番外 36_【試練の遺跡】最奥 1
『
セイのシャツと肌着の間が定位置になっている小猫のミーが、セイのお腹を肌着越しに高速で掻きながら訴えている。
人間の自分ですら、えずきそうになるくらい酷い臭いなのだ。鼻が敏感なロウサンやミーには耐え難いに違いない。カワウソたちも鼻を抑えて悶絶している。早く解消しないと!
「──【
許可も取らずにワニ魔獣の巨大な全身を、洗浄魔法で覆った。速攻丸洗いだ!!
吐き気を催し、目に沁みるほどだった刺激臭が薄まっていく。ワニ魔獣のドス黒くねっとりとしていた表皮も……元から茶色だったようで違いは分かりにくいが、心なしかスッキリして見えた。
『お、おおお……』
長い首を巡らせ、ゆっくりした動きで洗浄された自分の身体を見回したワニ魔獣は、もう一度『おおお……』と言ったきり、黙った。
(あー、やっぱりワニさんは独り言を言わないタイプだ)
怒ってる雰囲気は無い。でも、喜んでいるのか、悲しんでいるのか、どちらとも取れる『おおお』だった。
「結界は張ってあったんだけどね……ボク、可及的速やかに
「臭くて
「前の時も臭かったですけど、ここまで酷くなかったですよね?」
コテンとカワウソたちの様子をうかがうと、会話出来る元気があるようだった。服の中の子たちも、元気に怒り狂っている。うんうん、ひどい目に合ったね……。
『今のは、攻撃では無かったよね? あの魔獣の体臭が、殺人的に臭かっただけなのかな?』
ロウサンは冷静に判断しつつも、セイたちを庇う位置へと移動し、氷撃を魔獣へと向けている。ロウサンの警戒心は正しい……セイは反省した。
今のは、油断によるミスだ。
魔領域やバーナダンジョンが順調で、危険なんて全く無かったから、考えが甘くなっていた。
魔獣側に攻撃する意思が無くても、身体の造りも心の動きも全然違うが故の、事故はある。例え、魔獣からすれば善意の行為であった時でさえも、結果的にこちらがダメージを負うことだってあるのだから。
ワニ魔獣が足を踏み出した。ロウサンが「ガウッ」っと威嚇して、それを止めさせた。
距離を取ったまま、セイは問い掛ける。
「あなたは、ここの主かな?」
『…………』
「あれ? 言葉、通じてない? 僕の声って聞こえてる?」
『……幻聴』
「じゃないから。僕の言葉、分かるかな?」
『……
「僕たちは月絲族じゃないんだ、僕たちは……」
『仲間か』
「仲間でも無いよ、月絲族と僕たちは全然関係無くて」
『お主の周りだ。仲間か?』
「ここに居るのは、僕の仲間だけど……」
『うむぅ』
これは……決定的に言葉が足りないタイプだ。こういう困った相手は幻獣にも居るし、セイが幼少から成人まで住んでいた村のオッサンにも居た。“人の話を聞かない”と言えば、元の世界の白蛇様という完全体がいる。
つまりセイは慣れている。
苛立ってはいけない、しかし向こうのペースに飲まれてもいけない。焦る必要は無いんだ、ゆっくり付き合おう。
肩の力を抜いて、息を吐いた。それから、自分へと空気を引き寄せるイメージ──魔法ではなく、本当にただの“イメージ”。
感情は空気に乗る。雰囲気で相手に伝わる思考はある。
相手の意識が自分へと向くよう、“僕の話を聞いてくれ”という念を、セイは放出した。……まぁ、一番聞いて欲しい白蛇様にはオーラ負けしてしまって、このやり方はあまり通じないのだが。
ワニ魔獣には効果があったらしく、待ちの姿勢でセイに視線を向けてきた。
「試練を受けに来たんだけど、あなたと戦えば良いのかな? それとも、一番下まで順番に越えていく必要がある? 教えて欲しい」
『必要無い。我が主の浄化も頼みたい』
「主……? あなたがダンジョン主じゃないって事だね?」
『一番下だ。
「行くぞって……」
──空気が歪んだ。
目の前の景色が、別物に変わる。そして、悪臭が鼻先を掠めた。
「──【
間髪入れずセイは魔法をぶっ放した。遠慮などしてやるものか。このワニ、白蛇様並みに人の話を聞かないな!
(みんなは!?)
仲間たちの姿を探して視線を動かす。手で体を軽く叩いて、くっ付いてる子たちの確認も同時にする。
すぐ近くに全員居た。良かった、みんな揃ってる。腕輪型のスライムまでいた。仲間認定されたのかな?
