番外 13_コテンの考え_従魔士ギルドへ


 あの串焼きの屋台が特別に衛生状態がよろしくなかっただけ……というわけでは無いようで、他の店も大概だった。


 年単位で洗ってなさそうな鍋で煮込まれた得体の知れないスープ。カゴの中に乱雑に積まれた売り物の果物は、大きさがバラバラで傷も多く、虫食いまみれの物や腐りかけの物も普通に入っている。更にその上へ野良猫が泥まみれの足で飛び乗り毛繕いを始めた。

 地べたに並べて置かれた鍋に入っている惣菜。そのすぐ側を行き交う人の足、舞う砂埃。二階の窓から突然降ってくる何かの液体。


 朝から酒を飲んで騒いでいる集団、向こうには喧嘩を始める集団。客と怒鳴り合っている露天商のオヤジ。全て複数。

 全体的にガラが悪い。しかし荒んだ空気はあまり無く、みな陽気で、市場はパワフルでエネルギッシュだった。朝から。


 そんな活気に満ち溢れた通りを、二匹のカワウソがションボリしおしおと、元気無く歩いていた。

 そしてそんなカワウソコンビを、気遣わしげに見ながら歩くセイ。

 そのセイに抱っこしてもらいながら、コテンは半目になっていた。


(ホント、セイは人が好いよねぇ)


 コテンは、あの悪ノリコンビの心配なんぞするだけ無駄なのにと、ため息を我慢して代わりに耳をぴこぴこ動かした。

 あんなの、一見落ち込んでるように見えても、話してる内容といえば……。


「ここは生水飲んじゃいけないタイプの異世界でした……ぼくたちの賢さが1上がりましたね。嬉しくないですけど」

「魔法ある世界やし、ゆるーい“なんちゃって中世”なんやと勝手に思てたわ。めっちゃ油断してた」

「トイレは横の水道から自分で水を汲んで流す手動式でしたけど、でも監禁されてた部屋、全体的に綺麗でしたしね。ぼく、“転生したら生前やっていたゲームか漫画の中の世界だった系異世界”ぐらいに考えてましたもん」

「それやったら冷暖房シャワー水洗トイレ完備の快適異世界ライフで、美味い串焼きも食えたやろになぁ。残念極まりないわ」


 二匹は話してるうちに元気が出てきたようで、トラック転生、クラス丸ごと転移、幼児スタート、悪役令嬢、などと盛り上がり始めた。


(ホラねー。やっぱりセイが心配する必要なんか無いんだよ)


 コテンは鼻息をぷすんっと漏らす。


「しっかし、どこもかしこも衛生意識低々ひくひくやな」

「でも今までぼくたちが食べてたのは大丈夫そうでしたよね。もしかして貴族と平民の違いが衛生状態にも出てるんでしょうか」


 魔術師塔で見た人間は、身なりや言動からほとんどが貴族。

 昨日泊まったのはギルド本部長推薦の宿で、内装や店員の質が高く、利用客も見るからに金持ちばかりの高級ランク。

 どちらも味はともかく、食器も盛り付けも綺麗で、衛生状態が気になるような食事内容じゃなかった。


 平民が利用する食堂にはまだ一度も行って無いから判断するには早いが、この先は野宿の方がマシかもしれない。


 とはいえ、実はセイたち自身は、元から野宿をするつもりでいたのだ。

 昨夜は本部長たちに、良い宿を紹介するから是非にと、やや強引に連れられてしまった。


 その時コテンは内心、安心していた。しかしそれも結果的に裏切られてしまったのだが。まさか、こんな……。


「あっ、魔道具らしき物発見! 行くぞ!!」

「ちょ、アズキくん、離れたら危ないって! まだアレなんだから」

「だいじょぶ、だいじょぶー!」


 走り出したアズキにセイが声をあげた。アレとは、【従魔契約】ことだ。

 この世界、魔獣は従魔として人間社会に馴染んではいるものの、やはり契約していない野良の魔獣は他人から狩られたり奪われたりなどの危険があるそうだ。

 だから今日の昼過ぎに従魔ギルドへ向かい、さっさとセイと従魔契約を済ませる予定になっている。


「……ほんとごめんね。コテンくんたちが表に出ることになっちゃって……」

「気にしなくていいって言ってるのにー」


 コテンたち幻獣は、人間に見つからないよう、外へ出る時は常にカクレギノネコの能力で姿を消している。

 しかし魔法士ギルドで魔法暴走を起こし、そのせいでアズキたちやコテンが人前に出なければならなくなった事、そして【魔】なんてものにしてしまう事を、セイは昨夜も謝っていた。


