カンブリア・ヒルズ(最終話 後編)

 マヤコとナミヲと神田ヒロシは連れ立って彼らの住居へと向かった。

 どの住民もここへは身一つでやってきている。ひとまずの衣食住は配給となっているのだ。

 神田ヒロシの申請していた住居は大人2人が暮らしやすいサイズだった。


「ひとりにしてくれと言いたいところだけど、実は今ものすごく自分に自信がない。二人がいてくれると心強いよ。」


 神田ヒロシはそう言いながら備え付けの棚にケンタが入った箱を置いた。


「ここを彼の祭壇にしていいかな。」


 マヤコとナミヲはもちろん、と答えた。


 彼ら新しい住民たちは、こちらの世界での生活の基盤を作って行った。

 最初は先住民であるクローンたちにいろいろとサポートしてもらい、社会を動かし始めた。


 クローンたちは、新人類の出現を期に新しいクローンを作るのをやめ、徐々にその数を減らしていた。


 マヤコ達が到着した時にはあんなに元気だった先生も、あっとゆうまに足腰が立たなくなってきていた。


 並行して、ケンタを含む4人の命を奪ったマイキーの裁判も続いていた。

 刑事責任能力鑑定も実施されたが、マイキーの場合は精神の障害はあるものの善悪の判断能力に障害はないと診断された。

 裁判員制度を採用したこの裁判では、強い殺意を持って計画的に実行したとの状況を踏まえて、死刑にすべきという意見も当初出ていたようだが、被告人の寿命を考慮して、概ね終身刑で決着が付きそうだった。


 ハヤトは自分の小屋に入り浸るようになり、ほとんど自宅には戻らなくなった。

 ジオラマの中に残っているヒト型たちを心配している様子だった。


 創造神としての役割を完全に終えたハヤトは急速に老化が進んでいた。

 髪の毛は真っ白になって、視力が落ち、食も細くなっていた。それでもハヤトの美しさは別次元の領域へと達していた。


 物忘れがひどくなり、だんだんと一人で生活するのが困難になってきたので、マヤコ達は一緒に生活するように提案し続けたが、彼は頑なに小屋から出ようとはしなかった。

 それで自然とマヤコが彼の身の回りの世話をすることになった。小屋で黙々と、マヤコはハヤトの食事や排せつの介助を行った。


 このころから、ロルフもずっとハヤトのそばにいるようになった。


 小屋にはめったに人が訪れることはなかったが、ナミヲと神田ヒロシ、それに家須キヨヒトと佐奈田マリコは定期的に顔を出していた。

 時々、ジオラマに家族を残して来た者が様子を見に来ることもあった。


 そんなある日、とうとう先生が老衰で亡くなった。

 マヤコにとっては短すぎると思われるその生涯だったが、死の際まで、こんなに充実した人生はなかったと先生は繰り返していた。


 ハヤトにも先生の死が告げられたが、彼がそれを理解したのかはわからなかった。

 それほど彼にも “老い” の波が押し寄せてきていた。


 先生の葬儀にハヤトを出席させるかどうか、マヤコ達は最後まで悩んだが、新人類たちも多く出向くであろうから、現在のハヤトの姿をみんなに見せるのにはショックが大きかろう、ということで連れて行かないことになった。


