第12話 神話崩壊
結果だけを見れば、そこだけが問題であった。
その一点の攻防が全てであった。
九回の表、白富東の最後の攻撃は、一番のアレクから。
これが三振。13個目。
二番の鬼塚は高く浮いた外野フライで、センターがほぼ定位置でキャッチ。
三番の孝司。
この最後の場面で、一年生に打順が回ってくる。
塁に出れば、何かが変わる。高校野球は九回ツーアウトからだ。
しかしその孝司が、ツースリーからのインハイを空振りしてゲームセット。
1-0で、神宮大会は大阪光陰が制したのであった。
そして去年の秋から続いた、白富東の公式戦無敗記録もストップした。
国体、秋の県大会、秋の関東大会、神宮大会、センバツ、春の県大会、春の関東大会、夏の県大会、夏の甲子園、国体、秋の県大会、秋の関東大会。
全国大会五連覇の終焉。
ここまでずっと勝ち進んできたチームが、ついに負けたのである。
不敗神話の崩壊。
大阪光陰の不敗神話を途切れさせたのが白富東であり、そして白富東の不敗神話を大阪光陰が途切れさせた。
もっとも大阪光陰は春の大会などでは負けていたりもしたのだが。
真田は九回を118球、奪三振14、安打2 四球1 無失点に抑えた。
対する武史は九回の裏がなかったため、101球、奪三振16 安打1 無四球に抑えた。
打たれた安打はたったの一本だったのだ。
だがそのランナーが進み、ホームに帰ってきて、勝敗を決した。
奇跡のような敗北であった。
これほどの数字でありながら敗北というのは、年間で140試合以上行われるプロの試合でも、そうそうあるものではない。
中には無安打で負けることもあるが、それは本当に奇跡的なことだ。
ベンチに戻ってきた選手たちの表情は複雑である。
負けた気がしない。だが負けた。
大阪光陰の選手たちは、初めての全国制覇を経験する者たちしかいない。真田達の一年の夏を終わらせたのは、白富東だったので。
倉田のポテンヒットと、哲平の内野安打、そして鬼塚への四球以外は、完全に封じられた。
マスコミとしても、新チームになっても勝ち続けていた白富東の、やっとの敗北はニュースになる。
「采配ミスですね。ランナーが三塁まで進んだ時点で、代打との勝負は避けるべきでした。あとはほぼ互角。ただ最後の一歩を押し切ることができませんでした」
なるほど、とそれを聞いていた選手たちも納得した。
ただあの時にそれを言ってほしかったとは思った。
それぞれインタビューを受けて、まず回答をして、それからバスに戻る。
自分の中にある感情を見て、武史は不思議に思う。
悔しいという思いではない。これはなんだろう。
「あのさ、皆」
伝令に出た曽田が発言する。
「あの五回の裏、監督は聞かれたら言えって、満塁策のことは話してたんだ」
確かにあの時、伝令の曽田に対して、秦野からの指示については確認しなかった。
「なんで指示しなかったんですか?」
キャプテンとして倉田が問うが、秦野としては既に言ってあることだ。
「まあそれも込みで、ミーティングで話すことだな。まずは帰って、そんでこの大会のことを考えてろ」
ベンチメンバーの中でも、特にスタメンは考え込む。
武史は自分の中にあった感情を、やっと正確に表現出来た。
それは「もったいない」というものであった。
悔しさではない。ただあと少し考えが及べば、それこそ曽田の言った満塁策を取っていれば、勝敗は逆転していたかもしれない。
打ったヒットの数は、白富東の方が上だったのだ。
だが一つのチャンスをモノにして、大阪光陰は勝った。
もったいない。
勝てた試合だった。それに白富東は、ここまでずっと勝ち続けてきたのだ。
去年の夏、甲子園の決勝で負けてから、全ての公式戦で勝ってきた。練習試合でも強豪相手のガチでは全て勝ってきた。
その連勝が止まってしまったというのも、もったいないと思う。
三年がいなくなって、最強のピッチャーとバッターがいなくなった、この新チーム。
甲子園ほどの愛着はないとはいえ、全国大会の最初の決勝で負けてしまった。
勝てたのだ。何かが足りていれば。
「真田を打てればな」
ぽつりと鬼塚は言った。単純に言えばそうだ。完封負けを食らったのだから。
だが夏の試合は、真田に完封されても負けなかった。直史もまた完封で返していたからだ。
夏は他に何をした?
