診察15【阿部裕樹】後編

 慎也は真治が説得に失敗したと聞いて、やっぱりな、と思った。

 真治は優しすぎる。裕樹のことを本当に思うなら、少し厳しくても言うべきことは言わねばならない。

 真治は「あれ以上追い詰めない方がいいと思う」と言っていた。しかしこうしている間にも、刻一刻と時間は過ぎる。ずるずると時間が過ぎてしまえば、きっと裕樹はあの家で修斗と暮らすことになる。それはきっと十年かけてもう一度築き上げた裕樹の慎ましい生活を全て台無しにして、この狭い村での居場所を奪うに違いない。

 慎也は今夜仕事が終わってから裕樹の家に行こうと決めた。真治から報告を受けてからのこの三日間、ずっと裕樹のことが頭から離れなかった。今日なら行けると自分の勤務予定表を見て頷き、真治にメッセージを送った。

『今夜裕樹の家に行ってくる』。帰ってきた返信は『なら僕も行く』。その短い文字の中に真治の強い意志を感じ、断ることは出来なかった。

 慎也は仕事帰りにそのまま診療所に寄り、真治を助手席に乗せて裕樹の家に向かった。車内での真治はやたらとソワソワしていて、慎也に「まずは裕樹の話を聞いてくれ」と頼んだ。

 慎也は何も一方的にお説教をしに行く訳ではない。「当然だ」と視線をフロントガラスから動かさないまま返事をした。それきり会話はなかった。

 裕樹の家はいつも通りひっそりと静まりかえっていて、今は使われていない工房が寂れた雰囲気をいっそう醸し出していた。近隣の家からも少し離れてポツンと佇むその和風の平屋は、今日も外から灯りを窺い知ることは出来ない。きっといつも通り、自室でひっそりと暮らしているのだろう。

 裕樹の家の庭に車を停め、正晴と目を合わせる。どちらからともなく頷いて車から降り、玄関のインターフォンを鳴らす。

 返事を待たず、「裕樹。俺だよ」と慎也が声をかける。しばしの間を置いて静かに玄関の戸が開いた。裕樹の顔を見て「よう」と慎也が声をかけた。裕樹は無言で目を逸らし、自室へ続く廊下を歩く。

 裕樹がその戸を開いて自室へと入ったので、慎也と真治は後に続いた。そしてそこに広がる光景に、息を飲んだ。

 色んなものが破壊されていた。パソコンはディスプレイが破られ、破片が散らばっている。普段は押し入れにしまわれている洋服も引っ張り出されて引き裂かれていた。

 床に散らばる光沢のある紙は、写真が引き千切られた残骸だ。部屋の中央には白っぽい紙が、千切って紙吹雪のサイズになって積まれていた。真治が「手紙……」と呟いた。

 破壊された秩序のない部屋は居心地が悪く、何より気味が悪かった。裕樹の心の闇を象徴するようなその部屋に慎也はごくりと喉を鳴らして、

「裕樹、どうしたんだ」と掠れた声で聞くのが精一杯だった。

「ちょっと、ね」

 裕樹はそう言って静かに微笑んだ。その表情は今まで一度も見たことのない冷たいもので、慎也は背筋がぞくっと冷えるのを感じた。

「ええと、ここじゃない部屋で、話をしないか」

 慎也はそう提案した。この部屋を出たいと思ったのだ。昔から何度も訪れているはずの裕樹の部屋が、全く知らない異空間になったような不気味さを醸し出している。そもそも床中に散らばった破壊の痕のせいで、腰を下ろすことすらも出来そうになかった。

