第22話 挫折からの再生
甲子園で準々決勝が終わり、新聞のスポーツ欄は甲子園の話題で一色になってもおかしくないのだが、今年は例外になるらしい。
スポーツ新聞の一面はまず、プロ野球の開幕戦の記事であった。
しかも大々的に載っているのが大介である。
「タイタンズ相手に四打数の四安打でホームラン二本の五打点って……」
一応甲子園の記事もしっかり載っているので、それをスクラップする珠美である。
白富東の記録の役割は、今は完全に彼女に移行していた。
オープン戦も後半から、バカみたいにボコボコと打っていたので、調子はいいのだろうと思っていた。
開幕戦にスタメンで出たところも、まあそれぐらいはやるだろうと思っていた。
しかしプロ初打席が初本塁打である。
一応これまでにもそういった記録はあるが、そこから二打席連続というのはないらしい。
プロ初試合で猛打賞と言うか……やりすぎである。
実力を知っている選手たちでも、ドン引きの記録である。
ホームランの他には全て打点がつくヒットを打っているのが、どうも作為的である。
はるか東方で行われた試合であるが、地元大阪と兵庫のファンは大フィーバーである。
相手が宿敵タイタンズというのも、ファンにとっては気分がいいものだったのであろう。
ちなみに現在宿舎に、佐藤家のツインズはいない。
東京ドームまで開幕戦を見に行っている。
そして明日の第二戦を見て、翌日の新幹線でこちらまで戻ってくる予定である。
準決勝を見たらまた東京のナイターを見に行くという、とんでもない強行軍だ。
千葉や東京ならともかく、大阪や広島にまで、そして交流戦で北海道や福岡まで行くつもりだろうか。
さすがに全ての試合は見られないだろうが、関東圏の試合は全て見るつもりかもしれない。
あの二人に経済力を与えてしまったイリヤには反省してほしい。
「そういやお前はこっちにいるんだな」
なぜか自然と野球部の宿舎にいるイリヤに、武史は今更ながら気付く。
「だって東京に行っても、しばらくは直史は投げないでしょう?」
大学の春のリーグ戦は、四月の中旬からである。
六大学は土日を使って試合を行うので、高校生のイリヤでも見にいける。金さえあれば。
「今は武史がどれだけのピッチングをするかが楽しみ」
音楽の魔女はあどけなく笑った。
戦力の正しい把握が大切だ。
秦野は準決勝まで残った四校を、戦わないかもしれない帝都一と大阪光陰も両方を分析する。
「しかし白石の親父さんも、とんでもない名監督だな」
「パパも悪くはないと思うけど」
冷えた麦茶を用意してくれる珠美は、別にお世辞を言っているつもりはない。
「俺はとにかく、可能性を潰す指導者にだけはなりたくないからなあ」
秦野が考えるのはそれだけである。
日本、あるいは東アジアの野球のスタンダードは、アメリカ中心のベースボールとは、根本的に考えが違う。
特にアマチュアにおいてだ。さらに秦野の経験から言うなら、高校野球と大学野球が違う。
高校と大学でのいわゆる野球部を経験し、その悪い部分は散々に思い知った。
それへのアンチテーゼということで高校野球の監督をしたのだが、結局のところは失敗である。
それからは伝手を辿ってアメリカに行った。
そこで全く違う形のコーチの姿を見て、中米から南米へとコーチをやっていくにつれて、分かったことがある。
日本のアマチュア野球は、教える、育てる、勝つの三つで成り立っている。
アメリカのアマチュア野球は、学ぶ、育つ、楽しむの三つで成り立っているのである。
その中で秦野は、真に科学的な野球というものも知った。
人体の解剖科学から考えられた、その素質に合った適切な指導。
日本ではある程度のフィジカルがないといけないということで、画一的に体力の向上を求めていたが、実際には人間の素質によって、肉体の育て方が違うのだ。
またメンタルの捉え方も違う。
ハードワークをこなすだけの精神力は不必要なわけではないが、それよりはまず肉体を鍛え、肉体を使うための技術が先に来る。
メンタルをポジティブに保つのも技術の一つで、単にプレッシャーをかければいいというわけではない。
プレッシャーに強くなるタイプもいれば、プレッシャーを感じないように育てなければいけない場合もあり、あいつはダメだで放棄することは許されない。
プロならばそれはもう自己責任なのだろうが、アマチュアではまず、楽しむことと上手くなることが最優先なのだ。
自発的に学ぼうとする意識を育てるのは難しい。
そして得た技術は、教えるのではなく伝えるのだ。
基本はあってもそこから派生する技術は、選手によって違う。
違う技術を持つ選手を使って、勝つのがアメリカ流なのだ。
日本はここだけは間違いなくおかしい。
