診察16【福沢信人】

「うわ。これ、痛かったでしょう」

 診察室で、真治はさも自分が痛いかのように顔を歪めた。

「どうされたんですか?」

「あ、ドアに挟んでしまって」

「すぐにレントゲンを撮りましょう」

 福沢信人ふくざわのぶひとは、左手の親指を除く四本の指を骨折しているとの診断を下された。

「では、また来週いらして下さい」

 処置を終え、真治に見送られて診察室を後にする。

 ああどうして自分はこう要領が悪いのだろうと思い、包帯でぐるぐる巻きにされた左手を見た。運悪く信人の利き手は左手だ。


 翌日出勤した職場では、手に巻いた包帯がよほど珍しいのか、散々話題に上げられた。

「でもまあ、右じゃなくて良かったね」と、普段はさして信人に興味のない人から言われても、いちいち利き手を訂正するのが面倒で、曖昧な返事をして済ませた。

 幸い、両利きとまではいかないが、右手も使いこなすことが出来る。もちろん不便ではあるものの、どうしようもないほどでもない。

 一応仕事が出来るだけ、良しとしよう。信人は自分に言い聞かせて、仕事に取り組むことにした。

 村役場に勤める信人の担当部署は広報で、現在は地域の活性化のための情報紙を作成している。今回に限っては大きく取り上げる話題があるので、写真もどうせなら凝ったものをとこの村に暮らす写真家に協力を依頼することになっている。今日はその写真家と初めての打ち合わせだ。

 資料に目を通し、名前を再度確認する。坂口香織さん、か。まともな人だといいなと信人は願った。

  

 時間ぴったりに現れた香織を応接室に案内し、名刺を差し出して改めて挨拶をする。

「福沢と申します。よろしくお願いします」

 信人が頭を下げると、香織も頭を下げた。

「坂口です。よろしくお願いします」

 首にかかったカメラを見て、ああやはり本職の人なのだなあと考えながら、信人は本題を切り出す。

「今回坂口さんにお願いしたいのは、村のお祭りの写真なんです」

 この山里村には、昔から受け継がれてきた由緒正しい夏祭りがある。豊作祈願を願ったのが始まりとされるその祭りは年に一度、住民総出の協力のもとで行われる。祭りのための寄付金も募り、各家庭の役割も割り振られ、当日は盛大な規模でとにかく盛り上がる。

 屋台も出るし、神輿も出るし、二日目の夜には花火も上がる。この村に住んでいれば、巻き込まれないことは不可能な一大イベントなのである。

「なので、お祭り当日のみではなく、準備期間も含めての写真をお願いしたいと思いまして」

 信人が渡した資料を読み、説明を聞きながら、香織は頷く。

「準備をしている方の写真も、ですか?」

 香織は昨年この村に越して来たばかりで、祭りに参加したことはないと言う。認識の相違がないように、丁寧に説明していく。

「はい。やぐらを立てたりしますので、その壁画は毎年山里小学校の生徒さん達にお願いしてますし、それを立てるのも有志の方々です。屋台の仕込みなども全て外部に委託することもありませんし、皆必ず何かしら事前準備に関わることになってますので、当日よりも事前準備の方が大変な部分もあるんですね。ですからその辺にスポットを当てて欲しいと言いますか」

 信人の脳裏には昨年の自分が撮った写真のあまりの出来の悪さに頭を抱えた記憶が過ぎる。テンションが上がりきってあちこち好き勝手に動き回る住人を

綺麗に写真に収める技術を、信人は持っていなかった。だからかなりの写真が没になり、問い合わせに悩まされたものだ。皆、一枚でいいからどこかしらに写っていて欲しかったと不満を漏らしていた。

 今年はきっと大丈夫だ。香織は駆け出しとはいえプロの写真家で、機材も技術も本物だと信人は信じている。香織の写真が大きな賞を獲ったと、家を貸している横井青果店の夫婦が自慢げに吹聴しているという情報も聞いている。

「ほとんど全員参加の祭りということで、みなさん非常に思い入れが強いです。ですからこの『まつり特集』は毎年人気が高いんです。今年は更に上を目指して、坂口さんにご協力頂きたいという次第でして」

