第9話 二度目の神宮
「なんであの人がいるんだ……」
実際に声に出したのは鬼塚だが、多くのメンバーが同じことを思った。
神宮大会、白富東は運良く二回戦からの対戦となったが、その相手は四国代表の瑞雲。
そしてベンチの中には坂本の姿があった。
坂本は現在二年生であるが、一度高校を退学した後に瑞雲に入り直している。
高野連の規定において、二年の夏までしか彼は出場出来ないのだ。
「スコアラー登録だな。もちろん試合には出られない」
秦野はちゃんとそのあたりは確認してある。
瑞雲の坂本は去年の神宮大会と今年のセンバツ、共に白富東と対戦し、かなり苦しめてきた選手だ。
直史と大介の両方が苦戦した選手など、そうはいない。はっきり言って坂本一人だけとさえ言える。
チームとしての瑞雲は、板垣と後藤のバッテリーを中心に、秋の四国大会を勝ち抜いてきた。
去年のレギュラーで残っているのはこの二人だが、中心選手であったメンバーが抜けた後も、瑞雲は四国大会を勝ちあがったわけである。
一応事前のミーティングでは、他にも数人の選手を注意すべく話されていた。
だが去年の主力が抜けているため、それほどの脅威とは見ていなかったのだ。
地方大会のスコアを確認しても、特出すべき点は見えてこない。
一つそれでも言えるとしたら、接戦に強いということだろう。
今日の先発は武史ではなく、トニーである。
そこから淳につないで、最後を武史が〆る予定になっている。
新チームが始動してから言えることは、トニーは弱いチームには圧倒的に強い。
淳は弱いチームでも少しはヒットを打たれるが、強いチームでもほとんどヒットを打てない。
武史は蹂躙者だということだ。
1 (中) 中村 (二年)
2 (二) 青木 (一年)
3 (一) 赤尾 (一年)
4 (右) 鬼塚 (二年)
5 (捕) 倉田 (二年)
6 (三) 佐藤武(二年)
7 (左) 佐藤淳(一年)
8 (遊) 曽田 (二年)
9 (投) トニー(一年)
チーム内のスタメン競争も、上位の数人はともかく、下位打線では熾烈なものとなってきている。
ファーストが倉田か孝司でほぼ固定のため、セカンド、ショート、サードの争いが激しい。
外野もアレクがセンター固定は間違いないのだが、鬼塚がどのポジションで使われるかで、入れ替わりがあったりする。
今日は曽田がショートに入っているが、哲平が入ることもあり、また佐伯が終盤の守備固めに入ることもある。
だいたいどのゲームでもスタメンで出るのは、武史、アレク、鬼塚、倉田の二年生に、孝司、哲平の一年二人である。
その次に機会が多いのは、ピッチャーをやることが多い淳が、そのまま外野に入る場合だ。
普通のチームなら左利きが入りやすいファーストが、白富東の場合は倉田か孝司で埋まっているのが、少し苦しいところである。
だがこの二人よりも打撃のいい選手がいない。そもそも暴投でも球を止めるキャッチャーは、割とファースト適正はあったりする。
瑞雲というチームは、夏までとはかなり違ったチームのように思える。
今の三年が引退するまでは、武市を中心として選手が結束し、坂本という不確定要素を上手く使っていた。
だが今年の瑞雲は、言ってしまえば普通の強豪のように見える。
(固いプレイは多いが、四国大会を勝ち残った割には……)
そう思いながら秦野は試合を見ていたが、だらだらとした流れが初回から続いている。
先発ピッチャーが両方初回に点を取られて、その後も三者凡退という回がない。
だが白富東のほうは、ピッチャーが淳に代わってから、明らかに変わった。
打たせて取るピッチング。
白富東の堅実な守備陣には、トニーのようなパワーピッチャーより、淳のような技巧派の方が合っている。
内野へのゴロとフライを量産し、肝心なところだけは三振も狙っていく。
五回を投げて二安打無四球の無失点で抑え、その間に白富東は突き放していた。
最後に軽く武史が投げたが、淳の後に武史であると、スピードの差に全くついていけないらしい。
二回を投げて三振五つとパーフェクトに抑え、7-2というスコアで完勝した。
さて、次の試合のミーティングである。
予想通りに帝都一が上がってきた。エースの水野を温存していたところも、白富東と似たところか。
