や人間。

 その中に一際輝く金のしゃちほこが見えた。

 名古屋だ。

 人々の悲鳴はあらゆる騒音にかき消され。

 地面に広がる血の海を、もはや誰も気にとめない。

 それは——もう当たり前の光景。

 いつ何時なんどき起こってもおかしくなかったのだと、俺は知っている。

「B腕から小型の〈異界獣の子ガンマ〉が三体発生——なんだあれは——空を飛んでる!」

「そんな馬鹿な!」

「鳥類を観察・吸収した結果だろう。アルファは地球上の生物から自らが生き抜くための形態を常に研究し、実践している。ガンマは被検体に過ぎん」

「しかし中尉! このまま進化を続ければガンマでさえアルファ級の脅威になり得るのでは」

「やつらにはまだ鱗さえないのだ! 喋ってないでさっさと撃ち落とせ!」

 雑音の多い通信が、耳に入ってくる。自衛隊の会話だ。

 俺は怪獣に蹂躙される名古屋の街に立っている。

 誰かを待っているのか?

 足下で息絶えている小さな子供。

 その男の子の絶望を湛えた瞳が。

 死んだ目が、俺を睨めつけている……。


 ――現実に帰ってくる。

 俺の頭はどうにかなってしまったんじゃないか?

 最近は父さんのこともよく思い出すようになってしまった。

 もう、忘れたほうが良いことの方が多いのに。

「データの通りだわ。千佰寺せんびゃくじ駅まで二六〇円、乗り換えは一回。所要時間は二十分?」

「乗り換えの電車が来るタイミングにもよるけどな。大体そんな感じだ」

 紅は本当に電車がはじめてらしく、券売機や改札、電光掲示板をしげしげと眺めていた。切符の買い方は何度もシミュレートしていたとかで、滑らかな動作で購入に成功する。二六〇円のボタンがある位置まで把握していたのだから恐れ入る。むしろいつも切符を買う人よりスムーズだったんじゃないか。

 早霧さぎり町の千佰寺。それが彼女の目的地だ。なぜこれからそこに向かわなければいけないのかについては、聞けていない。人前で未来やら異界獣やらの話はできないから、行ってからのお楽しみということになる。

 電車に乗っている間、紅はずっと車窓から外の景色を眺めていた。相変わらず無表情だけど、興味はあるんだろう。

 未来人っていうのはみんなポーカーフェイスだったりしてな。

 無駄な感情は排除して、合理化を追求した新人類になる……フィクションじゃありそうな話だ。

 千佰寺は小さな寺だが、そのままずばり千佰寺という駅名があるので生粋の鳴居市民なら大抵は知っている。かなりの歴史があり、歴史に忠実にぼろぼろで、寺より広い寺院墓地を持つ。秋は紅葉狩りの穴場だ。

「花を買いたいわ。近くにある?」

 駅を下りると急に紅が言った。さすがにそこまで詳しくないのでスマホで調べる。

 一件ヒットだ。

 お婆さんが一人で切り盛りしている個人の生花店で、お供え用の花がほとんどだった。

「知り合いの墓があるのか?」

「祖母の墓よ。私は会ったことがないのだけど」

 紅は雑多に並べられた花を物色する。

「ユリと。あ、菊も欠かせないわね——この黄色い子が元気そうだわ。これを使って、明るめの花束にしてくれないかしら」

「はいはい。若いのにお墓参りとはね、お婆さんも嬉しいよ」

 店主はそう言いながらさっと花束を組み、紙にくるんだ。

「ありがとう。とても上手ね、素敵な贈り物になるわ」

「そりゃあもう五十年も同じことやってんだから、当たり前だよ。隣の男の子は恋人かい?」

「ええ」

 事もなげに紅は言う。俺が訂正しようと慌てて声を出すと、それに被せるように彼女は続けた。

「ここで売ってる花は全部日本産なの?」

「いんや、外国のもあるよ。最近は生花も輸入物が増えててねぇ」

「このユリは?」

「そりゃ新潟育ちだよ。カサブランカって言う子さ。立派でしょう」

 紅は自分が選んだ白いユリをまじまじと見た。

「綺麗だわ……日本でカサブランカが花開くなんて……」

「はっはっは。そんなに気に入ったかい? なら一本持って行きな。お代はいらないよ」

「良いんですか?」

 お婆さんは力強く頷く。

「花は誰かに愛されるために生まれてくるのさ。女と一緒でね」

 今ちらっと顔を見られた気がしたのは気のせいだろうか。

「嬉しいわ。部屋に飾るわね」

「ぜひそうしてちょうだい。さ、仏さんが待ってるよ。行ってきな」

 背中を押され、俺たちは店を後にする。焼け付くような日差しが少し柔らかくなってきた。それでもまだ、汗は止まらないけど。

「恋人って何だよ」

 もう寺へと続く石段は視界に入っていた。

「だって私たちの関係は真面目に話せないじゃない。兄妹と言えるほど似てないし、男女の友達で墓参りに行く理由って、それこそ何よ。複雑な事情がありそうでしょ? 突っ込まれたら面倒だわ」

「恋人なら一言で終わる、か」

 反論の余地なしだな。

 石段を上がる。俺たち以外に客はいない。寺も静かだ。

 左手にまた石段があり、その上が墓地のようだ。

 しかし紅は墓地に向かわず、寺のほうへ歩いていく。そして賽銭箱の前で止まると、

「すみませーん!」

 大きな声で呼びかけた。

 ……神に?

