第13話 最終戦争

 冬も近付くある日、この年最後の試合が白富東のマウンドで行われる。

 これまでは一度として行われなかった、ある意味豪勢な試合。

 これを見るために、足を運んだ球団のスカウトや、強豪校のスコアラーも多い。

 引退した三年生と、一二年生の試合である。


 進学先の決まった三年は、野球部の練習に参加して、体の鈍さはそれほどでもない。

 そして進路をプロとした二人は、当然ながら体を鈍らせるわけにはいかないわけである。

 大介はちゃんと卒業するためにそこそこ授業に出なければいけないが、岩崎などは既に次のステージに意識が切り替わっている。


 甲子園などで必死で抑えた、強豪校のクリーンナップ。

 そのレベルが打線の全てを占める、超強力打線。

 プロは全てのチームがそのレベルなのだ。

 プロへ行くと決めてからも不安で仕方がない。

 少なくとも大介のいない白富東の打線なら、抑えられなくては話にならないだろう。


 六回までは岩崎が投げ、その後をやや体が鈍ってきている直史が投げる。

 鈍るといっても直史であるから、平気でパーフェクトリリーフなどはするかもしれないが。


 残された一二年生としても、この三年生たちに勝てなければ、自分たちの力で甲子園に行くとは言えない。

 ピッチャーは、武史がする。

 もし打たれてしまえば、淳に代わる。そのタイミングは、自分たちで考えること。

 選手層の厚さと言うか、平均的な能力では一二年の方が上だろう。

 だが突出した三年生をどう抑えるかが、この試合のキーとなる。


 先攻は三年生チーム。


1  (左) 沢口 (三年)

2  (二) 椎名 (三年)

3  (遊) 白石 (三年)

4  (投) 岩崎 (三年)

5  (右) 佐藤直(三年)

6  (中) 中根 (三年)

7  (一) 戸田 (三年)

8  (三) 諸角 (三年)

9  (捕) 大田 (三年)


 後攻の一二年生チーム。


1 (中) 中村 (二年)

2 (二) 青木 (一年)

3 (一) 赤尾 (一年)

4 (三) 鬼塚 (二年)

5 (捕) 倉田 (二年)

6 (投) 佐藤武(二年)

7 (左) 佐藤淳(一年)

8 (右) トニー(一年)

9 (遊) 佐伯 (一年)


 三年生チームは明らかに守備力が高い。穴となるのは右翼の直史ぐらいか。

 だがこれも岩崎に代われば、それほどの穴とも言えなくなる。

 一二年生チームは明らかに高打率で長打力のある選手が揃っている。

 佐伯だけは全く打撃に期待されていないのはご愛嬌である。


 どちらが勝つか。

 これを統計の好きなセイバーあたりなら、一二年生が現役ということもあり、有利だと判定したかもしれない。

 だが勝負師としての感覚を持つ秦野は、三年生が勝つと確信する。

(キャッチャーをやるには倉田は、根が真面目すぎるんだよな)