 裕樹は頷いて、隣の部屋の戸を開けて電気を点けた。戸が空いた瞬間、かび臭い匂いが慎也の鼻先を刺激した。

 以前は客間として使われていた部屋で、襖が開け放たれた奥の部屋には仏壇が見える。慎也はその遺影の写真と目があったような気がして、慌てて視線を逸らした。

 木製のローテーブルを挟んで裕樹と向き合った。裕樹は膝を抱え込んで体を丸め、右手の親指の爪を噛んでいる。

「なあ、裕樹、お兄さんの事なんだけど」

 慎也は意を決して切り出した。先ほど目にした裕樹の部屋のことは、なるべく考えないようにしようと思った。

「またその話……」裕樹は小さな声で言った。噛み続けている親指の爪からは、血が滲んでいる。

「だって今話さないと間に合わなくなるぞ。お前が罪を犯した訳じゃないのにお前が辛い思いをするのを俺は見たくない」

 言っているうちに、声が大きくなった。慎也は必死に訴えた。

「俺は裕樹に不幸になって欲しくない。それだけなんだよ。修斗さんのことは、仕方がないじゃないか。兄弟とは言っても、お互い大人なんだ。別の人生を歩むべきだろう。今のうちに身元引受人を拒否するんだ。世の中にはそういう人だっていっぱいいる。何も特別なことじゃない」

 真治が慎也の袖を引っ張っていることには気付いていた。きっと興奮した慎也を諌めたいのだろう。慎也は一度言葉を切り、深呼吸して続けた。

「なんで今言うかって言うとな、顔を見たら絶対に断れなくなるからだ。ずっと面会にも行ってないんだろう? 顔を見たらもう最後だぞ。お互いが駄目になる。裕樹は裕樹の幸せを考えるべきなんだ。そうだろう?だから、考えて欲しい」

 慎也は言い終えると、黙って裕樹の顔を見た。裕樹は口元をせわしなく動かしている。何かを言っているようだが、声が小さくて聞き取れない。慎也は「うん?」と聞き返した。裕樹は先程より大きな声で話し始めた。

「考えてないと思うのかよ。俺だって毎日毎日考えてるよ。俺だって幸せになりたいよ。そんなの当たり前じゃないか。だけど俺は兄貴にも不幸になって欲しくない。どうしたらいいんだよ。兄貴はスマホを触ったことないんだぞ。仕事はFAXだった時代なんだ。そんな時代からいきなり一人で放り出されて、生きていけるはずないじゃないか。一人で生きていかないといけない辛さは、俺が一番よく知ってる」

 抑揚のない、聞き取りづらい声で、裕樹は本心を吐き出し続ける。

「兄貴と縁を切れたらって、俺だって考えるよ。むしろずっと考え続けてる。でももうそろそろ今後のことも考えなきゃってのも、一番俺が良く分かってるんだよ。兄貴と決別しようと思って、兄貴からの手紙を破ったり、写真を破ったりしてみたよ。でも、分からないだろう。そうしてるときの俺の気持ち。苦しくてもう何もかも投げ出したくなった。死んだ方がマシだと思った。父さんの遺書を見たときとおんなじ。不幸ってこういうことなんだと思ったよ」

 裕樹は息を大きく吸って、吐き出すように言った。

「俺はもう、どうしたらいいか分からないんだ……」

 裕樹は力なく項垂れた。

 慎也はそんな裕樹を見て、自分に何か出来ることはないかと焦った。目の前で小さく丸まって痛みに耐えている友人に、自分がしてやれることはなんだろうと必死に考えて、気が付くと裕樹のそばに寄って、裕樹を抱きしめていた。