 そうして先生の葬儀はしめやかに行われたのだが、その最中に事件が起こった。


 留置場に拘留されていた裁判中のマイキーが何者かによって殺されてしまったのだ。

 犯人はすぐに判明した。マイキーによって命を奪われた者の家族の一人であった。

 ≪デウス・エクス・マキナ計画≫ の英雄の葬儀が国葬レベルで執り行われていた傍ら、警備が手薄になったところを襲われたのであった。


 これまで殺人と無縁だったクローンたちにとって、この一連の事件は大変な心的ストレスになってしまった。

 治療が必要な患者が多数出現したが、彼らには精神疾患を治療するノウハウがなかった。

 そこで、新人類たちがこれに対応したのだが、新人類そのものを恐れる者が多く、治療はなかなかうまくいっていなかった。


「ホッチ博士もここまでは予想できてなかったでしょうね。」


 病院の混乱に対応し、ハヤトの昼の世話を済ませ、一時的に自宅に戻って来たマヤコは疲れ切った様子で言った。


「僕らには、そろそろ新しいリーダーが必要じゃないかな。新しい世界に導いてくれる、この世界に相応しいリーダーが。」


 神田ヒロシはそう言ってマヤコの方を見た。


「君がこの世界のリーダーになってくれないか?」


 マヤコは、神田ヒロシから出るとは思っていなかった言葉に驚いて、さっと体が熱くなる感覚がした。

 それは前にハヤトがマヤコに言った言葉だったし、神田ヒロシの口調もハヤトそっくりだった。


「まえに…実は、前にハヤトにも同じことを言われた。」


「じゃあ、そうしろってことじゃないかな。」


「ナミヲも賛成ですよ。」


 二人にじっと見つめられて、マヤコは戸惑った。

 自分がこの世界のリーダーになる…? 漠然としすぎてイメージがわかなかった。


「何をしたらいいの?」


 マヤコは二人に聞いた。


「うーん…。とりあえず、市長に立候補してみたら? 来月、この世界の新しい市長を決める選挙があるじゃないか? あれに出てみようよ。圧倒的な差で君が当選すると思うよ。」


「ナミヲも手伝いますよ。」


「このごろ思うんだ。僕たちの役割は、みんなをここへ連れ来るだけじゃないのかもって。だってそれだけだったら、あんな神がかったバックギャモンなんてやる必要ないだろう? あの凄まじい光景は、未だみんなの脳裏に焼き付いているはずだ。で、僕は、こっちに来たらハヤトが何かするのかと思っていたけど、あいつは役割を終えてしまった。じゃあ、残された僕たちで、この負の状況を何とかしないといけないんじゃないかなって。」


 自分たちが何かしないといけないのかもしれない…という気持ちはマヤコにもあった。本当なら神田ヒロシにやってもらいところだが、彼の今の精神状況ではその役割は酷だろう。

