デウス・エクス・マキナ (6)
笑い転げるヒト型を見ながら、先生は、彼らが飲んでいたものに気が付いた。
「ハヤト!まさかヒト型にアルコールを飲ませたのか!?」
ハヤトは両方の手のひらを上に向けて、肩をすくめて見せた。
「先生~、ハヤトを責めないでくださいよ。」
酔っ払いの神田ヒロシは、まるで旧友のように先生の肩に腕を回した。先生は嫌がってその腕を押し戻した。
その様子を見て、マヤコがクスクス笑う。
「つれないな…先生は…。僕たちは、いきなり知らない場所に連れてこられて、自分たちが人類存続のために作られたのだ~とか言われて、しかも軟禁されたんですよ。彼はそんな僕たちの気持ちをほぐすためにやってくれたんです、おそらく。」
神田ヒロシがふざけた様子で続けたが、実はそこまで酔ってはいないようだ。
「まあ、先生がそうやって焦るのもわかりますよ。だって子を産む能力は喉から手が出るほど欲しいんでしょう?だから子供を作れるなら、今すぐに…となってしまうのもわかります。でもね、先生。僕たちにとって子供を作るということは、もう少しこう、何というか違うんですよ。説明、聞きます?」
「いいだろう、話してくれ。」
と先生もデラックスなルームのソファーに腰を下ろした。
神田ヒロシも先ほどまでの酔っ払いモードを解除して、真面目な顔になった。
「いいですか、先生。僕たちの世界の最大の特徴は、“多様性” です。さっきからあなたたちの話を聞いていて思ったんですが、あなた方の世界は、非常に画一的だ。決めつけも多い。自覚してます?」
先生は首を振った。
「多様性の欠落は滅びの道ですよ。そんで、たぶん、僕たちを設計したホッチ博士?という人は、それに気が付いていたんじゃないかな? 僕たちの世界では、“こうあるべき” という決まりみたいなものがほぼないです。子供を産み育てるのも個人の自由なら、子どもを持たない人生を選択するのも自由。それについてとやかく言う人はとても嫌われます。年配の人にはまだいるけど。」
「ではヒト型の男女を “つがい” にしても子供を作るとは限らないということなのか?」
「“つがい” は必ずしも男女ではないですよ。」
すかさずマヤコが指摘する。
「それはどういう意味だ?」
「多様性ってことですよ。」
酔いが回っているマヤコは堅物の先生にLGBTQを説明するのが面倒くさくなって、うふふと笑ってごまかした。
「まあ、先生に僕たちの価値観を押し付けたところで話はずっと平行線なんで、このへんでやめておこうか。とりあえず、考え方がまるで違うってことを理解してくださいよ。僕たちも子どもを作りたくないわけじゃないんですよ。現に僕らはどんどん増えている。心配しないでも勝手に増えるから、産めよ増やせよってうるさく言わないでほしい。」
神田ヒロシが強引に締めくくったが、先生は納得していないような表情で、ふむ…と考え込んでしまった。
「とにかく、僕たち二人だけじゃ子孫繁栄は無理ですよ。バリエーションの少ない遺伝子の辿る道はあなたたちの方がよく知っているでしょう?どっちにしたってあっちの世界に戻る必要がある。大丈夫ですよ。きっと多くの仲間が生き延びる未来を選択するはずです。そういう生き物ですから。少なくとも僕の同僚のケンタはこっちに来たがるはずだ。彼ならいろいろ解明してくれるかもしれない。」
「私の大学の学生たちや教授も来ると思いますよ。好奇心の塊ですから。」
それを聞いて先生は少し安心したようだ。
「こちらに来る数が多ければそれだけ繁栄する可能性も増えるというわけだな。よし、いいだろう。今すぐあの小さい街の中に戻って同胞を連れてきてくれ。」
神田ヒロシとマヤコは顔を見合わせた。
「なんだ?無理なのか?」
