第7話 神宮へ

 秋季関東大会が終わり、白富東が二年連続の優勝を果たした。

 実は関東大会の連覇というのもほとんどない記録であり、白富東は去年の春から、関東大会では四連覇となる。

「出来すぎだろ……」

 その優勝に喜ぶナインの姿を見ながらも、秦野は少し苦い笑みを浮かべた。


 準決勝と決勝は、土日の連戦となる。

 通常ならばエース級ピッチャーを一枚しか持たないチームは、どうしてもこの日程では厳しい。

 去年白富東が優勝できたのは、直史と岩崎がいたからである。

 今年の白富東は、そこそこ全国レベルでも通用するピッチャーが、他にアレク、淳、トニーがいる。

 この中で準決勝を投げたのが淳で八回までを完封し、九回に一点を取られたものの完投した。

 そして決勝は武史が投げて、被安打二本で完封した。

「ノーノーってなかなか出来ないよな」

 溜め息と共にそう言った武史であるが、関東大会レベルでノーノーが出来るピッチャーなどそうはいない。

 まあ兄の姿を見ているから、けっこう出来そうに思えるのかもしれないが。


 秦野から見ても武史は、球速以外ではほとんど直史に劣る。

 だが劣ると言っても、まだ未熟であるだけだ。伸び代は圧倒的に直史よりも多い。

 あとはメンタルか。


 直史のメンタルは、他者への洞察と試合結果以外への無責任さにある。

 パーフェクトも、ノーヒットノーランも、完封も、全ては勝利のため。

 しかし直感的に勝負どころを掴んでいたため、色々な大記録を達成した。

 先発として投げ切って平気で完封するところもすごかったが、もっとすごいのはそのリリーフ適性である。

 ワールドカップでも地方大会でも甲子園でも、チームのピンチに出て、あるいはわずかなリードで出て、その後を封殺する。

 去年のシーズンで上杉がしたよりも、さらに完璧なパーフェクトリリーフが多い。


 それに比べると武史のメンタルは、自分の力に無自覚なところか、逆に伸び伸びと投げさせていると言えようか。

 白富東という独特の環境が、武史の力を発揮させている。

 おそらく日本では他のどこでも、この才能が発芽することはなかっただろう。

 野球に人生を賭けていないことによって、逆にプレッシャーなどとは無縁でいられる。

 成績や使われ方は絶対的なエースなのだが、メンタルは完全にエースではない。

 素質はメジャー級であっても、果たしてNPBでさえ通用するものなのか。


 神宮大会では同年代の最強級ピッチャー、真田や水野と対戦する。

 真田は変化球で押してくるがパワーピッチャーであるし、水野はコントロールと配球で勝負してくるクレバーなピッチャーだ。

 この二人と対戦したら、おそらくは負ける。

 だが秦野が上手く采配を握れば、勝つことも出来るだろう。


 神宮と甲子園、どちらが重要かと言えば当然甲子園である。

 甲子園までに武史のマインドをもう少し、ガツガツしたものにするためには、敗北の経験を与えるべきではないだろうか。


 もちろんわざと負けようなどとは考えない、

 だが武史をもう一段高いレベルに引き上げるためには、ここでの勝利を犠牲にしてもいい。

(俺は教育者じゃないしな。切実な負けを経験させるのもいいことだろ)

 今の一年は一度も敗北を経験していないし、二年も去年の夏の決勝以来、完全に常勝のチームとなっている。

 確かに今のチーム力も高いことは高いのだが、そのまま甲子園を連覇できるほどのものではないと思う。


 甲子園には魔物がいる。

 その魔物を倒すためには、直史と大介という、おそらく歴史的に見ても稀有な選手が二人も必要だった。

 それも一度目は樋口による、甲子園史上初の、逆転サヨナラホームランで達成を妨げられた。

 あの時の春日山は、神がかっていたと言っても過言ではない。

(神宮は、負けてもいい)

