2

声に振り向くと、守本が立っていた。

「どうしたんですか、こんなところで」

「守本こそどうしたの」

そう聞き返すと、守本は手に持っていた電子タバコをひらひらさせながら、隣のスツールに腰かけた。近くに居た店員さんを呼ぶと、僕のグラスをつかんで渡しながら「生ビール、2つください」と言った。少し困ったような様子で店員さんが、「グラス交換制なんです」、と言うと残っていたビールを一気に飲んで渡した。

「もう泡無くて、ぬるくてまずそうだったんで」

僕が何か言おうとしたことを察したのか、そう言った。

「いや、一度仙川さんと飲んでみたいと思ってたんですよね」

「そうだったんだ」

「そうだったんですよ、ちょうどよかった」

守本は技術部に所属していて、僕はIT部に所属しているため、業務での関わりはほぼない。フロアこそ同じだが、普段は会話することもないし姿を見ない日だってある。なのに、なぜか昼ご飯を食べている時に突然話しかけてきたりする。

「守本ってタバコ吸うんだね」

「え? ああ、そうですよ、意外ですか?」

手に持った電子タバコに目を向けながらそう言う。

「いや別に意外じゃないけど、スポーツやってそうな感じだから、なんとなく吸わなそうなイメージはあった」

「それを意外って言うんじゃないですか?」

そう言って笑う。アーモンド型の大きな目がギュッと細くなって、目じりに皺ができた。

「仙川さん天然ですか? おもしろいな」

運ばれてきたビールを手渡されながら、いい年して「天然」と言われたことに、なんだか自分の隙を突かれたような気がして恥ずかしくなった。

「んじゃ、仙川さんと僕の初飲みに乾杯」

カツンとぶつかった勢いでビールが少しこぼれた。

「仙川さんって酒飲まないんだと思ってました。」 

「そんなことないよ、むしろ飲む」

「へえ、強いんですか」

「いや、飲むのは好きだけど別に強くはないかな」

なるほどー、といってグラスを傾ける。ペースが速い。多分僕よりも酒が強いんだろうなと思った。その後、お互いの仕事について、少し愚痴混じりに会話をしていると、守本と僕の肩が同時に叩かれた。

「こんなとこにいたんですか、もう歓迎会終わりですよ」

常松だった。

「あれ、守本って仙川さんと仲良かったんだっけ?」

両手を僕らの肩に置いたまま、不思議そうに僕と守本の顔を見比べる。

「この後、寺脇と門前と一緒に飲みなおそうって言ってるんです、仙川さんも行きましょうよ、ね! 明日祝日だし。守本も行く? 行こう! ね!」

「痛いよ……、人の肩そんなに叩くなよ」

常松は結構酔っているようで、守本が常松の手を振り払って迷惑そうに肩をさすっている。この2人や寺脇さん、門前さんは皆同期入社だったことを思い出した。

「いや、やめとくよ。同期同士で楽しんできなよ」

残りのビールを飲み干して店を出ると、二次会をどうするかためらう人たちのグループがいくつかできていて、その中のひとつに寺脇さんと門前さんが居た。目が合ったので笑顔で手を振ってから駅へ向かった。

 路上で盛り上がる酔っ払いや、誰に対するでもない声掛けをしてくる客引きを避けて駅へ向かいながら、スマホを取り出しメッセージを送った。

「今日来るの?」

送信してからスマホごとポケットに手を入れる。空を見るとめずらしく星が見えた。やけに明るいオレンジ色の大きな点が見えたので、金星とか火星とかなのかもしれない、と思いながら歩いていると、ポケットから振動が伝わってきた。

「来ない」

想定していた返信ではあったが、少しざわざわする感覚があった。それと同時になんだか解放されたような気分にもなって、やはりどこかでもう一杯飲んでから帰ろうかと思った。むしろこんなことならさっき常松たちについて行ってもよかったかもしれない、と思ったが、8歳も9歳も下の後輩たちにまぎれたところで、お互い気を使ってしまいそうで楽しめなさそうだし、などとあれこれ考えていると、駅に着いてしまった。

