番外 37_【試練の遺跡】最奥 2



「──【水魔法、満潮】」



 呪文の後、セイは自分の内側でとてつもなく大きな何かが、這い出るように動いたのを感じた。体内でも心の中でもない、もっと感覚的な世界のどこかで、神話に出てくる大蛇みたいな生き物が、地中にある遺跡にゆっくりと巻きついていく姿を幻視した。

 この存在を感じるのは、魔法士ギルドの練習場で初めて魔力の感覚を掴んだ時以来だった。


 あれが、自分の魔力の形だ。この場を魔界の水で満たす為には、あれをもっと引き摺り出さねばならない。しかし出し過ぎれば、この遺跡全てが……地上一階まで、水没してしまう。


 慎重にイメージしていく。

 みんなで遊んだ海の記憶。満ちた時は桟橋のすぐ下まで届いた、穏やかな海面──綺麗だった貝殻、美味しかったお寿司という食べ物……違う、余計なことは考えるな。


 朝陽を反射して煌めいていた雄大な海! 深く青い海、カラフルな魚たち、水中で揺れる七色に輝いていた海草、朝にも満潮があるのはお月さんが二つあるからやろかと言っていたアズキ、冬にまた来ましょうマグロっぽい魚が漁れるらしいんです美味しいですよと言っていたキナコ……違う、頼む、集中させてくれ。


 必要のない記憶までカットインしてくるので、セイは眉を寄せて苦しそうな顔になってしまう。水、水、海水! 集中!




 セイが水魔法を発動して少し経つが、リヴァイアサンと魔獣たちの上にアズキとキナコの水魔法の雨が降り注いでいるだけで、他はなんの変化も無い。

 だが、幻獣たちの誰も、セイの魔法が失敗したとは考えていなかった。


 からっからに干上がっていた遺跡最下層の全ての床の、石と石の間に延びる浅い溝に、ようやく水が染み始めた。じわじわと、通路全体が水気を帯びていく。乾いて白っぽくなっていた下の通路全てが、やがて濃い色へと変わり……。


 それからは、早かった。


 見る間に水位が上がっていく。遺跡の魔獣たちを水が飲み込み、リヴァイアサンの巨体を沈め、それでも止まらず水かさは増していくばかり。凄まじい速さで水が溜まり、セイたちがいる上の通路ギリギリの位置まで水面が迫ったところで、やっと止まったのだった。


 地面に膝をついて、水没している下の通路を覗き込むセイ。

 小型、中型の魔獣たちは水中を泳いで動き回っている。なんか魚とか海草も見えるけど、実は奥に隠れてただけで最初から居たんだよね、居たって言ってくれ。祈るようにセイは思った。

 いや、それよりも海竜だ。


(リヴァイアサンさんが全然動かないな……まさか、溺れてる!?)


 沈めたのはまずかったのか? 焦っていると、リヴァイアサンがゆっくりとした動きで長い体をくねらせた。水が動いてあふれ、足元を濡らす。水、入れ過ぎた……。


 目の見えないリヴァイアサンを先導しているのだろう、顔の周りに魔獣たちが寄り添い、壁にぶつからないよう守りつつ、一緒に泳いで中央の広い所へと向かっている。


 良かった、大丈夫そうだ。へたり込むと、幻獣たちが慌てて周りを囲んできた。


『セイくん!』

「セイっ、大丈夫か? ほんま無茶しよってからに!」

「魔力切れですか? 吐き気は?」


 焦った様子の仲間たちに、セイは笑顔を返す。


「大丈夫、安心して気が抜けただけだから」

「……えっ、大丈夫なんですか?」

「うん? うん、全然大丈夫。ちょっと疲れたぐらい」


「「「“ちょっと”?」」」

『『『“ちょっと”?』』』


 カワウソたちとコテン、ワニ魔獣と幻獣たちの声が揃った。

 ……一応、自分でも「さすがに、これは無いよな」と思ってはいるのだ。


 反対側の壁にもし人が立てば、豆粒以下の大きさで見えるだろう広さ。一番深い所は建物三階分くらいあり、リヴァイアサンたちが向かった中央は、二階建ての屋敷が収まりそうなくらいだったのだ。

 それら全てに、魔法で水を入れた。やり過ぎである。


(でも下の通路が全部繋がってたんだから、しょうがないと思うんだよ……)