 白富東の公式戦連勝記録を止めるのはちょっと怖いが、最終的に夏の甲子園で勝てばいいのだ。


 負けた経験が力になる。負けてそこから立ち上がれない人間は、上に行くことは出来ない。

 勝たなければ意味がないとは、秦野は思わない。




 ひーこらと補習を受けながらも、大介はライガースとの契約を進めていっていた。

 元々ライガースも上限までの金は出すつもりであったし、大介もライガースには不満はない。

 契約金一億の年俸1600万出来高5000万という上限額で決まった。

 11月になると関西へ行き、球団の寮の様子なども見る。


 今年のライガースは前年度と同じくシーズンを五位で終えていた。

 主力選手の高齢化による故障も多くなり、シーズンを通して充分な戦力が揃ったことがなく、その他の要因も積み重なった上でこの成績であった。

 大介としても大阪は(正確には兵庫だが)甲子園以外には馴染みが少なく、ライガースという選択は特別に希望していたわけではない。

 だがいざ指名されてみれば、ここでやってやるというつもりにもなった。


 なおこの時期は秋季キャンプが行われており、寮に残っているメンバーはあまりいない。

 ちなみに同じ千葉県ということで、大原も一緒に連れて来てもらっていたりする。

 同じ県から二人の指名というのは、千葉県では少し珍しいことだろう。


 高校時代は散々に打ちまくられていた大原としては、複雑な気持ちがないではない。

 こうやって二人で連れて来てもらっても、大原は関東担当スカウトが一緒で、大介はスカウト部長がじきじきに案内しているのだ。

 記者たちの注目も大介にばかり集まっていて、ここでもまた引き立て役なのか、と鬱屈がたまりそうである。

 この大原にコンプレックスを感じさせるような扱いは、わざとである。

 身体能力は優れた大原にプレッシャーを与えて、奮起させるのが目的なのだ。


 なお大介は、背番号は何がほしいかとまで聞かれた。

 普通こういうのは球団側が決めるものだが、空いている番号があるならそこに、という意味もある。

「あ、6が空いてるならそれがいいです」

 高校三年間、大介がずっと付けていた6番が、彼の背番号となったのである。




 岩崎もまた、川崎にあるタイタンズの寮を見学した。

 こちらは井口と一緒などということもなく、普通に案内されている。

 二位指名であり契約金や年俸以外には、出来高払いなどはつかない。

 それでもこれまでに見たことのない金額が示されて、くらくらとするものである。

「まあ税金がかかってくるから、実際に手元に残るのは半分ぐらいだけどね」

 担当スカウトに説明される。

「プロには引退しても退職金なんてないから、これは前払いの退職金だと思って、大切に残しておいた方がいい」


 プロに多球団競合のドラフト一位で入っても、全く活躍出来ずに引退する者はいる。

 岩崎は体格などからある程度の期待は背負っているが、高校野球とプロ野球では、適正が全く違うのだ。

 たとえば甲子園優勝投手でも、怪我などで五年でクビなどということもままある職業なのだ。

 高卒二位のピッチャーと考えても、決して油断してはいけないポジションだ。

 そもそもタイタンズは、FAや育成などで、ライバルは多い環境なのだから。




 そして千葉に戻ってきた二人であるが、寮の設備などを聞いて大介は悔しがった。

「なんだよ、タイタンズの方がいい暮らしじゃねえか」

「そうだな。確かにいい感じなんだけど、けっこう最初からきついことも言われたぞ」

 岩崎としては正直に話してもらっただけに、余計に恐ろしいものがある。


 タイタンズは金持ち球団である。ドラ一でもない岩崎でも、下手な一位よりはいい契約金と年俸を提示してもらったかもしれない。

 設備なども揃っているし、やはり東京に本拠地があるということで、注目度は高い。

 その世間の注目の中で、プレイしていかなければいけないのだ。

 高卒投手に一年目から結果などは求めないとは言われたが、自分でもタイタンズを調べていけば、どれだけ外国人やFAなどで、戦力の強化をしているかが分かる。


 タイタンズは二年連続でシーズン二位で、神奈川に負けている。

 監督が代わるのではないかなどということも言われており、環境は厳しいものがあるだろう。

「俺なんて普通に声かけられてたけどな。あっちのおばちゃんらって親しみやすいよな」

 大介にはプレッシャーはないようだ。だがプロの厳しさというのは、入る前から分かっている。

 自分の父が、結局は怪我で引退したのだから。


 プロでやっていく上で一番必要なのは、もちろん能力も大前提ではあるのだが、覚悟ではないかと大介は思っている。

 弱小中学軟式から、極めて異質の白富東を辿り、プロの世界へと入っていく。

 岩崎はシニアでの経験があるから、大介とはプロに向ける視線は違うかもしれない。


 道は分かたれた。

 しかも違う球団ではあるが、同じリーグに。

 ペナントレースが始まれば、二人が対決することも多くなるだろう。

(もっとも俺はまず、一軍入りしないといけないわけだけどな)

 岩崎の謙虚さが、果たしてプラスに働くか、マイナスに働くか。

 それが分かるのは少なくとも数年後のことであろう。




 神宮大会が始まる。

 投打の柱が抜けてなお、白富東は強かった。

 しかしここに集まってくるのは、新チーム編成でそれなりに結果を出した、全国の強豪である。


 東京都大会で既に優勝していた帝都一は分かっていたが、やはり大阪光陰も出場を決めてきた。

 夏のスタメンである毛利、明石、後藤に加えてエースの真田。そしてキャッチャーは固定された木村。

 二年が中心ではあるが一年にも才能のある選手は多く、やはり選手層の厚さを感じさせる。


 北海道、東北、関東、東京、北信越、東海、近畿、中国、四国、九州の10チームによって行われる大会。

 過去の実績では東北と関東、そして地元の東京がよい成績を残している。

 白富東は一回戦は免れたが、二回戦で四国の代表となった瑞雲と当たる。

 主力が三年生であったはずの瑞雲が、ここでも四国の代表となって出てきた。


 もしそこで勝ったとしても、次に当たるのはおそらく帝都一。

 夏には二年生エース水野を擁して、ベスト4まで勝ち残ったチームだ。

 水野が最終学年となる今年は、優勝候補と言っても間違いないだろう。


 一応大阪光陰は決勝で当たるトーナメントになっているが、甲子園と違って関西の地元有利はそれほどもない。

 もちろんチーム力としては圧倒的に強いわけではあるが、あちらもまた明倫館がいるため、確実に決勝で戦うとは言えないだろう。

 神宮大会は全国大会ではあるが、高校球児の目指すべき場所ではない。

 監督の秦野も調整期間は特に取らず、普通に練習試合を入れていた。


 監督の意思というのは繊手に伝わるものである。

 そして秦野は実際に、己の考えを口にした。

「本番は夏だ」

 その大目標だけはブレない。

「余裕で勝ってしまえるぐらいならそれでいいが、別に負けてもどうというものじゃない」

 好きにやれ、ということだ。




 白富東が三年の引退後、明確に失ってしまったもの。

 それは絶対的な主砲でも、絶対的なエースでもない。

 自らが戦略的に考えられる頭脳だ。


 野球の勝ち方という点なら、倉田や鬼塚、そして孝司や哲平に淳が分かっている。

 だがより高い視点から俯瞰して、ゲームメイクが出来るかと言えば、それは難しいだろう。

 それでも優勝するのであれば、武史が更なる覚醒をしてくれることを祈るのみ。


 果たしてここで勝てるのかどうか。

 道の示されていない、困難な闘いが始まる。

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