番外 5_王子モルゲイート_平民街冒険者ギルドの受付



(「微量な魔力の波動を感じる時はあるが、魔法の発動は一度も感知されず。魔術士たちの接触は食事の提供時のみ。その時の言動は常に礼儀正しく落ち着いている。通常考えられる、恐怖、怒り、悲しみ、焦り、苛立ちといった負の感情は全く認められず。余裕しか無い態度は不気味ですらある」……か)


 プフエイル王国の王子モルゲイートは、宮廷魔術士団にいる配下からの報告の小さな紙をひらりと翻し、火魔法の詠唱を始めた。手のひらより少し上の空中で、紙がボッと音を立て燃える。微かに残った灰が、埃が舞うように浮いているのを見て、美麗な眉を寄せた。


 ──異界からの勇者召喚儀式より、数日が経過した。


 あれから女神ガッシー様からの新たな神託は無いのかと神聖堂へ催促を繰り返しているが、「先の大神託により巫女は疲労で床に伏している。しばらく【神託の儀】を執り行うことは難しい」と言っているそうだ。


 どう見ても嘘だった。


 召喚儀式の直後、女神にお伺いを立てることもせずに金髪の青年のほうを【勇者】と決めつけ、予定外に居た二人目の被召喚者の少年を露骨に蔑ろにしたのだ。

 ここで迂闊に【神託の儀】を行い、もし万が一、あの少年が神の使徒だったなどと判明でもしようものなら、神聖堂の権威が失墜する。


 あの少年は現在、魔術士塔の一室に監禁されている。せめてどうして身柄を神聖堂側で確保しなかったのだと、内部で責任の押し付け合いをしているそうだが、「召喚魔術に失敗した魔法庁が責任を取るべきだ」などと言って少年を突き飛ばすように魔術士へ渡したのは教皇直属の部下だ。その場の責任逃れでやった行動で、今になって右往左往しているらしい。


 愚かなことだ……モルゲイートは鼻で笑った。


 そもそも、今回の異界召喚は神の指示の元で行われたのだ。普段の従魔召喚の儀とは違う。

 神の力で喚ばれた存在が本当に、“巻き込まれただけのハズレ、失敗で無価値”などと、有る得るだろうか?

 こうして召喚されて来た以上、あの能力の低そうな貧弱な平民の少年にも、何か意味があるのではないか。

 そう、例えば……。


 ──あの平民そのものがメインでは無く、実は彼の持っている魔道具が神級で、それを我が国へもたらすために召喚されていた──そんな可能性は、どうだろう?


 モルゲイートは口の端で、フッと笑った。私は他の愚者共とは違う。


 召喚直後、他の誰も気付いていないようだったが、あの少年の頭上に一瞬、魔獣らしきの姿が見えた。空中で瞬く間に掻き消える様子は、魔法でしか有り得ない。

 そして少年がしきりに撫でていた、白い腕輪──あれは間違いなく、【魔槞環まろうかん】だ。モルゲイートは確信していた。


 【魔槞環】は魔獣を格納し、装着者に魔力を供給してくれる腕輪型の魔道具だ。


 魔力だけを供給する魔力環なら魔道具士にも作れるが、魔獣が格納されている物は、稀にダンジョンでドロップされる品が献上されるのを待つしかない。魔力環と魔槞環では、込められている魔力量も、なにより外見の美しさが格段に違う。


 モルゲイートは自分の左手首に装着してある淡紫色の魔槞環を愛おしげに撫でた。

 これは高難易度ダンジョンの最下層ボスのドロップ品で、冒険者S級パーティーから献上された物だ。魔力の容量が非常に多く、色が全体的に入っている美しさが、特にお気に入りだ。


 しかし……あの少年が装着していたのは、まるで真珠のような……あるいは最高級の絹のような美しい輝きを放っていた。中に格納されているだろう小鳥型の魔獣も、一瞬しか見えなかったが今までに見た事の無い美しく輝く羽を持っているようだった。


(白い魔槞環が存在していたとは。まさに神級激レア。……欲しい)


 モルゲイートは魔槞環のコレクターだった。自制が効かないタイプの。


(今はまだ私しか気付いていない。他の者に奪われる前に、手を打つ)

 

 勇者に夢中になっている他の者たちも、チュンべロス討伐の旅に出て本人が居なくなってしまえば、あの平民に興味を持ち始めるかも知れない。

 平民の子供そのものはどうでもいい。魔槞環を入手した後ならば、どうとでも好きにしてくれて結構。

 王子である自分が早く動いて、少年が注目されることになっては……そう考え我慢していたが、数日経ったのだからもういいだろう。


 私は他の愚鈍な者たちとは違う。モルゲイートは指を鳴らし、早速配下を呼んだ。



・◇・◇・◇・



 魔術士塔の一室にある謁見室に呼び出したハズレの少年は、魔術士と騎士たちに囲まれ、困ったような表情でぽつねんと立っていた。


 モルゲイートは傍聴室──謁見室からは壁にしか見ない、一方的に覗き見する為の小部屋で、剣や魔法攻撃を防ぐ結界で守られている──の豪奢な椅子に座り、優雅に紅茶を飲みながら配下の報告を思い出していた。


(「余裕しか無い態度は不気味ですらある」か。しかし、私にはその余裕の根拠が分かる)


 それだけあの白い魔槞環の威力が強いのだろう。もうじきあれが私の物になるのだ……その想像でニヤける口元を隠すように、紅茶をゴクゴク飲み干した。おかわり。


 異界から召喚された魔槞環を、個人的に入手することに罪悪感は無い。勇者は剣技は優れていても魔法の能力は今ひとつだと聞いている。ならば、王立学園魔術学科主席卒業で、我が国で一番魔力の強い私が所持することこそが、神の願いにも叶うだろう。モルゲイートは心の底からそう思っていた。


 思考から謁見室へと意識を戻すと、学園時代からの友人であり貴族の魔術士が、少年に「平伏せよ」と命じていた。平民が貴族を前に突っ立ったままなど不敬にも程がある。もしや平民ではなく、最低限の学も無い貧民だったか。


 困った表情のまま動かない貧民に、貴族である友人はもう一度強く命じた。


「無礼だぞ。跪き、地面に伏せ、礼をとれ!」

「……大丈夫だから。分かりました」


 意外にも敬語が使えるらしい。貧民では無かったか。

 予想外に洗練された所作で平民はその場に片膝をつき、右手を左胸にあて、頭を下げた。


 ──謁見室にいた全員が、ゾワリ……! とした寒気に襲われた。


 平民の貴族に対する平伏は、片膝ではなく、両膝と両手を地面につき、額も地面に擦り付けるようにして頭を下げさせる姿が正しい。


 しかし魔術士はそう命じるどころか、「もういい、立ってくれ!」と叫びたくなるのを我慢していた。


(この居た堪れなさはなんだ? まるで、国王陛下を跪かせているかのような、この……恐ろしい不敬を働いているような呵責はなんだ)


 息が苦しくなるほどの重い殺気と共に、少年の前にいた魔術士は畏怖によっても慄いていた。


 さっさと終わらせよう、王子に命じられて仕方なく場を設けたが本心では反対だったんだ。少年の魔槞環を王子に渡せばお役御免なんだから……。魔術士はどうしても震えてしまう声で、用意されていた原稿を早口で読み上げる。


 召喚の儀を乱した罪で本来なら処刑されるところを、王家の温情により見逃していること。賤しい身分の者なら辺境への放逐が妥当だが、それを止め、これからも魔術士塔に身を置くことを許可した、これは王子モルゲイート個人の温情であること。感謝して粉骨砕身を心がけ、王子と魔術士たちへ尽くすよう誓うこと。

