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3台連なるバスの2台目の車窓から、知らない田舎町の風景を眺めている。長い道程も目的地に着くまでは、ただの山だったり川だったり、海だったりでしかなく、そこでは地元の人々が毎日の営みを続けていて、人生で一度も言葉を交わさない人たちが、自販機で飲み物を買っていたり、コンビニの前にたむろっていたり、二人乗りして河原沿いの土手を走っていたりする。それを見るのが好きだ。結露している窓を拭いてまで外を眺めているのは僕くらいで、皆がやがやと会話している。

というわけで、社員旅行に来ている。毎年、忘年会を兼ねた社員旅行が催されていて、師走の忙しい時期にもかかわらず、ほとんどの社員が参加するのが不思議だ。そういう意味では雰囲気のいい会社なのかもしれない。たぶん、全額会社持ちだからというのもある。ただ、僕は基本参加しない。別に強制じゃないからだ。去年はうちの部署が幹事だったので、仕方なく参加したがそれ以外は入社1年目に参加しただけだった。

「……ん、……さん」

何か声が聞こえたと思ったら、目の前にチョコレートの箱が差し出された。マカデミアナッツが入っているやつだ。イヤホンを取って右側をみると、隣に座っている常松だった。

「仙川さん、チョコレート食べます?」

ありがとう、と言って一粒もらう。常松はニコリと笑ってから、自分も一粒取って、通路の向こう側にいる寺脇さんにチョコレートを渡した。寺脇さんからのようなので、会釈すると、寺脇さんはいえいえ、という感じで手を顔の前でブンブン振った。

「何か面白いものあります?」

結露が拭かれた部分を見ながら常松が言う。

「いや、風景は普通の田舎って感じだけど、うっすら雪積もってるのと、あと曇ってるからか寒々しくて、寒村感出てていかも」

「カンソンカン?」

「あ、寒い村な感じ?」

「ああ、そういう意味ですね。そういう言葉あるんですね」

「いや、ないと思う、適当」

あはは、と笑いながら常松が窓に顔を近づけて外を眺めるので、僕は後頭部から腰まで背もたれにぴったり体を張り付けた。いい匂いするな、と思った。

「雪降ったらさらにカンソンカン出そうですね」

自分の席に戻りながら言う。

「そうだね、降るかもね」

高速道路を降りてからもうすぐ1時間経つ。歓迎と書かれた大きな看板を通り過ぎると徐々に温泉地らしい景色になってきて、目的地の温泉旅館が見えてきた。

 フロントで部屋分けの通りグループに分かれて鍵を受け取る。幹事が宴会の時間を念押しするように、各グループに声掛けしているが、皆浮かれていて上の空だ。バスの中ですでにできあがっていた人もいるようで、酔っ払ったらお風呂には絶対に入らないでください! と釘を刺されていた。

 自分に合ったサイズの浴衣を選ぶらしく、浴衣置き場の170センチ、と書かれた棚で少し迷った。色が2種類ある。緑もしくは紺の、ほぼ似たような和風の柄だったが、紺の方が落ち着いた印象で好みだったので、手を伸ばしたところ、

「緑の方が似合うと思いますね」

と声をかけられた。隣にある180センチの棚の前に守本が立っていた。僕は朝、集合時間より早めにバス乗り場に着いて、待機していたバスにそのまま乗ったので、今日はこれが最初の遭遇だった。技術部は3台目のバスだったはずだ。

「あー、そう思う?」

伸ばした手が空中で行き場をなくしている。

「絶対そうです、仙川さんは緑の方が似合ってますよ」

「んじゃあ、そうしようかな」

と流されるまま緑の方を手に取った。

「部屋どこですか? 俺は510です」

「ああ、えっと」

手に握っていた鍵を見た。カードキーではなくプラスチックの棒に部屋番号が刻まれた、昔ながらの鍵。

「503」

と答えると、お、同じ階ですね。と返ってきた。

「そういえば、奈須見なかった? 部屋割り同じなんだよね」

「奈須さん、さっき喫煙所に居ましたけど……、あ、ほら、あそこにいますよ」

喫煙所から出てくる奈須が見える。こちらが見ていたからか、気づいたようで、小走りで近づいてきた。

「すいません、もしかしてお待たせしてました?」

「いや、ちょうど浴衣選んでたとこ。あと今西さんと、関山さんが同じ部屋のはずだけど……」

辺りを見回すが、姿がない。気づいたら皆すでに部屋に向かってしまったようで、知らない団体旅行の宿泊客でロビーは入れ替わっていた。すると浴衣を選んでいる奈須に代わって守本が、

