7
ビクリと体が動いて目を覚ました。今、夢に出てきていたのは守本で、しかも昨日脱衣所で見た守本だった。
バスは東京へ向けて走っている。窓の外は吹雪いていて、景色は見えない。隣では最高に調子の悪そうな常松が寝ている。僕の寝起きには気づかなかったようだ。
「昨日はほんとにすみませんでした……」
朝のロビーでソファに座っている僕を見つけると小走りで駆け寄ってきて、開口一番謝ってきた。僕も昨日は酔っ払っていたのではっきりと覚えておらず、「え? あ、いいよいいよ」と答えたが、常松は申し訳なさそうに
「奈須さんと交流できました?」
と聞いてきた。昨日のことは、常松なりに気を使ってくれていたらしく、奈須と親睦を深められたかが気になっていたらしい。
「まあ、多少は、かな」
そう答えると、突っ立っていた常松は僕の隣に座る。
「それならよかったです。仕事だと最近いつもピリピリしてましたもんね」
「仕事だとお互い譲らないところとかあるしなあ。昨日会話した感じだと普通に接してくれてたから、ほっとはしたよ。常松もいろいろ配慮してくれてありがとな」
こころなしか、ぐったりしていた常松の顔に少し笑みが戻った気がした。
「門前も部屋割りとか協力してくれたんですよ! あ、門前には奈須さんと仙川さんが交流するためって伝えちゃいました……。だめでしたかね。でも、大丈夫です、あの子は口が堅いんで」
話しながらどんどん声のトーンが落ちていく。善意でやってくれたのはわかっている。
「え、そうだったんだ。どうりで同じ部屋だったから偶然だなって思ったんだよ。あとでお礼言わなきゃ」
そう言ったものの、他部署の人間に自分が後輩とうまくいってないことを知られたと思うと、少しもやっとしたのも事実だった。
隣で寝息を立てている常松と同じように、車内ではほとんどの人間が眠っているようで、昨日の大騒ぎとは打って変わり、咳一つするのにも気を使うくらいだった。僕も昨日の夜はずっと寝付けなかったので、乗車してからさっきまでは寝ていた。どうしても考えてしまうからだ。エレベーターで守本が言ったことはどういう意味だったのか。スマホを取り出してメッセージを送る。相手は古橋だ。今夜は暇かと聞くと、暇だよ、と返ってきた。こういうときの古橋のフットワークの軽さは本当に心強い。持つべきものはカミングアウト済みの女友達だ。バスは高速道路に乗ったようで、ほどよい振動が眠気を誘う。もう一度眠ることにした。
いつもの店に着くと、ワイン片手にパソコンを広げる古橋がいた。店員さんに待ち合わせであることを告げて席へ行くと
「お・そ・い・よー」
と強調して叱られてしまった。途中高速の渋滞が思ったよりもひどくて、約束の時間を30分過ぎていた。
「ごめん、これどうぞ」
サービスエリアで買いこんできた酒の肴になりそうな土産を渡すと、
「え、なにこんなにくれんの?」
一瞬で機嫌が直ったようだ。テーブルにはすでに赤ワインのボトルが置かれていたのでグラスだけをもらってそれを飲むことにした。
「で、今日はなにがあったのかな?」
パソコンを鞄にしまうとテーブルにメニューを広げながら古橋が言う。
「守本のことなんだけどさ」
一瞬こちらへ視線を向けると、メニューをめくる。
「守本ってあのイケメンの守本くん?」
前菜のページで手を止めた。
「そう、あのイケメンの守本くんにさ、好きって言われたんだけど、どう思う?」
「は?」
バシンと置かれたメニューの風圧が顔に届いた。グラスのワインが揺れている。
「ちょっと待って、頼んでから聞く」
店員さんを呼ぶと古橋はテキパキといくつかの料理を注文し、僕と自分のグラスにワインを注いだ後、テーブルの上に手を組んで
「は?」
ともう一度言った。こういうリアクションは正直予想していなかったので、自分でもなんだか馬鹿馬鹿しいことを口にしてしまった気がして、喉が渇いてきた。ワインを一口含む。
「えーと、守本が好きって言ってました」
「誰を」
「えー、僕を、です」
「それで、どうするの?」
「どうするの? って、どうもしないけど、そういうことがあったよっていう世間話……?」
眉間にしわを寄せながらグラスを傾ける古橋は明らかに怒っている。
「なんで、怒ってんの?」
「怒ってないよ? ただ、奥住くんのことはどうするの」
「どうするって、いや、別に守本に告白されたわけじゃないよ?」
「は?」
料理が運ばれてきたが、店員さんも古橋にただならぬ気配を察したのか、料理の説明はせずに去っていった。
「ちょっと待って、好きって言われたっていうのは?」
「それは、社員旅行のエレベーターで……」
