第18話 黒山を通過_結界


 斜め上へ向かって矢のような速さで進んでいく。待って、生物としておかしくないかな?

 羽は実際に使うわけじゃないって聞いてたけど、飛び始めに一回くらいは羽ばたくと思ってたのに、なんの動作も無くいきなり飛んでびっくりしたし。


 想像してたよりずっと早い速度で景色が消えていくことに恐怖する。

 僕の体は見えない椅子に座ってるみたいに後ろへ傾ぐこともない、ちゃんと守っててくれる、それは分かってる。でも、子犬くんを抱っこしてるから天狼さんを掴んでるのは片手だけなんだよ、こここわいぃいいい。


『高いっすー! すごいっすねぇ、速いっすー!』

『にゃははおもしろーい』


 楽しそうだね、羨ましいよ。僕は顔が引きつったまま、ずっと震えてる……。

 たくさん生えていた樹木がみるみる内にまばらになり、岩がほとんどになってきた。天狼さんはたまに足で軽く蹴るように着地してはすぐにまた上方へ向かって飛び進めている。


 周りが白っぽいモヤに包まれることがあるんだけど、もしかしてコレ、雲? どこくらいまで来たんだろう。もう結構上のほうかな。


 天狼さんは容赦のないスピードでどんどん進む。

 これまでは斜面だったけど、今はもう、壁! という感じになってきた。

 天狼さんが、足場なんてなさそうな岩壁を軽く蹴った。そして蹴られた場所がボコリと大きく剥がれて、下へ吸い込まれるように落ちていく。


 ──しまった、下を見てしまった。

 ……地面が全く見えないんだけど。足の裏から首筋まで一気にゾゾゾっと寒気が走って、体の色々な部分がキュッとした。泣きそう。


『ここから空気が変わる。守るけど気をつけて』

「はいぃい……」


 鳥くん、猫くん、ちゃんと中に入ったほうがいいみたいだよ。僕は手を動かせないから自分で入ってね。……よしよし。

 あ、ほんとだ、空気が変わった。顔の皮膚がちょっとヒリヒリするし、息が苦しい、ような?

 子犬くんたちを守るように前屈みになる。本当は天狼さんの背中に身を伏せてしまいたいけど、それをやるには一度手を離して前のほうを掴み直すか、尻を後ろへ移動させなきゃいけなくてね。そんな恐ろしい挑戦はできない。


『もうじき頂上だ。飛び越えるために羽を動かすからそのつもりで。当たっても大丈夫だから落ち着いていて欲しい』

「は、いぃいいいい」


 宣言からしばらくして、翼が二回羽ばたくように動いた。でもほとんど衝撃もなかったし、当たることも無かったよ。天狼さん、優しい。


 そして目の前が、視界をさえぎるものが一つも無い──雲さえも無い、澄み切った青色の空だけになった。ということは。


 黒山の上に、僕たちはいる……。


 怖いって分かってるのに、好奇心に負けて下を見た。──ぉ、おおあああああ、ええええええ?


 黒山は三角の山じゃないから、頂上といっても横長というか、境は曖昧だ。しかも村から見ていた時よりも実際はとても広くて、意外にも「ここが頂上なんだ!」という感動は無かった。

 というより、それよりも気になることがね。……なんなんだ、この大穴。


 飛んでる僕たちの真下に、うちの村の教会全部が入りそうなほど大きい穴が開いてたんだ。

 どこまで深さがあるのか、中は真っ黒。パックリと開いた魚の口のような大きな穴の中に、見ているだけで魂ごと飲み込まれそうな黒々とした闇が沈んでいる、そんな気がした。


 多分、上を飛んでいた本当の時間は短かったんだろうけど、時が止まったような錯覚に頭がくらりと揺れた。


 黒山こわい。黒山やばい。だめだ、ここは生き物が近づいていい場所じゃない。


 怯えてる間に頂上を越えたみたいで、身体が軽く前のめりになった。あ、ここからは下りなんだね。あーすごかった、夢に見そう。


 下の景色は……一面の雲だ。高さにはやっぱりクラクラするけど、ちょっと感覚が麻痺してきたな。黒山の大穴のほうが怖かったしね。


 うわ、こっち側って、こんなに広かったんだ。黒山ほどじゃないにしろ、高い山脈に囲まれてて、向かい側の山は遠くに霞んでる。

 いや、ほんとに広いな。子犬くんが探してるシンセンジュってこの中から探すんだよね……。やや無理があるような。


 天狼さんが降りも一気に駆け下りて、空気が普通になってしばらくしたあたりで一度止まってくれた。そこで翼も仕舞ってた。あの大きさが入るんだね……不思議だ。


 雲が薄くなったから下界が結構見える。──うん、広い。一面ほぼ森、ところどころ山。天狼さんに最初に運ばれた時に見た、うちの村からマディワ湖村までの距離がここからあそこらへんとして、えーと、十倍以上、ううん、もっともっとあるね。


「神泉樹はあっちのほうだよー。結界で隠してあるっぽい。ボクなら解除できるはずだけど……もう少し近付かないと分からないなぁ、うーん」

『止まったっすか? じゃ神泉樹に着いたんすか!?』

『神泉樹の気配が微かにある。しかし、見つけるのは困難かもしれない……。なによりこの森はあまりに魔瘴気が濃すぎるからね。弱った小さい可愛い生き物を連れて探すのは危険だと思う、その子はここへ置いていったほうがいい』

