診察24【塚田星矢】
「うんうん。頑張ってるねえ」
「俺、頑張ってると思います?」
星矢は頷きながら自分の足の様子を診る真治に尋ねた。
「え? いつも塚田くんは頑張ってるじゃない」
さも当然と言った調子で真治は返事をし、
「早くサッカー、出来るといいね」と言って笑う。
その笑顔に、星矢は胸が締めつけられた。
やっぱり俺、頑張ってるよな。と思う。
幼い頃からサッカーが大好きで、いつもボール追いかけていた星矢。夢は当然プロサッカー選手。幼稚園のときからそう言い続けてきた。
星矢の地元からはプロ選手が出たことがないから、俺が最初のプロサッカー選手になってやる、という大きな夢に向けて毎日練習をしてきた。お陰で同級生の中では断トツでレベルが高く、中学時代になると先生から教わることも特にないほどだった。
高校は、県の中で一番サッカーに注力している学校を選んだ。原付バイクで毎日往復二時間かけてでもその学校に通うと決めたのは、どうしてもプロになりたかったから。星矢は本気だった。
高校でも当然サッカーを続けた。流石に中学生のときほどエリートとは言えず、自分より上手い同級生や先輩に揉まれ、天狗になっていた鼻は見事にへし折られた。しかしそれすらも嬉しかった。絶対プロになってやる。その為に自分にはまだ出来ることがある。前だけを見続けて夢を追いかける毎日が楽しくて、無我夢中でボールを追いかけた。サッカー以外のことは頭に入らないほど熱中していた。けれど自分はそれで食べていくと決めていたから、迷いはなかった。とにかく全力で取り組んだ。
それなのに。
星矢は通学中に乗用車と接触事故を起こした。信号無視をした向こうが完全に悪い事故で、それなのに被害は星矢の方が大きかった。
意識を取り戻した時、親は泣いていた。「命があっただけありがたい」と言われた。
だけどサッカーはまだ出来ない。星矢の足は以前のようには上手に動かない。入院していた病院の医師は「頑張れば元に戻る」と言った。だから星矢は退院して自宅に戻り、主治医が真治に変わった今もポンコツな自分の足をなんとか元に戻そうと必死で頑張っている。
この足がうまく動かないうちは自分が頑張っていない、と宣告されているような気がするのだ。
「塚田、そろそろ部活来いよ」
「そうだよ。俺達待ってるんだからさ」
教室の窓から校庭を眺めていた星矢に、サッカー部の橋本と川上が声をかける。
「あ、ああ……」
煮え切らない返事に苛立ったのか、橋本が言った。
「お前のポジション、後輩に奪われちまってもいいのかよ!」
それを見た川上が「まあまあ」と言いながら橋本をなだめる。
「塚田の体のことは俺達分かんないけどさ、リハビリ、頑張ってんだろ?早く戻ってきて欲しいだけなんだよ。俺達は。また塚田とサッカーしたいからさ。な。橋本」
川上が橋本に同意を求めると、星矢を睨みつけていた橋本は「おう」と言った。
そして
「リハビリ、死ぬほど頑張れよ」と言い残し、二人は去っていった。
星矢は歯を食いしばり、苛立ちをどうにか抑えようとした。
俺だって、サッカーやりたいのに……!
校庭を走る在りし日の自分を思い浮かべた。将来に向かって、ひたすら大好きなサッカーだけをやっていれば良かった自分。それがずっと続くと信じてやまなかった自分。あの頃に戻りたいと心から願う。
学校にいてもサッカー部の友達とは疎遠になり、同じクラスの生徒は気持ちの乱れている星矢への接し方に困っているのが分かった。
ここに居場所はない。
星矢はカバンを持ち、誰にも何も告げずに原付バイクに乗り、学校を出た。
思わずため息が漏れる。
事故以来、息子の扱いは本当に難しい。事故の前まではただひたすらなサッカー少年だっただけに失望も大きく、今ではだいぶ心を閉ざしてしまっている。
当時救急でかかった医師からは「頑張れば元に戻る」と言われていた星矢の足だが、京はそんな奇跡、起こるのだろうかと疑っている。諦めろとも言えない医師が、無責任なことを言ったに過ぎないのではないか。最近はそう思うようになった。
「星矢?」
部屋に向けて声をかけても返事がない。階段を上がり部屋のドアをノックする。しばらく待っても返事がない。扉を開ける。
星矢はベッドにうつ伏せになっていた。
「ただいまくらい言いなさい」
無言で身動き一つしない背中に向けて、京はさらに声をかける。
「制服がシワになるわよ」
もそもそと起き上がってコートを脱ぎ出した星矢に、腕を組んで
「あなたに早退させるために学費を払ってるんじゃないんだけど」と言った。
星矢は俯いて、下唇を噛んで動きを止めた。
「もうちょっと頑張って、学校行きなさい。なんでも事故のせいで免除されると思ったら大間違いよ」
