番外 18_従魔環(工房長)



 従魔環は、主従それぞれ一つずつで対になっている。主人の人間が着ける従魔環は、腕輪型と決まっている。小型魔獣用の魔環は首輪になる事が多い為、人間用の腕輪サイズよりやや大きいくらいだ。ほぼ同じ大きさのその二つを手のひらの上に乗せ、イタチ魔獣に見せながら“無害”は色の希望を聞いていた。


 何を言っとるんだ、魔獣が自分の好みを伝えられるわけなかろうが、という工房長の予想は裏切られた。


「赤やな」

「だと思った。アズキくん、赤色好きだよね」


 透明だった従魔環が瞬く間に、赤一色に染まった。


(──は? 今、何が起きた?)


 見ていた全員が、ぽかんとした表情になっている。数人、顔を見合わせたりなどもしているが、しかし言葉は誰も発していない。

 少し離れた場所でフェンリルもどきの魔狼を見ている集団や、工房長とは逆に今から自己紹介合戦をしている者たちがあちこちで騒いでいるせいで、“無害”は自分の周囲の静かな驚愕に気付かないまま、イタチと会話を続けている。


「色味はどうする? 明るくする? 暗くする?」

「今回はえんじ色がええな。深みがある感じで……」


 最初は鮮やかな明るい赤色だったのが、すぐさま赤ワインのような濃い色に変わった。こいつ色の濃淡まで変えよったぞ! 工房長の体がぶるりと震えた。もはや魔獣が意思ある言葉を喋っていることなど、どうでもいい。


「暗くすると色が沈んじゃうね。中からちょっと輝かそうか? 炎晶蜥蜴くんが造った珠みたいな感じで」

「紅煌燦珠やとさすがに派手になり過ぎや。ほんでも確かに全体的にラメ入れたくなるな。シロちゃんの鱗の光沢みたいな感じで……」

「シロちゃんの鱗っていうと、ものすごく細かいキラキラした……こう?」

「それそれ。ラメ言うよりパール加工、……いや、これは“神龍鱗風加工”と名付けよう」

「とんでもない加護も一緒に付きそうな加工名だね……」


 “無害”が笑い混じりの声で喋りながら、簡単そうに、恐ろしく高度なことをやってのけている。


(待て、待て、なんだそのキラキラした輝きは。そんなもん見たことないぞ!)


 工房長は脳内で絶叫し、やはり声には出さない。

 誰もが息を詰めて、“無害”が魔変化をさせている従魔環を凝視していた。


「こんな感じ?」

「めっちゃええやーん、色はドンピシャや。でももうちょいアクセントが欲しいな……金色で縁取りとか無理か? こう……」


 焦げ茶色の魔獣が地面の土に小石で楕円形の輪っかを描いて、それの外周と内側にぐるりと細い線を一本ずつ足した。

 魔獣が、絵を描く、だと? 従魔士たちの喉から、ぐぅ……っという押し殺したうめき声が聞こえた。


「両側に金縁ね。太さはこれぐらい?」

「太さはちょうどええけど、もっと渋い金色にできるか?」

「明るさを抑えればいいのかな。あ、暗くし過ぎた。そうだなぁ……、夕輝雲幻鳥の卵が上品な金色してたよね、ああいう感じで。──どう?」

「おおおっ、めっちゃええやん!」


(めっちゃええやんどころの話では無いわ、このイタチめ!!)


 工房長の体はぶるぶると激しく震えている。所々知らない単語が聞こえてくるが、そんなことはもはやどうでもいい、どうでもいいのだ!


(金色? 金色だと? 金色の魔法属性なんぞ、見たことも聞いたことも無いわ!!)