「……うわぁ、すっごかったねぇ、今の。あれだけの事してフツーに立ってるセイにも、ボクはビックリだよ……」
「アニメの派手派手エフェクトみたいな吹っ飛び方で、汚れが消し飛んでいきよったな。えぐいわー」
「大きい体育館四つ分くらいありそうなんですけど、綺麗さっぱりですね。何気にライトで全体を照らしてますし。……セイくんの魔力ってどうなってるんですか」
コテンとカワウソたちは、この突然の移動に驚かず、セイの魔力量の方に驚いていた。
『おおお。……おぬし、異常だな』
ワニ魔獣にまでドン引きされて、セイはちょっとだけイラッとした。誰のせいだと……。
『セイくん、確かダンジョンの魔獣は殺しても死なないんだったね? だったら百回ほど殺しても良いんじゃないかな』
さすがにそれは可哀想なんでやめてあげて欲しい。ロウサンなら本当に出来てしまうので、シャレにならない。了承無く勝手に移動させられて、だいぶお怒りのようだ。その気持ちは分かるけどさぁ。
ロウサンの過激発言で少し頭が冷えたところで、周囲を観察。今更だが、地下にあるとは思えないほどの広さと、天井までの高さだ。
広めの通路が複数延びていて、それぞれスロープから下へと降りられる造りだ。下も広めの通路。段差も複数ある。
段差の浅い所は人間の膝くらいで、深い所は三階建くらいありそうだ。エリアの中央に、二階建ての屋敷がすっぽり収まりそうなほどの、広くて深い場所がある。
セイたちがいるのは、深い溝で囲まれ、通路から離された円形の場所。アズキキナコが「闘技場やん」「この形、漫画で見た事あります!」と興奮していた。
次は目線を上げて、壁を見る。飾り気のない石製の壁の一部分に、螺旋状に彫られた模様が。
ここは一番下のはずだから、上の階へと続く扉かな? 目を凝らして見ても、中央に線が無い。
セイたちが居る場所の反対側、遥か遠くの壁にも螺旋模様が小さく見えるので、あっちが扉なのかも知れない。
ではここが、ダンジョンの最奥、なのか。
セイはもう一度、壁を見た。壁面自体は非常に大きいが、模様があるのは柱に囲まれた狭い所だけ。
螺旋の始点なのか終点なのか、中央にぽっかりと開いた小さな穴が、妙に気になった。
『……挑戦者か』
下の方から掠れた声が聞こえて、肩が跳ねた。ん!? 声が聞こえた方角の床の際まで行き、下を覗き込むと、とても大きな、長い……魚? いや、
(でも、魔竜って感じじゃ無いな。普通の竜種かな……)
全身の鱗がヒビ割れ、傷まみれの巨体を横たえた胴の長い竜らしき魔獣が、フシュー……と首の横から息を漏らした。
『お前たちも、もはや限界であろう。奥へ戻れ。私だけで充分だ』
セイたちへの言葉ではない。竜の顔の周りに集まっている小型、中型魔獣たちへと向かって言っていた。
泥色の大小様々なスライム、角のあるネズミ、トゲトゲの甲羅を持った亀、上半身が人間で下半身が魚になっている魔獣など。魔獣たちは、大きな体に縋るような動作をしている。
竜の目は半開きで、露出している部分の眼球は白く濁っていた。おそらく、目が見えていない。
どうしてこんな酷い状態に……?
『私が戦うと言っているだろう、去りなさい。今は久しぶりに気分が良いのだ、私は大丈夫だから……』
「いや全然大丈夫じゃない!」
どう見ても瀕死だ。しかもラスボスだ。え!? 攻撃されたら魔界へ帰るんじゃなかったのか!?