 秦野からするとキャッチャーは確かにデータを脳裏に刻み込み、それを分析して活用する能力が必要である。

 しかしそのデータから導き出せるのは、机上の空論の配球まで。

 真に実戦的なリードは、その配球を逆に使う直感が必要になる。


 相手の裏を書いてやろうという性格の悪さは、倉田より孝司の方が上だ。

 むしろそういった性格の悪さなら、ジンより上であるかもしれない。

 ただ今はまだ経験が不足している。




 一回の表、三年チームはあっさりと一番と二番を三振に取られた。

 武史が急成長したわけではない。単に調子に乗っているだけだ。

「あの、本当にこんなところでいいのかしら?」

「あ~、どっちを応援していいのか迷う~」

 休日を利用してこの日、日本女子野球最強バッテリー、権藤明日美と神崎恵美理は、招かれてベンチ横の席に座っている。

 完全にお客さま用の、一番の特等席だ。マスコミのお偉いさんさえ座らせてはもらえない。

「だってあの人たちは仕事だし~」

「私はスタッフだしね」

 ツインズとイリヤが、楽しそうに一緒に見ている。


 美少女たちに観戦されて、完全に武史は調子に乗っていた。

 だが無謀なことはしない。

 打席に立った大介を、倉田を立たせて敬遠した。

「お~い、紅白戦で敬遠してどうすんだ~」

「今はまだ準備不足なんですよ」

 武史としても、全打席を敬遠で終わらせるつもりはない。


 新生白富東が、本当に全国制覇をするために必要なもの。

 二つのうちのどちらかを手に入れれば、それは果たされる。

 白石大介を打ち取る力か、佐藤直史を打ち崩す力である。


 とりあえず武史は、兄に勝つのは他の者に任せる。

 大介を、一打席でも必ず抑える。全てを抑えることまでは考えない。

 なので四番に入った岩崎は、容赦なく三振に取った。

「あの野郎、ちょっと〆とかないとな」

 岩崎はそう言うが、現在の白富東の打線は、下手な大学よりも強いかもしれない。

「まあ打力だけで点が取れるわけじゃないしね」

 ジンにしてもここで、そう簡単に下級生に打たれるわけにはいかない。


 そう思ったのだが先頭のアレクは、高いバウンドの内野ゴロから足でヒットにしてみせた。

 小さな変化で打ち取った当たりだったが、運が悪い。

 だが続く哲平と孝司は、フライと内野ゴロで、あっさりとアウトにする。ただそのゴロの隙にアレクは二塁までは進めた。

 迎えるバッターは四番の鬼塚である。


 この試合は、とりあえず六回までは岩崎の責任となっている。

 事前に暖機運転はしていたので、ここから球速を出していく。

 契約したタイタンズとすれば、こんな季節のこんな試合で無理をしてくれるなと言いたいだろうが、これが岩崎なりの置き土産である。

 ストレートとチェンジアップで、初めての三振を取った。




 二回の表の先頭打者である直史は、やっとボールを前に打ち、三振以外のアウトになった。

 ボテボテのセカンドゴロで、哲平は素早く処理した。

 球の勢いが違う。

 武史が果たしてエースとしての本当の重みを感じているのかどうかは分からないが、とりあえず女子の声援で調子に乗っているのは確かである。

(あいつ、どの子が本命なんだ?)

 兄として男として、少し気になる直史である。


 武史にとって、特別な女の子はイリヤである。

 いや、女の子という枠でくくっていいのかとは思うが、武史とイリヤの間には、不思議な空気が流れるのを感じる。

 だが明確に女の子として意識しているのは、神崎恵美理であるようだ。

 まあ単純に美少女である。佐藤兄弟は露骨なメンクイであるのだ。


 今は身近にいるがゆえに、イリヤの存在の大きさをごく自然なものとして感じている。

 しかし高校生活というのは、卒業まで間もない直史にとっては、特殊なものであると分かる。

 同じ人間が、三年間も同じ施設に通う。

 会社であってもそうはないことだろう。


 あの二人は相性がいい。それは確かだ。

 しかしイリヤは生活感というか、人間としての存在感が薄すぎる。

 なんとなくくっついても、幸せになれないような気がする。

 直史の目から見ても、イリヤは早死にしそうな気がするし、何より人間として生きるより、音楽を生み出すことを優先しすぎている。


 神崎恵美理は純粋に、武史と普通に付き合えそうな少女である。

 お嬢様っぽいところはあるが、別に浮世離れしているわけではない。

 直史の目からすると、弟とくっついてほしいのは、権藤明日美のような少女だ。

 嫁一筋の直史から見ても、明日美の周囲に与える明るい影響は、とんでもないものだと感じる。

 もっとも彼女は淳とトニーが熱烈にアプローチをかけている。おい、今は試合中だ。




 結局直史の後を三振で取り、二回の裏の攻撃となる。

 先頭の倉田を内野ゴロ、続く武史と淳を、ストレートの球威で三振に取った。

 変化球をほどよく使いながらも、ストレートで押していく。

 確かに本格派の投球である。


 回は淡々と進むが、武史は二打席目の大介も敬遠した。

 最初に敬遠回数の制限をしておくべきだったかと思うが、直史の目には単純に敬遠をしているようには見えない。

 何か考えがある。


 岩崎も下級生を見下ろしてアウトを積み重ね、二打席目のアレクには内野フライを打たせた。

 本人としてはアレクも三振に取りたかったようだが、やはり残った打者の中では、アレクが一番センスがある。

「監督、アレクを一番で使い続けるのかな?」

「まあ三番打者最強論とか、二番打者最強論とかもあるけど、アレクは足があるからな」

 おおよそ日本はいまだに四番打者最強論で打線を組むことが多いが、MLBは三番打者最強論や、二番打者最強論などもある。

 実際のところはチームの他の打者との兼ね合いもあり、どれが正しいというわけではないのだ。


 新チームで一番の打者はアレクだ。打率、長打率、出塁率、走塁とバッターとしての長所のほとんどがチーム一となる。

 二番の哲平が打率の高い走塁の上手い打者であるのに対し、三番と四番は長距離砲気味ではあるがそれなりに走れる。

 五番の倉田は完全な長距離打者だが、打率もそれなりに高い。

 ただアレク以外の選手は、大介が抜けた後は少しだが数字が落ちた。

 大介が打線の中にいるだけで、チーム全体の力が上がっていたのだ。


 先制打を浴びせるのが重要な高校野球では、初回の攻撃に必ず打順が回ってくる三番に、大介は配置されていた。

 だがその日の最初の打者である一番に最強打者を置くというのも、相手にとってはプレッシャーになるだろう。

 プロの世界ならその統計で、勝負をすればいい。秦野もそれは分かっている。

 だが負けたら終わりの高校野球のトーナメントでは、一人のピッチャーを念頭に置いた上で、対策を考えないといけないこともある。

 具体的には大阪光陰の真田相手に、左打者をどう使うかだ。

 間違いなく世代最強打者である大介でも、真田相手には普通のちょっといいバッター並の打率でしか打っていない。


 おそらく真田はプロに行く、そして左打者には圧倒的に強くなる。

 秦野としてもセンバツと夏、真田と当たる可能性は高いと思っている。

(チームとしても全国制覇、白石とナオ、それに岩崎が抜けてもそれが達成出来たら、監督として認められる)