 工房長だけでなく、囲んで見ていた面々も、信じられない光景に挙動不審になっていた。

 魔道具士たちは無意味に手を上げ下げしている。魔法士たちは無言でお互いの肩をひたすらビシバシ叩き合っている。魔法士ギルドの会長は目玉が飛び出そうになっているし、冒険者ギルドの本部長は手で額を抑えている。魔道具士ギルドの本部長は両腕と片膝を上げた姿勢でずっと静止している。従魔士ギルドの本部長は、微笑みの形で不自然に表情が固定されている。

 冒険者ギルドのキチガ……魔法部部長が、従魔士ギルドの本館に向かって信じられない速さで走って行った。突飛な行動で有名なので誰も気にしない。


 みな動きはおかしいが、下手に声を出して“無害”が動きを止めてしまう事を恐れて、未だ全員無言のまま。そんな周囲に気付かず、“無害”はぽやーっとした笑顔で魔獣に従魔環を差し出した。


「色はこれで完成かな。じゃ、アズキくんも魔力流して」

「ほい」

「あ……っ」


 とうとう、数人が声をあげた。従魔環にするにはあまりに惜しい。しかし契約は成されてしまった。

 手を伸ばした姿勢で止まっている数人に気付いて、“無害”が怯えた表情になった。


「すみま……。僕、手順間違えた?」

「い、いいえ、手順は大丈夫よ」


 従魔士ギルドの老女は、声が震えたのは最初だけで、その後は平静を装ってみせた。さすがだ……ずっと体が震えっぱなしの工房長は感心した。


「とても素晴らしい従魔環ね。でも……素晴らしいにも程があるせいで、それは使えないわ」

「えっ」

「従魔環に見えないもの。【宝彩環】の高級品にしか見えないわ」

「え、でもガルくんが付けてたのって、こんな感じじゃなかったで……っか?」

「ああ、そうね、そういう事なのね。うちの子のを見て、勘違いしちゃったのね」


 老女はおっとりと手を頬に当て「困ったわねぇ」と呟いた。

 うちの子と言うのなら「ガル君」とは彼女の従魔のことだろうと、工房長は当たりをつける。確かに、本部長ほどの立場なら、従魔に宝彩環を与えていてもおかしくない。


 宝彩環とは、魔環の上に被せて装着する宝石や金銀で装飾された円環型のアクセサリー、いわゆるオプションパーツだ。

 従魔環にしろ魔法が付与された魔環にしろ、見た目は大変地味だ。だから、貴族や金持ちたちは見栄えが良くなるよう宝彩環を使い、派手に彩る。ちなみに宝彩環自体に含まれている魔力量は非常に少ない。


「宝彩環はとても高価な物なの。大型魔獣うちの子相手なら怖くて誰も盗ろうなんて思わないでしょうけど、カマイタチちゃんみたいに小さくて可愛い子が着けて街を歩いていると……危ないでしょうねぇ」


 本部長は穏やかな言い方にしたが、実際はイタチ魔獣を襲い、殺して手に入れようとする人間が続出するだろう。


「マジか、あかんかったんか。……あー、ギリセーフやろ思てたんやけどな」


 小型魔獣は本気で悔しそうだ。金縁真紅の従魔環を惜しむように小さな手で撫でている。あんな見事な従魔環を諦めろと言われたら……工房長は想像して体の震えがひどくなった。ワシなら泣いて暴れる。


「それって、襲ってきた人を撃退しても、正当防衛になり、なるんじゃ?」

「ええんや、セイ。やめとこ。街中で荒事で目立つのは悪手や」


 小型魔獣は“無害”の手をぽんぽんと軽く叩いて宥めた。小さい魔獣の見た目から包容力ある男の声が出てるから、脳みそが混乱する。


「そんならこれはお蔵入りやな。……まあ、しゃーない。いらん面倒は増やしたくないしな。せっかく作ってもろたのに、すまんな」


 ぺこりと下げられたイタチ魔獣の頭をひと撫でして、“無害”は沈黙。しばらくして、従魔環を手に握ったまま、「普通の従魔環を見せて欲しい」と本部長に言った。


 本部長は頷き、自分の契約魔獣を指笛で呼んだ。本館から走ってやって来たのは、子馬ほどの大きさがあり、三本の角を持つAランクの大型魔獣、黒角魔狼。魔力能力共にトップクラスの気高き魔獣は、主人である老女の指示でセイの前へ進み出ると、流れるような自然な動きで地面に横たわり腹を見せた。地面を掃く激しい尻尾の動きと、早く撫でて言わんばかりのヒャンヒャンした鳴き声。