日本の野球も、選手の能力によって、果たすべき役割というのはある。
それなのに画一的に揃ってランニングをし、揃ってかけ声をかける。
ピッチャーはさすがにそんな馬鹿なことはないが、ポジションが違うのにやってる内容が野手は同じだったりする。
明倫館の大庭と、秦野の間にある一つの共通項。
それは挫折である。
大庭は事故によって完全に選手生命を絶たれ、秦野は高校野球界から追放された。
野球を奪われたことによって、逆に野球を遠くから見つめることが出来たとでも言おうか。
去年のセンバツ決勝での勝利は、白富東の戦略の勝利だ。
おそらく普通のチームであれば、直史がキャッチャーを続けて武史が打たれた可能性は高い。
しかしそこから、とにかく壁としては優秀な大介をキャッチャーにしてしまうところの発想が、日本の野球では生まれないと思うのだ。
夏には対戦する機会はなかった。だがここで、直史と大介という、ジョーカーもエースもないチームで、明倫館と戦う。
監督の采配がものを言うかもしれない。その先の全国制覇まで。
誰もが気付かない、秦野の挑戦が始まっていた。
明倫館の監督である大庭は、名将であり名指導者だと思われている。
本人は全くそうは思っていない。むしろ名将だの名指導者だのと呼ばれたら、そこから堕落が始まると思っている。
明倫館の監督就任三年目で結果を出せたのは、そもそもリトルシニアの時代から育てた選手を、明倫館に連れて来たからだ。
それでも足りなかったところに、村田という才能のあるキャッチャーが脚光を浴びて、二年の秋にセンバツの出場権を手に入れた。
神宮出場、センバツ準優勝、夏ベスト4、神宮出場、センバツここまでベスト4と、監督としての成績は、言葉に並べると確かにすごく思える。
高杉がプロに行ったし、桂や久坂も大学で野球を続けると言って、名門の大学へと進んだ。
その中核が抜けてもまた秋の大会は神宮まで進み、そしてこのベスト4である。
だがこれは単に、選手を丁寧に育てようとして、そしてその選手が育ってくれた結果、試合に勝ってより選手が集まりやすくなったからである。
おそらく今年と、そして来年までは強い。なぜならシニアで育てた選手が入ってくるからだ。
だがその後は、またシニアに戻って育成をするか、スカウトを頑張る必要があるだろう。
単に優れている選手をスカウトするのではなく、優れた選手が集まってくるのを待つのでも、ここまでの成績は残せない。
明倫館が強いのは、目的がはっきりしていて、そのために各自がどう動けばいいのかが分かっているからだ。
基本的には選手の自主性を第一とし、大場が教えられるのはバッティングの技術と守備の基本、そしてバッテリーには相手の裏をかかせるための投球術である。
大庭はバッティングを評価された選手であるが、それだけにバッティングの理論にはある程度詳しい。
それにバッターとしては、どう投げられたら嫌かも分かるのだ。
究極のところピッチャーというのは、投げられたら嫌なボールを投げられればそれでいいのだ。
「う~ん……」
「コーちゃん何悩んでんの?」
他の強豪校では考えられないほどの緩さで、新キャプテンの伊藤が尋ねてくる。
この選手と監督との距離感は独特のもので、たとえば桂などは大場さんと呼んでいたし、久坂や村田などは監督と呼んでいた。
高杉は普段はコーちゃんであり、勝負どころでは監督と使い分けていた。そして高杉の影響力は強かった。
選手たちの好奇心を殺さない指導をしてきた結果、選手たちは自由にのびのびと、そしてなぜだか強く育ってしまった。
自由にやらせて伸びるなら苦労はしねえ!という全国の野球指導者から苦情が湧くかもしれないが、大庭としては「でもアメリカではそれが普通だよね?」と返すしかないのである。
大庭は私立の職業監督として結果を出さなければいけない立場だが、同時に選手たちを、高校を卒業してからも野球をやるような、そういう人間に育てることを大事にしている。
そうしなければ日本の野球人口はどんどん減っていくからだと思っているが、一介の高校野球の監督がそんなことを考えるのも、かなりだいそれたことではあるかもしれない。
(けどな~。運動する子が全員野球部に入るような時代じゃないしな~)
大庭はシニアの時代に、お茶当番などというのも全てやめさせた。
そんなもんは水道水を飲めば良いのである。塩分や糖分がほしければ、ポカリの粉を持って来ればいい。
あとは全員が揃った一糸乱れぬランニングなどもやめさせた。あれはやってるチームは絶対に弱い。あるいは本来の力を発揮出来ていない。
なぜなら選手たちの基礎的な体の使い方の適不適により、走り方の最適解が違うからだ。
フィジカルは優れているように見えるのに、なぜか故障がちで大成しない選手というのは、大概がこの基礎的な部分で間違っている。