 それらが長々しい文章で書いてある原稿を、所々噛みながら魔術士は読み切った。そして本題だ。


「こんなにもご配意くださったにもかかわらず、なおかつ、モルゲイート殿下はお前に白い腕輪を献上する栄誉を与えるとおっしゃっておいでだ。感謝せよ!」


 魔術士は宝石があしらわれたビロード張りの置き台を、少年の前の地面にサッと置いて、ピャッと逃げた。あり得ない、だが誰も魔術士の青年を責めなかった。


「……なんて?」


 平民が不思議そうに聞き返してくるのに対して、言い慣れている「発言を許可していない、無礼だぞ」を口にしようとして出来ず、魔術士はフードの上から頭を掻きむしった。


「その白い腕環を献上しろとおっしゃってるんだ、殿下が! 大変な栄誉だぞ!」

「……えーと、この腕環は外せないので……献上は遠慮します」

「外せないのか!」


 魔術士はつい傍聴室の方を見てしまった。見られたモルゲイートは、あの愚か者めと眉間に皺を寄せ、後ろに控えていた配下へ指示を出す。

 配下は廊下から部屋へと入り、騎士へと指示を伝えた。


「……外せない場合の指示も受けてある。手首を斬り落とし、腕環を入手した後、ハイポーションをかけて元通りにしてやれ、との仰せだ」

「……わぁ」


 ──ズシリ!! と、謁見室内の殺気がシャレにならない重さになった。どれだけ厳しい訓練でも決して泣かなかったが、今は涙が出そうだ……騎士は歯を食いしばった。ここに、がいる。尋常ならざる存在が。


 モルゲイートは魔法で守られた傍聴室で、何故平民がすぐに頷かないのか、不審に思っていた。彼は本心から「感謝される」と考えていたのだ。

 平民が王族に品を献上する、それは地面にひれ伏し号泣しながら喜ぶべき事だ。しかも、平民ごときの手首の治癒に高価なハイポーションを使用する配慮までみせた。僅かな時間痛い思いはするかもしれないが、元通りになるのだから構わんだろう。──紛れも無い本心である。


「……いや、ダメでしょ……」

「王族の言に従わなければ不敬罪になるが?」

「あー、ダメって言ったのは建物をグシャってやったり国を滅ぼすことで……関係無い人を巻き込むのはダメでしょう……」

「何を言っている?」


 騎士と噛み合わない会話をしていた少年は、うーんと困ったように唸ってから、「わかりました」と言った。


「わかっ? ……良いのか?」

「あ、手首じゃなくて。腕環を外します。ただね、先に言っておきますけど意味無いですよ。腕環は外して少ししたら、普通の白い木の輪っかになります。ついでに、僕が消えます」

「何を言っている?」

「ここから消えます。僕は要らないみたいだったし問題無いですよね。じゃ、短い間でしたがお世話になりました」


 言うなり、少年は白い腕環に手を掛けた。シュルリと布が解けるように外れた腕環は、置き台の上に乗せるとまた固そうな輪っかに戻った。


 腕環に気を取られ、次に見た時には少年の姿が消えていた。


「えぇー、そりゃご飯出してもらってたし、お礼ぐらい言おうよ」


 という、微かに笑いを含んだ穏やかな声だけを残して。


 モルゲイートは傍聴室にいた護衛騎士の制止を振り切り、置き台まで走り寄って手に取り、上から横からあらゆる角度から眺め倒した。そして、そっと指先で触れ……ため息を吐いた。


「魔槞環では無かったか。なんと言うことだ。時間を無駄にしたな」


 そう言って、さっさと去って行ってしまった。その場に残された魔術士たちと騎士たちは顔を見合わせて、無言のまま頷き心の声を共有した。

 間近で接していた自分たちには、あの少年の袖口の中に複数の腕環が付けられているのが見えた。だがそれを王子に報告することはやめておこう。誰が言うかクソったれ。


 そしてしばらくして、モルゲイートの名で「魔術士塔へ監禁していた外れの方の被召喚者は、魔力も乏しく役に立たないと判断し、辺境へ放逐処分とした」と報告され、そのまま処理されたのだった。




 その“辺境へ放逐された少年”──セイは、王都城下の平民街の冒険者ギルドで、笑顔のギルマスたちにお茶とクッキーを勧められていた。



・◇・◇・◇・



 時を少し遡る。


 雑多な人たちが行き交う賑やかな通りを、セイは冒険者ギルドを目指して歩いていた。


(ほんっと、円満に消えられて良かったよ……)


 セイたちが監禁部屋から脱走して行方をくらませる事は、女神や勇者と立てた計画の第一段階だった。


 問題はどのタイミングにするかで、きっかけも無く突然セイが部屋から消えたら、世話をしてくれている魔術士が怒られてしまうだろう。

 しかし勇者が旅立つ前には出なければ……そう悩んでいたら、王子がエキセントリックな事をやらかしてくれたので「ちょうど良いや、ラッキー」とばかりに、消えた。


 脱出成功しましたーと報告したら、勇者は良かったなと言いつつ、こちらは討伐メンバーの選定に時間がかかってるらしく出立はまだ先になるそうだ、腹が立つ、と返してきた。


 ──あの日、監禁部屋にやって来た勇者は扉を叩き壊す勢いで入ってきたし「乱暴で怖い人なのかな」と最初思ったのだが、話してみるとぶっきらぼうなだけで良い人だった(セイ主観)。