「向こうに戻るには少し時間が必要です。準備するものがあります。」
神田ヒロシは、お食い初めの際に取得した知識を先生たちにも与えた。
ジオラマの中にいるヒト型たちをこちらへ連れてくるためには、いくつかの段階を踏まなければならない。
仮に、神田ヒロシたちが手ぶらでジオラマの中に戻って、この世界の成り立ちについて語ったとしても、誰も信じてはくれず、彼らが変人扱いされて終わりになってしまう。
この二つの世界を見てきた二人に意識と、全ヒト型たちの意識を結合させる必要がある。
それには、全員に言の葉を入れる必要があるのだが、いきなり入れたのではヒト型は狂ってしまうので、まずは、こちらの生体との接触が必要である。
一番手っ取り早いのは、果汁などを霧状にしてジオラマの上から散布すればよい。
そうすることで、彼らはこちらの生体の成分を吸い込み、細胞内に取り込むことができる。
ちなみに、こっちに来てから言の葉を入れられた神田ヒロシとマヤコはここでの記憶を維持したまま、あちらの世界には戻れないのだが、この果汁シャワーを浴びることで記憶が戻るはずだ。
記憶の保存フォーマットが異なっているので、ヒト型の世界に戻ってしまうと、こっちで保存された記憶は呼び出せなくなるのだと神田ヒロシは説明した。
果汁は言わば互換パッチのような働きをするのだ。
「なるほど、今まで言の葉を入れて失敗してたのは、こちらの生体に触れされる工程が足りなかったんだね。僕は厳密に言うとここの生体じゃないからな。」
ハヤトもいろいろ長年の問いの答えを見つけたようだった。
神田ヒロシは頷いて先を続けた。
「細胞内に成分が入った者から、言の葉を入れていけるんだけど……、うーん…ざっと見積もってもヒト型は60万人ほどいるだろうね。効率を考えてやっていかないと、ハヤトがジオラマに手を伸ばして一人一人に入れていくのでは何年もかかってしまうだろう。」
神田ヒロシの知識によると、言の葉は生理食塩水で保管することができるそうだ。
密閉できる容器に食塩水と言の葉を入れて、ジオラマの適当な場所に隠し、中に入ってから回収する。そして、信頼できる者から優先で接種させ、手分けしてどんどん接種させていく作戦がよさそうだった。
「言の葉も散布すればいいんじゃないか?」
先生が意見を述べたが、ハヤトと神田ヒロシは首を振った。
ここは言の葉をよく知るハヤトが説明する。
「言の葉は脳に直接叩き込む必要がある。吸い込むだけじゃだめだな。俺以外が言の葉を入れるなら、血管にでも注射しないと届かないだろう。」
果汁の散布で、成分を細胞内に取り込めている場合は、鼻の粘膜を調べればわかるので、それで陽性の者にどんどん言の葉を注射していけばよいと神田ヒロシは考えていた。
この果汁成分を致死率の高い未知のウイルスということにして、「言の葉」はそれの治療薬だと情報を流せば、みんなこぞって検査し注射しに来るだろう。
「そんな大掛かりな計画が君たちだけで実行できるのか?」
心配性の先生が言った。
「大丈夫ですよ。僕の勤めている会社は製薬会社を子会社に持っています。そこの連中を先に取り込めば、政府に働きかけて、ウソのパンデミックをでっちあげることができるはずだ。」
この計画どおり、ヒト型たちに無事「言の葉」を入れることができれば、全員がいまここにいる二人と同じ知識を持つことなる。
そうして、人類は存続すべきかどうかの協議が始まる。
全員の意見が一致ということはありえないだろうから、来たい奴は来る、残りたいやつは残るという方向になるだろう。
この現実を受け入れられない者たちもいるだろう。
「一度入れた言の葉を取り除くことはできるの?」
マヤコが質問した。ハヤトはうーん?と考え込んでから言った。
