第3話 秋風の中で
秋季県大会決勝、千葉県は白富東と東名千葉という、ここ最近では全く珍しくない対戦となった。
トーチバは言わずと知れた県内有数の強豪私立である。東都リーグ一部の東名大の付属校であり、大学でも野球を続けたいなら、千葉ではここ一択と言える。
まあ白富東であれば、学校推薦や一般入試で普通に入れたりするが。
そんなトーチバは、ここ数年変わらない、ピッチャーを三枚はそろえるというシステムを変えていない。
それに対して秦野は、武史を先発させた。
既に関東大会出場を決めているのだから、ここで他のピッチャーを試すというのも悪くない。
だが秦野から見ればトニーの研鑽は練習試合などで行い、武史の公式戦での能力上限を見ておきたいというのが正直なところだ。
そしてこの試合は、倉田ではなく孝司をキャッチャーにした。
倉田が直史のボールも捕っていたことなどに比べると、孝司の経験値を上げておきたいのだ。
大介や岩崎と違い、直史はもう現役と混じってユニフォームを着ることは少ない。
それでも後輩キャッチャーのために、多彩な変化球を投げてはくれるのだが。
受験中でも普通に投げ込みをやっているのは、体力の維持のためだけと言えるのだろうか。
そんな直史の球をバッピとして贅沢に使っている白富東は、この決勝でも問題なく順調に点を取っている。
MAX140kmのエースというのは、白富東の打撃の中心選手にとっては、恐れるべきものではない。
そして左腕投手も、武史、アレク、淳と、再現できる人間が揃っている。
大介が160kmのピッチングマシーンを、目を慣らす程度にしか使わない理由を、後輩たちも分かってきた。
マシンの160kmを打った後、淳の130kmを打とうとしたら、後者の方がはるかに打ちにくいのだ。
旧式のほうのマシンを物理部化学班が改造して、かなり人間のボールに近い、一球ごとの変化をつけられるようにしていたりする。
そんなこともあって、打つほうはどうにかなる。
そして守る方であるが――。
「ットライ! ッターアウト!」
初回の先頭打者にいきなりフォアボールを与えたものの、送りバントを失敗させてワンナウトを取ってから、のびのびと投げ始めた。
攻撃の方は決勝でなければコールドになっている九点差。
そして武史は八回までの時点で、21個の三振を奪っていた。
さらに加えるとノーヒットノーラン。
それもフォアボールも最初の一度だけであり、その後はパーフェクトピッチングなのである。
これには白富東のベンチ、秦野も頭を抱えるしかない。
守備が全く仕事をしていない。
そもそもボールがバットに当たらない。
さすがにストレートだけで勝負というわけではないが、ほとんどゾーンの変化球しか使ってない。
(こいつ、覚醒してるのか?)
あちらのベンチでトーチバの監督も頭を抱えているが、その気持ちは分かる。
県大会の決勝でノーヒットノーラン。
そもそも武史が最後に得点を取られたのが、アジア大会である。
そこから県大会はずっと無安打を通している。
(佐藤家にはノーヒットノーランの神様でも憑いてるのか?)