 香織は資料を見つめながら、うんうんと頷いている。その目に光を宿し、力強く返事をした。

「分かりました。精一杯、やらせて頂きます」


 翌日から早速、信人は香織とインタビューに向かった。祭りの実行委員に話を

聞く為だ。

 高齢の実行委員の話は昨年とあまり内容が変わらず、更には何度も同じ話を繰り返す。ところどころ聞き取りづらい部分をどうにか保管し、信人は記事にする際の見出しも考えながら話を根気強く聞き取っていく。

 香織がその横でシャッター音を響かせると、実行委員の口調が多少はっきりし、顔色が良くなる。信人は内心で感謝しながら、去年よりずっとスムーズに進みそうだと胸を撫で下ろした。

「ありがとうございました。良い写真、撮れましたか?」

 帰りの車内で信人は香織に尋ねた。役所に帰る道すがら、香織を自宅へ送り届けるという話になっていた。香織は非常に自家用車所有率の高いこの村では珍しく、車を持っていなかった。徒歩で帰ると言う香織に、信人がついでだからと助手席を勧めたのだ。

「はい。良い感じだと思います」

 信人は「それは良かったです」と返した。すると香織は「あの」と切り出した。信人はフロントガラスを見ながら「はい?」と聞き返す。

「あの、その左手って……」

 信人は「ああ」と自分の包帯を巻いた左手にちらりと目をやる。

「お恥ずかしい話なんですが、ドアに挟んでしまいまして」

 香織は少しトーンを落として

「そうなんですか。不便ですね」と言った。

「はい。まあ、でも、自業自得なので」

 信人が最近何度も繰り返した提携文を口にして愛想笑いを浮かべると、香織は今まで誰も口にしなかった反応を返した。

「利き手はどちらですか?」

 利き手を右手と決め付けなかった香織に、信人は少し好感を抱いた。そんな心中を表に出さないようにと平静を装う。

「あ、左なんですよ。だからちょうど利き手で……」

「それは不便ですね」

 香織は先ほどと同じことを口にした。

「そうなんです。でも、右手もそれなりに使えるので、仕事に支障はないんですよ」

「それは良かった。でも、なるべく映らないようにしますから」

 香織が言っていることがよくわからなくて、信人は聞き返す。 

「はい?」

「やっぱり、怪我をしていると気を使われたりするし。せっかく記録として残るものだから、包帯は入らない方が良いのかなって」

 香織の返事を聞いて、先ほど抱いた好感は間違っていないと思った。香織は利き手を右手と決めつける先入観を持たず、無駄な遠慮も気の使いすぎもしない。聞くべきことは聞いて、自分の考えをしっかり持っている。

信人に取って距離感が丁度良い人なのだ。香織とこれから一緒に仕事をするのが楽しみだと思った。

「ありがとうございます。これから、よろしくお願いしますね」

 改めて信人が言うと、香織は

「はい。よろしくお願いします」と答えた。

 その後すぐ、窓の外を眺めていた香織が「あ」と声をあげ、信人に言う。

「すいません。この辺で降ろしてもらっても良いですか?」

 信人は急な展開に戸惑いながらもハザードをたき、車を減速させる。

「はい。構いませんが」

 信人は何か自分が失礼なことでもしただろうかと、自分のこれまでの態度と発言に思いを巡らせた。

「あの子達、知り合いなんです」

 シートベルトを外しながら、香織は車を停めた斜め後ろの商店の店先で、麦わら帽子を被ってかき氷を食べている少女二人を手のひらで指し示した。

「良い顔だから、写真撮らせてもらいたくて」

 香織が悪戯っぽく笑ったので、信人もつられて「ふっ」と笑う。

「では。またお願いします」

「はい。また」

 返事をすると車を降り、カメラを手にして少女達の元へ小走りに向かう。そんな香織に気付いた麦わら帽子の翼が「香織ちゃん、今の彼氏?」と言う声が聞こえて、信人はああそういう風に見えるのかと思いながらゆっくり車を発信させた。香織の反応を見たくてフロントガラスを見てみたが、表情までは確認出来なかった。


