第24話 流れの淀み
「おいおい」
「おいおいおい」
「佐伯が打っちゃったよ」
「公式戦初打点!」
「マジ?」
「マジマジ。公式戦初打点」
「佐伯……持っておるのう」
こんなネタにされるぐらい、佐伯は守備特化の選手である。
いや、代走でも使われることがあるので、守備特化とは正確ではないが。
まさかと思ったキャラが打ってくれたので、ベンチも呆然としていたが、ナイバッチの声を届かせる。ブラバンもヤケクソ気味に盛り上がる。
打った佐伯自身が首を傾げていたが、そういうこともあるだろう。
ラストバッターのトニーが外野フライに倒れ、この回は一点だけ。
しかし次の回は先頭打者のアレクから始まるので、やはりいいことである。
守備に散る選手たち、特にバッテリーを見て、秦野はこの先制点は大きいなと思った。
トニーが少し固くなっていたのは確かだが、倉田も固くなっているのは、捕球のわずかな姿勢から分かっていた。
最悪先制点を取られることも考えていたのだが……。
「う~ん……」
「どうしたんですか、監督?」
「いや、点が取れたのはいいことなんだが、向こうの継投の意図が……」
左打者の佐伯に、右を当てる。
おおよそ左対左の対決は、投手が有利だと言われている。
それにもまして打撃が壊滅的な佐伯のデータは、向こうも持っていると思ったのだが。
考え方を変える必要があるのかもしれない。
佐伯に対してわざわざ右を当ててきたのではなくて、井上を代えざるをえなかった理由。
最初の鬼塚への対戦は、あまり当てにはならないだろう。孝司と鬼塚では、この大会での打撃成績がかなり違う。鬼塚を用心したのだ。そう考える方が自然だ。
手元にある明倫館のスコアを開く。問題があるのは井上か、それとも他に問題が?
調べていくと特徴的な継投を発見した。
考えてみれば明倫館は前の年は高杉がエースで伊藤が二番手だった。
しかし左のサイドスローという分かりやすいピッチャーが、それまでにも使われていないはずはないのだ。
これは場合によっては弱点になる。だが状況はひどく限定される。
(下手に公開して回ってこないチャンスを期待させるのもダメだしな)
秦野はその機会が訪れるのを待つ。
試合の流れは、まだ両チームの間でたゆたっている。
トニーはあまりコントロールにはこだわらず、ストライクとボールをしっかりと投げ分けさせるように倉田はリードしている。
ストレートの球威なのに、身長のおかげで角度が違うのだ。なかなかこれを打てるものではない。
守備に関しては佐伯が調子に乗って、自分のところにくる強烈な内野ゴロを簡単にさばいている。
外野に上がった打球の場所が良くて三本のヒットが出たが、それ以外には四球を出さないリードをしている。
内野を抜けていく打球はない。トニーの球威が優っているのだ。
「つってもまた外野フライか。そろそろだな」
ヒットが出た後の戦術が上手くはまり、双方共に一点ずつを加えている。
つまりスコアは2-1で、リードしている点は変わらない。
五回の裏、打者三巡目の外野フライが、四本目のヒットになった時点で、淳へと交代。
そしてキャッチャーも孝司にセットで交代である。
「キャッチャーも交代ですか?」
「まあ淳とは赤尾の方が数字がいいからな」
「でも来年はもうモト君はいないですよね?」
「赤尾もトニーみたいなタイプのピッチャーをリードしたことはあるはずなんだが、淳みたいなピッチャーの方があいつの好みではあるんだよな」
スポーツ推薦で入ってくる予定のキャッチャーは、おそらく倉田タイプであろうから、そちらと組ませるというのも考えてはいるのだ。
だがもちろん理想は、どちらのキャッチャーもどちらのピッチャーをリードして活かせることだろう。
あるいはピッチャーが完全に投球を組み立てていくのでもいいが、淳にはともかくトニーは難しいだろう。
(スペックは完全にメジャーレベルだから、日本の高校野球で潰すわけにはいかないからなあ)
選手たちの未来を考えて采配を振るう自分に、少しだけ酔っている秦野であった。
シーソーゲームではあるが、やや白富東に有利である。
3-2とスコアはまた変わって、ついに最終回の攻防を迎える。
「つーわけでタケ、投球練習開始な」
「俺は兄貴じゃないんだから、前の回から言ってくださいよ」
「そしたら淳が不貞腐れるだろ」
「不貞腐れませんよ」
佐藤家の男どもは本当にめんどくさい。
だが武史の言う通りであるとは、秦野も思っているのだ。
武史は普通の左利きではなく、野手の時は右で投げるという、ほぼ完全に両利きのピッチャーなのだ。
だから試合の中で一塁への送球などで肩を使っても、左の肩が温まるわけではない。
(しかし普通に投げて平均で150kmが出るなんて、また化け物みたいになっちゃって)
普通の投手が決め球として使う、150kmオーバーのストレート。
それが常時出るのであるから、こいつもスペックはメジャー級である。
そのくせNPBを目標としているのは、技巧派の淳だけであるのだ。
先頭打者はその淳からである。
(これはひょっとして、あの検証が出来るのか?)