 ナミヲには圧倒的なカリスマはあるが、リーダーには不向きな気がする。


「何も君ひとりで全部やる必要はない。みんなで知恵を出し合うんだ。な? 出てみないか、選挙に。」


 マヤコは即決はできなかったが、やってみようという気持ちになった。


 それから、毎日、マヤコはハヤトの元に行くと、市長に立候補しようと思うんだ…どうしよう…と話しかけた。

 その度にハヤトはにっこり微笑んで、「いつもありがとう、お母さん」と言った。

 このごろ、何を言ってもこの返答だった。それでもマヤコは構わず話しかけていた。


 ハヤトは定位置であるロッキングチェアーに腰かけて、幸せそうな顔で残されたジオラマを眺めて過ごしていた。

 マヤコとロルフは床に座って、両側から彼の膝に頭を乗せると、夜までずっとそうしている時もあった。


 ある日、いつものようにマヤコが朝食を小屋に運んでいくと、ハヤトが小屋の真ん中で立っていた。

 この頃、足は全く立たなくなっていたので、マヤコは驚いて彼の元に駆け寄った。


 ハヤトはマヤコに気が付くと、ゆっくりと微笑み、そして言った。


「俺の子供たち。たくさんの愛をありがとう。」


 ハヤトがゆっくりと腕を広げたので、マヤコはその中に入った。

 ここで、ちょうど神田ヒロシとナミヲも小屋に入って来た。


 彼らはいつもは午後に来ることが多いのだが、なぜだが今日はこの時間に来たのだった。


 ハヤトの異変に気が付いて、神田ヒロシとナミヲも両脇からマヤコを抱えるようにして、ハヤトの腕の中に入った。

 足元でロルフがくーんと寂しそうな声を出した。


 そうして4人で抱き合っていると、マヤコの腕の中で、ハヤトがどんどん小さくなっていくのが感じられた。

 ぐんぐん小さくなって、やがて赤ん坊くらいのサイズになり、手のひらに乗るくらいの大きさまで縮んでしまった。


 マヤコは、ああ、と悲しみに声を出し、膝をつくと、両手で包んだハヤトの姿を見た。

 ハヤトはまるで自分が作ったヒト型のような、不格好な粘土細工の人形の姿になっていた。


 両側から神田ヒロシとナミヲもそれを覗き込むと、そっとマヤコの手のひらに手をを重ねて彼に触れた。


 ハヤトは逝ってしまった。これからこの地上で生きていく人類を生み出した創造神はその役割を終え、元の姿に戻ったのだ。


 それと同時に、目の前のジオラマが音もなく形を失って行った。

 それは、上の方から細かな粒子になると、空中に吸い込まれて消えて行った。


 三人は顔をあげてそれを目撃した。

 あの世界が永遠に存続できるとは思っていなかったがこうして最後を迎えるとは想像していなかった。


 三人はただそれを見つめることしかできなかった。


「ありがとう…お母さん…。」


 神田ヒロシがぼそりと言った。それがまるでハヤトが言ったように聞こえたので、マヤコははっとして神田ヒロシを見た。

 彼は泣いていた。


 どこからかナミヲが箱を見つけて持ってきた。

 ちょうど小さくなったハヤトが入りそうな箱だった。手作りの箱だったので、もしかしたら、ハヤトがいつか自分がこうなることを知って作ったのかもしれなかった。


 マヤコは箱の中にハヤトを入れた。ロルフがくんくんとその箱を嗅いだ。マヤコはロルフを撫でてやった。


 三人は無言で立ち上がると、小屋を後にした。みんなに着いて出てきたロフルがキュウキュウと甘えた声を出した。

 マヤコはかがみこんでハヤトが入った箱を彼の鼻さきにつけてやった。


「ロルフ、あなたはこれからどうするの? 私達と一緒に来る?」


 その問いかけを理解しているのかしていないのか、誇り高き狼の血を引く美しい犬は、真面目な顔をしてから、ワンと一声吠え、森の中へと走り去って行った。


 三人はその後ろ姿を見送った。


 彼らの住居に着くと、マヤコはハヤトの入った箱を、ケンタの箱の隣に置いた。

 その途端にどうしようもない悲しみが襲ってきて彼女は泣き崩れた。


 両側から神田ヒロシとナミヲが支えてくれた。彼らも泣いていた。

 こうして三人は一塊になってしばらく泣いていた。


 その日のうちに、創造神ハヤトの死…死と言ってよいのか微妙なところだが…、が住民たちに告げられた。

 クローンたちにも同様に伝えられたが、彼を直接知る人はもう残り少なくなっていた。


 神田ヒロシの発案で、ハヤトの小屋の横に慰霊碑が建てられることになった。

 小屋はそのうち朽ちてしまうだろうけど、慰霊碑は長く残るだろう。


 慰霊碑には、ハヤトの名と ≪デウス・エクス・マキナ計画≫ に携わった者たちの名、ケンタをはじめとする転送時に犠牲になってしまった人たち、そして、ジオラマに残ることを選択した人たちの名前が刻まれた。

 最後までマイキーの名も入れるのかどうかでもめていたが、神田ヒロシの熱心な説得で、最終的には犠牲者の家族も納得して、マイキーの名もこの慰霊碑に刻まれることになった。


 彼だって犠牲者なんだ。神田ヒロシはいつもそう言っていた。まるで自分に言い聞かせるように。


 慰霊碑の除幕式の日、多くの人がハヤトの小屋の周りに集まった。クローンたちも何人か来ていた。


 神田ヒロシはみんなの前に出てスピーチを始めた。


「我々は怒りに飲まれやすい種族だ。ここに来てすぐ、それを一番むごたらしい方法で証明してしまったね。

 最後にマイキーの名前を入れることを理解してくれて、みんなありがとう。

 そりゃあ、僕だってケンタの命を奪った奴を殺してやりたいと思ったことは何度もあるよ。

 でもそれではだめなんだ。


 復讐をしたってこの心は癒されない。新たな火種を産むだけだ。


 僕は思っていたんだ。この新しい世界で、平和な世界を作っていけるかもしれないって。

 バックギャモンをやった日のことを覚えているだろう?