「すみませーん!」

 しばらく声を上げていると、寺の裏手から男が出てきた。

「はい、はい、何ですかね」

 服装からして住職のようだ。なるほど、寺の人と話したくて呼んでいたのか。

「こんにちは。豊崎と言います。ひとつ伺いたいことがあるのですが」

「何でもどうぞ。私はなまぐさですがねぇ」

 年齢不詳の住職だ。二十代でも通用するし、肌つやの良い五十歳と言われても納得してしまうような雰囲気がある。

「毎年この時期に男性が来ませんか。四年前からです。いつも一人で、外見に特徴という特徴はないんですけど」

「四年前……ああ、柳井やないさんかな。来てますよ。今年も来るんじゃないかな、明日が命日だから」

「そうですか。ありがとうございます」

「お知り合いですか」

「はい。すこし、縁ある方です」

「ほほう。どうせなら明日来て頂ければ良かったのに。見たところ高校生ですかな? 彼の顔はいつも暗いもんですから、あなたたちのような若者の活力が必要じゃないかと思ってたんですよ」

「元気だなんてそんな」

「田舎の小さな寺ですが、ゆっくりしていってください。私用がありますのですみませんが私はこれで」

 住職は快活に笑って寺の裏に戻る。あそこに何があるのだろう。気になるようで、どうでも良いようで。

「さぁ、行きましょう」

 紅の背中を追って墓地へ向かうことにした。

 水を汲んだバケツを持ち歩くのは、俺の仕事だった。

 建物や木々がないからか、墓地は寺の敷地よりずっと広く見える。

「祖母の墓地を探して欲しいの。〈向坂むこうざか家之墓〉と書かれているはずだわ」

「向坂? 豊崎じゃなく?」

「向坂は祖母の旧姓よ。お爺ちゃんがそのほうが良いだろうってことで、母方の家族の墓に入ることになったと聞いたわ」

「なるほどな。わかった、じゃあ俺は右のほうを探すよ」

「よろしくね」

 一つずつ墓石に彫られた文字を確認していく。こんなふうに真面目に墓を眺めたことは今までなかった。きちんと観察すると、一様に見える墓石にも個性があることがわかる。○○家之墓と彫られた定番のものから、○○院○○居士のような漢字が並んでいるもの(こういう名前をなんて言うんだったか?)、そもそも名前を彫っていない墓もある。

 やがてそれらの中に目当ての名が刻まれた墓石を見つける。

「紅、あったぞ」

 墓地の入り口から向かって右奥。墓石は風化して表面が粗く、〈向坂家之墓〉の表記はかろうじて読み取れる程度だ。墓地が高台になっているために、早霧町一帯が背景として広がっている。さっきの花屋や、年月を感じさせる瓦屋根の家の並び。

「これが、お婆ちゃんのいる場所……」

 紅が墓石の天辺に触れる。

 その瞬間、夏蝉の鳴き声が止まった気がした。

 墓石に水を掛け、花束を差す。

 華やかさを取り戻した墓石。まるで紅のお婆さんが微笑んだようだ。

 二人で横に並び、手を合わせた。

「——お婆ちゃんは、母さんを産んだ一年後に死んだの」

 閉じた瞼を開くと、紅が静かに話してくれる。

「通り魔に殺されたのよ。その通り魔も自ら命を絶ち、お爺ちゃんは何の仇もとれないと嘆いていた。お婆ちゃんの話は、家族の中ではもうタブーになっていて……正直詳しいことは全然知らないの。墓地も実家もアルファに破壊されて、なんにも回収できなかった。でも、お爺ちゃんは残っていたちょっとした遺品を、二人で撮った写真をじっと眺めて、小さく、本当に小さくお婆ちゃんの名前を口にすることがあって。

 片方が死んだとしても二人の間にはいつまでも愛が残っていたの。

 その愛が母を産み、私が生まれたの。

 ここに来たのは、任務のためよ。明日、ここで人に会わなきゃいけない。その準備のために、現地までのルートを確保し、未来に残された記録と照らし合わせ齟齬がないか確認する。この墓地が本当は存在していなかったり、目的の人物と合うのに不適切な環境だったりするかもしれないから。

 でも、私にとってはそれだけじゃなかった。

 お婆ちゃんに会いたかった。

 そして、お爺ちゃんにも……」

 高台に吹く風がカサブランカを揺らす。

「——ごめんなさい。あなたにはこんな事情、無関係よね」

 紅は墓から目を離した。

 ほんの少し。

 常に緊張しているように見える彼女の顔が緩み。

 あふれ出しそうな感情を堪えているような、気がした。

「関係あるさ。俺は君の協力者だから」

 墓から離れていく彼女の背に向かって、俺は話す。

「何ができるだろうな」

「え?」

 紅が振り返る。

「怪獣を倒すとか、そんなの俺にどうにか出来ることじゃないだろ。でも、君のために、君がやらなきゃいけないことのために、他に何が出来るのか、正直よくわからない。

 でも、こんなふうにどこかに連れて行くくらいしかできないかもしれないけど。

 手伝うよ。

 そしてそこそこ役に立ってみせる」

 紅の表情は、もう元に戻っている。

「——そこそこ、じゃ足りないわよ」

 彼女の感情表現は乏しい。

 だけど、ちゃんと心があって、愛する人がいる。

 そのことだけで、彼女を信じるに足るような気がするんだ。

 俺が夢に見た怪獣なんて、それに比べれば、頼るには儚すぎる根拠だ。

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