番外 32_【バーナ・ダンジョン】 フェンリル



 突然のフェンリルの出現に、瞬時に戦闘態勢になる仲間たち。

 壁の隠蔽魔法はかなりの高性能だったらしく、セイも声を掛けられる直前まで気配に気付けなかった。

 驚いたが、言われた内容から考えて、向こうに敵意はない。魔獣の言葉が理解できるのは、いつもの如く自分だけなのだろうからと、仲間たちにまず「大丈夫」と伝えてから、セイはあえて明るく穏やかな声で、フェンリルに挨拶をした。


「こんにちは。お邪魔してま……んんっ、お邪魔してるよ」


 無意識に敬語を使いそうになり、慌てて咳払いで誤魔化す。平民街へ来てすぐの頃に「平民は敬語なんて使えないよ、高貴な立場だと思われたくないなら気をつける事だね」とアドバイスされてから、不断の努力により最近ではだいぶタメ口に慣れてきたところだったのに……ちょっと悔しいな。


「えぇと、ここのボス、かな?」

如何いかにも。われはこの巣穴の、主だ』

「じゃあ、本当なら一番下まで行かないと会えない相手、だよね」

『本来であればな』


 このダンジョンのボスだ。最下層で待ち構えているはずのラスボスが、どうしてこんな所に?


『ふむ? 我よりも上位種の気配がして様子を見に来たのだが。見当たらぬな』

「……あー、ロウサンくんかな。ここには来てないけど、僕たちに匂いとか毛は付いてるだろうから……」

『成る程。凄まじい力の持ち主だな。匂いだけで、我の群れの者共は怯えて使い物にならん。いつもなら我先にと地上へと出たがる小僧共が、尻尾を丸めて震えておるわ』

「それは……なんか、ごめん」


 なんという事だろう。ここまで魔獣との遭遇0だった理由は、実は僕たちのせいで正解だった。セイは冷や汗をかきながら、しかしギルドに対しては黙秘を選んだ。

 ここで律儀にそのまま伝えてしまったら、ロウサンがフェンリルよりも上のランクだとバレてしまう。……公然の秘密だとしても、確定するとしないの違いは大きいのだ。沈黙!


 ところでやたら静かだけど、ギルドの皆さんはどうかしたのだろうか。

 疑問符を浮かべながら見れば、全員、驚愕と恐怖の混ざった表情で硬直していた。トアルですら、無言で微動だにしない。

 もしや時を止める魔法でも掛けられてるのか? ……いや、微かに肩や頭が動いてる。

 その様子は、で幻獣の子供たちとやっている遊びを思い出させた。アズキに教えてもらった、“ダルマさんが転んだ”。


 セイにつられてギルドの人間たちを見たフェンリルが、牙を剥き出して低く唸り声を上げた。


『お前に攻撃する気は起きんが、あいつらには匂いが無いな。随分な怯えようが滑稽ではないか。どれ、我自らが少し遊んでやろうか?』

「えっ、どうだろう。……あのー、もしかして力試し的にこのフェンリルさんと戦ってみたいって人、いる?」


 ギルドの人間たちに問いかけると、ものすごく小刻みに顔を横に振ってきた。声が出ないもよう。

 以前、ロウサンをフェンリルだと思ってた時は、実物が見られるとあんなにはしゃいでたのに、なんで今はそんなに静かなんだ?

 フェンリルの【威圧】を受け流しているセイは、不思議そうに瞬きをした。


「みんな遠慮するみたい。それより、さっきお礼は便利な道具がいいって言ってたけど、具体的にどういうのが良いとか、希望ってあるのかな?」


 キナコとアズキが小声で「セイくん、そんな……何事も無かったかのように普通に続けるんですね……」「セイはガチでやばい神獣の威圧に慣れとるから、感覚がおかしなっとるんや。こんな狭いとこで暴れられたら、ギルドの奴らは一瞬で全滅なんやけどな」と話しているのが聞こえてきた。いや、遊ぶんならちゃんと部屋の外へ出てもらうつもりだったよ?