 リヴァイアサンたちの周りだけピンポイントで水を溜めるのは、構造上無理だった。


「まあ大丈夫やったら、それの方がええ。問題無いのが一番や。……しかしこうやって見ると、この遺跡は水で満ちてるのが、正しい姿なんやろな」

「ぼくたちが来た時の涸れっぷりが異常だったんでしょうね。波返しの付いた壁も、壁沿いの溝も、水がある事を前提に造られてたのが分かります」


 アズキとキナコが同時に、親指と人差し指を広げた手を自分の顎に添えた。最近の彼らお気に入りの「思考中ポーズ」である。


「ちゅーことは、や。ここが【水の遺跡】やと考えると、試練の遺跡は全部で四つ……もしくは、七つやな」

「なんで分かるの?」


 アズキが確信を持った言い方をしたので、セイが問いかけた。


「オタクとしての勘や。基本四属性の試練、もしかしたらプラス聖と闇と無属性もあるかも……いうところちゃうか」

「木、氷、雷はありませんかね?」

「小規模な造りであるかも知れへんな。それか、フェンリルのダンジョンが風で、途中から木属性が増えてたやん? あんな風に一つの遺跡で複数属性持たせてる可能性もあるんちゃうかな」

「ここはスタート直後にラストステージまで一気にショーカットしましたもんね。途中で増えてても分からないですね、うーん」


 アズキとキナコが生き生きとしている。楽しそうだなー。

 楽しそうと言えば、中央に集まったリヴァイアサンと魔獣たちも、踊るように泳いでいる。水が波打って足に被ってきた。少し減らしちゃダメかな。


「ところで、あの攻撃力高そうなドデカいリュウグウノツカイみたいなラスボス、なんなんやろな?」

「さっき鑑定しといたよ。【海竜リヴァイアサン】だって」

「「リヴァイアサンっ!?」」

「ちょ……どこから出したの、そんな声」


 カワウソたちが裏返った甲高い声で叫び、リヴァイアサンに向かって拝み始めた。感無量だそうだ。


『……うむぅ』


 セイたちと一緒に円形状の通路の上にいたワニ魔獣が、海竜をしばし見つめた後、重そうに体を揺らして水の中へと入り、そして遠去かって行った。しかし、リヴァイアサンの居る中央ではなく、壁の方角に向かっている。

 巨体を浮かして器用に顔だけ水面から出して泳ぎ、そして「グオォ」とひと鳴き。壁に向かって大きな水球を出した。


 討伐隊の時、扉の前で出していた魔法と同じだが、あの時は泥色だったのに今は透明だ。


『お、おおお……』


 ワニ魔獣は水球を見て、声を震わせた。そして、水球をどこかへぶつける事なく、水面にそっと置くように崩して、目から濁った涙を流し始めたのだ。

 泣いている理由も気になるが、涙が泥色で、悪臭もしている方が気になる。


(もしかして、体内が汚れてるのかな。さっき掛けた【洗浄魔法クリーン】は表面にしか効果無かっただろうし)


 もっと念入りに洗浄魔法を掛けて良いか聞こうとした、その前にワニ魔獣は水面を滑るようにして中央へと泳いで行ってしまった。

 中央にいる海竜の周りに、沢山の水棲魔獣たちが集まっていく。


 リヴァイアサンは顔を水面から出して、セイたちの方へと向けてきた。

 海竜の目が見えていないので微妙にズレているのだが、かえってそちらの方がありがたい。初対面の巨大な魔獣と真正面から顔を合わせるのは、なかなか勇気のいる事だ。目や口から何か飛んで来そう。


『人よ……人か? 多分、人か……うむ。人よ、感謝する』


 人よ、と言った後にリヴァイアサンは不安になったのか周りの魔獣たちに確認し、訊かれた魔獣たちも首を傾げながら『多分』『形は人間』と答えているのが小さく聞こえた。人ですけど?


『長らく渇きに飢え、死を待つばかりであったが、このような魔素に満ちた魔海水を、丸ごと……魚ごと転移して頂けた。ここのみならず、巣の全てが水で満ちているとか……感謝してもしきれるものではない、有り難く思う』

「いや、そんな事は……」


 してない、マジで。

 謙遜でなく本気で、言われた内容の半分以上に身に覚えが無い。水魔法の水で、このエリアを埋めただけのはず。


 動揺するセイの足元近くの、水で満ちた通路を丸々とした魚たちの群れが、すごい速さで泳いでいった。それを人魚や亀の魔獣たちが迎え討ち、『新鮮な魚を食べるのはどれだけ振りだろう』『主さまも食べて!』と大喜びしている。


 ──そうか、魚は久しぶりか。じゃあやっぱり、丸ごと魔界から運んじゃったんだろうな……それって大丈夫なのかな?

 セイは相談込みで、仲間たちに正直に通訳した。

 

「お、おう、どえらいことやらかしてたんやな……でもまあ、喜んでるんならええんちゃうか」

「元々ダンジョンは魔界と行き来してる所ですし、生態系が壊れるとかも無いでしょうしね」

「あっ、そうだ、なんで死にかけてたんだろ」


 リヴァイアサンの酷さに目を奪われていたが、他の魔獣たちも結構ひどい状態だった。どうしてそんな事に?


