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土砂降りの夜だった。電車が混んでいて、少し遅れて店に着くと、古橋がスマホを見ながらワイングラスをつかんでいる。傘のしずくを振り払っていたら、向こうから手が挙がった。おそらく僕に向けてだったはずだが、店員さんが席に向かった。

「私さっきさあ、仙川くんに場所わかるようにって手挙げたら店員さん来ちゃったから、仕方なくボトル頼んどいた。あとオリーブとエビ。あせったわー」

僕が席に着くとそうやって状況説明をした。

「それ入り口から見てた、あ、店員さん行っちゃったって思って」

「ああいうときさあ、あるじゃん、人生で。自分に向かって手振ってると思ったら後ろの人だった、みたいなの。今私はそれを阻止できたと思う。あの店員さんの辛い記憶が作られるのを防げた」

「辛い記憶ってほどではないと思うけど、まあ、言いたいことはわかる」

さっきの店員さんがにこやかにボトルを持ってきて、説明してくれた。僕たちはよくわからないなりに、へー、とかそうなんですねー、とか相槌を打ちながら話を聞いて、グラスにワインを注いでもらった。店員さんは爽やかに去っていった。

「あの笑顔、私が守ったね。彼の笑顔に乾杯」

「よくわかんないけど乾杯」

僕たちが会うときは大体ワインを飲む。2人とも炭酸が好きじゃないのだ。そして古橋は遅刻することがない。大体先に来て1、2杯は摂取している。

「どう? 最近。奥住くんと楽しく過ごしてる?」

チーズをかじりながら言う。

「いや、あんまりうまくは言ってないと思う」

僕もチーズをかじりながら言う。

「またなんかあったの?」

「いや、むしろ何もないっていうか、しばらく会ってないから。忙しすぎるみたいで。」

「ケンカ?」

「ケンカもしてない、たぶん仕事に集中したいんだと思う。自然にフェードアウトしてこうとしてんじゃないかな?」

頭の中では何度も思い至ったことだったけど、実際言葉に出して見ると背中がぞわっとした。古橋はワインを口に含むと眉毛を上げて、何度も頷く。

「なるほどね、聞いてほしい話があるって言ってたから、そういうことかなとは思ってた」

愁いを帯びた様子の古橋を見て、誤解が生じていると思った。

「いや、違う、それじゃないんだ」

「え?」

拍子抜けした、という顔をしている。

「違うの? 客観的な意見が聞きたいって言ってたじゃん」

「うん、客観的な意見は聞きたいんだけど、その話じゃない」

「じゃあなんの話? てか奥住くんの話はいいの?」

「うん、それはたぶん、大丈夫」

「ほんとに~?」

芝居がかった表情で訝し気にこちらを見ている。

「おっけ、んじゃ本題の方聞かせて、あ、奥住くんのことおまけみたいな意味じゃないよ」

「わかってる、んじゃ、順を追って話すから、感想を聞かせてほしいんだけど、まず、職場に守本って後輩がいます」

「はい。守本、男? 女?」

「男です。守本侑馬くんです」

「男、と」

メモを取るような仕草をしている。

「で、守本くんがなんだって?」

「守本は僕の弁当のおかずをチェックしています」

「ほう、弁当の中身をチェック」

「ちなみにお互い全然関係ない部署で、普段仕事での絡みとか一切ありません」

「絡みなし、と」

「だけど一度僕と飲んでみたかったらしいです」

「飲んでみたかった、なるほど」

メモ取りは飽きたらしくオリーブをつまんでいる。

「あと、昼休みに散歩に誘ってきます」

「健康志向かな?」

「……以上、どうでしょうか」

目をつぶり、腕組みをして唸っている。思ったよりも芝居が長いのでワインを飲みながらチーズを食べていると

「ちょっと、放置すんのやめて」

「ああ、ごめんごめん」

グラスを差し出されたのでワインを注いで差し上げる。

「これまで仙川くんの相談を受けてきた私の経験からすると、それはね、たぶんね、守本くんね、仙川くんに懐いてるだけだよ」

「やっぱそう? でもおかしくない? 普通弁当の中身チェックする? 一緒に食べてるわけでもないんだよ? あと散歩とか誘うかなあ」

自分のグラスにもワインを足す。

「なんか、悩みとかあるんじゃない、その子。っていくつか知らないけど、何歳?」

「26歳って言ってた」

「若いじゃん、私達より5歳も下だよ。私達が小6のとき、その子小1だよ」

「そうだね」