そう考えた秦野は、珍しいサインを淳に出した。
どんな手段を使ってでもいいから出塁しろ、である。
出ろと言われて出られるなら、バッティングの技術などは必要ない。
ただ武史が肩を作るまでの時間を稼ぐ必要はあるだろうし、ここでどうにかもう一点ほしいというのは分かる。
次の打者が佐伯である以上、淳が出ないと一気にツーアウトになる。
この試合で佐伯は仕事をしたが、二度もそれを期待するのは間違っている。
それに単に出るだけなら、色々と方法はある。
淳はマウンドの井上に対して、普段とは逆の右打席に入った。
淳はスイッチヒッターではないが、素振りだけならそれっぽく見せられる。
そして井上がピッチャーであるので、右の方が球を見極めやすい。
一塁への距離が長くなるという欠点に、そもそもほとんど実戦では使っていない右打席であるが、勝算がないわけではない。
淳の右打席に対してバッテリーは警戒したのか、外に外れるボール球から入った。
ぴくりとも動かず見送る淳。
(そもそもこいつのシンカー右打者には効果的なんだよな)
左打者に対してはクロスファイアー、右打者にはシンカーと、技巧派であり軟投派であるこのピッチャーは、大量失点をしないタイプなのだ。
二球目はそのシンカーで、外に逃げていってボール。
ふうと息を吐いて、淳は左打席に戻った。
右打席に入った淳の狙いは、単に相手に疑心暗鬼を生じさせ、ボール球を先行させること。
見事に引っかかってくれたものである。
ここからフォアボールを選ぶのは、また違った仕事である。
だが三球目の外いっぱいのクロスファイアーがボールと判定され、一気に楽になった。
ノースリーからならストライクがほしいだろう。
だが井上は球速や球威でストライクを簡単に取るタイプではない。
(シンカーなら内に入ってくるから打てる。ストレートは難しければ見送る。あとはチェンジアップ)
難しいところにストレートを投げてきて、平然と見送った。
ボールとコールされて、出塁成功である。
秦野がごく当たり前のサインをあえて出したのに、ベンチのメンバーは興味津々である。
だが次の佐伯に出されたサインは送りバント。当たり前すぎる。
まあサウスポーから二塁への盗塁は難しいので、そこそこ俊足の淳でもバントの援護はほしい。
バント練習はしっかりしている佐伯があっさりとバントを決めて、これで一死二塁である。
ラストバッターのトニーに対して、ピッチャーはサウスポーの井上。
ここはまた右の伊藤か山県に代わるのかと思ったが、そのままである。
そしてここで秦野が出したサインも、また意外なものであった。
送りバント。
だが一球目はとりあえず見送り、二球目を狙う。
一球目はシンカーが投げられて、確かに下手に打ちにいっても、凡退したかもしれない。
そして二球目には懐に入ってくる球だったので、三塁線にきちんと転がす。
トニーは公式戦であまりバントをしないが、練習ではちゃんとしている。
秦野としては送りバントはバッターがあまり気持ちよくない消極的な手段だと思っているので、出来れば試合では使いたくない。
ただ送りバントというのはボールの見極めの練習にもなるので、しっかりとさせておくだけはさせておくのだ。
いざという場面で送りバントという手段が使えるかどうかで、勝負が決まることはある。
打力の向上は確かに大切なことであるが、簡単な送りバントを確実に出来るようになることの方が、実際の試合の中では意味があるものになるだろう。
ツーアウト三塁で、アレクの五打席目が回ってきた。
一番期待値の高い、それこそセーフティスクイズでも決められるバッターであるが、ここはまあ敬遠だろう。
哲平と井上の対決は、今日はここまで哲平の四タコである。
しかしここで明倫館のベンチが動く。
ピッチャーが井上から伊藤に交代した。
勝負なのかと思えば、投球練習をした後は、申告敬遠でもなく普通に敬遠をした。
なんだこりゃ、という視線が秦野に集まる。
「可哀想なもんだが、弱いところを攻めるのは勝負の鉄則だからな」
それはそうなのだろうが、秦野はいったい何を見たのか。
いやそれ以前に、明倫館の投手起用がおかしい。
二番の哲平には打たせてなかった井上を、なぜ伊藤に代えるのか。
「明倫館のピッチャーは三本柱に見せてるが、エースは井上なんだよ」
まあ確かに背番号は1であるが、登板数などは三人で分け合っている。
強いて言うなら左ということもあって、井上の投球イニングが一番多いようだが。