「あのねぇ、どっちみちボクたちは早めに姿出す気だった、って言ったでしょー?」

「……まあ、僕一人で冒険者で稼いでる風を装うのは無理あるっていうのは、その通りだと思うよ」

「そうそう。それにねぇ、──ホラ」


 人通りの多いこの市場にすら、あちらこちらに魔獣らしき生き物が普通にいる。人間のパートナーとして。


「ココではボクたちは“人から狙われる幻獣”じゃなくて、“ちょっと珍しい魔獣”ってだけみたいだからねぇ。表に出たって問題無いよ、大丈夫ー」


 それに、もし狙われてもボクたちの方が強いしね、とコテンは心の中で呟いた。

 万が一捕まったとしても、アズキキナコに壊せない扉や檻は無く、コテンに解呪できない結界は無かった。監禁中に抜け出し、王城内全てと魔術士塔地下牢、更に王都外れにある監獄塔まで偵察に行って確認済みだ。自分たちに対処できる程度なら、シロとセイは言わずもがな。


 元の世界でも、強さだけなら何が相手でも負けない。怖いのは、国をあげて追われることだ。

 だがこの世界では、その心配が無い。


(いざとなれば、ボクたちは帰っちゃえばいいだけだしね)


 ただ、この方法を取ろうとした場合、一番の問題は“セイの説得”になる。強敵だ。


 セイは「巻き込まれただけの勇者が、元の世界へ帰れない」ということを、ものすごく気にしているのだ。本来の召喚者である自分たちは帰れるのに、そんな理不尽な、と。


 コテンは、そんなのセイが責任感じるようなことじゃ無いのに……そう心の底から思っている。

 悪いのは勝手な願望で召喚術を捻じ曲げたこの世界の奴らと、力不足の幼女女神でしょ。


 関係無いのに召喚に巻き込まれ、戦いを強要された勇者は確かに気の毒だ、同情する。

 しかし本人には、帰りたい、という願望がそんなにあるわけでは無いようだし、元々冒険者で戦うことにも慣れているらしい。

 補償として女神から大量の加護をもらったのだし、この世界で生きていくのにそれほど不都合は無いだろう。


 それに、セイたちだって勇者に丸投げして楽をするわけじゃない。ちゃんと勇者の旅に密かに同行し、戦いを手伝う。

 それどころか、戦い終わった後のこの世界での彼の未来が少しでも良いものになるよう、少しでも彼の手柄が増えるように、影から手厚くサポートしていくつもりでいるのだ。


 成人男性にそこまでしてやる必要あるぅ? とコテンは思っている。

 勇者は勇者で、ボクたちはボクたちで、それぞれ動いたほうが効率良くないー? とも思っている。


 でもセイが、勇者と会った後はいつも、深刻な顔で考え込んでしまうから。


(ホントーにお人好しなんだから、もう)


 コテンには理解できないセイの善良さ。

 だが、セイのその優しさ、甘さによって、自分は救われた。

 自分だけじゃない、セイのお人好し行動によってどれだけの種類の幻獣たちが助けられ、で生き生きと暮らせるようになったか。


 何年経とうと、お互いの関係性が変わろうとも。絶対に恩は忘れないし、できる限りセイが“善良なままでいられるよう”力を尽くすと決めている。


(……だからこそ、セイの人の好さにつけ込んで利用しようとする輩は許せないんだよね、ボク)


 脳内には幼女女神の姿。そもそもセイだって被害者だと思うんだよねぇえ。

 まず最初に条件と報酬の提示があり、こちらがそれに合意し、受諾してはじめて依頼成立。これがコテンの考える常識である。

 なのに、説明無しに一方的に呼び寄せて、協力して当たり前というあの態度。しかも加護は他人に与えた分で力が失くなり、セイへの報酬の話は未だに一切無し。舐めてんの?


 元の世界の【白蛇様】とやらが関わってさえいなければ、女神に「顔と首洗って土下座で出直してもらっていいー?」ぐらいは言って、突っぱねてやるところだ。


 というか、いよいよとなれば、突っぱねるつもりでいる。

 最後まで面倒をみてやる義理なんて本当は無いのだ。なんとなく流されて協力しているだけで正式に契約を交わしたわけでもない、途中放棄したところで文句を言われる筋合いなんて無い。【白蛇様】だって、もしセイが危険な目に合うようなら、無理をしてまで終わらせてこいとは言わないだろう。


(……問題は、セイが途中放棄するイメージが全く湧かないってとこなんだよねぇ)


 もし受け入れるとしたら、危ないと判断した時ぐらいか。

 それで帰ったとして、セイは見捨てることになってしまった勇者と女神を思い、心の中でずっと悔やみ続けてしまうだろう。──こっちのイメージはすぐにできる、最悪だよ。コテンは鼻の上にシワを寄せた。


 やっぱり最後まで面倒みてやるしか無いのか。なんか悔しいんだけどー?

