番外 9_魔法暴走(御大視点)_魔法士ギルド練習場



 ──今から、“この世の終わり”が始まるのだ──



 そう予感させるおぞましい光景に、魔法士たちは戦慄した。


 新人が発動させた火属性の初級魔法……【ファイアボール】

 炎の塊なのだから、人体に当たれば火傷を負うし、建物ならば火事になる。軽い生活魔法しか使えない一般の人間にとっては脅威だろう。だが魔法士にとってはあくまでも威力の小さい初級魔法。鼻歌を歌いながら対処できる──それが、“常識の範囲内”の魔法だったなら。


 目の前にあるのは、常軌を逸した数のファイアボールが、魔法士ギルド練習場の上空をびっしりと埋め尽くしているという、非常識な光景だった。

 青空を、夕焼けより眩しく、禍々しい赤色で、うねるように燃やしている。

 もしもあれらが降り注げば、一帯が焦土と化す。


(……あンの、クソ野郎……! あのガキがなんて聞いてねぇぞ、ちゃんと説明しときやがれ!!)


 魔法士ギルド本部の会長、御大ことアルトは、空をファイアボールまみれにした少年を見つめ、奥歯をギリリッと音が鳴るほど噛み締めた。


 あのガキ──セイが只者では無いことくらい分かっていた。全属性持ちというだけでも異質な上に、魔力量がオールS評価など、まともなはずがない。それでも自分たちなら対処できる自信があった。


 俺たちは、のお坊ちゃま共とは違う。あの新人にどれだけ魔力があろうと、S級魔獣を相手取ることに比べりゃチョロいもんだ……そう思っていたのだが。



 プフエイル王国には魔法を扱う組織が大まかに分けてふたつある。


 ひとつは王都の魔術士塔に所属している、【宮廷魔術士】。

 魔法を一定水準まで修め、更に術式や魔法陣を研究する者たちだ。構成は、王立学園卒業者である王族や貴族が主となる。生まれが高貴なほど魔力が多いとされていて、王立学園に入学できる水準に達することができるのは貴族以上が殆どだからだ。しかも魔術の術式や魔法陣は一族継承式が多い為、歴史ある家格で無い者は魔術を扱う事が難しい──ダンジョンからドロップされる術式もあるが、王家が接収し塔へ研究を命じる為、結局は宮廷魔術士塔の独占状態である。彼らは血筋故に、実戦に出ることは殆ど無い。


 そしてもうひとつがここ、【魔法士ギルド】。魔力を感覚で発動させる“属性魔法”を生活に活かす研究をしている組織である。平民中心で構成され、魔獣との戦闘やダンジョン攻略などで日々鍛えられている実戦派だ。魔力量は宮廷魔術士に劣っていても、魔法制御の技術ならば魔法士の方が上だと、みな自負している。


 だから、特に平民街では、“血筋の魔術士、実力の魔法士”と言われている。

 とは言え、魔術士も魔法を使うし、逆もまた然り。


 この国の魔力を使う全て人間の中で、自他共に一番の魔法使いと認められているのが、既に現役を退いた老齢のアルトである。

 そのアルトに加え、この場にいるのはそれぞれの属性の高ランク者たちばかり。何があっても大丈夫。そのはずだった。


 まさか、新人が初めての魔法の発動で……しかも魔法を発動出来るかどうかを試す場で、練習場上空だけとはいえ空一面を埋め尽くす数のファイアボールをいきなり発現させるなど、誰が想像しただろう。


 元が拳一つ分の大きさしかないファイアボール。なのに、その火の玉の層の向こうにあるはずの青空が、全く見えない。何万個……いや、桁が違う。

 夥しい量の火魔法を発動したまま、困惑はしているものの、魔力切れも起こさずに体力的には平然と立っている新人。その姿に、魔法士たちは本能による恐怖で慄いた。


「オイッ、ファイアボールを消せッ」

「えっ? はぃ……えっと……」


 冷静さを失った魔法士の一人が、悲鳴に近い声でセイに命令した。言われたセイは返事はしたが、よくわかっていない顔をしている。“魔法の消し方”を教えられていないのだから当たり前だ。