「お前には俺がいるよ。俺と真治がいる。今までだって一緒だったんだ。絶対、味方だから」

 裕樹は呆然として、動かなかった。真治も何も言わなかった。慎也は力強く、裕樹の背中を抱きしめる。

 数分の後、裕樹は急に体をビクッと動かし、慎也の胸に手をやって、体を遠ざけた。

「もう、大丈夫だから。ありがとう」

 慎也は体を離した。裕樹の声がいつもよりも力強く、はっきりと聞こえた。

「本当か」

 慎也の問いに、裕樹は頷く。

「うん。大丈夫。じっくり考えたいから、一人にしてくれないか」

 裕樹はそう言って笑った。慎也はその笑顔に逆らうことは出来ず、立ち上がって玄関へと促されるままに歩く。

「また明日も来るよ」

 慎也が言うと裕樹は頷く。

「本当に、どうもありがとう。今まで。たくさん助けてもらって」

 そう言うと裕樹は返事を待たずに玄関の戸を閉めた。

 真治は何も言わずに即座に助手席に乗り込んだ。その様子に違和感を覚えながら、慎也も運転席に乗り込む。

 真治はドアが閉まるのを待って「すぐに出して」と言った。慎也は「あ、ああ」と言ってシートベルトを閉め、エンジンをかけた。

「うちに寄って、もう一度来よう。裕樹は多分、このまま一人にしちゃ駄目だ」

 真治は深刻な顔で慎也に訴えた。慎也は

「考えすぎじゃないか」と返した。先ほど裕樹は久々に笑顔を見せた。慎也の真心が伝わったからだと、慎也は思ったのだ。

「裕樹、最後にありがとうって言ったよね」

 真治は前を見つめたまま話す。慎也も診療所までの道を見ながら、「ああ」

と答える。

「もしかしたらあれは別れの挨拶かも知れない。裕樹の様子は絶対におかしかった」

 断言する真治に、慎也も徐々に不安になる。

「でも、普通……」

 慎也が言いかけたそのとき、真治がその言葉を遮った。

「裕樹は今普通じゃない。それは僕らが一番分かってることだろう」

 珍しく声を荒げた真治に、慎也は何も言い返せなかった。診療所に着き、車を駐車場に入れると「すぐ戻るから」と言って真治は診療所に消えた。

 一人の車内で慎也はどんどん不安になった。裕樹が普通じゃない。その言葉の意味を考えていた。そういえば、と思った。そう言えば裕樹は昔、よく笑う少年だった。面白くないことでも、腹を抱えて裕樹が笑うから、面白いような気がして笑って──。今の裕樹とはまるで違うその思い出を頭に浮かべて思った。

 どっちが、本当の裕樹なんだろう。今の裕樹と、昔の裕樹。よく知らない人は二人が同じ人物だとは思えないだろうなと思った。人格が、正反対と言えるほど変化をしてしまっている。

 慎也の考えがまとまらないうちに、真治が息を切らして戻ってきた。手には大きなカバンを抱えている。

「急ごう」

 真治の言葉に、慎也は慌てて車を発進させた。


 裕樹の家は相変わらず暗かった。先ほどと同じ位置に車を停め、真治がインターフォンを鳴らした。しばらく待つ。が、返事がない。

 ドアをどんどんと叩きながら、真治が大きな声を出す。

「裕樹! 僕だよ! 真治! 開けてくれ」

 静かな室内からは物音一つ聞こえない。二人で顔を見合わせる。真治は頷き、車から大きなカバンを取り出した。

 慎也は庭に落ちていたレンガを持ち上げて、玄関のガラス戸を割った。 

 ガシャーン!

 あたりに大きな音が響いた。

 隙間から手を入れて玄関を開け、靴も脱がずに二人で室内に入る。

「裕樹! 裕樹!」

 どうか無事でいてくれと二人とも心から願った。それなのに。

 暗い部屋。かび臭い空気。仏壇の前。

 そこに裕樹は倒れていた。紙吹雪のようになった修斗からの手紙を枕にして。

 真治は裕樹に駆け寄り、状態を確認する。

 車内で示し合わせていた通り、慎也はすぐに自分の勤務先に電話をかけて出動要請をした。

 真治は近くに落ちていた薬のシートから、睡眠薬を多量摂取したことを知る。少しでも裕樹が眠れるようにと、真治が先日処方した薬は、全て裕樹の胃の中に収まってしまっているようだ。

 真治は正明に電話をし、状態を伝える。正明は「分かった」と言って電話を切った。そうこうしているうちに救急車のサイレンが聞こえた。

「裕樹、頑張ってくれ」と真治は呟いた。裕樹がすでに頑張り続けてきたことは、そばで見ている真治が一番よく知っている。充分過ぎるほど頑張っている。けれど。まだ、頑張ってくれと真治は願った。大切な友人をこんな風に失いたくない。幸せになってくれることを、心から願っているのに。