 ぐぬぬ……。セイの腕に鼻面をグリグリ押し付けた。


(アズキとキナコまで勇者サポートに乗り気になっちゃってるしねぇ。どうせアイツらはセイと違って好奇心だけなんだろうけどさぁ)


「ごめんねコテンくん、従魔契約っていうのが変なものだったら、すぐに逃げるからね」


 セイに頭を撫でられた。少し考えて、従魔契約が不安で震えてると勘違いされたのだと気付く。


「そんな心配はしてないよー。だって契約魔法なんてどうせ大したことないと思うんだよね。その気になればすぐに壊せるんじゃないかなー? きっと、ちょちょいのちょいーだよ。それにねぇ、契約相手がセイだからね。そっちの心配は、してないよ」


 一応未知のものだ、警戒はする。しかしコテンに怯えはない。

 気がかりがあるとすれば……。


 ──この世界の人間の思考がさっぱり理解できないという、恐怖。


 召喚されてすぐに、ただ監禁され、調査も検査も無く食事を与えられるだけで完全放置。何がしたかったのか未だに不明。


 塔内で監禁対象が忽然と姿を消す、という不審極まりない去り方をしたにも関わらず、追っ手の気配が無い。警備ザルってレベルじゃないよ?


 魔法士ギルドで魔法暴走したセイを天災だなんだと大騒ぎし、更に伝説級の大災害魔獣と言われるフェンリルが仲間だと言ったのに、とりあえず今日はこれで解散と言われた。まさかの即日自由行動許可。「正気なのー?」と言いかけて我慢し……我慢し切れず「しょ」まで声に出た。


 冒険者ギルドの本部長が「宿を紹介する」と言いSランク冒険者パーティーと共に移動になった時、「良かった、ちゃんと監視がついた。少しは警戒心あって良かったよ、ホント」と、される側のコテンが何故かホッとしてしまう事態が発生。


 しかしそのSランクパーティーは宿の食堂で酒を飲んで暴れて追い出され、大衆酒場へ移動して酒を飲んで暴れて追い出され、更に違う酒場へ移動。セイたちからどんどん遠ざかって行き、最終的に酔い潰れて道で寝てしまったらしい。「バカしかいないのー?」仲間内だったので声に出して言った。


 そして今、尾行も無く、人通りの多い朝市観光を、自由に満喫している。


 ──理解出来なさ過ぎて、気持ち悪い。


(昨日の今日で従魔士ギルドにフェンリル呼んで従魔契約するって言うしさぁ。絶対対策間に合わない……そもそも対策する気あるー?)


 国を滅ぼせる恐怖の大魔獣じゃなかったのか。警備を万全に整えてからにしようって誰も言わなかったのか。警戒心って言葉を知らないのか。どうなってるんだ。


 この杜撰さには、いっそ何か裏があって欲しい、あってくれ頼む、とまでコテンは思っている。


 ……この後の従魔契約、精神的にめちゃくちゃ疲れそう。そんな予感がして、コテンはセイの手のひらに頭をグイグイ押し付けて甘えた。



 ・◇・◇・◇・



 従魔士ギルドは平民街の外れ、敷地が半分街の外の森に出てるような場所にあった。

 セイたちは中へ入り、魔法士ギルドの練習場に似た広場──より樹木の多い公園のような場所へと案内された。

 そこには従魔士だけでなく魔法士、魔道具士、冒険者ギルドの各職員及び研究者、冒険者パーティーたちが大勢待ち構えていた。


 集団が一斉にこっちを注視してくる様は迫力があったけれど、コテンはただ呆れただけだ。


「えぇえ……。一応武装してるけど、これってさぁ、警備とかじゃなくない? 雰囲気的にさぁ」

「せやんなぁ。俺もただの野次馬にしか見えへんわ」

「伝説のフェンリルを一目見たい気持ちもわかりますけどね」

「でもロウサンくんって【天狼】で、フェンリルじゃないよね?」


 セイが今になって核心を突いた。


「この世界では天狼のことをフェンリルって言うのかなって思ってたんだよ。でも今思い出したんだけど、だいぶ前にロウサンくんが俺はフェンリルじゃないって言ってた気がするんだよね。だったら別物なのかなーって」