あの時の様子を説明した。守本の言葉に何もリアクションができず、女性社員含む四人で気まずい沈黙を過ごしたことを。
「それは守本くんの冗談じゃなくて?」
「いや、僕もそう思うんだよ。だからこう、古橋に話して意見を聞こうかなって思ってさ」
そう言って、はははと笑ってみたが、自分でもわかるほどぎこちなく、小学校のころ先生に叱られていた時のような気分になってきた。
「でも、もし本気だったらどうなの?」
なんだか胸が詰まったような息苦しさを感じる。
「いや、本気なわけないよ、守本はゲイじゃないよきっと」
それを聞いた古橋の身体からすっと力がぬけたように見えた。表情から険しさがなくなって、ワインを飲むと、
「仙川くんさあ、感情がすごく顔に出てるって自覚ある?」
とのぞき込むようにして言った。
「え、そうかな、別に今普通だけど……?」
全然普通ではない。
「今じゃなくて、守本くんの話をするときの仙川くんの目、すごいキラキラしてるよ」
「え?」
「もし、守本くんのこと好きなんだったら、私はいいと思う。応援したいけどさ、その前に奥住くんとのこと、きちんとけじめ付けた方がいいと思う、これは友人としての意見」
思っていたより真剣な話になってきてしまった。というか僕は守本のことを好きなのだろうか。これまでの経緯を思い出すように考えていると古橋が続ける。
「ここのところさ、仙川くんと会って奥住くんの話すると、すごい辛そうだったし、正直うまくいってないんだろうと思ってた」
それは本当だ。
「でもちょっと考えてみて、私、今彼氏いないけどさ、彼氏がいたとして、付き合ってる人がいるのに、年下の男子に告られちゃったんだけど~って言って来たらどう思う?」
「まあ、ちょっと」
と僕が言いかけると
「引くよね」
と古橋。バッサリだ。
「で、私は、仙川くんはそういうタイプの人間じゃないと思ってる。にもかかわらず仙川くんがそういう浮かれた感じのこと言っちゃうのはさ」
そう言われると、浮かれていたのは否めない。
「結局、守本くんの〝好き〟はどうせ異性愛者が言ってる冗談に違いないって思ってるから、笑い話みたいに話してるんだと思うの」
「まあ、そうかも……。冗談だったんだろうと思うよ」
「でもさ、仙川くんはもう絶対守本くんのこと好きじゃん。だから私としては守本くんが言った〝好き〟が冗談だったとしたら、それにも腹が立つわけ」
そう言ってワインをぐっと飲み干すと手酌する。
「だってさ、例えば守本くんが女子だとして、仙川くんに好きです、なんて同僚がいる前で言わないでしょ? そりゃ仙川くんがゲイだって会社の人は知らないんだろうけど、守本くんが言った言葉がもし冗談だったら、仙川くんにとっては結構残酷よね」
僕の取り皿に、料理を次から次に料理を乗せてくる、かろうじてまだ冷え切ってはいないと思うがさっきまで立ち上っていた湯気はもう見えない。自分の取り皿にも料理をガシガシ取り分けて空にした皿を端に寄せると、ちょうど別の料理が運ばれてきた。
「食べよう」
そう促されるままに料理を口にした。遅めの昼ご飯をサービスエリアのうどんで済ませただけだったので、待ってましたと言わんばかりにお腹が鳴った。
「だからさ、なんかそういう意味でもイラっときたっていうか」
やっぱり怒っていたみたいだ。
「最初は、彼氏がいるのに後輩に好きって言われて浮かれてる仙川くんにどうしちゃったの? って気持ちだったんだけど、詳細を聞いた今は守本くんに少し腹が立ってて、でも別に守本くんも悪気があったわけじゃないだろうから、だったら私のこの怒りは何? って感じ」
二つのグラスにワインが注がれる。空になったので同じものを頼んだ。
「好きな気持ちを、冗談みたいに扱うことに慣れちゃだめだよ」
目を見て言われると、なんだか胸を突き抜けて背中のあたりにズンと響くような気がした。
「守本くんのこと好きなんだったらさ、私は応援するからさ」
「いや、どうなのかな~、好きなのかな?」
沈黙が訪れる。古橋は相槌も打たずワインを飲んでいる。
「あ、ごめん、好きだと思います」
うんうん、と頷く古橋を見ながら、自分で自分が発した言葉に体が少し震えていた。
「でも私も守本くん会ってみたいなー、今度飲むとき連れてきなよ」
「それはさすがに、いろいろ気まずいだろ」
「ややこしいよねえ、その辺。私もうっかりしちゃうかもだし、無理か」
「気を使わせるのも悪いしな」
「私は全然気にしないんだけどね」
そう言われると、いろんなことを気にしているのは自分だけな気もした。
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