 打算はある。だがそれだけでやっていけるほど、高校野球の監督は簡単なものではない。

(果たしてこの試合で、何かが見えるか)

 試合は中盤も終わる。




 七回の表の攻撃。

 ここまで二打席連続で敬遠されてきた、大介の打席である。

 だが三打席目は倉田は座る。

 元から三打席目からは、勝負する予定だった。


 尻上がりに調子が良くなる武史は、そのMAXの時に大介と対戦したかった。

 ここまで大介への四球以外に、一人もランナーを出してはいない。

 六回までで、17個の三振。つまり一打席目の直史に前に飛ばされた以外は、全て三振を奪っている。

 もちろん三年生がこれまで、バントなどの作戦を採ってこなかったこともあるが、まともには打てなかった。


 夏までは同じチームで、甲子園を戦っていた。その後に国体もあった。

 だが少し離れた武史は、さらに球威が増している気がする。

「球威じゃなくて球筋が変わったんだけどな」

 ベンチの中で直史が解説する。引退後は野球部に近付くこともなくなったが、直史が使っていた実家のマウンドを、今は武史が使っている。

 時折さらっと見るだけだが、武史が何を必要としているかは知っている。


 武史の球種はフォーシームにツーシーム、カットに小スプリット、そしてチェンジアップの五つ。

 このうちチェンジアップはフォークの握りから抜くように投げるので、フォークの一種である。

 チェンジアップは落差があるが、武史は横に変化量の大きな球種がほしかったのだ。

 だがスライダーもカーブもまともに曲がらないか、フォームで気付かれる。

 そんな弟に対して直史は、自分では必要なかったがゆえに使わなかったボールを提案してみた。


 この打席で試してみる。

 大介に通用する球なら、他の打者にも通用する。

 倉田とは事前に話してはいたが、大介は初見である。


 ワインドアップから足をそこそこ上げて、体重移動して投げる。

(なんだ?)

 すっぽ抜けた球が大介の顔にめがけて投じられたが、わずかに仰け反った大介の正面から、ボールは大きく斜めに曲がっていった。

 倉田のミットに入ってストライクである。

(カーブ……いや、スライダー?)

 カーブはリリース時の軌道が違うので、はっきりと分かる。

 このボールはストレートに近い軌道から、かなり落ちながら曲がった。

(スライダーは投げられないって言ってたよな?)

 もう一球今の球を待つ大介に対して、二球目はアウトローに決まるストレート。


 ツーナッシングと完全に追い込まれた。

 もう一球あの球を見たい。他の球はカットする。

 倉田のサインに頷いた武史が、第三球を投げる。

 大介に当たりそうな軌道から、ぐいんと曲がっていく。

 それを追いかけるように振ったが、完全なボール球でスイングアウトであった。




 錯覚だ。

 武史がプレートの左端を使ってそこから投げるから、最初は当たるような軌道に見えて、そこから変化していく。

 そんな分かりきった使い方は、二度と通じないだろう。だが速度はそれなりに、そして大きく変化した。

「なんだあの球?」

 ネクストバッターサークルに入った直史に、大介が問う。

「あと一打席あるかもしれないから、そこで確認したらどうだ?」

「開発してたのは知ってたわけか」

 ベンチの中でどっかりと座るジンである。


 武史は基本的に、握りを変えた変化球しか使えない。

 カット、ツーシーム、小スプリットにチェンジアップと、ほぼ腕の振りも変わらない。

 だがあの変化量はかなり特殊だ。鋭さはともかく、変化量は直史のカーブほどもある。

 それでいて球速もかなりあるのだ。


 これまで球種はあると言っても、ほとんどがムービング系の武史に、新しい球種が加わった。

 50球を超えてパフォーマンスが充分に発揮できるようになる前に、あれを使えばかなりの威力になるだろう。

 実はまだ見せ球としてしか使えないのは内緒である。

「ナックルカーブかな」

 ジンは少ない情報であっさりと見破った。

「ああ、そういうのあったな」

 ナックルカーブはナックルと似た握りから投げられるカーブであって、カーブの仲間ではあってもナックルの要素はない。

 直史が使わなかったのは、普通のカーブで同じぐらいのものが投げられるからだ。

 武史のように指先で弾く感じで投げるなら、確かに使えるのかもしれない。


 変化球は人によって向き不向きがあり、なんでも投げられる直史の方が珍しいのだ。

 その直史でも、選択によって使わなかった球種はある。

「あと一回回ってきたら、今度はちゃんと打つんだけどな」

 そう言った大介の目の前で、直史がヒットを打った。

 これで最悪でも、あと一度は打順が回ってくるわけである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る