3

「……以上が、今回導入するツールの説明になりますが、ご質問はありますでしょうか」

誰も手を挙げない。寝ている人もいれば、中には堂々とラップトップPCで内職している人もいる。

「では、もし疑問点など出てきたらいつでもご連絡ください」

 会議室を出ると、窓からの陽射しが廊下にくっきり影をつけていた。今日は散歩日和だな、と考えると手ごたえのないプレゼンのことも気にならない。でも一緒に参加した奈須はそうでもないようで、

「ぜんぜん興味なしって感じでしたね、営業は自分達が使うツールだってわかってんのかな?」

と不満そうだった。その隣の常松も

「あんな感じでやる気ないくせに、いざ使うときになるとあれこれ聞いてきたり、ダメだししてきたりするのほんとやめてほしいです」

と怒っている様子だ。僕はもう慣れてしまったのか、たいして気にならない。それは、導入後にトラブルを起こしてあれこれ聞いてくる営業に丁寧に対応することで貸しを作り、結果的に社内調整などの仕事がしやすくなるのを知っているからかもしれない。でもそんなことをこの2人に言うと、見損なわれるような気がしてとりあえず、うん、そうだね、と同意しておいた。それでも奈須は気が済まないようで、

「仙川さん、顔色ひとつ変えずにプレゼンしててすごいですけど、イラついたりしないんですか?」

といつになく食い気味で聞いてくる。

「まあ、やるべき説明はきちんとやったから、異論がなければあとで文句言わないでね、って感じかな。もちろん使い方のフォローとかはするけどさ。プレゼンは業務の一つにすぎないからね。説明会は実施済み、という事実が残ればいいと思ってる」

僕を一瞥し、視線を前に戻して

「冷めてますね、仙川さん」

奈須が言う。

「そうかもしれないな……、でも今回、奈須のパートすごい整理されててわかりやすかったよ、ありがとう」

「いえ、そうでもないですよ、結局スライドのレイアウト仙川さんに直してもらいましたし。あ、次あっちの会議室なんで」

そう言うと速足で去っていく。常松が「よっぽど腹立ったんですねえ」と言った。


 パーティションに囲まれたデスクに納まると、社内のあれこれが一気に遠い世界のことのように思えてくる。子供のころ、狭い場所を見つけては秘密基地にしていたときに感じた安心感に似ているかもしれない。もし、これがなんの仕切りもない、ただデスクの連なったオフィスだったらまったく集中できないだろう。視界のあちこちで、歩いている人、怒られている人、お菓子を食べている人、それぞれが奔放に動き回っているのを想像するだけで目をつぶりたくなる。ものごとを客観的に、俯瞰してみるためには、世界を切り離した方がいいのだ。それをうまく、嫌味なく、奈須に伝えるにはどうしたらよいか、考えていた。


 いつものように自分の席で昼ご飯を食べて、給湯室で弁当箱を洗っていると

「あ、ここにいた」

だいぶ耳に馴染んだ声に振り返ると、守本が立っていた。

「散歩行きましょうよ」

「散歩?」

水切りラックに弁当箱を置きながら聞き返す。

「仙川さんいつも散歩してるじゃないですか、喫煙所から見えるから」

喫煙所なんかあったっけ? と思いつつ、なんだか話を聞いてほしいという気持ちもあって、「じゃあコート持ってくるから待ってて」と答えた。

 横断歩道で信号待ちしていると、向こう側に常松と寺脇さん、門前さんが立っていた。こちらに気づいたようで、常松が小さく手を振る。寺脇さんと門前さんも軽く会釈している。横断歩道の中央付近で、すれ違いざまに常松から「今からお昼ですか?」と聞かれたので、「いや、散歩」と答えると、「散歩? いってらっしゃい~」と返ってきた。緩やかな坂になっている歩道を登って見えてきた広場では、いつもに比べて人影もまばらだった。だいぶ寒くなってきたからだろう。