とまあ思考が飛躍していた大庭であるが、問題は白富東対策である。
「勝つ道が見えない」
素直に選手に言ってしまうのが大庭流である。
今年の明倫館は去年の高杉のような、支配力のあるエースがいない。
だが伊藤をはじめとして、全国レベルの投手を三枚作ったし、一年には来年はエースになるであろう者もいる。
キャッチャーである一年の児玉は村田の残したノートから勉強し、二年を押しのけて正捕手となった。
チーム力は去年と同じく高いのだが、総合的に見るとやや粗い。
それは去年のチームが三本の軸を持ち、それぞれがいいバランスを保っていたからだ。
調整力の桂、行動力の高杉、頭脳の村田。
単純に素質だけを言うなら、去年の方がタレントは多かったとさえ思う。
だが今年は、監督である自分も成長し、経験が実力差を埋めてくれる。
「まあミーティングすっか。夏までに勝てばいいわけだし」
何がなんでも甲子園に行きたいというわけではなく、甲子園に出たからといって全国優勝をしたいわけでもない。
白富東とはまた違った意味で異質のチームは、まだ発展途上にある。
甲子園準決勝第一試合。
白富東 対 明倫館
なんだか何度も戦っているような気もするが、白富東も明倫館も、この三年で急激に強くなってきたチームである。
春夏連覇の後、神宮大会では敗北したものの、大阪光陰に続く史上二度目の三連覇を目指す白富東。
そして初出場から決勝まで勝ち残り、その後の大会も常に上位に位置する明倫館。
甲子園の観客は、こういった新鮮な強豪の対決も大好きである。
しかもこの後も、東西横綱の帝都一と大阪光陰の対戦というわけで、スタンドは完全に埋まってしまっている。
ちなみに観客全体は、白富東を応援する雰囲気が高い。
もしも白富東は勝ち、そして大阪光陰が勝ちあがって来た場合は、決勝は去年の夏と同じカードとなる。
15回を無失点に抑えながら敗北したエースの真田。
対する白富東は、真田に投げ勝った佐藤直史の弟がエースである。
過去を見れば、白富東の初出場は大阪光陰に敗北している。
そしてその夏は大阪光陰の、空前絶後の大記録、甲子園四連覇を阻んだ。
次のセンバツでは対戦はなかったが、夏には延長再試合で、白富東が勝利した。
ここまでの因縁が揃っていれば、高校野球ファンもどんな決勝を見たいかは明らかである。
先発のピッチャーは、白富東は新二年生、全選手ナンバーワンの身長を誇るトニー・健太郎・マローン。
明倫館は三本柱のうち、左のサイドスローの井上である。
正直なところ、秦野は相手のピッチャーが誰を先発に持って来るか予想していた。
と言うか他の二人の特性を考えると、井上以外を選ぶ論理がない。
白富東の一番と二番は、共に俊足の左打者であり、特にリードオフマンのアレクはどうにか封じたいという気持ちが分かる。
左対左は単純にピッチャー有利という統計はあるが、さらに左のサイドスローというのが、左打者には有効だという統計は出ている。
(だけどまあ、ここの起用については、うちの勝ちだな)
白富東にはシニア時代、サイドスローで投げていた淳がいる。
状態のチェックのために投げさせたが、ついでに軽くバッティングピッチャーもしてもらった。
センバツはまだマシだといっても、投手の温存は甲子園で勝つための鉄則だ。
準々決勝でアレクが頑張ってくれたおかげで、武史は体力の問題はないし、淳も万全に回復した。
これで決勝は武史を先発で使える。
この準決勝はトニーを先発として使っているが、相手の戦術によって継投はむろん考える。
今年は準決勝と決勝の間に休養日がないので、武史は投げても三イニングまでにしておきたい。
もしこのセンバツで優勝できるとしたら、その最大の理由は「運」だと秦野は思う。
こちらは武史を完全に温存出来ている。トニーからの継投も淳が先である。
対して大阪光陰は、緒方というピッチャーにもそれなりにイニングを投げさせているが、強敵相手には真田で対するのが基本である。
この後の第二試合では、おそらく帝都一も水野を出してくるので、真田が登板するしかないだろう。
(まあ強敵を倒した後のメンタルがどうなってるかが、ちょっと予測不能ではあるんだけどな)
秦野は明日のことを、ここで頭から消した。
まずは目の前の、チームワークのいい明倫館を、まだ大味なピッチャーであるトニーで抑えなければいけない。
空は春の晴天であり、気温も充分に暖かい。
天気予報の降水確率も10%と、まずは不確定要素を気にしなくてもいい状態だ。
苦戦は上等の準決勝が始まる。
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