 山里小学校の子供達が、体育館で賑やかに絵を描いていた。お祭りに使用される櫓に貼り付けるもので、毎年夏休みの数日間はこの為に登校日が設けられている。

 夏真っ盛りの体育館の窓は全開にされていて、大型の扇風機が空気を循環させるので、中はさほど暑くはなかった。子供達は水筒を持参し、こまめに水分を補給しながら、木の板にカラフルな絵を仕上げていく。

 男の子はとにかく派手な色使いで各々が好きなものを好きなように描いているが、女の子は相談しあって色や配置を決めていた。特にグループ分けをした訳でもなく、自然に上級生が下級生の面倒を見ているその姿を、四年生の担任である児玉奈美は微笑ましく見守っていた。

 そんな作業中の体育館に、信人と香織が取材をしに来た。校長先生の後ろをついて歩く二人を見て、子供達は作業を中断してざわついた。特に香織に対して目を輝かせる。

「あ! 香織ちゃん! 彼氏と来たの?」

 翼が大きな声を出したのを聞いて、賢人が

「えー! 香織ちゃん、彼氏いたのー?」と叫ぶ。

 隣で晃太が嬉しそうに

「賢人、失恋だー!」と体育館を走り回る。

「だから、違うって」と言う香織の否定は信人の耳にしか届かず、結奈も言葉は発しないものの、翼の隣で目を輝かせている。

「はいはい! 静かにしなさい!」

 奈美は大きくパンパン、と手を叩いた。その音で子供達はぴたっと静かになり、香織はすかさずカメラを構える。

「皆さんの絵を描く写真を撮らせてもらったり、少しお話を聞かせてもらったり出来ればと思います。よろしくお願いします」

 信人はそう言って頭を下げるが、子供達の誤解を孕んだ眩しい視線を一身に浴びて、何故か少し緊張してしまった。


 夜になり、信人は一人自室で悪戦苦闘していた。今日見せてもらった子供達の絵に、自身の創作意欲が刺激されたからである。

 信人の趣味は絵を描くこと。色鉛筆画をメインとして、時々クレヨンや水彩絵の具で描くこともある。

 信人の頭の中には、今日訪問した小学校の校庭に咲くダリアの花と、それを写真に収める香織の姿が浮かんでいる。

 香織がダリアの花にカメラを向けるとき、とてもいきいきとして楽しそうだった。思わず「綺麗ですね」と呟いてしまった信人に、香織は笑って答えた。

「ええ。きっと誰かがこうやって咲く日を心待ちにして、世話をしているんですね」

 言い終えると同時にまたカメラを構えて写真を撮った。

 花のことだと思ってくれて良かった。今になって恥ずかしくなり、信人は頬を赤くした。

 香織がその瞬間を写真に収めたように、自分も絵で、今日の思い出を残したいと思った。

 けれど。信人は自分の左手を見てため息をついた。

 箸やペンを右手で使うことに不便はないのだが、絵だけはどうしても左手でないと描けない。納得がいかないのだ。

 先程から右手で描こうと試みているのだが、やっぱりうまくいかない。

 どうして自分はこう、肝心な時にと腹が立つ。

 もどかしい気持ちが絵に現れているようで、結局その日の信人は絵を仕上げることが出来なかった。


 信人は丁度祭りの前日に、診療所を訪れた。

「おめでとうございます! これで通院終わりで大丈夫ですよ。お疲れ様でした」

 笑顔の真治から完治を告げられたとき、信人が一番に考えたことは、これで絵が描ける、だった。ここ数日何度も挑戦したのだが、納得のいく仕上がりにならず、スケッチブックを何枚も無駄にしてしまったのだ。

 診療所を出ると、どこからかとうもろこしを焼いている醤油の香ばしい匂いがした。明日の祭りに備えて、今日のうちに試し焼きをしているのだろうか。

 信人は今日のスケジュールを頭の中で反芻した。無理矢理診療所を訪れたものの、これからはぎっしりと予定が詰まっている。

 役場へ向けて車を走らせながら、信人は香織のことを考えていた。

 ここ数日、何度も取材で一緒に過ごした香織に、信人は好意を抱いていた。思えば初対面から印象は良かったのだが、ここ数日で一気に香織に対する気持ちが加速した。

 祭りの夜に上がる花火のときには、毎年カップルが誕生する。信人はタイミング的にここしかないと思っていた。祭りが終わってしまえば、香織と顔を合わせるタイミングは劇的に減ってしまい、さらに『まつり特集』を仕上げてしまったらもう会う口実すらも失ってしまう。