「あの、ダンジョン……遺跡……えーと、地界にある魔獣の巣の中だったら、魔獣は倒されても魔界へ帰るだけで死ぬことは無いって聞いてたんだけど」

『おおお、それをご存知か。なのに月絲族では無いのか……。うぅむ、うむ。あなた方は我らの命の恩人だ、説明しよう』


 海竜は数回頷いて、丁寧に説明を始めた。




 ──海竜の巣もフェンリルと同じく、入ってくる人間たちとの戦いは戦闘訓練であり、娯楽だったそうだ。

 魔獣には月日を数える習慣がないので具体的にどれくらい前とは言えないが、相当昔に珍しく最下層まで到達した人間たちがいた。

 リヴァイアサンは彼らに倒され、魔界へ帰還した。向こうの配下たちとやり取りをし、それからこの巣へ戻ってみると、魔法陣の【鍵】が取り外され、人間たちは巣からも出て行ってしまった後だった。


「魔法陣の、鍵?」

『うむ。ちょうどおぬしらの後ろあたりの壁に、魔法陣があるだろう。その魔法陣を動かす為の鍵が、真ん中に嵌めてあったのだよ』

「後ろの壁の、これが魔法陣? ここにあった鍵を、人間たちが持って行っちゃったんだね……」


 柱に囲まれた壁、その中に彫られている螺旋模様。ロウサンに運んでもらって近くでよく見てみると、模様の中心に空いた穴の付近には、抉り出す時に付いたのであろう細かい切り傷が沢山付いてあった。

 魔環型ライトで中を照らしつつ、アズキが穴に手を突っ込んだ。


「突き抜けちゃうな。クルッと丸い、球状やな。……これくらいの球って、もしかして宝珠ちゃうか?」

「宝珠が魔法陣の鍵ですか……有り得ますね。ダンジョンで一番重要なキーアイテムっていう意味での“鍵”かも知れませんし」


 カワウソたちが考察している間にも、海竜の説明は続いている。

 魔法陣は、魔界と地界を繋げる為にあり、魔素をこの巣へと供給するという、重要な役目を担っていた。

 それを動かす為に必要な鍵を外へ持ち出され、魔法陣は機能しなくなり、魔素が巣に入って来なくなってしまった。

 魔獣たちは魔素が無ければ魔法を使えない。魔法が使えなければ、魔界へ帰ることも、巣を維持することすらも出来ないのだ、と。


 セイは、そんなひどいことが……というニュアンスで仲間たちに通訳していたのだが。


「あのなセイ……もし鍵が宝珠なんやったら、俺らも同じ事をしようとしてたんやで……」

「えっ、嘘」

「勇者が王城から言われた“試練の遺跡を攻略して宝珠を手に入れるべし“って、つまりそういう事ですよね……」

「あー……」


 カワウソたちに言われて気が付いた。人間側から見れば、“ラスボスを倒してダンジョンの一番奥にある、一番価値のありそうなお宝を入手”になるのだ。


「俺らはセイが一緒やから、宝珠を取ったらダンジョンの魔獣全部が餓死する事になるて分かって、取れへんかったやろけど。セイが一緒やなかったら、間違いなく取ってたわ」

「でもアズキくん、ダンジョンコアの可能性がある物を取る勇気って、あります?」

「他のダンジョンで大丈夫やったか確認取って、帰り道を確保してから、取る。今回はセイとロウサンが一緒やから、気楽に来てしもたけど」

「そうですね……宝珠を取ることが目的で来たわけですしね。今回はセイくんがいるからラスボスまで一瞬でしたけど、居なかったら一階から順にめちゃくちゃ苦労してここまで到達してラスボス倒して、取らずにいられるか、ぼくも自信ありません」


 今回もセイ自身は魔獣に頼んで宝珠を借りるつもりで、取るつもりなんて無かったのだが。事前の意志の擦り合わせが上手く出来ていなかったようだ。


「でもさぁ、なんかおかしくないー? お姫サマはもう宝珠を持ってたんでしょ? だったら、この遺跡にもう宝珠は無いって知ってたワケでしょー? 攻略したって、完全に無駄足だよね。そんなコト、あいつらがすると思うー?」


 コテンの疑問に、みんなで「うーん」と唸る。


『……陣が動かなければ、魔界から水を呼ぶ事も、魔界へ帰る事も出来ず……』

「あ、リヴァイアサンさんの話が続いてるから、今の話はまた後で」

「ん。分かったー」

「おう」

「了解です」



 

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