 裕樹が診療所に運びこまれ、真治と正明は処置室に入っていった。慎也は待合室のソファーに座り、ただ一人で待っていることしか出来なかった。拳を握りしめ、奥歯をぎりりと鳴らした。

 その頭の中には、裕樹の父の最期が浮かんでいた。父の後を追おうとした裕樹。自らの手で、自らの生涯を終わらせようとした裕樹。

 自分が追い詰めたのだろうか。ならばただ黙って見守るべきだったのか。裕樹の人生を左右する大事な決断を、自分は焦らせてしまったのだろうか。

 裕樹が枕にしていたのは修斗からの手紙だと真治から聞いた。その手紙を抱えていたのは誰に対するどんな心境からなのだろう。

 考えても考えても答えは出ない。ただただ、助かってくれと処置室の扉を見つめることしか出来ない。

ここで裕樹が助からなかったら、と考えて背筋が冷えた。自分の本当に救いたいものを失ってしまう。それは想像しただけでこんなにも恐ろしい。

頼む。間にあってくれと願った。生きて欲しい。裕樹には生きて幸せになって欲しい。

 時計の針のちっ、ちっ、という音がやたらと響く。けれど音だけで、針はちっとも前に進まない。こんな風に眠れない夜を、裕樹は毎日過ごしていたのだろうか。俺に出来ることなんて何もないのか。慎也は己の無力さを呪った。

 処置室から真治が泣き笑いの顔で出てきて、頷いて見せたとき、確かに慎也のときは止まった。

 本当に、良かったと、心から思った。ようやく呼吸が出来たようなそんな錯覚の中で、鼻の頭がつんとした。

 

 裕樹が目を開けたとき、真治と慎也は泣いて喜んだ。

 もう裕樹を追い詰めるのはやめようとお互い固く誓った。

 慎也は、自分が裕樹にしたことの償いをしていこうと思っていた。

 裕樹の人生は、裕樹が決めることである。修斗と裕樹の関係も、裕樹が一番悩んでいるに決まっているのに、自分は年下の頼りない裕樹の役割を押し付け、決め付けて、裕樹の言葉をしっかりと受け止めていなかった。自分の正解が、裕樹の正解であるべきだと思ってしまっていた。

 裕樹がどのような選択をしようとも、これからはそばで見守ろう。慎也はそう考えを改めた。

 余計なことを言う必要はないのだ。ただ、困ったときに手を差し伸べられる距離感でそばにいるだけでいいのだ。

 裕樹の人生の主役は裕樹だと、そんな当たり前のことを思い知った。

 慎也は家に帰るために、駐車場に乱暴に停まっている自分の車に乗り込んだ。泣き腫らした目に朝日は眩しくて、頭も痛い。けれど日差しは容赦なく、誰にも分け隔てなく照り付ける。

 裕樹の目が覚めたら全力で詫びよう、と朝日を見て思った。

慎也は自分の手のひらを広げて、握った。消防隊員としては、多くの命を救った手。けれど、友人の命も取りこぼしそうになった無力な手。これからは、大切なものを決して落とさないように。

 もう一度手の平を広げて、握った。

 慎也はもう一度、裕樹が入院している診療所を振り返った。




 朝から生憎の天気で、どんよりと暑い雲が太陽を覆い隠していた。

 裕樹は指定した駅前のスーパーの駐車場に車を停めて、待っていた。こんなに遠出をしたのは久しぶりだなと思った。

 自分の暮らす村の最寄り駅ではなく、少しだけ電車の本数が多い、電車で三駅分離れた地だった。最寄り駅には一日二本しか電車が来ないから、乗り換えも出来るこの駅は裕樹にとって大都会で、その派手さがいっそう不安を掻き立てた。

 新幹線から乗り換えて、そろそろ修斗がこの駅に着くはずだった。久々に兄と対面すると思うと、緊張してしまう。

 車から降りて駅のロータリーに立つ。交番のお巡りさんが自分を見ている気がした。どこかおかしいところはないだろうかと自分の出立ちを確認する。人通りが多く、誰も彼もが自分を見ているような気がして、心臓がばくばくと大きな音を響かせて、額にも冷や汗が伝う。