「いつもここに座ってますよね」

そう言ってベンチを指さし腰掛ける。僕もその隣に座る。

「守本って、悩みとかある? 仕事で」

「悩み? ないこともないけど、話すほどでもないですね」

足を組み替えながらこっちを見てくる。

「仙川さん悩みあるんですか? 聞きますよ?」

「あー、いやそうじゃなくて。じゃあ例えば、仕事で、腹立つこととかあったらどうする?」

「常松ですか?」

「え?」

「常松が悩んでそうなので、それを似たような年代かつ同期である俺に聞くことで、ヒントにしようということですよね」

「いや、常松じゃないんだ、というか誰のことってわけじゃない」

「ということは、奈須さんですね」

「まあ、誰かってのは置いといてさ……」

「だって誰が、何を、悩んでるのかわからないと、きちんとした回答はできないですよ」

そう言われると、ふんわりとした質問をした自分が浅はかだったような気もしてくるが、一方で、ちょっとめんどくさいやつだなと思った。

「わかった、この話はとりあえずやめにしよう。……そういえば守本って誰のチームなんだっけ?」

「チーム? リーダーは宮口さんですね」

一瞬、顔が浮かんで嫌な気分になったが、それを悟られないよう意識して声のトーンを上げる。

「そっか、あの人面倒見はよさそうだよな」

「面倒見〝は〟?」

隠し切れない嫌悪感がつい出てしまった。守本の表情を見るに、おそらく気取られていない。多分。

「いや、面倒見〝が〟、いいよなと思って、後輩に慕われてる感じするじゃん」

実際はあの取り巻きたちも嫌いだけど。

「まあそうですね、面倒見いいと思いますよ。よく飲みに誘ってくれたりしますし」

「へえ、そうなんだ。確かに飲みとか好きそうだもんな」

なんだかあの人の話をしていると、もやもやした気分になってきた。やっぱり本当に嫌いなんだな、としみじみ思う。しばらくキョロキョロと周りを見渡していた守本が、こちらを振り返る。

「仙川さんも飲みに誘ってみたらいいじゃないですか、奈須さんを」

僕はため息のような声を出しながら空を仰いだ。

「うーん、そうだなー、でもなんかサシの飲みとかパワハラみたいで誘いづらいんだよな」

守本がふっと笑った。少し遅れて目じりに皺ができた。

「じゃあ俺も一緒に行きましょうか」

「え、守本って奈須と仲良いんだっけ?」

「いや、全然。入社してたぶんまともに会話したことないです」

「それって、気まずくないの?」

「別に気まずくないですよ、同僚じゃないですか」

広場裏にある高校の予鈴が鳴った。スマホを見るとあと数分で昼休みが終わるところだった。

「あれ、もうこんな時間か。じゃあ、今日ちょっと声かけてみようかな。守本ほんとに来るの?」

「はい、もちろん」

そう言って、勢いよく先に立ち上がった守本は何かを見つけたようで、花壇の近くの植え込みに向かった。何かと思って見ていると、こちらを振り返って手招いている。

「子猫がいます」

え、どこ? と植え込みに近づこうとすると腕を掴まれた。

「あんま近づいちゃだめです、向こうに親猫いました。ほら、あそこ」

指さす方向を追うと、少し離れた木の陰で、様子をうかがっている茶トラがいる。なんとなく、不安そうにこちらを見ているような気もする。

「なんかさっき、鳴き声みたいなの聞こえたから捨て猫でもいるのかと思ってたんですけど、親がいるならほっといていいですね」

全然猫の鳴き声になんて気づかなかったので、守本は耳がいいのだと思った。

 オフィスに戻ると忙しない雰囲気で、皆すでに午後の仕事を始めていた。オフィスの入り口で「んじゃ連絡する」と言ってそれぞれの席に向かった。なんだか視線を感じる方向を見ると、近くの複合機で大量のコピーをしている寺脇さんがこちらを見ていた。昼休憩から遅れて戻ったの、不真面目なやつだと思われてしまったかな、と思いつつ、軽く首だけで会釈すると、はっとしたように何度か会釈を返してきた。


 今朝のプレゼンで導入に関するキックオフは終わったので、今後はタイムラインに沿って進めていくだけだ。トレーニングは営業部のチームごとに進捗を把握しながら行う必要があるし、そのマニュアルも整備しないといけないが、幸いマニュアルに関しては英語版ではあるものの、ベンダーが手厚いものを調達してくれているので、それを参考にローカライズしたものを作ればいい。トレーニングもオンラインのコースにいくつか目星を付けておいたので、それと対面での講習を組み合わせれば、大きな問題はなく進めることができるはず。それぞれのタスクを奈須と常松、そして自分にアサインして、ミーティングを設定しようと思うと、奈須が午後半休になっていた。社内システムの有休申請をチェックすると、昼休みに申請が出されている。最近システムの不具合で、申請を知らせる自動送信メールが届かないようで、見過ごすところだった。申請承認ボタンを押しながら、なにか緊急の用事でもあったのかもしれないと心配になった。

「常松」

立ち上がってパーティションの向こうを覗くと姿がない。と思ったら複合機でコピー中の寺脇さんと立ち話をしている。奈須のことが気になったので、常松に尋ねようと近づいていくと、こちらに気づいた常松が歩いてきた。

「何かご用ですか?」

「昼休み、奈須見た? なんか急に午後半休とったみたいなんだけど」

「ああ、それ私も仙川さんに伝えようと思ってたんですけど、急用あるから帰るって伝えといて、って言ってました。乗り換えとか気にしてたんで、どこかデートにでも行くんですかね」

まあ、めずらしいですよね、そう言いながら常松は自分の席に座ったので、僕も席に戻り、なんだか腑に落ちないまま、明日以降の二人のスケジュールをチェックして、空いているところにミーティングを設定した。すぐに常松から承認の返信が戻ってきて、同時にパーティションの端から顔が見えた。

「もしかして、奈須さんの有休申請、アラート届いてなかったんですか?」

「うん。届いたり届かなかったりで安定してないみたい」

「もう、それ私宮口さんに直してくださいって言ったんですよ! まだ未対応なのかもしれないです。直るまで私手動でメールするようにしますね」

「そうだな、そうしてくれると助かるよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る