「今日はおとなしく帰るか……」

緑と白に光る駅名を見上げながら、ため息みたいな独り言が漏れた。

「帰るんですか?」

真横に背の高い人影が現れたと思うと目の前に回り込まれる。

「まだ9時過ぎですよ」

腕時計を見ながら言う。自分がつけていないからか、腕時計をしている男は立派な人に見える。

「あれ、常松たちと一緒に行かなかったの?」

「んー、なんか他の同期達も数人いたし俺居なくてもいっかなーと思って。てか同期ではいつも飲んでますし」

通行の邪魔になりそうだったので、とりあえず駅の壁の側まで移動した。守本も察してついてきた。

「仙川さん、なんかあったんですか?」

何の話かと思って首を傾げていると

「さっき後ろから見てたんですけど、スマホ見て肩を落として、空を見上げてたんで、何かあったのかなと思って」

「え、見てたの? え?」

「別につけてたとかじゃないですよ。店を出たときから姿見えてましたけど、声かけるには遠いし、かといって走って追いつくのもあれだなって思って見てました」

いつもなら自分の行動が他人にどう見られているか、自意識過剰なくらい気にするのに、見られている可能性がある時にはまったく無防備な自分が嫌になる。

「もう一軒行きましょうよ、話聞きますよ」

目じりに皺が寄る。多分8歳か9歳、年下だと思うのだけど、なんでこんなに大人みたいなんだろうこの人、と思った。

 

「ハイボール、あとだし巻き卵と枝豆。仙川さんどうします?」

「あ……、じゃあハイボールで」

「食べ物は?」

メニューを逆さにしてこちらに向けてくれたが、首を少し横に振ると「じゃあとりあえずそれで」と店員さんに伝えてくれた。

 流れで二軒目に来てしまったけれど、このあとの会話を考えると気分が暗くなっていた。スマホを見て落ち込み、空を見上げるなんて他にどんなシチュエーションがあったっけ。ライブの抽選落ちたとか、宝くじ外れたとか、いや、宝くじとか買わないし、あんなのは絶対当たらないんだから買うだけ無駄だし、それに……

「で、さっきの彼女さんですか?」

顔を上げると守本がこちらを見ていた。「ハーイお待ちー」エプロン姿の元気なおばさんがハイボールと枝豆が置いていく。

「とりあえず、お疲れさまです」

促されてジョッキを手に取った。軽く空中でジョッキを上げる仕草をした後、3分の1くらいを一気に飲んでいる。僕も口をつけるが、炭酸が強くてたくさん飲めない。

「喉乾いてたの?」

「いや、別にそんなことないですよ?」

枝豆を手に取りながら答える。

「むしろ、仙川さんひょっとしてワインバーとかの方がよかったですか?」

僕のジョッキに目をやりながら言う。

「いや、全然、ただ口が痛いだけだから」

「ケガしてるんですか? 口内炎?」

「いや、炭酸」

「炭酸?」

「そう、炭酸少し抜けるまで待って飲む」

「炭酸苦手な人なんですね! そう言えばビールもあんまり飲んでなかったですもんね」

おばさんがだし巻き卵をもってくる。「お通し出すの忘れちゃってたわー」と酢の物を二つ置いていった。ナマコが入っている。

「うわー、ナマコとか久しぶりに見た。一人暮らししてるとあんま食べることないよね。実家に居るとさ、海が近いのもあって結構出てくるんだけどね」

「ほんとだ。俺ちょっと苦手なんで、もし好きだったら食べてください。で、さっきの、彼女さんですか?」

話をそらそうとしたが失敗した。僕は嘘をつくのが本当に嫌いなので、できるならそういう話題になるのを避けて生活してきたのだけど、その分嘘が下手なため、こういう状況は本当に困る。よく性別をシフトして話せば同じことだよ、なんてことを言われるけど、それはそれで彼氏に悪い気もするし、そうすると結局……