しばらく下を向いたまま、返事もしない息子が流石に心配になり「星矢?」と声をかける。
すると
「うるせー! 俺が頑張ってねーみたいに言うな!」と叫んだと思うと京の体を部屋の外に押し出し、ドアを閉めた。
「星矢? 星矢!」
ドアをどんどんとノックする。ドアノブを回そうとするが動かない。内側から押さえているようだ。
「一人にしてくれよ!」
室内から聞こえた悲痛な声に、京はそれ以上何も言えず、ただドアを見つめることしか出来なかった。
毎夜走る息子は、何かに取り憑かれたかのように前だけを見ている。車の横を通り過ぎる時も、全くこちらを振り返りもしない星矢の視界には、父親の存在など、そもそも入っていないのだろう。
事故さえなければなあ。と空を仰いだ。
明は星矢がサッカーをする姿をずっと応援してきた。だから星矢にはプロになって欲しかった。でもこうなってしまった今となっては、別の道を提示してあげた方が良いのではないかと思うのだ。
息子は自分にはサッカーしかないと思い込んでいる。それによって苦しんでいる。その姿は、見ているだけで痛々しい。世界を広げてあげるべきときなのではないか。 サッカーをやろうがやるまいが、星矢の人生にはまだたくさんの選択肢がある。
翌日、明は意を決して夕飯後に星矢の部屋を訪れた。
「なに?」
星矢は警戒した目を明に向けた。最近ではあまり会話もない。身構えられても仕方がないかと内心で苦笑する。
「ちょっと、話をしよう」
言いながら、明は星矢の部屋を見渡した。好きな選手のユニフォーム。サッカーボールに、サッカーの後に撮った集合写真。サッカー一色の部屋のベッドに、星矢は腰掛けている。
星矢の勉強机の椅子に背もたれを抱え込むように明は座った。
「足はどうだ?」
「……あんま変わんない」
明は星矢の浮かない返事に、決意を新たにする。
「前よりは大分動くんだろう?」
「……まあ」
頷いて、明は質問を続ける。
「サッカー部にはまだ復帰出来そうにないのか?」
「……うん。まだ、ボールのコントロールが思うように出来ない。だから戻ってもみんなに迷惑かけるし」
星矢は力なくため息をつきながら言った。
「顧問の先生はなんて言ってるんだ?」
「いつでも戻ってこいって」
「他の部員は?」
「……早く戻って来いって」
星矢の答えを聞いて、しばらく考えた。言わなくてもいいのではないかという葛藤と、息子のために心を鬼にして言うべきだという思いが内心でせめぎあう。
「そうか」
でも、やはり。明は決意をし、星矢に言った。
「サッカー、やめてもいいんだぞ」
星矢は驚いた顔で、「え?」と返した。
「いやそんなに苦しそうにサッカーするなら、やめてもいいんだぞ。サッカーをやらなくても生きていける」
「……」
星矢は返事をしない。明は言い始めたら弾みがつき、よどみなく続けた。
「お父さんはサッカーやめたってお前を見捨てない。そんなに意地を張らなくてもいいんじゃないか。学業を頑張らなきゃいけない時期でもあるんだし、学校にも満足に行けないようならいっそサッカーはすっぱり諦めて、学業に専念したらいいだろう。お前はまだ若いから、出来ることはいくらでもある」
明は言ってやった、と思った。息子が快く思わないであろうことは察していたが、いずれ誰かが言ってやらねばならないことなのだ、とそれを成し遂げた自分に満足していた。
星矢は拳を握ってしばらく黙り込んだ後、
「……ちょっと、頭冷やしてくる」と言って明の顔を見ることなく、クローゼットにかかったコートを手にして部屋を出た。その背中になにか声をかけようかと明は口を開いたが、結局なにも言葉は浮かんでこなかった。
星矢は夜道に白い息を吐きながら、公園まで走る。夜の空気は澄んでいて、熱くなった星矢の頭を少しずつクリアにしてくれる。
スマホの通知音が鳴った。どうせあれだろうとスマホを取り出すこともしなかった。お節介な川上からくるサッカー部の日常報告は星矢を苛立たせるし、グループに入っていながらサッカー部のやりとりに入れない虚しさは一層孤独感を煽る。なのにそのグループから抜けないのは、絶対にサッカー部に戻るという覚悟があるからだ。 星矢はその為に頑張っている。
先ほど耳にした父の発言は信じられないものだった。
応援してくれているとばかり思ってたのに、内心は早くサッカーなんか諦めろと思っていたのか。勉強を頑張るべきだと言われた。しかし、星矢は自分で頑張ることくらい、自分で決めさせて欲しいと心から思った。親の人生でなく、自分の人生なのだ。勝手にあれこれ諦めて欲しくない。
