第21話 ポジティブでロジカル

 アレクの思考はシンプルである。

 打てる時があるように、打たれる時がある。

 それを悔しがるよりは、なぜ打たれたかを考えた方がいい。そして打てなかった時は、なぜ打てなかったかを考える。そこに感情は入らない。

 シンプルでありながら、それでいて効率的な思考だ。

 一回の表にヒットを打たれながらも無得点に抑えると、その裏の先頭で、いきなりスタンド入りのホームランを打った。


 日本の四番信仰というのは、ある意味理に適っている。

 なぜならば四番以外に強打者を置くというロジックを、指導者や指揮官が持っていないからだ。

 常識を疑えというのは、本来全ての物事において、より進歩していくためには必要なものである。

 だが行き過ぎた保守性が、進歩をとどめて強さを求めなくなっていく。

 成功体験を持つ人間、それも一度ぐらいの偶然の成功体験を持つ人間が、この罠に陥りやすい。


 天才と呼ばれるような人間が、割と指導者としては不適格なのも、このあたりに原因がある。

 天才は確かに成功するための理論を体現しているし、イメージとしてもそれを伝えられる。

 だが同じバッティングという技術だけに限らず、人間の肉体の構造は、骨格や筋量などによって、最も効率的な動きが違うのだ。


 プレイヤーであったことがない人間が、試合についてどうこう言えるものではない。

 この固定観念を崩したことこそが、セイバー・メトリクスのビル・ジェームスの最も偉大な貢献かもしれない。

 そしてアレクは高校に入る以前からずっと、そういった思考と論理の中で生きてきた。

 秦野がブラジル時代にアレクにした指導は、生活習慣を整えるだとか、食生活の重要さとか、そういったものである。

 キャッチボールだけはさすがにしっかりと教えたが。




 そんなアレクのホームランで一点を取ったものの、桜島のエース黒木は、あっさりと立ち直った。

 一点ぐらいの得点はすぐに返せるという考えが、桜島実業の選手の思考の根底にはある。

 白富東を苦しめた瑞雲の坂本も、桜島相手には失点をしていた。

 そしてその考えは、監督の大久保にもある。


 四番の鬼塚までが内野ゴロで倒れて、二回の表の桜島実業の攻撃に移る。

(一点だと厳しいんだよなあ)