九回の裏、トーチバの最後の攻撃が始まる。
別に調子がいいとは思わない。
夏までと同じように、あるいはアジア大会と同じようにしているだけである。
それで三振が取れてしまうのだから、不思議なものである。
甲子園はともかくアジア大会は、それほど厳しい相手などいなかった。
大介が敬遠の中にある稀な勝負で、簡単にホームランを打ってくれるのが大きかった。
確かあれで大介の高校ホームラン通算記録は、150本を超えたはずである。
まあ弱小相手の練習試合や、校内の紅白戦まで含めているので、あまり基準とはならないが。
それに大介は校内の紅白戦では、直史からは一本もホームランを打っていない。
打率はそこそこで、打点もあるのだが、ホームランだけは打てていない。
兄に対して正しい意味のブラコンを抱えている武史としては、12球団の争奪戦が行われている大介よりも、兄の方が上だと考える。
そしてそんな兄が選択しないのだから、プロ野球選手というのは、そう簡単に結果が残せる舞台であるはずもないのだ。
どこか一箇所、体を壊したら終わり。
プロ野球選手というものは、そういうものなのだ。
プロという道は、頭の片隅にはあるが、まだ明確な目的としては存在しない。
だがとりあえず、東京に出るにはいいかもしれない。
甲子園優勝投手にまでなれば、私立の特待生となって学費も寮費も無料で通える。
ツインズはもはや自力で稼いでいることを考えると、武史は普通に大学に行ってもいいのかもしれない。
だが両親に無理をしてほしくはないとは、確かに思うのだ。
それに些かならず、不純な動機も発生している。
(関東大会なら埼玉だし、応援に来るって行ってたからなあ)
連絡先を聞いていた権藤明日美と神崎恵美理。
埼玉県に行くのには慣れていると言っていた恵美理に、なんとなくメッセージを送ってみたら、関東大会まで進めば是非応援に来たいと言ってくれた。
二週間の土日に行われるので、そこまで勝ち進めば会える。
(たぶんだけど、神崎さんは、なんとなくだけど、俺に対して好意的だと思う)
鈍感系主人公である武史だが、なんとなくそんな感覚は持っている。
女に応援してもらいたいから頑張る。
どうやらこれは、佐藤家の男子の特徴であるらしい。
ラストバッターこそピッチャーゴロに倒れたが、24個の三振を奪って、白富東は勝利した。
打者28人に対して、与四死球1のノーヒットノーラン。
関東大会を前に、またえらくマークされる記録を残したものである。
スマホの画面を操作してメッセージを送る。
「よし」
「何したの?」
バスの後ろの席から、アレクが顔を出してくる。
武史は得意満面といった面持ちである。
「関東大会に、日本代表女子の皆さんをお招きした」
おお、と他の席からも歓声が上がる。日本代表女子は、顔面偏差値の高い女子が多い。
白富東の野球部員はモテる。校内にも校外にも、彼女を持っているものがたくさんだ。
それでもやはり女の子の応援は嬉しいに決まっている。
もちろんたくさんの女子マネの応援もありがたいのだが、新鮮さという点では劣る。ぜいたくなことだ。
「誰が来るんだ?」
鬼塚は最近元カノから連絡が来ているらしいが、積極的には会っていない。
そもそも学校の練習だけならともかく、自主練までしていれば、それほどの余裕はないのだ。
日本代表女子と言っても、まさか九州や関西からやってくるわけではない。
「聖ミカエルの女の子が八人と、地元の新栄のチームから何人かと、あとは東東京の田村さんのチームメイトが何人か」
かなりの人数になる。そもそも引退したメンバーもいるのではないだろうか。
「少しぐらいは息抜きしたいんだってさ」
実際のところは全国大会の実績で、推薦が決まりそうなのが多いらしい。
今年の関東大会は埼玉県で、埼玉以外は二校、埼玉は開催地であるので三校が出場し、二週間の土日を使って行われる。
四回勝てば優勝であり、二回勝てばベスト4に残ってセンバツの出場が決まり、優勝校は神宮大会への参加権を得られる。
去年の白富東は見事に優勝し、神宮大会でも優勝した。
あれが覇道の始まりであった。
神宮大会、センバツ、夏の甲子園、国体。
その前年の国体と、春の関東大会も優勝していたので、白富東は去年の夏の甲子園決勝で負けて以来、一度も敗北していない。
練習試合でも後輩の経験のためのBチームでは敗北したが、Aチームでは一度も負けていない。
果たしてどこまでこの連勝記録が伸びるのか。
あの甲子園三連覇を成した大阪光陰でさえ、途中の大会では敗北を経験しているのだ。
監督である秦野は正直、神宮大会まで進むぐらいなら、センバツ出場までを決めて、あとは練習試合に時間を割きたい。
白富東は普通科の進学校なので、平日に練習試合を組むことは難しい。
それに休日は休日で、長い時間を取る練習もしたいのだ。
(だけど修学旅行はあるし、文化祭もあるんだよなあ)
野球だけをしているチームも多いことを考えれば、練習量で白富東は野球強豪には劣るように見えるかもしれない。
だが実際のところは、練習時間では劣っても、練習量では引けをとらないはずだ。