 だからセイがとっさに火を消そうと思い浮かべた方法が、より事態を悪化させてしまったのも、仕方のないことだった。


 ──ドォン……! と、地鳴りのような音が響いた。


 無数の小さな火の玉ファイアボールたちがそれぞれ膨張し、より一層激しく燃え上がり、ギルド本部を守っている防御結界に衝撃を与えた音だった。


(おいおいおい! ここの結界は宮廷魔術士の最上級術式で構築した上に、俺が魔法でコーティングした特別製の結界だぞ!)


 数の多さが異常とは言え、本質がただの初級魔法ならば結界に干渉できるはずがない。……ということは、アレはファイアボールに似た、違う何か、ということになる。


 アルトは冒険者ギルドの魔法部の長の顔を思い出して、連続で舌打ちした。あの、“正確無比のイカれた魔法察知器”と呼ばれている男が、魔剣でも聖剣でもなく、よりにもよって神殺剣にセイを例えた意味を、もう少し深く考えるべきだったのかも知れない。大体、あの男は野生の勘で魔法を見極めてるせいで、いつもいつもいつも言葉が足りないのだ、クソ野郎がッ。


 空から、ギシリと結界が大きくたわむ音が聞こえて舌打ちを止める。今はそんな事を考えてる場合じゃない。

 セイと魔法士たちの周りに防御結界を張り、魔法士たちへ指示を出し、その傍らで、水属性魔法士に生成させた水を風魔法で飛ばし、消火に協力していた──焼け石に水としか言いようのない状況だったが──アルトは、広大な練習場を覆っている結界の補強へと作業を切り替えた。


(もし結界が割れてみろ、本気でファイアボールの雨が降っちまう!)


 確実に街が全焼する。絶対にここで食い止めなければならない……命に代えても。


 まずは元凶であるセイを止めたいが、気絶させればファイアボールが制御不能になり、飛び散る可能性がある。危ない橋は渡れない。

 しかし結界は補強する端から、あちらから不穏な音を立て、こちらが歪み……と、壊れるスピードのほうが早くなってきていた。


 過酷な戦闘を勝ち抜いてきた歴戦の魔法士たちも、結界が崩れる恐怖には耐えられず、悲鳴を上げて右往左往するだけになっていた。


(このままじゃジリ貧だ。……しょうがねぇ、禁術を使う……!)


 自分の魔力を根こそぎ使って古の結界魔術を構築する。完遂すれば、命も尽きるだろう。しかしもうじきこの場に来ていなかった魔法士たちや、他ギルドに所属している魔法士たちも駆け付ける頃合いだ、結界さえ強固であれば、みなはファイアボールの対処に専念できる。


 これは、新人の魔法を制御できなかった自分の責任だ。


(老いぼれの命くらい、くれてやるよ……!)


 覚悟を決め、術式を編もうと口を開きかけた、まさにその時。


「お前ら、ええ加減にせえ! 騒ぎ過ぎなんじゃ、セイが動揺するやろ!!」


 突然響いた声。その声には、場を圧倒する力があった。──誰だ!?


 見たことのない奇妙な動物がいた。焦げ茶色の細長い……犬? 違う、イタチ? にしては丸い。なんだコイツは。


「じいさん! あのまと貰うぞ、ええな!?」

「……ッ。構わねぇ、好きにしろ!」


 お前は何者だ? 動物なのか? 魔獣なのか? どうして人の言葉が喋れる? いつから居た? 従魔か? 魔槞環持ちだったのか? どこの訛りだ? 的というのはすぐそこにある魔法練習用の的のことで間違い無いか? お前は、どこから出てきたんだ!