事前に集めた情報によると、今年の帝都一は長打力が少し落ちたそうな。
エースの水野が五番を打っていて、打率はともかく長打は一番多い。
四番まではヒットを重ねて、水野には長打を打ってもらうパターンというわけか。
だが数字を比べてみるに、白富東の方が、明らかに得点力は高い。
真正面から戦ったら、おそらく戦力的には勝てる。
だからあとは、状況に応じたプレイをどうするかなのだが。
好きなようにしろと言った秦野であるが、試合前のミーティングはしっかりとする。
技術の育成だけではなく、その技術の基幹となっているデータがなければ、正しい指導は出来ないからだ。
相手の戦力の分析から、それは始まっている。
まあ帝都一は毎年強いわけであるが、今年は去年よりもさらに強い。去年がやや弱かったと言うべきか。
それでも甲子園には出てくるのだから、やはり監督の能力というのは重要である。
反対側で勝ち残っているのは、大阪光陰と仙台育成である。
大阪光陰は真田の他にも一年投手が伸びてきて、かなりイニングを分け合っている。
ここ最近は全国制覇はしていないが、そもそもその前には史上初の春夏春の三連覇を達成し、優勝出来なかった甲子園でもベスト4には必ず残っている。
スカウトも育成も、白富東は勝てないはずなのだ。
それでも勝ってきたのは、個人の突出した能力による。
だがまずは目の前の帝都一である。
水野の球速は、武史よりはずっと遅い。
しかし140km台のストレートを四隅にぴたりと決めてきて、それを活かすためにカーブやツーシームを投げてくる。
スライダーやカットも使ってきて、さすがに直史ほどではないが、クレバーなピッチャーには違いない。
「つーわけでナオにバッピをやらせてきたうちが負けたら、ちょっと申し訳ないよな」
秦野も煽ってくる。
それぞれの選手の特徴も説明した上で、攻略法も考える。
武史としては倉田か孝司のリードに従うだけであるが、それでも自分なりには考える。
高校野球だけではなく、日本の野球においては、配球の組み立ては基本的にキャッチャーが決める。
だがこれがアメリカだと、ピッチャーが主体となるのだ。
武史にはMLB志向など全くないようだが、キャッチャーに任せて投げるだけでは、いつか限界が来る。
基本的にキャッチャーのサインには首を振らないからだ。
秦野はこの大会で、武史に首を振ってほしい。
無造作に剛速球を投げ込むのもいいのだが、自分で投球を組み立てないと、どこかでつまづいてしまう気がする。
まあ今の、全くプレッシャーを感じずにただ投げ込むだけというのもありなのかもしれないが、まだまだ武史には伸び代があるのだ。
最後の夏に、左腕の160kmを見てみたい。
甲子園ではまだ、サウスポーの160kmというのは記録されていない。
だがただでさえ右に比べて有利と言われる左で、そこまでの球速が出せれば、どうなるか。
武史は野球に対して全く執着していないが、野球で人生を成功させることは、素質的にはありだ。
しかし本当にプロとして食べて行くなら、精神的にもっと貪欲なところが必要になるだろう。
武史のテンションが低いのは、舞台が甲子園ではないから、などという単純なものでもない。
まず応援の問題である。
神宮大会は平日にも行われ、さらに準決勝以降となると平日開催が当たり前となる。
金曜日に開催され水曜日に決勝が行われるこの試合において、準決勝以降は普通の学生が応援には来れないのである。
淳は明日美にかっこいいところを存分に見せたが、武史はたったの二イニングである。
それにツインズも日曜日の試合を見て帰っていった。まあそちらはどうでもいいのだが。
優勝を目指すための、モチベーションがない。
それはこの大会だけに限らず、武史がずっと抱えてきたことだ。
そんな武史に対して秦野は、少し時間を取った。
「ちょっといいか」
二人が入ったのは、ごく普通の喫茶店。
目立たない隅の席に座った秦野は、とりあえず飲み物を注文する。それから話に入った。
「お前、将来プロになるつもりはあるのか?」
あけすけな問いであった。
実際に指導した期間はわずかであるが、秦野の教え子からは、二人のプロ野球選手が出ている。