粘っていった。球数を放らせていった。
今日の内容では、真田のスタミナ切れを待っても無理だったかもしれないが、攻撃が淡白ではなかったか。
リズム良く投げさせてしまった。もっとバントで転がして走らせれば、あるいは前後に揺さぶれば。
秦野の指示がなかった。
怠慢なのか? いや、夏にも指示は少なかった。それに秦野のいないセンバツでは優勝していた。
「作戦?」
倉田もまたぽつりと呟いていた。
誰もが、何かがおかしかったと思っている。
言葉に出せば簡単になってしまうものが、どこかで間違ってしまった。
ほんのちょっとのことで、結果が全く変わってしまった。
もやもやとしたものは、敗北感でもなく、悔しさでもなく、その胸の中に残り続ける。
幸いと言うか武史には、その問いの答えを求める相手がいた。
兄の直史である。
直史が高校野球生活で投手として負けたのは、公式戦に限れば二度だけだ。
チームとしては負けたが、ピッチャーとして敗戦投手になったのは二度。
一年の県大会決勝と、二年のセンバツ準々決勝。
他には一年の春の県準々決勝や、一年秋の関東大会決勝も負けているが、それは直史が降板した後のことである。
直史は究極のところでは負けず嫌いだが、野球というゲームで負けるのが嫌いなのだ。
基本的に試合に勝てるのなら、八回までパーフェクトで投げて、そこから誰かに継投してもらっても問題はない。
実際に自分が継投する側で勝ったことがある。
だが逆に誰かにつなぐことはしたくない。勝ってる試合を逆転されたりしたら、その選手に対して嫌な感情を持ってしまうかもしれないからだ。
そんな直史はこの敗戦を「惜しかったな」の一言で済ませてしまったが、どうすれば勝てたかはちゃんと考えてくれる。
要するに後藤に、よりにもよって長打を打たれたのが原因なのだ。
これが内野の間を抜いていくゴロであったら、一塁でストップすることが多い。
そこからランナーを三塁に持っていくのには、ヒットか犠打が二つ必要になる。
今日の試合の場合でも、あの外野フライはタッチアップにならず、得点につながらなかった。
「俺が完封してたら勝ってたかな」
「少なくとも負けてはいないが、考え方としては二つかな」
直史は試合をコントロール出来るだけに、選択も二つあると考える。
「お前が一点もやらずにこちらが一点取るまで待つか、一点取られてからどうにか二点取るかだ」
実際にチャンスはあったのだ。
七回は先頭の鬼塚がフォアボールで出られたし、その後に倉田の運のいいポテンヒットがあった。
ワンナウト一二塁で、武史とトニーのどちらかが打てれば、鬼塚の足なら帰ってこれたかもしれない。
だがどうも試合の進行を聞く限り、もっと根本的な問題がある。
秦野が試合の中で、監督としての仕事をしていなかった。
それでも夏までなら勝てたろう。直史もどうしてそんなことを秦野がしたのかは、なんとなく分かる。
神宮大会など、高校球児の憧れの場所ではないのだ。
それに秦野の立場からしても、甲子園で勝つためならば、神宮で負けるのを許容するだろう。
采配も積極的には取らなかったと聞く。そしてこの武史の反応。
悔しがっているとまではいかない。だが釈然としていない。
ピッチャーらしさなのだろうか。それは直史には分からない。彼にとってエースは、試合に勝つために存在するのだから。
極端な話、武史がパーフェクトピッチングを続けていたら、真田は崩れたと思う。
二度も甲子園で投げ合って、パーフェクトをやられて敗北している。あれが記憶に残らないピッチャーはいないだろう。
あの敗北から回復して、神宮というアウェイで優勝した真田の方を、今回は誉めるべきだろう。
野球に勝つために、投手がすべき究極的なこと。
それはパーフェクトをすることではない。
もと圧倒的に試合を支配するには、27人を全員三振に取ってしまえばいい。
「いや、いくらなんでもそれは無理だろ」
武史としても、直史が出来ていないことを自分が出来るとは思わない。
「出来るかどうかじゃなくて、最初の目標をそう設定するんだ。もし内野ゴロやフライでアウトにしてしまったら、そこからは残り全員を三振にする。常に目標を最大に設定しておくことで、自分の限界を最大まで引き出す」
少なくとも直史の目から見て、武史の限界はまだである。
この素質に恵まれ、才能に満ちた弟に不足しているのは、モチベーションだ。
何があっても絶対に勝ちたいという勝利への意思は、直史は中学時代の連敗の記憶から持ちえたものだ。