同時に昨日の橋本と川上の言葉も頭をよぎる。リハビリを死ぬ気で頑張れと言われた。彼らは暗に、星矢が頑張っていない、頑張りが足りないと決めつけているのだ。
走る星矢の横を軽自動車が通過した。あの日星矢がぶつかった車種と一緒だった。
あの車を運転していた頭の悪そうな主婦のせいで、俺の足は、俺の夢はこんなにもぐちゃぐちゃだ。いっそあの女の足と取り替えて欲しい。あの女からぶつかってきたくせに無傷だなんて、世の中は理不尽だ。せめて腕にしてくれれば、まだ良かったのに。
そんな考えても仕方のないことを頭に浮かべながら、ぎこちなく足を前に踏み出した。
みんな無責任に頑張れと言う。しかし星矢は今でも精一杯頑張っている。どうしてそれを知りもしないで一方的に頑張っていないと決めつけるのだろう。星矢は叫び出したい気分だった。とにかく公園へと、ボールを抱えて走った。
徒歩で『かえで』に向かっていた竹中慎也の隣で、真治が「あ」と声を出した。
そこには公園の外灯のもと、一人でドリブルをする人影が見えた。
「知り合いか?」
「うん。多分患者さんだ」
真治はそう言って公園に入っていく。慎也はその後を追う。
「さすがだね。サッカー少年だ!」
真治が嬉しそうに声をかけると、声をかけられた星矢は「あ」と言って会釈した。
それから真治は慎也の方を見て、
「塚田星矢くん。サッカー少年でリハビリ中なんだ」と紹介した。
「こっちは僕の友達。竹中。ちょっと星矢くんの練習、見ててもいい?」
嬉しそうな声で言いながら、ブランコに座った。
「あんまり上手じゃないんで、見られると恥ずかしいんですけど……」
星矢はそう言って俯く。
「じゃあ、一緒にやろうぜ」
言いながら上着をブランコの柵にかけた慎也を見て、「出来るかな」と呟きながら真治も上着を脱いで立ち上がる。
星矢と慎也と真治でそれぞれに距離を開けて立つ。
「こっちに蹴ってみて」
真治が言う。星矢は蹴る。届いた、が真治は受け止めきれずボールを追いかける。
「下手くそ」
慎也はそれを見て笑った。
今度は真治が慎也に体を向けてボールを蹴った。見当違いの方向に飛んだ。
「下手くそー!」
走りながら慎也がまた言った。星矢は思わず笑った。
慎也から星矢のパスは問題なく繋がり、星矢から真治へ蹴った時、星矢は「あっ」と声をあげた。思いの外高く飛んだボールはまるでそこに導かれるかのように真治の顔に命中した。
「だ、大丈夫ですか!」
星矢が慌てて駆け寄る。慎也も笑いながら真治の元へと走る。
尻餅をついた真治は「ハットトリック、失敗」と言った。
「お前じゃ無理だよ」と慎也が呆れたような声を出し、思わず三人で笑った。
真治も「僕には高等テクニック過ぎた」と笑っていた。
立ち上がった真治は自分の膝の辺りを叩きながら立ち上がり、
「でも星矢くん、頑張ってるね」と言った。
言われた星矢は下を向いてしまった。
「だけど、さっきのパスみたいな失敗は、前はなかったんです。全然元通りにはなってない」
「そうかな?僕は結構早いペースで回復してると思うんだけどな」
首を傾げる真治に、悲しげな顔で星矢は言う。
「お父さんに、もうサッカーは諦めて別のことをした方がいいって言われました。勉強を頑張れって。サッカー部の友達にはリハビリ頑張れって言われてるけど、俺、どれだけ頑張ればいいのかもう分からなくなって……」
言いながら、どんどん星矢の声は小さくなる。
「頑張れるだけ、だよ」
慎也が腕組みをして力強く言った。星矢は慎也の顔を見る。
「頑張りたいと思ったら、頑張れるだけ頑張るんだよ。人に頑張り時や頑張り方を強制される筋合いはない。頑張るのは自分自身で、頑張ると決めたのも自分なんだから」
星矢は聞きながら、慎也の言葉を一つずつ噛み締めた。。
「やりたければやって、やりたくなければやめればいい。サッカー、好きなんだろ?プロになりたいのか?」
星矢は力強く頷いた。その目には、先ほどはなかった光が宿っている。
「じゃあこんな所で諦めてなんか、いられないよな」
そう言って慎也はニカっと笑った。
「そうだね。プロになったら、サインくれるかい?」
真治もにっこりと笑った。
星矢ははにかんで、
「もしもなれたら、お二人にサイン入りのボール、プレゼントしますよ」と言った。
「待ってるよ。何年でも」
「楽しみにしてるよ」
声をそろえた二人を見て、星矢は嬉しそうに何度も頷いた。
真治は外灯に照らされた泥だらけのサッカーボールを見て、きっとなれるさ、と心の中で呟いた。そしてまたそのボールで練習を再開した星矢を残して、慎也と微笑みながら、公園を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます