第26話 伏兵

 武史にとって大阪光陰の真田というのは、実は憧れの選手である。

 あの兄を相手に、夏の大会でぎりぎりまで投げあった。それが武史が一年の夏。

 そして去年、二年の夏。

 直史が化け物と言うよりは、既に神の領域であるピッチングをしなければ、大阪光陰が勝っていた。

 もし自分が投げていたとしたら、それはそれなりに奪三振などもあっただろうが、どうにか九回で二点ぐらいは取られるだろうな、と思っていたのだ。


 予感は神宮で現実になった。

 1-0というのは思ったより少ない失点であったが、0と1の間には、巨大な差があるのである。

 去年の送別試合で残された後輩たちが、このどちらかさえあれば全国制覇出来ると思ったのは、白石大介を抑える投手と、佐藤直史から一点を取る打線。

 一打席だけとは言え、大介を封じたのは、武史の自信になっている。

 理屈の上でも大きな変化球を一つ身につけたのは、かなりの武器になっているはずだ。


 意気込んで決勝のベンチに乗り込んだ白富東であるが、大阪光陰のスタメンを見て拍子抜けする。

 先発が一年の緒方である。

 センバツもここまでに投げた試合はあったが、まさか決勝の先発に真田を使わないとは。

 だがメンバー全員が明らかになったところで、球場全体がざわめいた。

 バッティングも一流の真田が、外野にも一塁にもいない。


「故障か?」

 昨日あれだけ投げたので、先発しないというのはぎりぎり分からないでもない。

 だがクリーンナップで五番を打つことも多い真田を、打線からも完全に外す理由はそれぐらいしかないだろう。


 そして昨日のスコアを見て、秦野は確信した。

「たぶん昨日の最終回にはもう痛みが出てたんだろうな」

 明らかなのはスライダーの減少、いやほとんど投げなくなった終盤と、デッドボール。

 真田はコントロールのいいピッチャーだ。それが最後の最後で崩れ、ストレートでぎりぎり抑えて勝った試合だった。




 真田のようなスリークォーターの選手が、遠心力を利用して思いっきりスライダーを投げる。

 肩か肘か、ストレートで最後は球速が出ていたというのは、肩の故障ではないと思うが。

 いや、痛みでコントロールがつかず、スライダーが投げられなかったら、肩の可能性もあるのか。

 腕を吊っていないところを見ると、深刻な状態ではないのかとも思うが、あえて弱みを見せずにいるのか。

 これまで五番を打っていた真田を、スタメンに使っていない時点で、おおよその推測はされるものだ。


 白富東の先攻で始まるこの試合。

 一応のデータは入れていた緒方だが、技巧派かあるいは軟投派と分類すべきだろう。

 右の綺麗なオーバースローなのだが、カーブを上手く使い、チェンジアップも混ぜている。

 球速は140kmほどがMAXで、全国のトップレベルからすればそれほどの球速とは思えない。

 だがスカウトでしか入れない大阪光陰が、わざわざ取ってきたピッチャーなのである。

 それに球速を言うなら、140kmを投げずにパーフェクトをしたピッチャーがいたらしい。


 投球練習も見ていたアレクだが、なんというかフォームに、全く余計な力が入っていないように見えた。

 そして打席に入ってみて、立ち姿がまっすぐだなと感じる。

 初球から打っていくことが多いアレクだが、このピッチャーには異質なものを感じる。


 初球、緒方もまた、セットポジションから投げるピッチャーだ。

 すっと足が上がり、その足を下ろすのだが、体が開くのが遅い。

(ん!?)

 ミットにボールが収まったが、妙に速かった。

 球速表示は135kmで確かに遅くはないのだが、体感はそれよりも10km以上はあるような。

 ただスピンが利いていてすごく伸びるとか、そういう球でもない。


 一つだけ言えることは、アレクの知る限り、日本のピッチャーでこうやって投げるピッチャーはいない。

 そう、日本のピッチャーなら。

 素人のまま投げ続けて、こういった球筋になるピッチャーを、アレクはブラジルで見てきた。

 だがこのピッチャーは、そんな出来損ないとも違う。


 二球目のストレートはアウトローに決まった。

 初球と全く同じ135kmと出ている。

(コントロールと、独特のフォーム? それでも……)