「裕樹!」

 名前を呼ばれてそちらを向くと、懐かしい兄の顔がそこにあった。十年も経っているのに、すぐに分かった。これが血の繋がりなのだろうか。

「おかえり」

 裕樹はそう言うだけで精一杯だった。先を歩いて車へ向かい、助手席に乗るように促した。

「お前の助手席に、乗る時がくるなんてなあ」

 修斗は嬉しそうに目を輝かせた。裕樹は黙って運転をした。修斗はそれから

は裕樹に話しかけることはなく、黙って窓の外を眩しそうに見ていた。

 古ぼけたアパートの前に、車を停める。裕樹は後部座席から紙袋を手に取り、ポケットに鍵があることを確認して、ぎしぎしとアパートの階段を登り、二階の部屋の前に立った。

 鍵を開け、室内に入る。1Kの部屋には家具も家電もない。布団だけが部屋にぽつんと置かれていた。

「兄貴、これ、鍵」

 裕樹は先ほど玄関を開けた鍵を修斗に手渡した。

「うん」

 修斗は素直に受け取った。

「それと、少ないけど生活費」

 裕樹は紙袋からペラペラの封筒を手渡した。

「ありがとう」

 修斗は何か言いたそうな顔をしながらも、とりあえずお礼を言った。

「で、この中にスマホが入ってる。俺の連絡先も、登録してある」

「ああ、うん」

 紙袋ごと、修斗に差し出した。さすがに修斗は困ったような顔をしている。

「兄貴、あのね」

 裕樹は修斗に先に何か言われるのが怖くて、焦って話を切り出した。

「俺、兄貴とは一緒に暮らせない」

 言ってしまった、と思った。けれどもう引き返せない。自分を奮い立たせて、心臓をドキドキさせながら、裕樹は続けた。

「兄貴が村に戻ってきても、居場所がない。俺は兄貴を支えられるだけの余裕がない。だから、別々に暮らそう。兄貴にはここで新しい生活を始めて欲しい」

 この部屋は、慎也の口利きで借りたものだ。スマホを契約する時は、真治に付き添ってもらった。二人とも、全然何も分からない裕樹を馬鹿にしたりせずに、何度も一緒に付き合ってくれた。

「兄貴がここで新生活を始めることが大変なのは分かってる。でも、俺もね、今まで本当に大変だったんだ。俺の人生は、兄貴が捕まって、変わったんだ。兄貴が罪を償ったのは、被害者に対してだよね? 俺はなにも保障されてない。だけど俺は兄貴を見捨てる事は出来ない。だって、俺の兄貴はこの世に一人しかいないから」

 修斗は黙って聞いている。裕樹は唾を飲み込んで、話を続ける。

「三ヶ月分の家賃は前払いしてある。俺も時々遊びに来る、と、思う。兄貴は自分で仕事を探して、稼いで、そしてこれからの自分を築いていけばいい。もう大人だから本当なら別々に家庭を持っててもおかしくないもんね」

 修斗は頷いて、力なく言った。

「仕事、あるかな」

 裕樹はかっとなって、先ほどより大きな声で言った。

「そんなの、自分で探すんだよ。俺だって、兄貴のせいで仕事無くしたこともあるよ。だけど、俺は、俺はさ……」

裕樹はとうとう泣いてしまった。

 修斗は裕樹に 

「ごめん、ごめんな……」と言って、一緒に泣いた。

 裕樹が去るとき、修斗は言った。

「俺、頑張るから。だから仏壇に、線香をあげておいてくれないか」

 裕樹は答えた。

「俺は毎日あげてるよ。兄貴の分は、兄貴が自分であげればいいよ。これからは、それが出来るんだから」

 裕樹は帰りの車内で、泣いた。

 これで良い。これしかないんだと何度も呟く。

『かえで』に、真治と慎也が待っている。裕樹は涙で滲む視界と戦いながら、前を向いてアクセルを踏んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る