 付き合ってもらえるかどうかは性急過ぎるにしてもせめてプライベートで会いたい旨を告げようと信人は考えていた。

 自然と鼻息が荒くなる。ふと、道沿いに大きなひまわりが連なって咲いているのを見かけた。きっとこのひまわりも自分を応援しているのだと思い、信人は自分を奮い立たせた。香織に想いを伝えるのだ。その前にまず、自分の仕事を終わらせないと。

 信人の目は、いつになく強い光を宿していた。


 祭り当日を迎えた香織は、朝からカメラを手に、あちこち奔走していた。依頼を受けた仕事だからという思いも当然あるが、どちらかというと今日しか撮れない一瞬の輝きをたくさんカメラに収めたいという個人的な思いもあった。

 皆、忙しそうにしながらも、いきいきとして楽しそうだった。香織は、とにかくその姿を片っ端から切り取り、記録に残していく。

 川村土建の親子が主体となって建てた櫓には、子供達のカラフルな絵が飾られた。ハートマークを挟んで手を繋ぐ二人は、翼と結奈の力作らしい。

「彼氏、早く出来るといいね」と翼に言われ、

「これ、かおりちゃんだよ」と結奈に教えられた時には、笑いながらシャッターを押すことしか出来なかった。

 法被はっぴを着て、明るい顔をしている人達を写真に撮るたびに、どうして自分は一人しかいないのだろうと思った。今日だけで良いから分身したい。それほどシャッターチャンスに溢れていて、皆が良い顔をしていたのだ。

 神輿みこしに潰されそうになり、隣の慎也に「だらしねえな」と呆れられる真治の姿も、しっかりと写真に収められた。真治は汗だくになりながら神輿を担ぎ、その姿は誰が見ても情けないものだった。診察室での溌剌とした様子との落差に香織は笑い、何度もシャッターを押した。

 初日は瞬く間に過ぎて、二日目も朝から張り切って家を出て、香織は写真を撮りまくっていた。おそらくこんなにはいらないだろうとも思ったのだが、盛り上がる周囲の熱気に浮かれて、撮らずにはいられなかった。

 信人は信人で忙しいらしく、祭りが始まってみれば全く一緒に行動することはなかった。「お願いしますね」と優しい口調で言った信人の顔が香織の頭に浮かぶ。香織は出来る限り期待に応えたいなあと思った。


 結果的に二日目も夜まで走り回った香織は、最後の花火を綺麗に撮りたくて

カメラを三脚で固定し、調整をしていた。するとそこに息を切らした信人が現れた。

「探しましたよ。坂口さん」

 ああやはりこの人も忙しかったのだろうと香織は思った。そしてふと左手に目をやると、信人の手からゴツゴツしたギプスと包帯が消えていた。

「お疲れ様です。手、治ったんですね」

 信人は香織の前に左手をかざし、開いて握ってを数回繰り返した。

「ええ。お陰様で」

 話しているところを通りがかった翼と結奈が、信人に向けて「頑張ってね」と言って去った。信人は途端に俯いて、何故か口ごもる。香織が首を傾げて信人を見たとき、「どーん!」と花火の始まりの合図が響いた。

 香織は慌ててレンズを覗き、信人に言った。

「絶対に良い写真、撮りますから!」


 香織は『まつり特集』の試し刷りを受け取って、役場の応接室で頷いた。香織が提供したたくさんの写真があちこちに使われていて、見ているだけで笑顔になってしまう。

「良いですね! これ、もらってもいいですか?」

「はい。もちろんです。ご協力ありがとうございました」

 香織は自分と同様に信人も喜ぶものだと思っていたので、そのテンションの低さに少し戸惑った。

「どうかされましたか?」

 香織が尋ねても、「いえ……」と俯いて、言葉は続かない。触れられたくない何かがあったのかもしれない。香織は早めに退散した方が良さそうだと思い、「それでは」と立ち上がった。