「あ、そういえば、さっき喫煙所で聞いたんですけど、今西さんは奥さんがインフルになっちゃったらしくて、来てないらしいですよ。関山さんはバスの中で飲みすぎて体調崩したみたいで、幹事の部屋で寝てます」

と説明してくれた。内心、相部屋というのが嫌だったので、人数が減ってラッキーだなと思っていた。関山さんは戻ってくるかもしれないけど。奈須なら、まあ気心知れているしお互いに気を使わずに済みそうでほっとした。

「んじゃ、とりあえず荷物置いてひと息つくか」

奈須が浴衣を選び終えるのを待って2人に声をかけた。エレベーターで5階へ上がると、すでに浴衣に着替えた同僚たちが歩いていた。宴会の前に温泉に入るらしい。

「俺も先に入っとこうかな……」

奈須がつぶやく。

「それがいいかもな。奈須って結構すぐ酔っ払っちゃうから」

昔、飲み会の途中で寝てしまって全然起きないので家までタクシーで送っていったことがある。

「え、奈須さんお酒弱いんだ、意外」

それを聞いた奈須が何か思いだすようにちらりとこちらを見て、

「うん、飲むのは嫌いじゃないんだけど、あんま体質に合ってないぽいんだよな。そうだ、お前も風呂行く?」

と話を変えた。守本は立ち止まってから少し考えて、

「そうですね、そうします」

と答えた。気づいたら503号室の前に来ていた。

「そっか、んじゃエレベーターの前集合な。またあとで」

守本がニコニコしながら手を振って廊下の奥へ歩いて行った。鍵を開けて部屋に入り、荷物を置く。12畳くらいの和室で、広縁に椅子が2つ、向かい合わせに据えてあって、大きめの窓の向こうには雪を被った山が見えている。窓に近づいて外を見ると、下には川が流れていて、窓の近くに見えていた木が思っていたよりも大きいことに気づいた。

「結構いい部屋ですね」

奈須が着替えの準備をしながら言う。確かに清潔で広いし、全体的には普通の和室だが、凝った造りの障子と、琉球畳がなんとなくお洒落な感じを醸し出している。

「去年の部屋よりもいいかも。今年の幹事頑張ったんだな」

広縁の椅子から外を眺める。枝に積もった雪が落ちそうで落ちない。

「今年の幹事は営業だから、きっと俺らが使えない力を持ってるんですよ」

そう言うと、着替え一式を持った奈須がこちらを見て

「あれ、行かないんですか」

と言う。僕は行かないと決めていたので、

「ああ、うん、あとでゆっくり入るよ」

と伝えると、おっけーです、と言って部屋を出ていった。

 一人になった部屋で、とりあえず座卓に備えてあった急須でお茶を淹れた。時計を見ると宴会まではあと1時間ある。

「温泉入りたいなあ……」

お茶菓子を食べながら思わずつぶやいてしまった。整髪料を早く洗い流したいし、酒を飲んだ後で風呂に入るのも面倒だ。もし一人で旅行に来ていたら、到着後、即温泉へ向かっていたところだが、同僚とは一緒に風呂に入りたくない。別に同僚の裸を観察するつもりなんてまったくないけど、万が一ゲイであることがバレたら、あとで面倒なことになるかもしれない、なんてことをつい考えてしまう。そもそもこの社員旅行もできれば相部屋じゃなくて、ビジネスホテルみたいに全員個室だったらいいのにと思う。