 このスピードなら対応出来る。


 だが三球目のボールは、アレクが振り抜いた後の空間を通過し、ワンバンで捕球された。

 チェンジアップだ。だがこのチェンジアップは、落差のあるチェンジアップではない。

 単にスピードがなく、そのくせストレートと同じピッチトンネルのため、ミットまで届いていないのだ。




 アレクが三球三振というのは、初対決とはいえそれなりに珍しい。

「最初の打席は出来るだけ球筋を見るのに注意した方がいいかも」

 そう哲平に伝えた後、ベンチに戻ると秦野の隣に座る。

「変なピッチャーです。でも次の打席には打てると思うけど」

「やっぱりそうなのか」

 秦野としてもそれなりには、緒方について調べてはあるのだ。


 岡山県出身であるが、中学時代は部活の軟式で完全に無名だった。

 最高は県大会の準々決勝。対戦相手のチームの選手を見に行ったスカウトの目に止まったらしい。

 特徴的なところは、身長の割には体重が重い。

 たるんだところは見えないので、おそらく小柄な体もみっちり筋肉で覆われているのだろう。

 球速は一年にしては充分であるが、140km程度がMAX。

 変化球はカーブとチェンジアップで、だいたい打者二巡目までは抑えてくる。

 体力がないわけではなく、おそらくそのあたりで打者が球に慣れてくるのだ。


 秦野もフォームを見る限り、ピッチャーの大原則の部分は守っているが、それ以外の部分ではかなり平均を逸脱しているように思える。

 おそらくは何か、別の原理で体を動かしている。

 この点だけで軟投派だが、どうやらチェンジアップを二種類持っているらしい。

 球速の遅いチェンジアップと、緩急はそれほどではないがタイミングが違うチェンジアップだ。

 握りで遅くするチェンジアップと、スナップを利かせたチェンジアップなのか。


 哲平も見ていくが、ボールをカットすること自体は難しくない。

 ただコントロールは確かにいい。130kmちょっとのスピードではあるが、ゾーンぎりぎりに入れてくる。

(ただ無理に打てなくはないかな)

 そう思っていたところにカーブである。

 すかっと空振りして三振であった。




 白富東の高出塁率の一二番を三球三振というのは、かなりの曲者である。

 三番の孝司はキャッチャー目線から緒方を観察する。

(野球選手の体の使いからじゃないな。前は他のスポーツをしてたのか)

 それでもコントロールは見事であるし、何よりストレートの体感速度が速い。

 スピンがかかって伸びてくるというのではなく、体が開くのが遅くてリリースまでも時間があるので、そこからミットに届くのが早く感じるのだ。

 リードしてみたいな、と思うピッチャーである。


 だがカットを狙えばカット出来ない球威はない。

 チェンジアップとの緩急差はあるが、どちらも待つことは出来る。

(それで後はカーブか)

 これまた二球で追い込まれた孝司であるが、三球目のカーブをちゃんとカットした。


 カーブはその変化によって、同じカーブでも色々と分けられていたりする。

 大概のピッチャーはその投げ方に合った、一つのカーブしか使わないし使えない。

 直史のような、カーブだけで緩急を作るのが異常なのである。

 緒方のカーブもまた、彼だけのものだ。


 ただ、こういう変化をするタイプのカーブを直史も使えた。

(分類としてはパワーカーブか)

 緩急差をつけるために使うスローカーブ、落差を重視したドロップカーブ、ごりごりに曲げてストライクを取るパワーカーブなどの他にも、スライダーの要素が入ったスラーブなどもある。

 孝司はここから粘っていくが、緒方も粘られても自棄にならず、丁寧に攻めてくる。

 低め低めに投げた後の高めで内野ゴロに打ち取られたのだが、それでも10球は粘ったのであった。




 真田が先発しないというのは、どういうことなのか。

 当然ながら大阪光陰の打撃陣は、大量得点を狙ってくる。

 そして真田と投げ合うつもりだった武史は、かなりテンションが下がっていた。

 で、あるのに三者凡退のスタートである。


 キャッチャーであった倉田が秦野に報告する限りでは、相手が真田でないのはテンションは下がっていたかもしれないが、逆に余計な力は抜けているというころである。

 コントロール重視のリードで、三振を奪わずに三人を打ち取った。

(扱いの難しいやつだな)

 秦野の偽らざる本音である。生意気だとか、一匹狼だとかではなく、むしろ素直であるのだが、メンタルがそのままピッチングに反映する。

 しかし今日に限って言えば、気が抜けていることがむしろいい感じで出ている。


 真田相手には対抗心を燃やしていて、それは武史にしては珍しいことであり、これまでにない結果が出てしまうのではと心配もしていた。

 しかしその真田が投げられないことで、逆に力の調整が上手くいっているとは。

 だが三者凡退という数字だけを見ればいいことなのかもしれないが、白富東が勢いに乗っていくのは、武史先発の場合は奪三振があるからだ。

 真田が投げられないというのは、これまでの実績だけを見れば勝てる要因になるのかもしれないが、二番手が思ったよりも打ちにくそうなのと、武史にちゃんとエンジンがかかるかが微妙だ。