 同時に沸き起こる数々の疑問を一瞬で飲み込み、アルトは珍妙な生き物にすぐさま許可を出す。それに頷きをひとつ返し、焦げ茶色の生き物は新人の方へと向き直った。


「コテン、あの的に多重吸収結界頼む!」

「任せて!」

「キナコ!」

「はい! セイくん、大丈夫です!」


 いつのまにかセイの足元に、やたら耳の長い白い子犬と、奇妙な動物と同じ形で薄茶色の生き物が増えていた。


 キナコと呼ばれた生き物とセイが何か話している。そこでどんな会話があったのか……。

 空を埋め尽くしていた大きなファイアボールたちが一斉に、火の玉から槍の形【炎槍ファイアスピア】へと姿を変えた──全ての切っ先をこちらへと向けて。


 恐怖で凍りつく魔法士たち。悲鳴もあげられず、ただ息を飲んで空を見つめている。

 圧倒的火力による蹂躙の気配……世界の終わりが始まる直前の、不気味な静けさ。


 アルトも、こちらに狙いを定めて停止している無数のファイアスピアを見て、無言になっていた。呆然としている自分に気付いていなかった。なんなんだ、あれは。



(あんなのはもう魔法じゃねぇ。────だ!!)



「……えーと、コテンくん、もういい? じゃ、いくね。よいしょー」


 気の抜けるような声でセイが言い、ファイアスピアは獲物に飛び掛かる野生動物のような速さで、地面の的へと連続して吸い込まれていったのだった……。




 ・◇・◇・◇・




 数時間前──セイは、御大に連れられて初めて魔法士ギルドへ来た時点では、この後に自分が魔法士たちを恐怖のドン底に叩き落とすなんて、勿論カケラも想像していなかった。むしろ、魔法が全然使えなくてがっかりされそう、ごめんなさい……ぐらいに思っていた。


 受付を素通りしてギルド本部の応接室に通され、簡単な質問に答えて登録を済ませ、求められるままに複数の魔法適正診断板に手を置く。

 冒険者ギルドで二回めにやったものよりも項目が多くて、あっちは魔力量を光の強弱で見ていたが、こっちは数値で表示されている。


「会長、これはヤバイわ。一部の特殊魔法を除いてほぼ全部に適正有り。しかも魔力出量999、これも999、ここまで999、こっちの特殊魔法で下がっても600、ここからまた999……ヤバイわー」

「基本属性オールS判定かよ、ヤベェな」

「大ざっぱに言えばSだけどさ、でも計測できる数値の上限が999までってだけで、実際は1000かもしれないし、1万かもしれないし、1億かもしれないわけよ」


 診断していた魔法士が億と言った時、“さすがにそれは無いだろう”という空気になり、セイも魔法士たちも軽く笑い声を上げた。判定士のに、場が和やかな雰囲気になる。言った本人は笑っていなかったが。


 各部署の長たちが、ぜひ自分に預けてくれ、いやウチが、バカ言え無属性の研究が最優先に決まってんだろ、バカって言ったなアホかテメェやんのかオオ? と騒ぐのを、御大が「まだそんな段階じゃねぇ」と一言でねじ伏せていた。さすがの貫禄。


 御大が今日中に簡単な魔法の説明と、発動の確認だけはしてしまいたい、と言うので、みんなで外へ出る。


 ギルドの敷地内とは思えないほど広々とした場所に案内された。公園かな? と思ったくらいだった。

 魔法の練習をする為の場所らしい。端が見えない広さがあり、小さいながらも森や丘、池もある。やっぱり公園かな?


 練習場の一角にある天井と柱だけで壁の無い小部屋、四阿あずまやっていうんだったっけ。

 そこで御大自らによる魔法指導が始まり……そうで、まだ始まらなかった。



 ・◇・◇・◇・



(……空の色が違う)


 四阿から見上げた青空は、スッキリと晴れ渡っていた。


(スッキリというか、ハッキリというか。青一色! って感じなんだよな)