暇だったので旅館案内の冊子を見ていると、別館にも温泉があった。渡り廊下で繋がっていると書いてあったので、広縁へ行き、窓の外を確かめると、川を挟んで向かいの建物が別館のようだ。おそらく、わざわざ別館の浴場へ行く人はいないだろうと思ったので、とりあえず着替えの仕度をして、部屋を出た。

 別館の浴場には案の定、知っている顔はなかった。というか、ほとんど人がおらず、ほぼ貸し切りだった。内湯に入った後、露天風呂に出てみると、外気が身に沁みる。端のほうに小さな看板があって、〝仙湯〟と書いてあった。寒さに耐えつつ近づいて見ると茶色をした濁ったお湯で、硫黄の匂いがかなりキツい。さまざまな効能があるようで興味があったが、少し触ってみるとめちゃくちゃ熱かったので、入るのはやめて普通の露天風呂に浸かった。

辺りは静かで、川のせせらぎが聞こえる。バスに乗っていた時は曇っていた空が、遠くの山の方から夕焼けに照らされていて、淡い赤と、雪の白がなんだかおめでたい雰囲気だな、なんて考えていた。川沿いに生えている大木の位置から、自分の部屋を探したりして、貸し切り状態の露天風呂を満喫していると、あることに気づいた。部屋に鍵をかけてきてしまったのだ。このままだと奈須が閉め出されてしまうので、急いで風呂から出た。髪にドライヤーをあてようと思ったが、脱衣所の時計を見ると、結構のんびりしてしまっていたことに気づく。急いで浴衣を着て、速足で渡り廊下を抜けて歩いていると、本館大浴場の案内が見えたので、とりあえず奈須がいないか覗いてみることにした。

男湯の暖簾をくぐって脱衣所に入り、さっと見回したが奈須らしき人はいなかった。やっぱりもう部屋に戻ってるよなと思い、出ようとすると、浴場の引き戸が開く音がしたので反射的に振り返った。

「あれ、仙川さん」

出てきたのは守本だった。

「仙川さんあとで風呂入るらしいって奈須さん言ってたのに、やっぱ今から入るんですか?」

棚からバスタオルを取り出し、頭をガシガシ拭きながら近づいてきた。

「ん? でも髪の毛ビショビショじゃないですか、もう入った?」

困惑した表情の守本だったが、気が動転していた僕はとりあえず

「な、奈須は? 奈須はもう戻った?」

と聞くことしかできなかった。

「奈須さんまだいますよ、サウナと水風呂を行き来してます」

「そ、そうなんだ……」

ほっとしたんだか何だかわからない感情で脱衣所を出ようとすると、

「髪乾かさないと風邪ひきますよ!」

と、後ろから守本の声が聞こえたので、戻ってドライヤーで髪を乾かすことにした。下着を身に着けた守本も隣に立って髪を乾かし始めた。

「べ、別館の風呂に入ったんだ」

よく聞こえなかったのか、守本が鏡越しにこちらを見ながら顔を近づけてくる。

「別館にさ、仙湯ってのがあるって旅館案内に書いてあってさ、それが、仙人の仙にお湯、って書いてあったから、じ、自分の名前と似てるからちょっと興味あってさ……」

我ながら嘘がへたくそ過ぎてびっくりした。

「仙川 真一郎さん」

いきなり、フルネームを呼ばれてドキリとする。鏡越しに守本を見ると目が合った。

「の、〝仙〟が入ってるってことですね、で、どうでした? そのお湯は」

「いや、それがさ、硫黄の匂いがすごいのと、あと温度が熱すぎて、結局入らなかったよ。でも別館の浴場はすごい空いてて、露天風呂とか貸し切り状態だったし、夕焼けと雪のコントラストが綺麗だったよ」

嘘をついた後ろめたさを事実で塗り替えるように、つい饒舌になってしまった。

「えー、俺も別館行けばよかったな」

そういってニコニコしている守本は、なんだか少し残念そうな表情にも見えた。そのとき、浴場の引き戸が開いて、中から奈須が出てきた。こちらを見て不思議そうな顔をしている。

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