 真田が投げないことで、両チームの歯車がかみ合わない。そんな決勝になるかもしれない。

 せっかく考えていたアレクの真田攻略法は、夏までお預けか、もしくはずっと出番がないかもしれない。

 高速スライダー。映像で見ただけでも、えげつない球だと思う。特に左バッターにとっては、まさに魔球なのだろう。

 大介でも打てなかったあの球は、おそらくプロでも通用するレベルだ。

 敵であっても、才能が潰れるのは惜しい。

(今年一杯は投げられないぐらいが丁度いいんだよな)

 これまた利己的なことを考えた後に、秦野は緒方攻略について考える。




 一見すると投手戦の出だしである。

 白富東の高打率打線を連続三振から入った緒方。こちらは確かにいい立ち上がりだ。

 しかし気の抜けたボールが打たれて取れた武史の方は、倉田が必死でリードして、それでも球速が上がってこない。


 一巡目の攻撃が終わり、さあこれから緒方を攻略しようかと秦野は考えている。

 しかしエースの調子が悪くて、そちらの方も心配である。

 投手が標準を外れたピッチングなので、攻撃面の采配に集中したい。

 だが倉田のケアをしながらでないと、あっという間に点を取られそうだ。


 四回の表が終わり、粘って球数を投げさせながらも、白富東はまだランナーが出ていない。

 対する武史は三安打を打たれていて、この回あたりは点が入ってもおかしくない。

 応援団も心配する状況である。その中で思わず、といった感じでフェンスに駆け寄る美少女が一人。

「武史さん!」

 高く響く声に武史が振り向けば、恵美理がフェンスにかじりついていた。

「負けないで!」

 おお、と胸の奥底で、何か温かいものを感じる。

 しかし恵美理の背景に、もう一人の少女が現れた。


 イリヤだ。

 珍しくも不機嫌な表情の彼女は、すっと息を吸い込むと、これまでに聞いたこともないような大声を上げた。

「ヘタクソ!!!」

 そして颯爽と去ろうとしたのだろうが、胸を抑えて咳き込んでしまう。

 慌ててツインズが駆け寄るが、無理をしすぎである。


 あんな声が出せるのか、と武史は思うと共に、ずっともう、彼女は本当の声を出せていないのだと思い至る。

 歌を奪われた音楽家。曲だけではなく、本来は自分でも歌っていたという、若きレジェンド。

 だが不甲斐ない投球でも、ヘタクソ呼ばわりされるのは心外である。


 回の頭の投球練習で、倉田は武史のボールの球威が増したのを感じる。

 明確に伝わってくるのは、感情の爆発だ。

 そして武史もまた、己の不甲斐なさと共に、怒りを感じていた。


 三振が取れていない。ぽろぽろとヒットが出る。

 だが全ては、拍子抜けさせた真田が悪い。

(俺だって本気で全員奪三振完封するぐらいのつもりだったっつーの! それが真田のやつが投げてこないからこっちも気合が入ってこないだけで)

 壮絶なる責任転嫁であるが、そんな言い訳を吹き飛ばすイリヤの一言であった。

 直前に恵美理の言葉で、胸がぽかぽかとしだしたところにあの言葉である。

 着火したところにタイミングよくガソリンをぶちまけたようなものだ。




 感情を乗せてボールを投げる。

(うわ~、怒ってる~)

 イリヤの声は倉田にも聞こえていた。

 野球部関係者ではあるが、マネージャーでもなければ記録を残す者でもないイリヤ。

 倉田から見る限り武史とイリヤの関係はかなり近しいものだと思っていたのだ。

 もうお前ら付き合っちゃいなYOというぐらいの気持ちであり、武史がふらふらしているのは、倉田から見ても危なっかしいものだと思っていた。


 ところがこれである。

 北風と太陽作戦と言うよりは、完全にショック療法だ。

 それでいてちゃんと効果が発揮されるところが困る。


 佐藤兄弟は兄もたいがい女を自分のモチベーションに使っていたが、あくまでも自分でそれを選択していた。

 しかし武史の場合は女に尻を蹴飛ばされて、やっとこ覚醒したというところか。


 この回の先頭は、四番の後藤から。

 三球三振に取った最後のストレートは、球速156kmを叩き出した。

「あだちマンガの主人公よりひでー投手だな、あいつは」

 秦野も呆れるしかないが、やっとのことで三者三振。

 本当の決勝はこれからだ。


×××


 こちらの第一部は現在カクヨムコンに参加しております。

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