 セイの世界の青空は、もっと微妙な色合いでグラデーションになっている。さらに、神の加護が“淡い色の光の粒子”ということもあり、世界全体がほんのり輝いているのだ。


 特にセイたちが住んでいる神域の村は、幻獣“虹泡月”のキラキラたちが毎日張り切って神浄水を振りまいてるから、風景が水彩画のように滲んで見えるし、あちこちでパステルカラーの虹色の光が柔らかい輝きを漂わせている。

 対してこっちの世界は空の色も建物も、全部がハッキリとした色彩だ。風も乾いてる。


 キッパリと晴れ渡った冴えた青空の高いところを、翼の大きいドラゴンみたいな生き物が飛んでるのが見えた。

 もっと見ようと目に力を入れた途端、空一面にぐちゃぐちゃした模様の【混ざりもの神気】が視えて、うっ、と声が出そうになる。

 この【混ざりもの神気】は至る所にあり、本当に見たい物の上に被っていることも多く、鬱陶しいのでセイは“意識しないと視えない”ようにしていた。やってみたら出来た。だけどこんな風に、たまに失敗する。


(あ、そろそろ決着つきそう)


 御大と一緒にセイに付いて来た各魔法部の長たちが、誰がどこに座るかで揉めてる間、暇だったのでのんびり空を観察していたのだ。

 長たちは魔法クジを引いて、興奮して拳を振り上げたり机を叩いたり、雄叫びをあげたりしている。……この世界のおっさん、みんな元気過ぎないか……?


 アズキとキナコは、長椅子に座ってるセイの膝の上に姿を消した状態で乗っていた。両前足を机の上にちょこんちょこんと揃えて置き、御大の講義を今か今かと待っている。この二匹は本当に見た目は可愛いな。セイは頭を撫でたくなるのを我慢した。


「よし、始めるぞ」

「……はぅん」


 はい、と言おうとして、敬語がダメなら「はい」もダメなのか? と途中で強引に「うん」に切り替えたため、変な呻き声のような返事になってしまった。御大はチラリとセイを見ただけで、普通に先へ進めるつもりのようだ。いっそツッコミ入れてくれ……。


「まず最初に。お前、今まではどういう魔法の使い方をしてたんだ?」

「は……え、な、なんとなく……?」


 使うどころか、魔法そのものを知りませんでしたけど……? などと言うわけにもいかない。


「やっぱり無意識に使ってるクチか。──見りゃ分かるけどよ」

「そうなん……っか?」

「珍しくもねぇしな。魔法士ギルドに来るまでは、大体どいつも自己流で魔法を使ってたって奴ばっかりだ。簡単な魔法なら感覚で使えちまうからよ。そこにある水魔道すいまどうと同じだ」


 御大は四阿の横にある手足洗い場を、指の代わりに顎でしゃくって指し示した。


 アズキくんは“水道”って言ってたけど、正式には水魔道というのか、覚えとこうっと。セイのいた世界とはあらゆるものが違っているから、反応に気を使う。


 セイの元の世界では水は【水樹スイジュ】の小枝を折って出すのが常識だったので、この世界に来てすぐは水道とやらが“水を出す道具”ということすら分からず、当然使い方も不明で戸惑ったものだった。物知りなアズキキナコに随分と助けられた。


「水魔道がどういう仕組みで水を出してるのか知らねぇでも、取っ手を捻れば水は出る。簡単な魔法も同じだ、仕組みを知らなくてもなんとなくで使えちまう。だが水と違って魔力は見えねぇからよ、コップ一杯分の為に全開の水を出してたり、一滴ずつしか出せていなかったり、もったいねぇ魔力の使い方になっちまってんだよ。変なクセが付いちまってる。その矯正に必要なのは“正しい知識”だ。分かるよな?」

「分かりぃー、……った」

「……じゃ、魔力とは何か、から説明すんぞ」

「よろしくお願いし……する、だよ……」


 老人かつ目上の人を相手に、敬語を使えない──なんて難易度が高いんだ。誰か助けて。

 御大はセイの変な喋り方を完全にスルーして、真面目に講義を続けていく。


 いっそ笑ってくれ……! セイは半泣きになっていた。



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