 そう言うカワウソたちも、既に野生のフェンリルに慣れてきている。ギルドの職員たちもその内に慣れるだろうと放っておく気でいたが、彼らの顔色はどんどん悪くなっていくし、緊張感も増していっている。


 うーん、これは一度フェンリルに壁の中に戻ってもらって、人間たちを外に出してから仕切り直した方が良いかな。考えていると、コテンがセイのシャツの合わせ目から顔を出して、長い耳をピルピル震わせた。


「あのさぁ、ちょっと結界張ってもいいー? ボク、この空気感ムリィ」


 言うなりコテンは、“ギルドの人間たちとフェンリルの間に”、守護結界を構築した。


 フェンリルだけを隔離したのではない。従ってフェンリル側には宝箱と、近くに立っていたセイと幻獣たち、そしてギルドの人間の中で唯一、セイと一緒に残っていた為こっち側になってしまったトアルがいる。


 向こう側のギルド職員たちは、結界の透明な壁を触った後、突然元気になった。


「フェッ、フェンリルー! まさか生きている内に生身を拝める日が来ようとは!!」

「フェンリルはどこから来たんだ!? 壁から生えてきよったぞ!?」

「“無害”! フェンリルの言葉まで分かるのか!? フェンリルの生態について質問したいことがっ」

「便利な道具って何!? フェンリルが欲しいって言ったの!? もっとちゃんと説明してよ、“無害”〜!」


 コテン製の結界は、頑丈な檻と同じだ。フェンリルの【威圧】も薄まり、襲われる心配が無くなったと同時に、ギルドの面々は一気に騒ぎ出した。


「うるさ……。それ以上うるさくするんならさぁ、結界を完全遮断型に変えちゃうからねぇえ?」


 普通の声量で言われたコテンの忠告は、大声でまくし立てている彼ら自身の声に邪魔されて、届かなかった。変わらず、みんながそれぞれ自分本位に大声で叫んでいる。


 なのでコテンは問答無用で、結界を不透明な白色に、音も完全シャットアウトなものへと変えてしまった。あーあ……。

 今頃結界の壁の向こうで職員たちは大騒ぎをしているだろうが、放置するしかない。


『ほう、良い結界だ。その小さいのは、小さい癖に能力が高いな。初めて見る魔獣だが、それは何だ?』

「この子は狐なんだ。妖狐だよ。こっちの子たちは……」


 アズキとキナコも紹介しかけたところで、壁の大穴から新しく魔狼がひょこっと顔をのぞかせたのに気付いて、声が止まる。


『ふむ。興味深いが、うちの若いのが久しぶりに新しい道具が貰えるのかと騒いでおるのでな。先に道具を見せてもらいたい』

「了解、道具ね。どんなのが良いかな」

『我としては、明るくなる物が良い。今まで使っていた物が劣化して、壊れかけておるのだ』


 フェンリルの左前脚に、魔力環に似た輪っかが着けられていた。暗かった魔環がぼんやり光り、やや暗くなり、また少し明るくなりと、光度が落ち着かない。見た目も擦り傷が多く、色もくすんでいて、だいぶ古そうだ。


「明るくなる道具って、つまり“ライト”だね。それだと魔道具になるけど大丈夫かな? 魔力を充填して使う道具なんだけど」

『我等は魔界の生き物ぞ。魔法でニンゲンに劣るとでも?』

「劣るどころか……だね、間違いない。みんな魔力量多いし、魔力操作も上手だしね」


 魔領域深層の魔獣たちの魔法力を思い出せば、心配する方が失礼だった。

 セイは鞄からライトの魔道具を取り出した。ギルドが販売している【ダンジョン初心者セット】に入っていた物で、形はランタンそっくり、中は光る石、動力源は魔力環だ。


「これが明るくなる道具。明かりの点け方は……」

『待て。それは我には使えん』

「え……、あ、あー、そっか、手で吊り下げて使うのは無理だね。うわー、どうしよう」


 狼の前脚では、使えない。小さなランタンの、細い持ち手を口で咥えて運ぶのも難しいだろう。

 渡すのを後日にして貰って、魔道具屋で魔環型を買ってくるしかないか? 悩むセイの服をアズキがちょいちょいと引っ張った。


「なんとなく状況は理解できてるつもりや。フェンリルは腕環型の電灯が欲しいんやな? それやったら、俺が作ったのをやってもええで」

「えっ、でも……」


 アズキがこの世界に来てから作った魔道具の一種に、【魔環型ライト】があるのはセイも知っていた。作成にセイの魔法協力が必須だったからだ。

 だが、アズキが物作りへのフットワークの軽さに反して、それを広める事に対しては慎重過ぎるほどに慎重なのも、知っているのだ。


 元の世界では、自分の手を離れて売りに出すのならばと、商品予定の道具は最低でも一年はあらゆるテストを繰り返し、問題が無いか徹底的にチェックしてからでないと許可を出さない。出荷後のアフターフォローについてもきっちり体制を整えている。


 それなのに、作ってまだそんなに日数の経っていない【魔環型ライト】を渡しても良いのか? いずれ元の世界へ帰るのだから、アフターフォローも無理だというのに。


「魔道具屋を色々見て回ったけど、売ってるのはそのランタンみたいに本体があって、中に魔力環入れて使う分離型ばっかりやったんや。しかも操作は指でやらなあかんヤツ。フェンリルが欲しがってる腕輪型いうか、魔環だけで魔道具になってる一体型は、ダンジョンドロップの一点物しか無いんやと」

