それぞれのある夏の一日

 原田薫子はらだかおるこは、お墓参りに行く。


 診療所は今日、夏季休暇中のプレートを下げて消灯している。毎年この日は小野島診療所の夏季休暇で、薫子の短い夏休みの初日である。

 庭に出て、背中に朝の日差しを浴びながらひまわりをいくつかを選んで切り取り、新聞紙で包んで束にする。それを自分の車の後部席に乗せて、自身も運転席に乗り込む。サングラスをかけて、車を発進させる。 

 向かう先は呑み処『かえで』である。もちろん飲みに行く訳ではなく、そこに店舗兼住居を構える山下楓やましたかえでと待ち合わせをしているのだ。

毎年改まって確認することはなくても、楓は必ず朝の九時には店の前の道路に立って待っている。

 薫子も、その時間には必ず着くように家を出ることにしている。

「おはよう」

 助手席に乗り込む楓の額には汗が光っていたので、薫子は車内のクーラーの風量を少し強くしながら、返事をした。

「おはよう。一年て早いねえ」

「本当、一年て早いねえ」

 楓の顔が浮腫んでいることに気付き、相変わらず店は繁盛しているのだろうなと薫子は微笑んだ。陽気な楓はいつも薫子の気持ちを明るくしてくれる。きっと『かえで』に訪れる客達も、薫子と同じように楓に元気をもらっているんだろう。接客業は楓の転職だよなあと改めて思う。

 そんな楓も、今日は窓の外を見つめて考えごとをしていた。薫子も色々と思うことがあったので、二人とも特にそれ以上の会話をすることはなかった。無言の空気を圧力と感じるようなよそよそしい関係ではないから、薫子は黙って目的地まで車を走らせた。

 駐車場に車をとめて、ひまわりを抱えて石造の階段を登る。いくつも建ち並ぶ同じような墓石の中を歩き、そのうちの一つの前で二人とも立ち止まる。

 薫子はひまわりを供える。楓は少しだけお墓の周りのゴミ拾いをする。とは言っても、このお墓が荒れていたことなど、過去に一度もない。あくまで気持ちの問題だ。

 二人で顔を見合わせて頷いてから、一人ずつ線香をあげて、目を閉じ、手を合わせる。

『小野島家の墓』と書かれているここに眠る、今は亡き親友、小野島晴子へ想いを馳せて。


          *

 小野島真治はお墓参りに行く。


 今日は亡き母晴子の命日だ。もう何回目になるだろうかと少し考えて、切なくなってやめた。

 車に乗り、近くの花屋に寄ってひまわりの花を一輪だけ買った。晴子はひまわりが好きだったから、喜んでくれるかなと少しだけその花を見つめて、花屋を後にした。

 太陽はもう真上に登り切って、ギラギラとその存在を主張していた。車内の温度は上がり、ハンドルも陽の光を存分に浴びて熱を持ち、火傷しそうなほどだった。クーラーを効かせて窓を全開にし、風を浴びて車を走らせた。汗が冷えて心地良かった。

 ようやく汗がひいたときにはもう駐車場に到着したところで、エンジンを切って車を降りる。目を細めながら『小野島家の墓』の前にたどり着いたときには、真治はもう汗だくだった。

 今日も綺麗にそびえる『小野島家の墓』には、既に大きなひまわりが飾られていた。そこに先ほど買ってきたひまわりを追加する。豪華になった墓前に一人頷いて、しゃがんで線香をあげてから、手を合わせて目を閉じる。

 そのまましばらく、そうしていた。夏の日差しは、そんな真治を照らしていた。



          *

 小野島正明はお墓参りに行く。


 夜、といっても夏の日は長いのであたりはまだ暗闇とは程遠い。日中の陽光の余韻を感じさせる蒸し暑さに顔をしかめて、正明は家を出た。

 途中、花屋に予約してあったひまわりを受け取って、通い慣れた道を車で走る。もわっとした空気が正明の全身にまとわりつく。

 車から降りてからは早足だった。

 たどり着いた『小野島家の墓』をひと撫でし、正明はもうスペースもないのに無理矢理ひまわりを飾る。その豪華さは、墓地の雰囲気に見合わぬ明るさを演出していて、薄暗がりの中でもよく目立った。

 くすっと笑うと、ゆっくり線香に火をつけ、手を合わせた。

 もう誰も来ない、墓参りに適さない時間。この時間なら、一人でゆっくり過ごすことが出来るのだ。

 何年経っても、何十年経っても、正明はここに一人で来ると決めていた。

 愛する女とのデートを、誰にも邪魔されたくないんだよ。なあ、晴子。

 手を合わせて心の中でゆっくりと話しかける。

 何回来ても、何十回、何百回来ても、正明が晴子に伝えたいことは、尽きることがない。


 今日は小野島晴子の命日。

 正明は、墓前でいつまでも晴子と語り合っていた。

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