『にゃんで止まったのー? ビューンって楽しかったぁ』


 鳥くん猫くんも出てきて、全員が同時にしゃべり始めた。順番にお願いします。えーと、みんなお互いがしゃべってる内容は、……分からない、と。


「もしかしてって思ってたけど。お兄さん、この動物たちの言葉が分かるのー?」


 あ、そうだったね、子犬くんに説明してなかったね。「ボクは人の言葉をしゃべってるから、お兄さんと会話できてても不思議に思わなかったんだけど」って、やっぱりそうだったんだ。へー。すごく珍しい犬種……なわけないよね。天狼さんみたいに、特殊個体なんだろうな。

 先に子犬くんの質問に答えよう。多分だけど、僕のスキル【会話する】の効果だと思ってるんだ。


「【会話する】がスキルなの? ええー、そんなスキルあるかなぁ。スキルって【剣術レベル1】とか【調合レベル2】とかじゃない?」

「えっ、そんなスキル聞いたことないけど……」

「うーん? ボクもずっと封印してたしねー、今何年……ゴホッ」


 封印してたって変な言い方だな、と疑問に思ったけど、子犬くんが赤黒い血を吐いた! ダメだ、なにより先にシンセンジュを探そう! それが見つかれば治るんだね?


「うん、神位が上がるから。ボクが方角を言うから天狼に伝えてくれる?」

「分かった。天狼さん、子犬くんがシンセンジュのある方角分かるそうなので僕が伝えます。この子がいないと見つけられません、一緒に行きます。鳥くん猫くん、入って」

『そういうことなら、了解した』


 体を浮かされることに慣れた僕と、ついさっきまで野生動物だったのに服の中に入ることに慣れた鳥くん、猫くん。素早く騎乗完了。「……子犬って?」と呟いてる子犬くんに方角を聞いて、再び出発。


 そして、これは本当に“木”なのか? と疑いたくなるような巨大で不思議な形の植物が大量に生えている森の中を、そこを真っ直ぐ、もう少し右、と子犬くんの案内を伝えて天狼さんに走ってもらう。時々目の端に映る魔獣……いや、見てない、僕はなにも見てない。ほぼ小さい山やんけ、みたいな魔獣が巨木を倒しながら進んでたような気がするけど、まさかそんな。ははは。早く離れましょう! そこを左に真っ直ぐだそうです!


「あの丸い石のところで止まってって伝えてー」


 え、ここなの? 特になにもなさそうだけど。


『なるほど。結界が張ってあるね。古くて少し壊れてきてるから、気配だけ漏れてきてたんだな』

「あー、やっぱりボクの尻尾を使った結界だった。これならボクが結界を張り直してすぐに解除すれば簡単に壊せるよー」

『しかし、壊れ始めていると言っても神位の高い呪具が使用されているようだ。残念だけれど、これを壊すことは俺でも難しい……』

「声が出るようにしてもらえて良かったー。お兄さんありがとう。声さえ出れば他は動かなくても大丈夫なんだ。じゃ降ろしてって伝えてねー」

『せっかく目の前まで来たのに……。そうだ、俺が氷撃を数百回当てれば少しは開けられるかもしれない。試してみよう』


 噛み合わない話を同時に聞くのって混乱するもんだな。口を挟む隙をつかめなかった。尻尾については後で聞かせてね。


「えーと天狼さん、子犬くんが結界を壊せるそうなんで、降ろしてください……」

『いや、しかし。この結界は今まで俺が見てきた中でも最高位の……』

「声が出れば壊せるそうなので……」

「壊せるよー。ちょちょいのちょーいだよー」


 危険だと渋る天狼さんと、パパパのパーっとやっちゃうねー降ろしてー、まだー? と軽い子犬くん。お互いの言ってる内容が分からなくても、せめて雰囲気だけでも伝わってくれればいいのに。


 確かに天狼さんの背中に乗っていれば安心だよ、でもこのままじゃ時間だけが過ぎていく。子犬くんは元気に見せてるけど、時々息苦しそうにしてる、急いだほうがいい。

 ここは僕が強めに言うしか、ない。


「天狼さん、大丈夫です。子犬くんは壊せると確信を持ってます。それが僕には伝わっているんです、信じてください」

『…………』


 ここから見えるのは天狼さんの後ろ頭で、どう思ってるのかまで分からない。怒ったかな……と見てると、天狼さんの耳が後ろ向きにペタンと折れた。あっ。


『そうだね、君に頼るって決めたのは俺なのに、疑うようなことを言ってすまなかった』

「そんな。心配してくれてるんですよね、分かってます、ただ」

『俺も分かってるよ。君を信じる。降ろすよ』

「はい」


 通じた、良かった。よし、子犬くん頑張って!


「ボク、犬じゃないけどねー。あ、丸い石の上に降ろしてー。では……【天の点、地中の点、結。とう西ざいなんぼくかくの点、結。天地の線、東西南北の線、結、円、せい。界、成。アスミ國コテンの名において成、結界!】」


 子犬くんの声は、大きくはないのに、あたりに何重にも響いて聞こえる不思議な音だった。


「張り直し成功ー、じゃ壊すね。【天地東西南北、結の円、かい。点、解。界、解。アスミ國コテンの名において解、結界。結界解除、結界破壊、結界消失!】」


 言い終えたと同時に、前のほうから爽やかな風が吹いてきて、僕たちがいた周辺一帯に、“淀んでいた空気が通った”、そんな感覚があった。


 え、めちゃくちゃ早かったけど、本当に今ので壊れたの?


「ここのを解除するだけでも良かったけどー、腹が立ったからここらへんにあった結界ぜーんぶ消しちゃったぁ、あはは」


 そうかー、全部消しちゃったのかー。僕にはよく分からないけど、それって大丈夫、なんだよね……?

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