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 昼休みはまだあと半分残っているが、これ以上は冷たい風に耐えられそうもないのでベンチから立ち上がる。何度か会う約束を取り付けようとしたがことごとく断られたので、今電話で話をした。スマホに表示された通話時間を見ると5分にも満たない。あまり別れ話に慣れているわけでもないので、ショックを受けるかとも思ったが意外と平気だった。向こうはまったく気にする様子もなく、なんの後腐れもない綺麗な終わりだった。

 ベンチがある広場には大きなクリスマスツリーが飾り立てられていて、今の別れとともに僕の人生と完全に無関係な存在に思えてくる。クリスマスに一緒に出かけたのなんて最初の1、2年だけだったけど。雪こそ降っていないものの、曇り空に吹きすさぶ風が容赦なくコートの繊維を突き抜けてくる。急いでオフィスに戻ろうと早歩きした。

 ビルの一階にあるカフェで温かいコーヒーを買って帰ろうと立ち寄ったら、いつもの三人がいた。

「あ、仙川さんだ、お疲れさまです」

門前さんがこちらに気づいて会釈してきたので、手を振って「お疲れ」と返しながら後ろに並んだ。隣に居た寺脇さんも微笑みながら小刻みに会釈している。寺脇さんは口数が少ないタイプでのようだがいつも微笑んでいて落ち着く。常松はレジで何かを注文しているようだった。

「今日めちゃくちゃ寒いね、風がやばい」

コーヒーのサイズをどれにするか考えながら世間話すると

「どこか行ってたんですか?」

と門前さんに聞かれた。すると、寺脇さんが「あっ」と声を発したので二人で彼女を見ると、

「あ、いや、もしかしてクリスマスツリー見に行ってましたか?」

そう言いながら視線は僕の手に握られている羽根に向いている。

「ツリーの下で募金活動やってますよね、その羽根かなあって」

確かにクリスマスツリーの前で募金活動をしている人たちがいて、なんだか人に優しくしたい気分だった僕は、普段はしない募金をしたのだった。羽根はその時にもらったものだ。

「えー、そうなんだ、私知らなかった」

門前さんが感心しながら僕の手と寺脇さんを交互に見ている。

「こないだ私もツリー見に行ったの。その時も募金活動してたから少しだけど募金したの」

「偉いじゃん寺脇~」

レジの順番が来たので門前さんは寺脇さんを褒めながら離れていった。

「クリスマスツリー綺麗だよね」

羽を上着のポケットにしまいながら話しかけると、寺脇さんはニコリとする。

「はい、綺麗ですよね。飾りつけも毎年違うテーマがあるらしいですよ」

「え、そうなの? 気づかなかった」

すると寺脇さんは自分のスマホを操作して画面を見せてくれた。

「これが去年のツリーです。今年と違ってピンクがたくさん使われてて、かわいいですよね」

 画面をスワイプして一昨年のも見せてくれた。その時常松の注文が終わったようで、寺脇さんの番になった。急にレジに呼ばれたことに慌てたのか、スマホをバッグにしまおうとして僕の足元に落としてしまったので、反射的に拾ってしまった。見るつもりはなかったのだけど、画面にはツリーの前に立っている男女の姿が写っていた。寺脇さんはスマホを受け取ると何度も僕に会釈しながら、レジへ向かって行った。常松が僕に気づいたようで手を振っている。間もなく僕もレジに呼ばれたのでコーヒーを注文した。

 オフィスに戻るとすぐにミーティングだったので、コーヒーを持ったまま奈須や常松と一緒に会議室へ向かった。常松はベリーとチョコレートとホイップクリームが山盛りに乗ったものを飲んでいて、いったい何キロカロリーあるのかと少し恐ろしかったが、それよりこんなものを飲んでいてもスタイルを維持している常松はいったいどんな努力をしているのかが気になった。このミーティングは件のクラウド移行に関するもので、今日は僕たち以外に開発と営業がそれぞれ参加していた。午後すぐの時間で眠そうにしている人がちらほらいる。隣の奈須も眉間を抑えたり目の周りをマッサージしたりしていて、きっと眠いのだと思う。今、スクリーンには開発部門の説明が映し出されていて、話しているのは守本だ。