 あれから何度か秘かに連絡を取り合い、お互い協力する事になったのだ。


 衣食住の食住には困らない魔術士塔から出て行くセイに、勇者がお金を横流ししてくれたので当面は困らないが、先のことを考えれば自分たちでも稼がなくては。


「そんなもん、冒険者一択やろ! 異世界に来て他に何すんねんな」


 アズキが断言した。

 いやー、でも籍証とか無いし登録させてもらえないんじゃない?


「ああいうドカスな王族が治めてる国は文明レベルもカスだから、多分大丈夫ですよ。ダメそうなら不正しましょう」


 キナコが、もきゅっとした笑顔で断言した。


 そして、宝箱に剣が刺さった絵の看板が目印の冒険者ギルドを探して歩いていたところだった。


 ──発見。


 中に入れば、元の世界より数段ガラの悪い冒険者たちがウヨウヨいる。こっわ。そんな中に結構女の人の冒険者もいた。あんな肌見せ装備で防御は大丈夫なのかな……セイはつい心配してしまう。


 値踏みする視線をいくつも感じながら受付カウンターへ行くセイ。


「あの、冒険者登録って出来ますか」

「は? 何アンタ、お貴族様?」

「違いますけど……」

「なんだ違うの。お上品な話し方してっからお貴族様かと思ったよ」


 受付の若いお姉さんは、言葉使いが荒かった。


「登録ね、そんじゃ質問するから答えられるとこだけ答えな」

「えっ、あ、ハイ」


(ちょ……、本当に登録始まったんだけど)


 スピード展開に戸惑う。


 登録手続きが口頭なのは、どうやら字が書けない人が多いからのようだ。セイも異世界の文字が書ける自信は無かったのでそのままお願いすることに。


 質問は、“名前、だいたいの年齢、パーティーの有無、使用武器、得意魔法” 以上。

 すぐにギルドカード発行、手渡し、終了、だった。


 マジで……? セイはカルチャーショックを受けた。研修も無し? 本当に? 本当にこれで良いのか? 元の世界とのあまりの違いに、呆然とする。


「銀貨1枚でアンタが何の魔法が使えるのか調べてやれるよ、どうする?」


 得意魔法を聞かれて「分かりません」とセイが答えたからだろうか、お姉さんが言いながら既に四角い灰色の板を出していた。


 姿を消して見ているアズキたちも「やれ! 金ならこれからいくらでも稼げる! やれぇ!!」と力強く勧めてくる。


「お願いします……?」


 というか、魔法って魔術士じゃなくても使えるのか? もっと特殊な、【スキル】みたいなものだと思ってたんだけどな……? 更に戸惑うセイを置き去りにして、お姉さんは板の説明を始めていた。


「ここの窪みに手を置きな。板に書いてある文字は魔法名だよ。こっちから火、水、風、土の基本属性ね。下にはもっと特別な属性とか魔法の名前が書いてある。手を置くと、アンタが持ってる魔力に反応して、使える魔法の名前が光る。光が強いと魔力が強い。わかった? じゃ、置きな」


(えっ、今、ここで? みんな見てるんだけど……個人情報ダダ漏れ?)


 困惑するセイに「早くしな」と凄むお姉さん。マジで?

 全然知らない冒険者たちにも覗き込まれながら、セイはおずおずと魔法適正診断板とやらに手を置いた。


 ──カカカカカカッ、ガッ!!


 まず基本属性全てがほぼ同時に強く光り、板全体が一気に輝いた。背後で見ていた冒険者たちが大きくどよめく。


「は? 全属性? 全部ぅ? なにアンタ、王族なの?」

「違います違います」

「だよね、王族にしちゃ顔がショボいもんね。悪くは無いけど地味だよね。肌はすげぇ綺麗だけどさ。ハァ……めんどくさ。ちょっとギルマス呼んでくっから待ってな」


 無駄に貶された気がする……。止める間もなくお姉さんは席を立って行ってしまった。


 大事おおごとになりそうな予感に泣きそうになっているセイの肩の上で、アズキとキナコが声を揃えて「キタァ────ッ!!!」と絶叫していた……。

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