 みんなが同じ情報を共有し、意識を繋げ合えたのは本当にすばらしい体験だった。


 これならば、どんな奴とも分かり合えるって、勘違いしちゃったんだ。

 誰とでも愛しあえるって。


 だけどそれは、自分の大切な人の命を奪った者をも愛さないといけない、ということだった。

 ケンタやマイキーの死が、その現実を僕に突き付けてくる。


 その準備は僕たちには全然できてなかったんだよ。


 ここにはマイキーを知る人たちも来ているよ。

 マイキーを殺してしまった人はいま裁判中だ。彼は自分の恨みを晴らすためにマイキーの命を奪ってしまったけれど、それによって更なる苦しみを生み出してしまった。

 これは僕たち全員で乗り越えていかないといけない難しい課題だ。


 ああ、ハヤト…。僕たちが “真に成熟した平和で自由な社会” に到達するのには、まだまだ長い年月がかかりそうだね。

 どんな人とも共存できる社会って、みんなが理解しあえる社会のことだと思っていたけど少し違っていたんだ。


 僕はゲイだ。性的指向としてはマイノリティだ。

 だけど、幸いにもそれに対して何か不都合なことを言ってくるような人には未だ出会っていない。


 ここにいる、ナミヲは字が読めない。だけど、何不自由なく暮らせている。


 僕たちは、ジオラマの中にいた時から、性的少数派や社会的弱者が生きやすい世界を作ることにはまずまずの成果を上げてきた。


 階段があったら、ああ、ここを登れない人がいるな…って想像して、どんな人でも上へ行けるように、さまざまな工夫をしてきた。


 だけど、階段があっても、登りたくもない人がいるってことはあまり考えたことがなかったんだ。

 この言い方だと解りにくいかな…。


 例えば、僕には簡単にできることが、どうしてもできない人がいたとするよね。

 そしたら、僕は、その人がそれができるようにするには、どうするのがいいのかなって考えちゃうんだ。

 その人が、そんなことをやりたくもない、必要ともしてない…って可能性には気が付きにくい。


 この世界には、自分とは全く違う思考回路で行動する人がいる。どうしても理解し合えない人もいる。自分の正義感とは真逆の思想を持っている人もいる。極端に言うと、誰かを騙したり傷つけたり殺してしまったりする人もいる。自分が良いと思うことを悪と思っている人だっている。誰かの善意を嫌がらせと感じしてしまう人もいる。


 そう、全く違っている人たちが集まって一つの世界を共有している。何だあいつ…って思うことだってたくさんあるだろう。だけどそんな相手だって悪とは決めつけられない。

 “法律” もひとつの物差でしかなくて、時の流れや、使う人たちによって変化していく。絶対的な価値観とは言えない。


 この世界がそういうもんだって、自分自身が意識して想いを改めていくことはできるかもしれない。

 でも、何をどうしても通じ合えない相手が、何が何でも自分に干渉して来たがったらどうしたらいい? 戦うしかないのか? 僕はどうしたらいいのかわからない。


 ただ単純に “違っている” ということを受け入れて共存してくのは難しいことなんだ。


 でも僕たちは、こうしてこの世に命を繋ぐ機会をもらったんだから、何千年、何万年かかってでも、そこへ向かっていかないといけないんじゃないかな…。」


 ここまで一気に言うと、神田ヒロシはおじぎをして引っ込んだ。

 数秒遅れて、会場からはどっと拍手が起こった。拍手はずっと鳴りやまなかった。


 やがて人々はゾロゾロと街へ帰って行った。


 ここに戻って来る人はそう多くはないだろう。

 マヤコはなんだか少し寂しい気持ちだった。


 それから数日たって、新しい街の市長を決める選挙戦が始まった。

 マヤコは神田ヒロシやのぶよに手伝ってもらいながら、演説の内容を組み立てた。

 話をする時の身振り手振りはナミヲのまねをするようにした。


 マヤコが街頭演説に立つと、すぐに人だかりができた。

 みんな彼女のスピーチを聞きたがったのだ。


 この選挙に間に合わせるようにして、テレビやラジオの放送がはじまり、インターネットも繋がるようになった。

 なぜかクローンたちはこのような情報を共有する技術を持っていなかったのだ。


 マヤコは、この世界で先生と話をして気づかされた、みんなが自分らしく生きられる社会のあるべき姿、そしてマイキーの事件によって突き付けられた人類のあるべき姿について連日語った。