「言の葉は目に見えないほどの小さな小さなデータチップなんだ。そいつを血液中、もしくは俺が直接頭に叩き込むと、脳の特定の箇所に付着する。それで作用する仕組みなんだ。たぶん、ものすごく強い磁気を当てると壊れるかと思うんだけど、そこはホッチ博士も開示していない情報で俺も詳しくはわからない。」
「ちなみに、ジオラマの中に残ったら、どうなるの?」
マヤコは何か心配ごとがあるようだ。
これには先生が答えた。
「ヒト型である君たちの状態は不安定だ。ヒト型のまま繁栄し続けるようには設計されていない。この先もずっとヒト型のままでいて、同じように暮らしていける保証はまるでないだろう。これは、こっちに出てきてほしくて言っているのではない。真実なんだ。それに我々はやがて滅びる。この世界はあっと言う間に森にのまれるだろう。そんな中で君たちの街だけ浸食されないとは考えにくい。」
「一度知ったこの現実をきれいに忘れて、何も知らなったことにしたいと思う人も中にはいるかもしれない。その場合は、いつ何時終末が訪れるかわからない状況で無垢に戻りたいのかを選択してもらう必要が出てそうね。ただ、無垢に戻れるかはわからないけど。」
「そうだな…ではもろもろ全てを踏まえて…まずは戻る準備を始めようか。先生、僕たちの帰還の準備のためにあの小屋に行かなければなりません。ここから出してもらえますか。」
先生はうなずて、立ち上がった。それから一行はゾロゾロと連れ立ってジオラマのある小屋へと向かった。
準備の間、神田ヒロシはできれば先生には同席してほしくなかったが、先生は全てを見届けたいらしく小屋に居座ることとなった。
どこからともなくハヤトの相棒である狼犬のロルフが小屋に入って来た。
しばらく主人が見当たらなくて心配していのだろう。ハヤトを見つけると、尻尾を千切れんばかりに振って喜んだ。
そして、なぜかロルフは先生に興味津々で彼についてまわった。
先生は犬の扱いに慣れていない様子で、嫌がっていた。
マヤコはその様子がおかしくて、こらえきれずに時々笑ってしまった。
先生と言ってもやはり、どう見ても子どもにしか見えなかった。まるで映画に出てくるような美しい子どもが犬に追いまわされている。。
ジオラマへの帰還の準備は、半日ほどで終わりそうだった。
マヤコがこの小屋の中で見つけた小さなガラスのビンに、ハヤトが食塩水と言の葉を入れていく。
このビンは、ビーズか何かが入っていたもので、しっかり密閉できる。同様のものを30本ほど作成した。
神田ヒロシはそれらの言の葉を注意深くジオラマのはずれの森のようになっている緑地に埋めて隠した。
マヤコはテーブルからボールペンを拾うと、その位置を無意識に自分の腕ににメモをした。彼女の癖なのだ。
「さて、篠崎さんは自分の帰還ポイントわかる?」
マヤコはしばらくジオラマを覗き込んでから、一角を指さした。大学の時計台だった。
「あそこ、毎日通っていたけど、ゲートだとは全く気が付いていなかった…。」
「僕のはあそこだな。家の近所の公園だ。」
「向こうに戻った時は、私たちはどんな状態になるのかな?」
「おそらく最初は意識がないだろうな…。」
「私のポイントは大学の中なんで、うっかり日曜なんかに戻ってしまったら、月曜の朝まで誰も通らないかも…。それまで外でひっくり返っているのやだわ…」
「誰か君を探してくれそうな人へのヒントを作っておいたらいいんじゃないか?こっちで書いた文字は読めないかもしれないから、形を作って中に置けないかな?」
神田ヒロシとマヤコは、自分が帰還する予定のポイントを、誰かが発見してくれることを願って、この小屋にやたらとある粘土でその場所の形状を作った。