白富東はシートノックなどは少なく、体力の限界まで一気に使い果たさせる練習をする。
そこから栄養を補給して、出来るだけ座学にも時間を取る。
あとは各自の自主練であるが、このメニューを決めるのはちゃんと選手と相談している。
来年の夏を一つの区切りとして考えると、伸びる余地が大きいのは、淳とトニーだ。そしてこの二人のピッチャーの成長が、再来年の成績を決めるかもしれない。
淳はまだ身長が伸びているので、制球重視で、春までに球速のMAXが5kmも伸びればいいだろう。
トニーはフィールディングと、走りこみだ。ダッシュをしてその巨体をコントロールするための足腰を鍛えなければいけない。
そういう意味では筋トレをほとんどしなかった直史は、よく146kmまで球速が出たものである。
しかもブルペンでしか出していなかった、制球の利かなかった球を、甲子園の決勝ではゾーンに投げ込んだ。
凡人と天才の差は、フィジカルではなく反射神経でもなく、イメージ通りに体を動かす運動神経でもない。
集中力だと言われているし、秦野もそう思っている。
そしてあまり言いたくはないが、精神力だ。
ピッチャーなどは自分の投げる一球に、チームの勝敗がそのまま結びついている。
その意味ではどんな時でも最高のパフォーマンスを発揮していた直史は、まさに天才であったのだ。
ミーティングを終えた野球部は、スタメンに加えて研究班、マネージャーを含めて、部室棟のホールでとりあえず今日の反省をする。
反省も何も、ほとんど武史が三振に取ってしまったので、守備に関してはあまり言うことはない。
打撃にしても真正面から攻略してコールドレベルの点を取ったので、まあいいだろう。
よって問題なのは、関東大会である。
そしてその間に行われる修学旅行や学園祭、そしてテストなどだ。
また選手たちには関係ないが、関東大会期間中、ベスト8が出揃ったところで、NPBのドラフト会議が行われる。
今のところ各球団からの調査書自体は、大介にも岩崎にも、12球団全てが送られてきている。
高校生ドラフトの場合、まずドラフト指名の意思がある球団からその選手に、調査書というものが送られる。
ただこれは選手本人に送られてくるわけではなく、学校に送られてくるのだ。その選手の卒業見込みなどを学校は返答する、内申書のようなものだ。もっともそれが来ているかどうかは選手にも伝えられる。
逆に言えばこれが一通もなければ、選手がドラフトで指名される確率は少ない。
もっとも最近は育成指名もあるので、それなりの選手には届く場合が多い。
そして選手はプロ志望届を出す必要がある。
かつてはこれがなく、進学予定であった選手を強行指名して、どうにか条件を出して入団させる金満球団もあった。
だがこれが結局は金持ち球団に選手が集まる理由にもなったわけで、今ではプロ志望届を出さなければ指名も出来ないことになっている。
この志望届の締め切りが、今年は三日後となっていて、既に大介と岩崎は提出している。
そしてその二週間後に、ドラフトが行われるというわけだ。
選手の進路については教師である高峰に任せ、秦野は関東大会のことを考える。
本日神奈川、埼玉、千葉の決勝戦が行われ、出場校も全て決まったわけである。
野球部全体を巻き込んだ不祥事でもない限りは、このチームが相手となるわけだ。
知らない名前は一つもない。全て全国レベルのチームだ。
まあたいがいのチームは秋の新チーム始動は難しい問題であり、経験を重ねてきた指導陣が、秋を勝ち抜く上では重要になる。
(今まではこんな時、大田や椎名に相談できていたわけか)
生徒たちが自主的に目標を持っているというのは、確かに強いチームの条件であろう。
それに白富東も、武史とアレクが実力で、倉田と鬼塚が態度で、チームを牽引している。
一年生も孝司と哲平に淳を混ぜた三人が、結束力を高めている。
センバツに確実に出るためにはベスト4。
東京の代表校と戦う必要のない秋の関東大会は、神奈川と埼玉を中心にマークするべきである。
(神奈川はヨコガクと東名大相模原か。神奈川湘南はまだチーム編成が上手く行っていないか)
埼玉は強豪私立二校に、新興の私立が一校入っている。夏の大会ではベスト8だったチームだけに、弱いはずはない。
茨城県のチームとは過去に練習試合の経験があるし、それほどの意外性はない。
秦野としては夏から注意していた、群馬の桐野が勝ち残ってきたのに、少し注意している。
直史と大介が抜けた穴は、どうやっても埋めようがない。
しかしジンの抜けた頭脳面の穴は、どうにかして埋める必要がある。
倉田は責任感の強いキャプテンではあるが、発想などはあくまで正統派なのだ。
おそらくだが、勝つために何が必要なのかは、一年の淳や孝司の方が深く考えている。
つまるところ、監督の采配で、この年代の成績は決まる。
下手にスーパースターがいないだけ、まだマシと思うべきかと秦野は諦めた。
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