「きっとさ、自分の直属の先輩とか上司にはあれこれ言いづらいこととか、聞いてほしいんじゃない? 何かそれらしきこと言ってなかった?」

「いや……特に?」

「ちゃんと聞いてあげた? 悩みとかあったら聞くよって」

「ああ、それは聞いた。でもそのときは、ないこともないけど、話すほどでもないですねって言ってた」

「えー、それ逆に全然信頼されてないんじゃないの?」

驚いたような笑顔で言う。

「そう言われると、そういう気がしてきたな……」

「まあでも、いいじゃん、何かそういう仲良しな同僚とかいるのはさ。今まで仙川くんが会社のこと話すとき、大体嫌いな同僚の話とかだったしさ。あの、なんだっけ、他部署の」

「宮口さんね」

「でも気を付けた方がいいよ、仙川くん惚れっぽいから」

古橋にはいつも、客観的な意見をもらえて感謝している。

なんだか小腹が空いた、古橋はあまり食べずに飲み続けるので、僕が何か頼まないとひたすら酒を飲み続けることになる。メニューを見ていて気付いた。

「ていうかエビこなくない? エビの何頼んだの?」

「アヒージョ」

「ほかに何か頼んでいい?」

「うん、私もお腹空いてきた。なんかお肉食べたい」

「スペアリブのバルサミコ煮込み、とかあるけどどう?」

「いいね、あと何か野菜食べたい、サラダたのもう」

いくつかの料理と、ワインもう一本注文した。

「やっぱ、思い込みかなあ」

「思い込み?」

「守本がゲイかもしれないっていう思い込み」

「え、やっぱ仙川くん何か期待してるってこと?」

「いや、そういうわけじゃないけど……」

「彼女いないの? 守本くん」

「いないって言ってた。」

サシで飲んだ夜、店を出てから駅までの間の会話を思い出すと、確かそう言っていた。

「確か高校生のときに失恋しちゃって、それから恋愛する気になれないって言ってた」

「え、今26なんだよね」

「うん、そうだよ」

「そんなにトラウマになるようなことってあるんだね」

そう言うと、何かを思いついたように古橋が身を乗り出してきたが、ちょうどワインが運ばれてきたので元の態勢に戻る。注がれるワインを二人でじっと見つめて、爽やかな店員さんにお礼を言う。グラスを手に取りながらまた身を乗り出してきた。

「ねえ、写真とかないの、守本くんの」

「写真なんか撮ってないよ」

「撮ってなくてもさ、なんかあるでしょ、集合写真とかさ」

「えー、集合写真? あったかな……?」

スマホの写真をスクロールしていると、去年の社員旅行のときの写真が出てきた。

「あ、これに写ってるかも。社員旅行。ちょうど去年の今頃だと思う」

どれどれ、と言いながらスマホを自分の方に引き寄せるので、テーブルに置いてピンチインする。拡大された写真を少しずつずらしていくと、守本がいた。

「これ? イケメンじゃん!」

一気にテンションが上がる古橋。

「そう、イケメンなんだよね」

「これは期待するかもだわ……」

料理が運ばれてきた。アヒージョとサラダとスペアリブのバルサミコ煮込みが一気に運ばれてきたので、テーブルからスマホを手に取る。あらためて写真をみると、こんな雰囲気だっけ? と思えてきた。

「でもなんか今と雰囲気違うな、髪の毛が長い」

「今は髪短いんだ?」

「そうそう、さっぱりしてる」

「今の方がいいと思う?」

「どうだろう、そうかも。この頃は特にイケメンだなって思うこともなかったし」

「それって、守本くんのことをゲイかもしれないって思い始めたのと関係してると思わない?」

「どういうこと?」

「仙川くんってさ、〝自分と違う〟って人に対してものすごく興味ないじゃん」

「そんなことないと思うけど……」

「そんなことあるよ。まあでもさ、いいじゃん、ゲイかどうかとか置いといても仲のいい同僚がいるってのはいいことだよ」

「そうだね」

「というわけで、結論としては、仙川くんに懐いてるだけで、別に守本くんは仙川くんのことは好きだったりしないと思うよ」

そう言ってスペアリブにかぶりついた。淡い期待を見透かされた上に、あっさり一蹴されたのが恥ずかしくもあり、少し悔しくもあったが、こうやってはっきりとものを言ってくれる古橋は貴重な友人だ。

「スペアリブおいしい~、めちゃくちゃやわらかいんだけど。食べなよ」

促されてスペアリブに噛みついた。確かに絶品だった。

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