ヒト型サイズに作るのは細かくて難しかったが、幸い二人の帰還ポイントは独特な形をしていたので、何とかわかるようなものができた。
さて、あとは、これをどうっやってジオラマの中に置くかだが…。
ここで、神田ヒロシは、ビルの屋上でぶっ倒れていたナミヲの姿がないことに気が付いた。
奴は死んだりしていないはずだ。
「ハヤト、ちょっとナミヲを呼んでみてくれないか?」
ハヤトはできるかぎり大きな声を出してナミヲを呼んだ。しばらくしても何も変化は起こらず、全員があきらめようとしたとき、ちょうど手前のジオラマの縁あたりにナミヲが大掛かりな機材を担いで歩いてくるのが見えた。
ナミヲはそこに機材を下ろすと、アンテナを伸ばし、機械を通じて声を発した。
「聞こえますか、聞こえますか、我らが創造神よ。お呼びでしょうか。」
「ああ、すげー呼んだよ。今からお前の傍に置く物を、マヤコの部屋とヒロシの部屋に置いて来てくれないか?」
「お安い御用です。」
「ちなみに、ヒロシとマヤコがこっちに来てから、そちらではどのくらいの時間がたっている?」
「まだ、数時間です。」
マヤコと神田ヒロシは顔を見合わせた。
「こちらとそちらの時間の進み方はてんでバラバラです。全く辻褄は合いませんよ。私はその両方の経過時間を知ることができます。」
なるほど、マヤコ達にはない能力のようだった。
ナミヲにゲートの位置を示す粘土細工を託し、いよいよ神田ヒロシとマヤコはあちらの世界に戻るころとなった。
先生は、どうかどうか多くの同胞を連れて戻って来てくれ…と何度も言った。神田ヒロシは少なくとも自分は戻ってくると先生に約束していた。
マヤコはハヤトの傍へそっと近寄り、私も戻ってくるね、と彼だけに聞こえるように言った。ハヤトはそれを聞いてにっこりわらった。
ロルフが心配そうにクンクン言っていたので、マヤコは彼を撫でてやった。大丈夫、みんなここに来るわよ。マヤコはロルフに心の中で話しかけた。
「それじゃあ、先生、僕たちがあちらに入ってから数分たったら、この果汁をまんべんなくジオラマの上から散布してください。霧状に念入りにふりかけた方がよいかと思います。それを30分くらいに1回、合計で5回ほどやってください。それで充分だと思います。散布が足りなかったらナミヲを通じて言いますんで。」
先生は果汁の入った霧吹きを握りしめながら、うんうんとうなずいた。
さあ、戻る時間だ。
マヤコはどうやってあっちに戻るのか、よくわかっていた。
お食い初めの時に無理やり入って来た知識に少々戸惑いもあったが、その大半を彼女は受け入れていた。
目を閉じると、大学の時計台がフォーカスして、まるで上空からそれを見ているような感覚になった。
チラッと目を開けて隣の神田ヒロシを見ると、彼も目を閉じて何かを始めているようだった。神田ヒロシの顔の前には、マヤコが今まで見たものの中で一番真っ黒な、立体なのか平面なのかわからないほど黒い黒い丸が浮かんでいるのが見えた。
あれが神田ヒロシが話していた黒い球なのだろうか?
マヤコは目を閉じて自分の帰還に集中した。
再び時計台を上空から覗いている感覚。そして足元にそこへと続く階段が出現した。マヤコは慎重に、一段ずつ階段を下りた。
神田ヒロシとマヤコの様子を後ろから見ていたハヤトや先生には、彼らが見ている黒い球や階段は見えていなかった。
ただ、ものすこく眩しい光が彼らから発せられて、とても直視できない状態だった。
ロフルが激しく吠え続けていた。
やがて、光が薄れると、その中にはもう二人の姿はなかった。戻ったのだ。彼らは小さな街の中に戻って行った
先生の喉がごくりとなるのが聞こえた。
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