 じっと守本の顔を見ていると、こんな顔だっただろうかと思えてきた。短くてきちんとセットされた髪の毛、眉毛はまっすぐに伸びていて、大きな目は、奥二重なのか、でもわりとパキっとしてる時もある気もするし、鼻筋は通っていて唇は暑くもなく薄くもなく、見れば見るほどこの顔で合ってたかどうかがわからなくなってきた。さっき寺脇さんのスマホに写っていたのは、守本だった気がするからだ。写真の人物は髪が長かったので目元がよくわからなかったけど、というか一瞬しか見ていないのもあるし、見間違いかもしれないけれど、

「仙川さん?」

名前を呼ばれた。守本に。

「え、はい?」

「仙川さん、なにか不明な点、ありましたか?」

なんとなく室内の注目が僕に向いている気がする。プレゼンが中断されたことに反応したのか、隣で舟を漕いでいた奈須がびくっとして姿勢を正した。

「あ、いえ、特にありません」

僕がそう答えると

「そうですか、じゃあ続けますね」

笑顔を見せて説明を再開した。ずっと見ていたから質問があると思われたのかもしれない。あの写真、いったい誰なんだろう。絶対守本だと思うのだけど。けれど心に引っかかっているのは、あれが誰かということではなくて、どうして寺脇さんと守本が二人で写っていたのか、ということだ。

 ミーティングは1時間を少し過ぎるくらいで終わり、その後は自席に戻って数時間、仕事をしていたが、身が入らない。パーティションがあるので、座っていると近くを通る人も頭くらいしか見えないのだけど、さっき守本が通りかかったときは視界の端から端まで追ってしまった。守本は身長が高いので通りすがりでも判別できる。目が合わなくてよかった。自分はこんなに集中力のない人間だっただろうかと自己嫌悪に陥っていると、右斜め後ろに気配を感じた。

「仙川さん、ところで忘年会どうします?」

椅子をめいっぱい倒して常松がこちらを見ている。

「いつも仙川さん社員旅行来ないから、忘年会してましたけど、今年仙川さん旅行来てたしどうするかなって思って。今ふと思ったんですけど、もうお店取れないかも」

そうだった。毎年忘年会、といっても奈須と常松と三人で飲む機会があるのだけど、今年は確かに旅行にも行ったし、やらなくてもいいかもしれない。というか考えてみれば常松も奈須も毎年旅行には参加しているし、いままで自分のために気を使ってくれていたのだと思うと申し訳ない気がしてきた。

「あー、確かに、じゃあ今年はなしでもいいか」

「えー、なしですか?」

パーティションの向こうから奈須が割り込んでくる。

「いいじゃないですか、毎年やってんだからやりましょうよ。チーム三人でゆっくり話す機会あんまないですし」

意外な言葉だった。奈須がチームのことを考えてくれているとは思っていなかったので、率直にうれしかった。

「そうだな……、んじゃやろうか」

僕がそう返事をすると、常松が

「じゃあ、私お店探しときますね! 決まったら連絡します」

と手配を引き受けてくれた。

「ありがとう、常松」

そう言うと奈須も「サンキューな、助かる」と言っていた。

 少し残業をして会社を出ると広場のクリスマスツリーがライトアップされているのが見える。そういえば、とコートのポケットからスマホを取り出し、別れたことを古橋に伝えると、また飲みに行こう、と励ましてくれた。とは言え、僕自身はまったく感傷的ではなかった。恋愛に区切りをつけて、仕事では信頼している同僚がいて、肌を刺すような風も、オフィスの暖房で火照った顔には心地よいくらいで、とても清々しい気分で家路についた。

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