「あ、なんかすみません、言いたくないことありますよね」

顔を上げると僕の器のナマコが増えていた。喉が渇いてきたけど、まだジョッキのハイボールがパチパチと音をたてている気がする。

「いや、別に言いたくないとかではないんだけど、まあ大したことじゃないよ」

守本はうんうんと頷きながら枝豆を指で押し出している。

「枝豆取り出す派?」

「取り出さなくてどうやって食べるんですか」

「いや口でさ」

そう言って口に枝豆を持っていき、歯で噛んで中身を取り出して食べてみせた。守本はおー、という表情をしていたけど、

「でもそれだと、中身腐ってたり、虫入ってたりしたらわからずに食べちゃいません?」

と言った。そんなこと考えたこともなかったが、今度からは用心深く食べようと思った。

「ちゃんと中身確かめないと、気が済まないんですよね、信用できないっていうか」

言葉に裏の意味があるように思えてぎくりとしてしまった。そろそろ炭酸が抜けたころだと思ってハイボールを飲む。なんだか喉が渇く。

「炭酸、抜けてます?」

「うん、平気」

「よかったですね」

と笑っている。

「仙川さんっておいくつでしたっけ?」

「30。今年31。守本は?」

「俺は26です。浪人してるし、院にも行ったんで」

「そうだったんだ、思ってたより上だった」

「若く見えるってことならありがとうございます」

「うん、そうだよ」

「仙川さんも若く見えますよ」

「そりゃどーも」

考えたらさっきの店では煮込んだ肉しか食べてなかったので、腹が減ってきていた。

「焼きそば頼んでいい?」

「どうぞ」

焼きそばとハイボールを一つ、あとウーロンハイを頼んだ後で、ハムカツも頼めばよかったなと思ったけど、食べ過ぎて太るとスーツが入らなくなるので、節約のために我慢した。

「なにかスポーツってやってました?」

「バスケやってた」

「うわ意外ですね」

「そう?」

「なんとなく帰宅部だと思ってました」

「じゃあなんで聞くんだよ」

ははっと笑ってすみませんと言う。

「守本は?」

「俺はサッカーです。小学校から高校までずっとサッカーだけ」

「ふーん」

「興味なさそうですね」

「いや、全然意外じゃなかったから。だって会社のフットサルにも顔出してるだろ。奈須が社内SNSに投稿してた。毎週木曜にやってるって」

ハイボールとウーロンハイが置かれる。「はい、これはおばちゃんからのサービス」と言ってハムカツが二切れ、千切りキャベツと一緒に盛られてきた。ピースサインをしてニッコリ笑うおばさんに守本が満面の笑顔で応対している。このビジュアルだと得することがよくあるだろうなあと思った。

「でも守本が歓迎会に来てたってことは、今夜フットサルはなかったんだ?」

「そりゃ歓迎会にぶつけたりはしないですよ。今度仙川さんも来たらいいじゃないですか」

「やめとく。昔、大学の時サッカーやってて足の皮めくれたから」

ハムカツをつかんだ守本の箸の動きが止まる。

「いきなりグロい話しますね」

「でもさあ、その時手当してくれたのが付き合うきっかけだったんだよなあ」

休日の大学のグラウンドの光景が目に浮かんで、無意識につぶやくと

「彼女さんですか?」

と突っ込まれた。しまった。思ったよりハイボールが濃かったのか酔ってしまったのかもしれない。こころなしかウーロンハイも濃い気がする。

「うん、まあ、そう」

「それってさっきのスマホの彼女さんですか?」

「ああ、まあ……、そう……」

「大学からってかなり長いですね! 結婚とかしないんですか」

ああ、結局この話になってしまった、と思いながら

「そういう感じじゃないから……」

と答えると

「もしかしてそれで揉めてたりして」

とすかさず返ってくる。守本がこんなにゴシップっぽいネタが好きだというのは意外だった。

「守本って頭の回転速いって言われるでしょ」

「いきなり何の話ですか。別に言われないですよ」

そう言うと、ちょっとトイレ行ってきます。と席を立った。この間に少し態勢を立て直そう。とりあえず結婚したがらない彼女、みたいな話にしておけばいい。あともう迂闊なことを言わないようにしないと。近くを通った店員のおばさんに

「すみません、お水、いただけますか?」

とお願いすると、「あらー、酔っちゃったの? サービスしすぎたかしらね」と言っていた。

 焼きそばと一緒に運ばれてきた水を飲んでいると、守本が戻ってきた。手つかずのやきそばを見て

「食べないんですか?」

と聞くので、食べていいよ、とだけ答えた。

「これ、青のりとかつおぶし山盛り過ぎて笑えてきますね」

「そうなんだよ」

「絶対歯につくから、一緒に食べましょうよ、お互い様で」

そう言ってモグモグと食べる守本を見て、僕も一口食べてみた。味はとてもおいしい。

「ちょっと、口をイーってやってみてください」

ニコニコしながら、こぶしを作って口元を隠している。隠れきれていない唇の端に青のりが付いている。

「やだよ、ていうか自分は口元隠してるじゃん」

「んじゃはい、イー」

そう言って歯を見せてくるので思わず笑ってしまって、その僕の歯を見て守本も手を叩いて笑っていた。店員のおばさんがしてやったり、みたいな顔でこちらを見ていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る