 そして、人類がまだこの小さなコミュニティであるうちに、実現できるものをみんなで作っていきたいのだと語った。


「どうかみんな、私に手をかして…。」


 マヤコは演説の終わりに必ずそう言って頭を下げた。

 その姿は、かつて全人類を新たな地へ導こうとしていた時の彼女を彷彿とさせた。


 神田ヒロシは、マヤコの圧勝を確信していた。


 果たして、マヤコは2位以下の3倍近くの票を獲得して市長に当選した。


 その夜は、仲間だけを集めて自宅でささやかなパーティーをした。

 マヤコを応援してきた後援会の人々から大々的な祝賀会の誘いも受けていたのだが、マヤコはなんだか浮かれ騒ぐような気持ちになれなかった。

 だって、そこにはハヤトやケンタがいない。


 祝賀会には少しだけ顔を出して、すぐに家に帰って来た。

 家ではみんなが温かく迎えてくれた。


 ここなら、ソファーに一人で静かに座っていても、やたらと話しかけて来たり、酒を注いで来たりする人はいない。

 今や彼らは、マヤコをほっといてくれる唯一のメンバーなのだ。


 マヤコが楽しそうに話をしている面々を眺めながらソファーに座っていると、となりに神田ヒロシがやってきた。

 彼もマヤコと同じ気持ちのようだった。

 二人は、それぞれの大切な人を祭っている即席の祭壇を無意識に眺めていた。


「この、心の中にぽっかり空いた穴は、時間がゆっくり埋めていってくれるだろうよ。今は想像もできないけどね。」


 神田ヒロシがつぶやいた。


「ヒロシさんがよければ、まだしばらくこの家に住んでいてもいいかな?」


「もちろんだよ。ずっと住んでても構わない。」


「ヒロシさんに新しい彼氏ができても?」


「ああ、そうなったら追い出すよ。ナミヲも。」


 マヤコはふふっと笑って神田ヒロシの肩に頭を乗せた。


「勝手にお兄ちゃんだと思ってる。だって同じ森のどんぐりからできてるんだもん。」


 そうだったな…と言って神田ヒロシも笑った。


 翌日からマヤコは大忙しだった。

 午前中だけでもやることは山積みだった。


 今回の選挙で判明したのだが、10万人ほどが既にこの街から去っており、行方不明になっていた。

 おそらく、彼らは遠く離れた地で、彼らの街を作っていくのだろう。

 マヤコはいつかそれらの街を旅することはできるのかなと空想した。


 慌ただしい半日を過ごして、ようやく一息ついたころ、市長になったマヤコの元を家須キヨヒトと佐奈田マリコが訪れた。

 彼らもまた旅に出るとのことで、馴染みの人々に挨拶をして回っているとのことだった。


「我々は創造神ハヤトの御言葉と、ヒロシさん、マヤコさんの言葉を世界中に伝えるために旅をすることにしました。」


 彼らはマヤコとは別の方法ではあるけど、ハヤトの意思を繋いでくれようとしている。

 最後にハヤトを見ていくかと誘ったが彼らは断った。彼らは決してハヤトの亡骸、というか元ハヤトの人形を見ようとはしないのだった。


 マヤコは彼らと長い抱擁を交わし、そして別れた。


 夕方になり、市長に就任して初めての大仕事がこれから待っていた。

 マヤコはきちんとしたスーツを身に着けて、たくさんの報道陣の前へと向かった。

 今日、マヤコはある重大発表を任されていたのだ。


 すっと息を吸い、自分に向けられたマイクに向かって、できるだけ緊張を隠しながらマヤコは話し始めた。


「みなさんこんにちは。今日からみなさんの街の市長となりました篠崎マヤコです。これから、予定していたとおり、この新しい街の名前を発表したいと思います。」


 マヤコがにっこり微笑むと、カメラのシャッターが一斉にカシャカシャとなった。


 この市長選が始まったころから、街の名称の一般公募が開始され、市長選と並行して、昨日まで人気投票が行われていたのだ。

 街の名称は、規定に違反してないものであるかぎり、最も多く票を獲得したものに決定することになっていた。

 結果は伏せた状態で投票が進行していたので、新しい街の名称を知っているのは、現在、市長のマヤコと数名のスタッフのみだ。


「それでは発表します。我々の街の名称は… ≪カンブリア・ヒルズ≫ です!」


 マヤコの頭上にあったくす玉が割れて、ばーんと街の名称が書かれた垂れ幕が飛び出した。

 同時に陽気な音楽が流れはじめた。


 それは、ナミヲがこの日のために作った音楽だった。


 記者たちからは、おお!とどよめきが起こり、カシャカシャとフラッシュが点滅した。


「ここから始めましょう! 新しい世界を!」


 マヤコの言葉に会場の全員が拍手で応えた。

 マヤコは心の中でハヤトに話しかけていた。


(ハヤト、見ていてね。私たち人類が歩んでいく道を!)


(おしまい)

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カンブリア・ヒルズ 大橋 知誉 @chiyo_bb

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