 セイの言葉にアズキキナコが記憶を探るように遠い目をした。


「…………、言うてた! 俺らが初対面の時やな。いっちばん最初に俺がフェンリルかーって聞いたらロウサン、なんやそれ、そんなん知らんわって言うてた……気がする!」

「ぼくもなんとなく、フェンリル否定された記憶が……。今まで色々、色々あり過ぎて完全に忘れてました」


 実際にはアズキたちに質問されたのも答えたのもコテンだったし、そんな言い方では無かったが。


「となると、……どうします? めちゃくちゃ“フェンリル”を期待されてますよ」

「あ、僕がギルドの人に言うよ。こういうのは早めの方が良いよね。行ってくる!」


 勝手に期待させとけばー? コテンはフンと鼻を鳴らしたが、セイはやはり真面目だった。


「あの、ごめんなさい。僕たちの仲間は、フェンリルに似てるだけの別物らしくって……」

「あら、そうなの? でも私たちがフェンリルだと予測した魔獣と、同じ個体なのよね?」


 従魔士ギルド本部長のおばあちゃんは、ゆったりと微笑みながら首を傾げた。


「……多分」

「そうねぇ、とりあえず呼んでもらえるかしら? あとはこちらで判断させてもらうわね」


 今? と訊ねれば、今すぐ、という答え。いいのかなぁ、と不安そうにしながらも、セイが頷いた。


「──ロウサンくん、来てもらって良いかな?」


 空を仰いでセイが普通の声音で呼びかけた。穏やかで、不思議とよく通る声。


 ……ヒュッと軽く風を切る音がして、次の瞬間にはセイに寄り添うように大きな白狼が佇んでいた。


「……っ!」


 セイたち以外の全員が、息を呑み後ずさる。武器や盾に反射的に手をやった者も多かった。

 本当に剣に手を掛けるようなら、ただじゃおかない。コテンは冷ややかに見つめる。


 ──ロウサンを前にして、誰もが抱くのが、畏怖の念だ。


 戦馬よりも背が高く、大の男が見上げるほどの体躯。巨体であっても鈍重さとは無縁の、鋭く引き締まった腰と足。敏捷さは疑いようもない。

 青白銀に輝く美しい毛並み。知性ある眼差し。

 ただ座っているだけで他者を圧倒する、静謐さと、獰猛さとを併せ持った空気感──神々しいまでの、威厳ある風格。


「……おいおい、想像以上じゃねぇか。無理だろ、これ」

「これは……すごいね。本能が、御前に平伏ひれふせ、と命じてくるよ」


 御大と冒険者ギルド本部長も、顔を引きつらせていた。

 あの存在感に慣れているコテンですら、たまに拝みたくなるぐらいだ。緊張で強張るのも仕方がない。


 そんなロウサンに平然と騎乗したり、腹を撫でているセイって……と考え始めると、コテンはアズキ曰く“宇宙猫”顔になる時がある。

 今も、顔を寄せてきたロウサンに笑いかけ、フサフサの顎の下を気負いなく自然体で撫でている。


「……か、かっこいい」


 セイに撫でられて気持ちよさそうに目を細めたロウサンを見て、従魔士ギルド本部長が呟いた。それを皮切りに、ポツポツと「カッコいい……」「あれがフェンリル」「本物のオーラやべぇ」「すっげぇ、かっけー……!」と声が聞こえてきた。


 人間たちの顔が紅潮していき、声が大きくなり、熱を帯びていく。

 高揚からの、熱狂。


「「ウォオオオオオオオッ!!」」


 老若男女が同時に、爆発したかのような勢いで雄叫びを上げた。

 そして「フェンリルー!!」「フェンリルこっち向いてー!」「フェンリルこっちもー!」などと声をかけ始めた。


 次第に皆で腕を振り上げながら「「フェーンリルッ! フェーンリルッ! フェーンリルッ!」」と声を合わせ、フェンリルコール。空気がビリビリと震えるほどの大音声だいおんじょうだ。


 あまりの喧しさに、コテンは長い耳をペタンと寝させ、さらに前足の肉球で上から抑えた。


(う、うるさ……。なんなのコレ。っていうかさぁ、ロウサンがちょっと気安い仕草しただけで簡単に油断するとか、ホント頭大丈夫なのー?)


 やっぱりここの人間たちの感覚は理解できない。

 と思っていたら、何故か一緒になってフェンリルコールをしているアズキキナコに気付いてしまった。


 コテンの目から、生気が消えた。

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