 すると信人は焦った様子で

「ちょ、ちょっとお時間頂けませんか」と言った。

 香織は「はい?」と言いながら座り直した。やはり、信人の様子がおかしい。もしかして言いづらい何かがあるのだろうか。

 信人が話し出すのを待つ間、何か自分の仕事に不手際があったかと思い浮かべてはみたものの、なんだか分からない。そう言えば、信人は花火のときも様子がおかしかった気がする。あのとき香織が写真に夢中になるあまり、何か失礼な態度を取ったのだろうかと考えても、特に思い当たる節はない。緊張して待つ時間はやたらと長く感じられた。

「あの」「あの」

 我慢出来ずに香織が口を開いたのと、信人が話を始めたのは同時だった。香織は手のひらを上に向け、どうぞ、と言葉の先を促した。すると信人は下を向いて話し始めた。顔が赤い気がする。まさかな、と香織は思う。

「坂口さんのお写真、すごく僕好きで、あの……」

「ありがとうございます」

 信人の顔がどんどん赤くなる。その額には汗が滲んでいて、もしかして具合が悪いのかも知れないと考え直す。

「ええっと、だから、その……」

 香織が待っていると、信人は先ほどよりも小さな声で言った。

「その写真に触発されて、絵を、書いたんです……」

すっと机の上に出された紙には、色とりどりの花火が描かれていた。

「わあ、綺麗」

 香織が素直に感想を述べると、信人は下を向いたまま、一気に言った。

「で、あの、坂口さんの写真には、敵いませんが、あの、もらっていただけませんか?」

「え? いいんですか?」

 香織は絵を手にして、自分の方に寄せた。

「ありがとうございます!」

 あの日の花火を描いたその絵はとても綺麗で、思わず香織の口元に笑みが溢れる。

「実はもう一枚あって……」

信人が差し出したもう一枚には、小学校で目にしたダリアの花が繊細なタッチで描かれていた。

「こっちも、素敵な絵ですね」

「その、裏、見てください」

香織が絵を裏返すと、数字と、アルファベットが並んでいた。

「僕の連絡先です……。もしよければプライベートでお会いしたいので、あの、よければ連絡下さい…」

 俯く信人の両手は、膝の上で握り締められていた。



「え? 本当? おめでとう!」

 横井唯香は友人からの電話に飛び上がって喜んだ。実際に唯香の体は少し宙に浮いた。

「いや、まだ付き合ってるとかじゃなくて……」

「でも、手、繋いだんでしょ?」

「まあ……」

 香織が仕事で知り合った信人から絵を受け取ったと聞いた時から心待ちにしていた続報は、唯香の心を躍らせるものだった。

「いーいーなあー!」

 自分までときめいてくるから、恋話は良い。まして友人の幸せな話なら、尚更だ。

「どっちの手、繋いだの?」

「……私は右」

 車道側に男の人が立つのであれば自ずとそうなる。唯香は香織に以前聞いた話を思い出していた。その彼は、左利きのはずだ。

「利き手を預けられる関係、いいなあー!」

 香織の利き手は右だ。すなわち、そういう事だ。

「ちょっと、唯香落ち着いて……」

 唯香ばかりがはしゃいでしまっているが、報告のために電話をくれたのは香織だ。戸惑っているようだが、香織だって嬉しかったに違いない。

「かーおりっ!」

 唯香は自分の中に込み上げる喜びを抑えきれず、友人の名前を呼んだ。

「……なあに?」

「幸せになってねっ!」

「……うん。そうだと、いいなあ」

 照れて返事をする香織がたまらなく愛おしい。その声に幸せの予感を感じ取った唯香は、意味もなく「ふふふふふ」と笑った。電話越しに香織も笑い、その声に香織の気持ちが全て詰まっているような気がした。次回会ったときに、絵も、写真も見せてもらおうと唯香は思った。

 次回の帰省が今からとにかく楽しみでならない。

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