#03
ボクは夏が嫌いだ。
制服のスカートの下にジャージを履いているのが暑い。短く刈り上げたうなじに太陽が照り付けるのも嫌だ。じりじり焼けて痛くなる。
一番嫌なのが体育の時間だ。水泳だけは絶対に参加したくない。水着に着替えるのがどうしても嫌だから、基本ボクは常に体調不良で見学することにしている。胸がはみ出ないように寄せたり、ムダ毛を処理したり、下着に気をつけたり、いやがおうにも自分が「女性」であることを認識しなくてはいけない姿になるのが、どうしても受け入れられない。
「
教室を出て廊下を歩く。
プールに向かおうとしているボクに、
「染森さん、今日も水泳サボり!?」
「サボりってわけじゃないんだけど……」と言いかけてボクは口を噤んだ。実際体調不良ではないから、サボりと言えばサボりだ。いや、サボりと言わなくてもサボりだ。
「池内さんは?」
ボクは池内さんの質問に質問で返した。
「私はせーり!お腹痛いしさー。もう、プール行かずに遊びに行かない?暑いし、だるいんだよね!」
「……お腹痛くて、だるいんだったら、逆に遊びに行かないほうがいいんじゃないの?」
「えー。染森さん、冷たいなー……」
高2の今年から同じクラスになった池内さんとはこれまでほとんど話したことはなかった。あまりよく知らないクラスメート相手なので、確かにもう少し優しい言葉を選べばよかったのかもしれないけれど、本当の体調不良なんだったら遊びに行ってる場合じゃないだろう。実利的な優しさをボクは選んだ。
「冷たいって言っても。お腹痛いんでしょ?授業始まるからさ。私、行くよ?」
ボクは池内さんを残して再び廊下を歩き始めた。
ちなみに、ボクは人と話すときはちゃんと自分のことを「私」と言う。さすがに人と喋る時に自分のことを「ボク」とは言わない。ボクは「ボク」だと思っているけれど、敢えて変な「女」だと思われる行動をとる気はない。
「えぇぇぇ……!あー………………。あいたたたたたたた!染森さん!痛い!ムッチャお腹痛い!!!」
池内さんが突然大声を上げて廊下にしゃがみ込んだ。ボクは思わず足を止めてしまった。
――絶対仮病じゃん!
振り返ったボクの目の前で、池内さんは廊下に倒れ込んでしまった。
「染森さん!……そめ……もり……さ……痛………………」
――仮病……じゃ、ないの?
「だっ!大丈夫!?池内さん!……池内さん!池内さん!?しっかりして!!!」
ボクはぐったりした池内さんの傍にしゃがんで、その顔を覗き込んだ。
池内さんの顔を初めてまともに見たような気がする。やさしい弧を描く太めの眉とふっくらした桜色の唇が印象的な華やかな顔をしている。カールした長い睫毛が、きめ細やかな色白の肌に影を落としていた。ふっくらした頬にはチークが入っていて、病人とは思えない血色のよさを醸し出している。眠り姫のようだと、ボクは思った。
「せ……先生!しょっ、職員室へ行かなきゃ……!」
ボクは動揺していた。先生に報告して救急車を呼んでもらおうと思った、その時だ。
「染森さん!」
立ち上がろうとした瞬間、左腕を凄い力で掴まれた。
「さすが染森さん!やっぱやさしい~」
池内さんがボクの驚いた顔を見てケタケタ笑った。
始業のチャイムが鳴った。
――仮病だって分かってたのに……!
騙した池内さんにも腹が立ったけれど、何よりも騙された自分に腹が立った。
「……ちょっと!放してよ!!!」
ボクはムキになって池内さんの手を振り払った。
「ん~……ごめん!ごめんね。染森さん。そんなに怒らないで」
やわらかな弧を描くきれいな眉を八の字に寄せ、池内さんがしおらしい表情を見せた。廊下にちょこんと正座する。
「ねぇ!一生のお願い!!!染森さんについてきてほしいの!ね!?おーねーがぁぁぁぁぁい!!!」
これまでほとんどしゃべったことないクラスメートに「一生のお願い」と言われても、絶対に嘘だ。さっきの仮病以上に嘘だ。第一、ボクは彼女と一生付き合うほどの思い入れがない。
――だが、断る。
ボクは大袈裟に不機嫌な顔をして見せようとして俯いた。
「ダメ?」
池内さんがそんなボクの顔を、池内さんが潤んだ瞳で覗き込んだものだから、弱った。
かわいいと思った。
すべすべした白い頬に触れたい衝動に駆られる。
ボクはこの時初めて、池内さんを――女の子をかわいいと思ってしまったのだ。
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