『人の声が……幻聴か』
「現実だよ! ワニ魔獣の主人だよね、どうしたらいい!?」
『何故言葉が……月絲族か! 頼む、鍵を、鍵を……ッ』
『ごめん、本当にごめん、月絲族じゃないんだ。でも、僕に出来ることは何か無いかな!?」
『……みなに、水を……』
「水だね!」
セイの真横に居たアズキとキナコが、真剣な表情で頷いた。
「やれるだけの事はやる。……“我が深淵に潜む魔の源泉よ。生まれ、溢れよ、水の雫。天より
「セイくん特製の魔力環もありますしね。……“我が身に潜みし青き魔の海よ。生命の喜びを歌え、舞い踊れ。天上より無数の祝福を── 《ウォーター・ヘビーレイン》”!」
竜の上に、カワウソたちが出した水魔法の大雨が降り注ぐ。雲も無いのに、どこから発生して降っているのか。
絶え間なく、強い雨足で降らせ続けているが、乾き切った巨体が潤うにはまだまだ足りない。
魔獣たちは、彼らとて乾いているだろうに、床に落ちていく水を手で受け止めて竜に掛けようとしている。
腕輪になっていたスライムも水饅頭に戻って飛び降り、『ぷぅっ』という鳴き声で大きなウォーターボールを出し、竜に掛けていた。
(見てるだけなんて、僕は、僕だって……)
手を伸ばす。魔力を練り、雨が降るイメージを描いて、
「──ウォーターレイン」
何も出てこない。
悔しくて唇を噛む。セイは、水魔法を使うことが出来ないのだ。
どうしても、「この水はどこから、どうやって発生しているのか」という事が気になって、失敗してしまう。
火や風は、何も無い所から発生してもおかしいとは思わないので、いくらでも出せる。
土魔法は、地面にある土を加工してなら出せる。元になる土が無ければ、出せない。
どれだけ目の前で魔法士たちに魔法で水を出されても、染み付いた常識が邪魔をする。「僕にも出来る」と何度も自分に言い聞かせた。でも無意識の部分までは自分を騙し切れずに、失敗してしまうのだ。
(だって、水って地下から樹で吸い上げるものだろ……)
なのに、この国には地下水なんて無いと断言されてしまった。言われてみれば、この世界に来て結構経つのに、雨が降ったのは一回きりだ。それも大粒の水の塊が強風で飛んできた状態で、セイが知っている雨とはだいぶ違った。川も湖も見た事がない。
では街で皆が使っている水は、どこから来ているのか?
“水魔法で出した水”、なのだそうだ。
そんなバカな。
「どうやって何も無いところから……何を元にして水を作ってるんだよ、水魔法って!」
『魔界の海だが』
セイの独り言の愚痴に、返事があった。ワニ魔獣だった。
「……え?」
『魔界の海から、魔法で転移させている』
「……えっ。ちょ、じゃ、あの水って塩っ辛いんじゃ?」
『ショッカライ……?』
あ、これは分かり合うのに時間がかかるやつ。どうしたら……そうだ、【鑑定】すれば良いんだ! セイは閃いた。
精度が上がってからは疲れる魔法になってしまったので、最近使わないようにしていた。そのせいで、咄嗟に思い付かなかった。
アズキたちが出している水魔法に意識を集中し、【鑑定魔法】
──[水]
転移召喚者 個体名[アズキ]
種族名[ハジンノタチ ※現在、カマイタチと偽証中]
性別[オス]
得意魔法……
(だからそういう余計な情報が出てくるから、この魔法は使いたくないんだって! 水の情報だけ頼む)
──[水]
水魔法によって、魔界の海から転移された液体。主成分は水魔素。
転移魔法の発動に魔素を消費する為、地界に届いた時には魔素の殆どが消え、無味無臭に。
衛生上問題は無いが、神経質な人間は浄化してから使うのがおススメ。
「……マジか。もっと早くに鑑定しときゃ良かったよ……」
セイが使えなくても、カワウソたちがSランクだったので不便が無く、水魔法に対して積極的になれなかったのだ。もっとも、早い時期に【鑑定】をしていたとしても、今回と同じ内容が表示されたとは限らないのだが。
試しに、小声で魔法名を唱えてみた。「──【ウォーターボール】」
スライムよりも小さな透明の球体が、宙に浮かんで現れた。それが落ちて、セイの手のひらを濡らして滴り落ちていった。……水だ。魔法で出せた。
手応えを感じる。これなら、
(そうだ、主様の鑑定もしとこう。魔竜だと色々考えなきゃいけなくなる。……個人情報は見ないよう気をつけるから、ごめんなさい──【鑑定】)
──[リュウリュウ遺跡の主]
種族名[海竜 リヴィアサン]
個体名[???]
性別[オス]
得意攻撃[鱗カッター][爆炎ブレス]……
(ストップ、魔竜じゃなかったらそれで良い)
そうか、海竜。ならば、魔界の海の水で満たしてあげたい。……となると。
「よし、いける。みんな! 今から水魔法で、下から水を出していくから気を付けて!」
魔獣たちに届くよう大声を張り上げた後、魔力を練っていく。ここの魔獣たちは見た目が水棲生物ばっかりっぽいから、きっと大丈夫。違う子は逃げて。
この世界の海はまだ見たことがないけれど、元の世界でならみんなと遊びに行ったので、知っている。どこまでも広がる水面を。時間によって変わる水位を。
「──【水魔法、満潮】」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます