第2話 ルチーアとフィオルスの場合

 フィオルスが少年に着いて山を下り森を抜けたのは、ひとえに彼が武術の心得がないからだった。立ち居振舞いから彼がドのつく素人であることは見てとれたし、最悪の場合、フィオルスの腕ならば少年を斬ることはたやすいだろう。


 また、森の中にはまるで殺気がないことも、フィオルスの少年への警戒度を下げさせた。惑いの森は視界も悪く空気は殺伐としていたが、今いる場所は非常にのどかな森だ。


 信じられないことだが、フィオルスも転移の魔法を聞いたことがないわけではない。もしかしたら本当に、この森は「惑いの森」でなく「サカイバヤシ」なる場所なのかもしれない。


「ここが境林の終点。こっからこの道路を下ってく」


 少年が示したのは森の終わり。赤く塗られた木で組まれたオブジェの少し先にある灰色の道は硬い石か何かで出来ているようだったが、一切凹凸がなくとても滑らかだった。王都でもこんな道は見たことがない。


「ちなみに質問があっても全部後な。こっち来い」


 フィオルスの思考を読んだかのように、彼は先んじてそう言った。少年はちらと二人を見て、灰色の道を進んでいく。




 ◆




 道路を進んだ先に、すべて木で作られているらしい独特の建築物が建てられていた。ドアは横スライド方式のようだ。森からこっち、何もかもが見慣れない。


「ただいまー。氏原うじはらさん、ジジイまだいる?」


「ああ、お帰り紫輝しきくん。八尋やひろさんなら奥にいるよ」


「お、お邪魔してます」


荻原おぎわらも来てたのか」


 少年がドアを開けて声を掛けると、奥から男性と少女が出てきた。男性がふと、彼の後ろのルチーアとフィオルスに目を留める。


「彼女らが今回の?」


「そうっぽいっす。二人とも上がって……靴は脱げよ。

 あと、そっちのあんたは鎧脱げ。ガシャガシャうっさい」


「しかし……」


「ここは本当に安全だから安心していいよ、マレビトさん。

 ……マレビトさんと呼ぶのも失礼か。紫輝くん、お二人の名前は?」


「…………あー、まだ聞いてなかった」


「君はしっかりしてるのに、時々抜けてるねえ……」


 男性は苦笑し、少年はバツの悪そうな表情を浮かべた。

 そんな二人を見て、ルチーアはフィオルスに微笑みかける。


「フィオルス、彼らの言う通りにしましょう」


「ですが、姫様」


「ここまで歩いてきて、魔物の気配は一切なかったでしょう?

 事情を知っていそうだし、従っておくのがいいと思うわ」


「…………姫様がそう仰るのであれば」


「鎧、野ざらしにはしたくねーよな、たぶん。

 あー、玄関のとこ……じゃない、そこの扉入って一段低くなってるところあるだろ。そこの隅っこに適当に置いとけ」


「貴様は目上のものに対する礼儀というものがなってないな」


 フィオルスはムッとしながらも鎧を脱ぎ、少年に指定された場所に置く。靴も脱いで木製の廊下に上がり、案内された先は緑色をした草のカーペットが敷かれた部屋だった。

 そして、その部屋には深い皺をたたえた鋭い瞳の老人がひとり。老人はルチーアたちを睨むように見て、少年に視線を移す。


「そいつらが?」


「そう。あんたらはそっち、適当に座って。

 ……あ、氏原さん、ありがとう」


 男性がルチーアとフィオルスの前にコップを置く。取っ手のないコップには緑色の液体が注ぎ込まれ、ゆらゆらと湯気が立ち上っていた。



「じゃ、まず自己紹介からな。俺は青山紫輝、青山が名字で紫輝が名前な。境林の神主……じゃ分かんねーか、管理人。

 林の中に建物があったの見たか? この辺はあの林と建物が信仰対象になってて、俺はアレらを管理してる。

んで、そこに座ったおっさんが氏原うじはら九十九つくもさん」


「おっさんはひどいなぁ……よろしく、何か困ったことがあれば言ってね」


「そっちのは八尋やひろ俊頼としより、見た目通り愛想の悪いクソジジイ。この辺じゃ無駄に発言力のある、俺の後見人」


「ふん、クソガキが。

 ……何かあれば誰ぞに言え。」


 氏原という男性はにこやかに、八尋という老人は妙な迫力でふたりを見ながらそう言った。

 八尋の迫力に圧倒されながらも、ルチーアはなんとか笑顔を保つ。


「……ルチーア・シュテリーゼといいます。シュテリーゼ王国の第一王女として、魔物が湧き出る原因を突き止めるための旅をしていたの。

 彼女は私の第一護衛騎士なのよ」


「ルチーア様の騎士であるフィオルスだ。……お前、シキだったか。いったいこれはどういうことだ?

 私達は惑いの森にいたはずだが、気付けばあの森にいた。あのサカイバヤシとかいう場所を私は知らんし、言葉の響きそのものに聞き覚えがない」



 言い募るフィオルスにも、少年……紫輝は平然とした顔をしていた。


「フィオルス……で合ってるよな。お前、異世界って分かるか?」


「異世界……?」


「異なる世界。理屈や常識の違う世界。

 例えばお前たちの知る常識では、そっちのルチーアとかいうのは姫で、魔物とかいうのが一般的だったりするだろ。

 だけど俺達の知る常識では、魔物は空想上の生き物だし、開拓されきったこの世界にはどこにもシュテリーゼ王国なんて存在しない」


「………………何が、言いたい」


 何と対峙しようとも勇猛に戦うフィオルスの手が、小さく震え出す。

 この子どもは、いったい、何を言い出すのか。


「本来はつながらないもの。世界同士の境界……“さかい”が、あの林にある。だからあの林は、境林だ。

 あんたらは偶然境界線を飛び越えて、あんたらの世界から俺たちの世界に迷い込んだんだ。

 そういう、どこからともなく……境林から現れるやつのことを、この辺じゃ“マレビト”って呼んでる」



 ……叩きつけられた事実に、ふたりは絶句する。と同時に、ルチーアは少し納得してもいた。

 林の中で見た建物や赤いオブジェ、道の様子にこの家の様式。すべて、なにもかも、ルチーアの知るものとは違う。


 血の気の失せた顔色をしているフィオルスの手を握って、ルチーアは青い顔で問いかけた。


「……ひとつ、聞いてもいい? 私達は、帰れるのかしら?」


「ああ。どういう理由か知らんけど、マレビトは一週間限定でな。一週間後に境林へ行けば、ちゃんとあんたらの世界に帰れる。

 実をいうと、俺が神主……じゃない、管理人になってからマレビトを迎えたのは、あんたらが初めてじゃねーんだよ」


「イッシュウカン……?」


「あーっと、七日……で、分かるか?

 今日の夜も含め、あと六回夜が来て、日が昇ったらだ」


「あ……ええ、それなら分かるわ!」


「そりゃ良かった。

 あんたらがいる間の宿は俺が提供する、つーかこの家だけど。飯も出すし」


 紫輝の言葉に、ルチーアはぱっと顔を輝かせて……すぐに曇らせる。


「とてもありがたいわ……けれど、あまりお金はないのよ」


「あんたらの金はここじゃ使えねーよ。

 ……いや、じゃあ、宿代の代わりっつーか、記念にいくつかあんたらの世界の金をもらえるか。金額よりも種類をくれ」


 布袋からいくつか出した硬貨を紫輝に渡す。それを受け取って、紫輝が口を開いた。


「マレビトはもてなす、ってのがこの辺の掟……っつーと堅苦しいな、まあ習慣みたいなもんだ。

 そうそう、あんたら旅してたんだろ。飯は時間的にまだだし、とりあえず、あーっと……風呂入って来たら」


「フロ?」


 フィオルスの疑問にちょっと困ったように息を吐いて、紫輝は背後を振り返った。

 それで、入り口からこっそりと覗き込んでいた少女はびく、と肩を震わせる。


「体の汚れを落とすこと。俺達のとこじゃ、風呂ももてなしの一つなんだよ。

 荻原。悪いんだけど、風呂案内して使い方とか教えてやってくんね」


「あ……う、うん」


「そいつは荻原 はるか、俺のクラスメイト……じゃ分かんねーか、友人だ友人。荻原もこの辺の人間だから、なんか俺とかに聞きづらいことあったら荻原に聞いて。女同士でしかできねー話もあるだろ。

 お前ら腹減ってる? 風呂から出たあと、軽食と菓子とどっちがいい?」


「まあ、お菓子を頂けるの!?」


「では、両方を」


「分かった」


「そ、それじゃあ、あの、ご案内します。こちらへどうぞ」




 遥が先導して、マレビトふたりは奥へと向かっていく。それを見送って、紫輝は立ち上がった。


「じゃ、なんか用意すっか」


「何か作るのかい? 買いに出るなら、車を出すけれど」


「あー……そうっすね。どうせ食材なんかも買わねーとだし、出るか。

 氏原さん、悪いんすけど、車お願いしていいっすか」


「うん、もちろんだよ。八尋さんはどうしますか?」


「途中で下ろせ。町内会の連中にマレビトが来たと伝えてくる」


「分かりました、そっちも周りましょう」


「荻原にメモ残してくか」


 そうして3人は、連れ立って部屋を退出していった。

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