まだ試合にも出ていない、入団の正式契約も済んでいないが、プロに行くことは二人とも決めている。
大介は、期待値的に自分はプロに行くことが一番成功する可能性が高いと考え、プロのピッチャーと対決することにモチベーションを置いて、プロの門を叩いた。
岩崎は最後まで不安を隠さなかった。
自分の才能をある程度は信じながらも、それがしっかりと通用するか、それが不安であったのだ。
そしてプロになっても全くおかしくない成績を残した直史には、完全にプロ以外の選択肢があった。
それらの例に比べると、武史はスペック的にはプロ級ではあっても、将来に対する展望がないように思える。
プロの世界で食っていくことだけでなく、他の道を選択するにしても、全く将来像が決まっていない。
学校の成績はそれなりらしく、大学に進んでからゆっくりと将来を考えるというのもあるが、プロに進むなら大学の間も野球から離れるわけにはいかない。
直史が大学で野球をやめるというのは、秦野には信じられないことなのだが。
あの体格から考えて、直史の野球選手としての上限は、まだまだ上にあるはずだ。
だが本人がそう決めたのなら仕方がない。
まだ決めるまでには、時間はある。
だが決めるまでの時間は、有効に活用しないといけない。
「全力を出して、その結果で判断してもいいとは思うが、少しでもプロになるつもりがあるなら、水野と真田には負けるな」
あの二人は大学や社会人を経由するかもしれないが、絶対にプロになる素材だ。
それと比べれば、自分のレベルも分かるというものだ。
もしも武史が直史や大介と比べて、自分はプロでは通用しないと思っているなら、それは間違いなく誤った認識である。
武史には、明確に意識する同年代の選手が、一人だけいる。
それは二年連続で夏の甲子園で直史と投げ合った、大阪光陰の真田である。
もちろん水野も同様に優れたピッチャーであるとは分かっているのだが、どうしてもピッチャーとして意識するのは、実兄と投げ合った真田なのだ。
二年連続で、結果的には直史は勝った。
だが甲子園で残した成績を見てみれば、傑出した選手だとは分かるのだ。
それにアジアカップでは、同じチームの選手としてプレイした、ドラフト一位候補のバッターたちも、武史から見てそれほど驚異的とは見えなかった。アジアの選手では、特別にすごいと思ったバッターはいなかった。
まあやはり大介だけは別格であったが。
秦野は伝票を取って、先に店を出る。
武史はまだ17歳で、将来をはっきりと決めてしまうには、まだ余裕を持っていい年齢とも言える。
しかしプロでやっていくには、早く覚悟を決めたほうがいい。
それにあの世界でやっていくなら、ぼんやりとしたものではなく、しっかりとした覚悟が必要だ。
直史がプロを志望しないはっきりとした理由。それは将来の不安定さ。
秦野とてプロの厳しさは分かっているつもりだ。才能に優れた人間であっても、少しの怪我でそれを失ってしまう。
まして武史はピッチャーだ。腰、肩、肘などといった分かりやすいところ以外にも、どこかを壊せばそれで終わる。
自分程度の才能ならば、プロには行かない。
だが武史ほどの才能に、その選択を示さないのは、高校野球の監督としては失格である。
武史にしても、はっきりと考えざるをえなかった。
白富東は進学校だけに、二年になった段階で、既に文系か理系かといったクラス分けはされている。
武史が選択したのは理系である。なんとなく就職に有利そうだと思ったので。
ただ自分に限っては、一般人には全くありえないルートが示されているのだ。
ふと、イリヤと話したいな、と武史は思った。
自分よりもずっと若い、それこそ幼いと称していい年齢の頃から、既に音楽の世界で生きていくことを定められていた少女。
プロ野球選手、つまりはスポーツ選手に対して、音楽家がどういう考えを持っているのか。
まずは目の前の、水野と真田に勝つ。
既にプロ入りが期待されているあの二人に勝つことで、自分に何か自信が生まれるのか。
勝ってから考える。
武史はようやく、ふわふわとした雑念を多い払うことが出来た。
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