「…………」

「…………」

「…………撫でてあげてもらってもいいかしら」


 従魔士ギルドに所属する全ての魔犬魔狼たちのボス的存在の、威厳もへったくれもない姿に微妙な雰囲気になる中、わっしゃわっしゃと腹を撫でてやる“無害”。

 本部長は一緒にしゃがみ、魔狼の首に装着された宝彩環をずらして、下の従魔環を“無害”に見せた。透明な水の中を流れる色水のように、もやもやとした形で黄色と僅かな緑色が入っている。色が占める割合は三分の二ほどで、これは本部クラスの魔力量、新人なら細い煙程度だと説明を足している。


 “無害”が従魔環とは別にある首輪型の魔環を指して、これは? と尋ねた。


「従魔環が二つ? 主人が二人いる、のかな?」

「これは【魔力環】よ。昨日は着けて無かったわね。これはね、魔力を貯められる魔環で、いざという時に魔力を足す為の魔道具なのよ」

「なるほど」

「バッテリーみたいなもんか」


 “無害”が魔力環の詳しい仕様や、従魔環との見分け方、買えるかどうかなど色々質問しているのを聞きながら、工房長たちは使えなくなったその金縁真紅の従魔環をどうするのか、従魔士ギルドで保管するのか、魔道具士ギルドが引き取るのか、ワシらにも少しくらい触らせてもらえないのか、などのほうが気になって、ずっとソワソワしていた。


 魔力を貯める前の空っぽの魔力環──魔道具の基本パーツ【素魔環】が、“無害”の希望で用意された。そして彼は素魔環を手に持ち、新たに呼び寄せられたギルド所属の小型従魔の従魔環をじっと見ている。その姿に、嫌な予感がした。


「しまった、油断すると入り過ぎる。とりあえず透明で満たしてからの……、え────と。よし、できた」


 見ていた全員の顔が引きつった。なに……今、なにをした?

 “無害”が、魔力環を“新人が契約した従魔環”そっくりに魔変化させた。結果は分かるが、それ以外がさっぱり理解できない。


「アズキくん、魔力環こっちを首に掛けてダミーの従魔環にしよう。で、本物の従魔環はアズキくんの腕輪にしようと思うんだ。かなり小さくなっちゃうけど、いい?」

「俺はええけど。……できるんか?」

「うん? できるよね? だって、従魔環って着ける子に合わせてサイズが変わるって話じゃなかったっけ?」

「できるわよぉ」


 本部長がにこやかに頷いたが、それが嘘であることを、この場にいる立場の人間たちは全員知っている。

 従魔の体型に合わせて従魔環のサイズが変わるのは事実だ。しかしそれは、小型従魔用、大型従魔用といった規定サイズから微調整が可能というだけで、“無害”が言っている腕輪から指輪サイズへの変更は、次元が違う。


 ……不可能だ。工房長は口の中も眼球も、カラカラに乾いていた。


 魔力量を保持したまま、魔環を小型化する──それは全魔道具士たちの長年の悲願だ。それを成そうと言うのか。

 工房長の背筋をゾワリと悪寒に似た衝動が走った。いや、いくらあの坊主が異常とは言っても……。


(やりおったァー!!)


「これぐらいの大きさなら、あんまり目立たないと思うんだよね。アズキくん、よく動くし。それでも狙われるようなら、外してお腹のポッケにしまってもらえるかな。従魔環って身につけてさえいればいいみたいだしね」


 言いながら“無害”は小さくしたほうの従魔環をイタチ魔獣の左前足に嵌め、揃いの主人用の従魔環(腕輪サイズ)を素早く自分の手首に嵌めた。同時に光を放つ主従の従魔環。

 イタチは「おおおおお」と感動の声をあげ、従魔環の嵌った前足を掲げて見せた。


 工房長は被っていた帽子を脱いだ。

 周りの人間たちも、帽子やバンダナ、手袋など、それぞれ小物を外す。そして一斉に空に向かって力強く投げ飛ばした。


 ウォアアアアアア──!!


 その日何度めかの、空気が震えるほどの絶叫が従魔士ギルド本部の敷地内に響いたのだった。


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