秦野は種明かしをした。
井上は一年の夏の大会にも、ピッチャーとして大会に出場している。
九回のツーアウト二三塁という二点差の場面で、相手のサードランナーがひどく飛び出していた。
刺せると思った牽制球をサードが捕球出来ず、ここで一点を返されてしまう。
そして次にはキャッチャーへのワイルドピッチで同点となった。
高杉になぜ交代しなかったのかは謎だが、延長に入って井上がスクイズを外したボールが暴投で負けた。
「つまりイップスの一種だな。それでまあ確認してみれば、三塁にランナーを背負った場面では、他のピッチャーに交代してるんだ」
それが一回の鬼塚での継投であり、二回の佐伯での継投であったわけか。
ツーアウト三塁ではあったが、ここで暴投の可能性があったということか。
そして怖いアレクは敬遠して、哲平勝負。
「まあ偉そうに相手の状況を見破ってはみたんだけど、ここで青木が打ってくれないと、結局は結果オーライになるんだけどな」
だがこういうところに、野球の神様はドラマを用意しているのだろう。
アウトローへ投げられたボールを、そのまま逆らわずに流し打ち。
打球はサードの頭を越えて落下した後、ファールグラウンドの方へ切れていく。
淳がベースを踏んで一点、そしてアレクも長躯ホームを目指す。
レフトからの返球をショートが中継したが、ホームはセーフ。
セカンドを狙った哲平は、キャッチャーの素早い送球で、タッチアウトになった。
敵の弱点を見抜いても、それが突ける状態になるとは限らない。
そして弱点を見抜いて突いても、それが確実に勝利につながるとは限らない。
だが一発勝負のトーナメントでは、ツボに嵌った時は試合を決める要因にもなる。
二点が追加され、スコアは5-2となった。
三点を裏の攻撃で取らなければ、白富東の勝利である。
さて、この大会の明倫館の得点力で、武史から一イニングで三点を奪うことが可能であろうか。
確率と統計を見れば、ほぼ不可能だと分かるだろう。
「夏のことを考えると、三人のピッチャーを全部見れたことは収穫だ」
大庭はこの状況から得るべき教訓を、ちゃんと考えている。
「一人でも多くのバッターが見れるように、一人でも塁に出ろ。フォアボールが理想的だが、ボールの軌道とスイングの軌道がちゃんと合うようにな。ゴロになったらちゃんと走れ」
厳しい大庭の声であるが、誰かを責めるということはない。
大局的に見れば、この試合の敗因は、井上のイップスを克服させなかった大庭にある。
相手の監督が見抜いたような気もするし、それでなくとも不審な継投をしていたので、どこかでは見抜かれた可能性があるのだ。
だがもっと早く、それこそ一年秋の中国大会、センバツ出場が決まった段階、あるいは春の大会でシード権を得た後の楽な場面で、これを克服する機会を作るべきであったのだ。
練習試合にしても、対戦相手に見抜かれる危険性はあったにせよ、試す機会はあったし、なくても作るべきであった。
それが出来ていないということで、戦う前に負ける要素があったのだ。
二回の佐伯のヒットも、そしてこの回の哲平のヒットも、井上が本来の投球をした方が、結果は良かったかもしれない。
いや、良かったかもではない。敗北という事実の前には、勝ったかもしれない可能性があると考えると、明白な失敗であった。
勝負は夏だ。
春の大会を井上と心中してもいい。あらゆる手段を考えて克服させて、甲子園に戻ってくる。
(だいたいうちのチームはこの二年、白富東と大阪光陰にしか負けてないんだぞ)
もちろん当たっていない超強豪もいるが、なぜかこの二校と当たっては、勝ったり負けたり。
いや大阪光陰には勝ったことがあるが、白富東にはまだ勝っていないか。
目の上のたんこぶ二つ、夏の逆襲を誓う。
「あれ?」
ツーアウトから井上が打った打球は、ライトのポール際に入ってソロホームランとなった。
明倫館も白富東も、呆気に取られはしたが、特に白富東ベンチでは、げんなりとした表情の者が多い。
「追加点取っててよかったわ」
「まあどっかでやらかすこと多いから、決勝の前にやらかしてくれて良かったかな」
「あー、明倫館ナイバッチー」
味方からも呆れられる武史であるが、ちゃんとその後は抑えた。
いささか釈然としないが、5-3で白富東は決勝進出を決めた。
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