 秦野としては立ち上がりで、三点ぐらいは取ってほしかった。


 この試合のバッテリーであるアレクと孝司には、三点から四点は普通に取られる試合だと言ってある。

 だが同時に、大量失点をするような試合ではないとも言ってある。

 理由はアレクの投げるボールの特徴である。


 桜島実業の打撃の肝は、ストレートを打つことだ。

 変化球は見逃すかカットして、とにかくストレートを待つか、失投を打つ

 練習風景なども見たが、マシンでのフリーバッティングはあまり行わず、選手が投げた球を打っていた。

 極端なことを言ってしまえば、桜島はベンチも含めて、最低限のピッチャーの動作を行える選手が10人はいる。

 ばらばらの10人が投げれば、ストレートであれば汚いスピンのストレートもあれば、バックスピンのストレートもあり、スピンの少ないストレートもある。

 下手に変化球を打つよりも、ストレートへの対処を極めたのが桜島だ。


 だから本来であれば、ムービング系の変化球の多い武史などは、手元で曲がってもパワーで内野の頭を越えたりする。

 実際に一年の夏には、それでホームランを連発された。

 だがアレクの持ち球に、ストレートは、ない。

 全てがスライドする回転であり、ストレートのつもりでもカット程度の軌道となる。

 手元で曲がる球しか投げないピッチャーと対戦するのは、さすがに桜島も初めてである。

 アレクの一年時のデータを集めていれば別であったろうが、最近は完全にピッチャー登板がなかったので、分析していなかった。




 スライダー。あるいはカットボールしか投げないピッチャーというのは、実はMLBにいたりする。さすがにこちらはフォーシームストレートも投げるが。

 だがスプリットでも、真下に落ちるスプリットの他に、右左に微妙に変化しながら落ちるスプリットがあるのと同じように、要するに相手にミートさせなければそれでいいのだ。

 桜島実業の選手のスイングが、アッパースイングではなくレベルスイングであることも、アレクのカットボールやスライダーとの相性が悪いことに連なっている。

 どうしてもゴロが多くなってしまうのだ。それでもスイングスピードが速いため、内野を抜けていく場合はあるが。


 そのために秦野は、外野はともかく内野は守備力の高い選手を起用した。

 右打者のプルヒッターが多い桜島打線は、ショートの佐伯への打球が多い。

 しかし佐伯と哲平の二遊間コンビにより、併殺も取りやすくなっている。

 五回までに六安打を打たれながらも、失点していない。

 それに対して白富東は、上位打線で二点を追加していた。




 野球にはトレンドというものがある。

 セイバー・メトリクス以前は打率が好打者の条件とされていた。選球眼で塁に出るのは、小技の内であった。

 だが球数を多くして、ピッチャーのコントロールを攻撃するフォアボールでの出塁は、昔からMLBの監督でも胃が痛くなる思いをしていたのだ。

 この出塁率に長打率を足したOPSがトレンドになってから、それなりに時間が経過している。


 そしてフライボール革命もまた、一つのトレンドである。

 スイングスピードを速くして打つ。フライボール革命とは別にフライを打つことが目的ではないのだ。

 ただバレルゾーンと呼ばれる長打になりやすい角度で、強い打球を打つ。

 この時に打球が強ければ強いほど、バレルゾーンは広がる。


 桜島はその練習の中に、木刀での素振りを取り入れている。

 野球の練習じゃないと思われるかもしれないが、実はこれは野球のバッティングの理に適っている部分がある。

 バッティングの基本は体に軸を作って、その回転を叩きつけることである。

 その軸を作って、体の正面でボールを捉える。

 木刀での素振りは、その正面を意識するのに役立つ。


 まあ天才の中には軸を他の部分で作ってしまい、ホームランにはならないまでも、バットコントロールでヒットにはしてしまう者もいる。

 大介やアレクがこのタイプだ。実は武史もこれに近い。

 鬼塚などは素行はアレであるが、実は野球の技術は正統派である。

 なのでとりあえず肩が強いだけど急造ピッチャーには、タイミングが崩されることもあるのだ。


 だが桜島のエース黒木は、ちゃんと理屈に合ったフォームで投げている。

 体全体では円運動。そして右腕はその中でもう一つの円運動。

 テコの原理をつかって、下半身の力を腕に伝えている。

 球速はMAXで140km程度であるが、その球がキレている。

 そして球種はツーシームとカットボールで、打ち損じが多い。




 グラウンド整備の時間に、秦野は選手を集める。

「一回戦と二回戦の投手と比べて、あまり打ててないわけだが」

 偶然連打が続いたのと、進塁打の後のタッチアップで追加点が入った。

「黒木のボールはストレート系、つまりフォーシームとツーシームと、スライダー系のカットボールを使ってる。これは実はアレクが安打は打たれてもゴロで内野で処理出来てるのと同じ理屈なんだ」

 桜島の守備陣は、正面の強いボールには強くても、横を抜けていくボールには弱い。そこで白富東との点差がついている。

「これにチェンジアップがあったらかなり苦労するところなんだけど、幸いにもそれはないみたいだな」

 それはいいから打てる理屈があるなら説明してほしい。


 秦野としても、ロジックではこれを打つ方法を説明出来るのだが、それで勝ってもあまり意味がないのだ。むしろ次の試合に悪影響を及ぼすかもしれない。

「ツーシームやカットボールを打つ方法は、単純にボールのやや下を狙って、ゴロではなくライナーになるような角度で打つ」

「でもそれだとストレートが打ち上げてしまいませんか?」

 倉田がそう言うが、秦野としても分かっている。

「その通りだ。だがフライになっても、強く打ち切るなら外野の頭を越える」

 MLBでは一時期、ムービングファストボールが全盛となった時代があった。

 手元で動かして凡打を打たせ、球数を減らすのが目的である。


 実はフライボール革命は、これへの対処によって生まれたという部分もある。

 カットにしろツーシームにしろ、バットを詰まらせたりしてゴロを打たせる球だ。空振りを取るほどの変化量はない。

 だから最初からボールの下を叩くことを意識して、普通のストレートがフライになってしまっても、外野の頭を越えるところまで持っていく。

「あちらの監督がこの対処法を知ってるかどうかは分からないが、もし知っていたとしたらここからは外野の守備が肝になるな」

 そして秦野は、武史にキャッチボールを開始させた。




 武史がキャッチボールを始めると、スタンドも観客の期待でざわめきが起こる。

 このセンバツで150kmを投げているピッチャーは武史しかいない。

 この数年ほどが、150kmピッチャーが大量に存在し、それが異常であったとも言える。


 150kmという数字は、分かりやすいすごさだ。

 ピッチャーとしての総合力ではまだ真田や水野に劣る武史であるが、勢いがつけば勝てる可能性は充分にある。

 アレクの体力的に考えても、継投はちゃんと考えておかないといけない。

 それにアレクは完投にこだわるタイプではない。外野でフライを捕る方が好きなのだ。


 六回の表、桜島実業は、ノーアウトからヒット二連打。

 これまで内野ゴロだった打球が、内野の頭を越えていった。

 アレクに綺麗なストレートがあるなら、ここで高めにフォーシームを投げるのが効果的なのだが、これが限界ということだろう。

 ピッチャー交代で、武史がマウンドに登る。


 キャッチャーは孝司のままで、秦野のオーダーを受けていた。

 最初はナックルカーブとチェンジアップを見せて、凡打を打たせることをこころがけろと。

 そして武史のテンションが上がってきてからが、ストレートで勝負するタイミングだ。


 武史のギアを知っている孝司からすれば、真っ当な組み立てに思える。

 そして初球でいきなりチェンジアップを要求するが、武史は首を振った。

 珍しいことである。武史は基本的には配球もリードもキャッチャー任せで、そのサイン通りにボールを投げてくるタイプなのだ。

 それが首を振って、要求するのはストレート。

(まあいいですけど、じゃあ高めに外して)

 武史はセットポジションから、やはりずっと直史よりは遅いクイックでストレートを投げる。


 低い、と打席のバッターは感じたろう。孝司も少し驚いた。

 ホップしたように見えたボールは、高めに外れるストレートだった。

(最初からギアはトップにあるって……)

 淳と同じだ。この甲子園で、最大のパフォーマンスを発揮している。

(……つーか女が見てるからかよ!)

 原因に思い至った孝司は呆れたが、とりあえずベンチの秦野に対しては頷いておいた。




 ストライクゾーンのストレートが九球投げられて、ノーアウト一二塁のピンチを脱した。

「タケ、お前どうしちゃったの?」

 鬼塚から呆れた声が出るものの、武史としては正直に言うはずもない。

「今日は調子がいいんだよ」

 MAXで156kmの球速が出ているが、それだけではない。

 スピンの量と質が、既に温まった状態から繰り出されているのだ。


 調子のいい理由を悟っている孝司であるが、秦野にはちゃんと報告しないといけない。

「もうギアが上がってますね」

「そりゃいいことだが、球数は減らしたいな」

「次の回からはちゃんと変化球使ってもらいますよ」

 ここまでアレクのカットボールに慣れてきた桜島の選手に対しては、同じサウスポーの武史が使うツーシームは、効果的であろう。


 ピッチャーの調子がいいからには、攻撃でも追加点がほしい。

 そしてこの回は、黒木のピッチングの組み立てとは相性がいいはずの倉田からである。

 打席に入った倉田は、秦野の説明を意識しながら、黒木のボールを待つ。

 カットボールとツーシームがファールとなり、外に一球ストレートが外れた。

(少しずらして凡打を狙う投球は――)

 わずかに逃げていくカットボールを、下から掬い上げる。

(ホームラン狙いのアッパースイングに弱い!)

 風は少しあるが、それでも飛距離は充分。

 ピッチャー交代の裏で、大きな追加点が入った。




 桜島の監督は、ここですぐに投手交代はしない。

 あのスイングが他のバッターにも出来るかを確認してからだ。

 なのでトニーがフェンス直撃のツーベースを打つまでは待った。そしてここで交代。

 秦野としてはありがたい限りである。


 ムービング系のボールは、アッパースイング気味の振りに弱い。

 わずかに落ちる軌道が、アッパースイングの軌道と重なりやすいからだ。

 これを空振りさせるには、高めのストレートが必要になる。だが単なるストレートではやはり対応される。

 バージョンアップとトレンドの変遷は、あらゆるスポーツで延々と繰り返されるものだ。


 フライを打つというフライボール革命においては、変化量の大きなボールがまず有効である。

 そしてそれに合わせて、高めのストレートを投げることだ。

 ピッチャーの投げるボールに一番勢いが乗るように見えるのは、高めの球なのだ。

 このボールをバレルゾーンを意識して打つと、内野フライや外野フライに打ち取られる。

 そして俊足のアレクがセンターに戻った今、外野フライはアウトになりやすくなっている。


 終盤にも一点を追加し。武史はポテンヒットを二本打たれただけの無失点ピッチング。

 豪打の桜島実業を無失点で抑えて、5-0で準決勝進出を決めるのであった。

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