秦野か、あるいは他の誰かかは知らないが、それを武史にもたらすことが出来たら、その時やっと、武史は真田と同じ舞台に立ったと言えるだろう。
弟の限界はまだ遠い。
翌日、神宮大会準優勝で、野球部は体育館に集められた生徒たちの前で表彰された。
だがこの結果に満足している野球部員は一人もいなかった。
全国で二位で、もう満足できない体質になってしまっている。
勝利への渇望が、残された一二年生には出てきた。
放課後に集められた選手たちは、ミーティングを行う。
「神宮大会で負けた原因は、簡単に言えば後藤が塁に出た時の対処への失敗と、真田を打ち崩せなかったことだ」
それは選手も分かっている。それに秦野にはそれを防ぐ手段が分かっていたことも。
代打の切り札を敬遠して、二枚目の代打が出てきても敬遠出来た。
そしたら満塁になるが、フォースプレイでアウトは取りやすくなる。あの段階で大量失点のリスクを負う必要があったかどうかはともかく、大阪光陰は後藤に代走を出していたのだ。
あの後の大阪光陰の得点力は、明らかに落ちていた。そもそもヒットが一本もなかったし、エラーを誘発するような打球さえなかった。
大阪光陰の木下にとっても、大きなリスクを取っての勝負であったのだ。
「まあ経験値の不足だ。だがあそこで負けてでも、俺はお前たちに経験値を増やしてほしかった」
秦野としてはセンバツと夏、少しでも優勝の確率を高めるためなら、神宮を犠牲にするだけの価値はあったのだ。
切実な負けから、何か得られるものはあるか。
ある。二度とこんな負け方はしたくないという意地である。
少なくとも、佐藤直史というピッチャーはそう思って、その後一度も負けなかった。
攻撃においてもだ。哲平が内野安打で出た時はともかく、その後に鬼塚がフォアボールで出塁した時。
孝司は内野フライに倒れたが、あそこは普段は否定される、ゴロ打ちで進塁打にするべきだった。
ワンナウト二塁で、倉田のポテンヒットが変わらなかったとしたら、ワンナウト一三塁。
そこから武史であれば、同点打ぐらいは打ててもおかしくない。
それに全般的に、真田に楽に投げさせすぎた。
真田は確かに三振を奪えるスライダーを持っているが、試合後半の三振奪取数は、圧倒的に武史が上であった。
こうやって面子を見ていて、勝ちに飢えている人間、不甲斐なさに怒っている人間は、何人か分かる。
(肝心のタケのやつが、あんまり落ち込んでないのか?)
秦野は昨日のバスの中では憮然としていた武史が、今日はもうある程度すっきりしているように見える。
野球はピッチャーが九割などと言われ、秦野としてはそこはちょっと違い、野球はピッチャーをどう使うかが九割だと思っている。
監督の指導と、キャッチャーのリードで、どうやってピッチャーの力を引き出すかが問題だ。
楽しめればOKのアレクでさえ不機嫌そうなのは、日本の高校野球に感化されてきたからだろう。
あとは二年生の主力組に、このチームに入って初めての敗北を知った一年生たち。
勝って当然と思っていた傲慢な者は、どこか心に怒りを持っている。
敗北することを拒否する。白富東は勝利至上主義ではないが、全て勝つことを諦めるチームでもない。
スポーツでありゲームである以上、勝つことを目的にしなければ全力で楽しめないだろうに。
白富東が春と夏を勝ち抜くには、更なる成長が必要だ。
大阪光陰も失った覇権を取り戻すために、真田と後藤、そして毛利に緒方といった戦力が揃った来年は、必ず勝ちに来るだろう。
不思議なことに才能というのは、ある年度にまとまって登場することが多い。
この来年三年生になる世代までは、強大な才能が揃っていると言っていい。
それでも去年に比べれば、まだ球速の平均は同時期に比べて下である。
敗北から何かを得たのか、それは冬の間の練習で見えてくるだろう。
秦野にしても本格的に、冬の高校生を鍛えるのは久しぶりのことだ。
個人的に言えば、左の160kmを甲子園に送り出してみたい。
そして右打者を使って、真田を打ち崩して、もう一度優勝旗を。
この特殊なチームならば、狙っていけるはずだ。
(タケのやつは性格がつかめんよなあ)
秦野としても内心では頭が痛い。
なお武史が既に気分転換を済ませているのは、兄の助言や的確な指摘の他にも理由がある。
それを秦野が知るのは、もう少し先のことである。
×××
本日2.5にも投下があります。
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