「あれ? 無かったっけ?」

「売ってた魔環は、魔力環と、一回使い切りの魔法が付与されたヤツやな。明るくしたり遠くの人間と話したりとかの道具系は、分離型しか無かったんやわ」

「そうだったんだ。僕、お店でよく見てなかったからなぁ……」

「俺らの付き合いで行ってただけやし、興味無かったらそんなもんや。そんで、腕輪型の道具は俺らが作ったもんしか渡せるのが無いんやから、しゃーないんちゃうかなって」

「アズキくんが良いんなら、そりゃありがたいけど」

「商品化して流通させるんやったら断固拒否やけど、単品渡すだけやしな。それに、ライトなら渡しても大丈夫やろ、いう考えもある。今までに似たようなん、ぎょうさん作ってきて問題点は潰してあるし。こっちで作ったのはすぐに使うつもりで、セイに無茶なテストもしてもろたしな」


 テストは「壊す勢いでやってくれ」と、本当に無茶な内容を指示されてやった。あれで壊れないのだから、不安があるとすれば耐用年数ぐらいなものだろう。


 最後に、顔は動かさずに目線だけ一瞬トアルの方へ向けて、アズキに戻す。アズキは顎を引くようにして頷いた。トアルは見せても良い相手と判断したようだ。


 ならばと、セイは鞄の奥から【魔環型ライト】を引っ張り出した。人前では使えないが、万が一の時の為に持ってきていたのだ。


 フェンリルの前脚にあった物と取り替えて、言葉の通じないアズキの代わりにセイが取り扱いの注意点を述べつつ、使い方の説明をする事に。


「ちょっと緩いかな? 輪っかの大きさの調整するね。あ、自分で出来るんだ。……えぇと、それで、ヒビが入ったり、すごく熱くなったり、他にも異常を感じたらすぐに使用を止めて欲しい」

『了解した』

「操作方法だけど、やりながらの方が分かり易いと思う。これは魔力操作で動かすタイプで、まず魔力を流すと明かりが点く。それから、込める魔力の強弱で、明るさが変わるんだ」

『ふむ。やってみよう』


 輪っか全体が、みるみる明るくなり、やや眩しいくらいになった。それから暗くしたり、また明るくしたりと、初めて使う道具なのに器用に動かしている。さすがフェンリル、魔力操作が上手い。


「今は輪っか全部が光ってるけど、魔力を輪っかの一部分……一点に集中させると、その方向の先に円形の光を照射出来るようにもなるんだ」


 これはアズキが「懐中電灯ぽい機能は絶対に付けたい」と、光の当て方にこだわって作ったものだ。更に「首にかけて両手が使える状態で、意思操作で任意の場所を照らせるて、最高やで!」との事で。


「魔力を込める位置を変えると、向きも変わる。光が好きな方向に動かせるよ。それと、光の大きさも変えられる。輪っかの中で魔力を右向きに流すと光の円形が大きくなり、左向きに流すと小さくなる」

『ほほう、ほう。……おおおー』


 壁に円形の光を照らし、大きさを好きなように変えたり上下左右動かしたり。動かしながら明るさも変えたりと、楽しんでいるフェンリル。穴から出てきた魔狼と、トアルも近付いて熱心に見ている。好奇心が恐怖心に勝ったようだ。


 一番小さいサイズの円──親指と人差し指で丸を作ったくらいの大きさ──に、強めの光を出した状態でしばらく止まっていたフェンリルが、セイを見た。


『もっと小さく、もっと強い光には出来ぬのか?』

「あんまり小さい円で明るさも強くしちゃうと、うっかり誰かの顔に当たった時に目潰し状態になるから、わざと制限してあるって製作者が言ってたよ」

『目潰しとして使おうと思ったのだ。解除できぬのか?』

「無理です」


 セイは真顔で答えた。


「セイくんの言い方で、フェンリルが何を言ったのか分かりました……」

「ま、考えることはみんな一緒よな」


 カワウソたちの会話が聞こえた。嘘だろ、僕はそんな使い方、思いつきもしなかったぞ。


『そうか、残念だ。だが気に入った! これは我が貰うぞ。うちの若い者共も欲しがるに違いない。幾つ出せる?』

「作成者と相談してからだけど、でもあんまり数は無いかな」

『謝礼はする。多めに頼む!』


 フェンリルの鼻息が荒い。どんだけ気に入ったんだ……。

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