第17話 山の森_白くて小さい、犬?


 薄暗い山の中で、ぽっかりとあいた明るい空間。

 そこで犬そっくりさんが完全に立ち止まり、『じゃあ下ろすからね』と声をかけてきた。僕の体がゆっくり浮かんで、何もない空中を移動していく……ピクリとでも動いたら落ちそうで、怖くて指一本動かせない……。

 地面に自分の足で立った時にやっと安心できたけど、感覚がふわふわして一度だけふらついた。

 うーん、でも、怖さもあったけど、ちょっと……結構楽しかったな。


 それより今はあの草の上に寝てる子のことだよね。死にかけてるって聞いてた通り、だいぶ弱ってる。


 小さいから子犬に見える……ずいぶん耳の大きい種類の子だな。鼻もちょっととんがってる。あと、尻尾が変な感じに短いのが気になる。斜めなんだよね……誰かに切られた、みたいな。

 ガリガリに痩せて、毛並みも荒れて艶が全く無い。本当は白いんだろうけど、泥や血なんかで汚れて、しかもそれがあちこちで毛束になって固まってる。顔周りなんかドロドロだ。


 ひどい状態だ……。僕にできることなんて、村で飼っていた動物達の看病のお手伝いでやってきたことくらいだけど。でも、できるだけのことはしてあげなきゃ。


 手袋を脱いで、聖浄水を取り出した。布は清潔なほうがいいからカバンから新しいの出そう。あと消毒布巾も。


「ごめん、ちょっと触るね」


 言葉、伝わるかな。薄く目を開けた子犬が小さく息を吐いた。伝わったのかな。はっきりとは分からないまま、暴れたり威嚇されたりは無かったので、続ける。


「水をね、これ、聖浄水って言って綺麗な水だから安心してね、これを布に浸して、口元に持っていくね」


 突然現れた人間に何をされるのか不安だろうから、動作を一つずつ説明しながらやっていく。


「最初、口のところを軽く拭くよ。痛くない? 次にこっちの布、これも綺麗なやつだからね、これに水をこう、濡らして……と。顔の下側に手を入れるよ、ちょっと持ち上げるね。痛くない? 大丈夫?」


 痛くても声を出せないだけかもしれない。でも進めてくしかない。僕の手のひらが枕になるような感じで小さい犬の顔をそっと持ち上げて、聖浄水で浸した布を口に当てて少しずつ様子をみながら飲ませていく。魔瘴気を浄化してくれるし、怪我にも効果があるんだ、聖浄水ちゃんと仕事してくれよ……。

 やり始めは飲む力が弱くて零しちゃってたけど、だんだん口が動くようになり、徐々に飲み込めるようになっていった。おおお、やった!


 まぶたをもぞもぞ動かしてるのに気付いて、消毒布巾で優しく汚れを拭き取っていく。目の周りが血や涙焼け、目ヤニで真っ赤だ、開けにくいよね。

 ──あ、目尻の赤いところは、元々の毛の色? ここだけ赤色の柄なのか。血じゃなくて良かった。


「……あ、……がと」


 小さく掠れてたけど、声が聞こえた。あー、ホッとした。話せる元気があったこともそうだし、この子とちゃんと【会話】できそうで助かった。……ただ、なにか違和感あったな。

なんだろう。


「みず……しんじょうすい……」

「しんじょうすい?」

『神浄水か。こっちの方角に神泉樹しんせんじゅの気配はずっとしてるんだが、なかなか見つからないんだ』

「しんせんじゅ?」

『神泉樹! それを探しにこっちに来たんすよ! やっぱりあったんすね、どこっすか?』


 子犬くんの言葉をそのまま言ったら犬そっくりさんがまず反応して、次に鳥くんがポケットから顔だけ出して会話に参加し出した。とは言っても、僕が言ってる内容しか理解できてないみたいだけど。ちなみに服の中をのぞいたら猫くんは寝てた。この度胸、羨ましい。


「しんせんじゅ……、あっち……」

「あっちって……」


 子犬が視線を向けたほうへ、僕も顔を向けた。その動きで、大きい犬そっくりさんと鳥くんは察したらしい。


『黒い山の向こう側に神泉樹があるのか? 向こうは魔障気が濃くて神樹が育つとはとても思えないんだが』

『あの山を越えなきゃいけないんすか!? あの高さは飛べないっす!』


 よりにもよって、黒山の向こうかー……。


 黒山──正式にはゴゴグディサセット山、長いから黒山って呼んでる──は山頂が雲を越えて遥か高くにある、異様な存在感でそびえ立つ東地方最大の山だ。岩ばっかりだから黒く見えるらしい。黒山が特別高く大きいのであって、その横に並ぶ山々も他のものよりずっと高い。夏でも山頂あたりの雪が解けずに残ってるくらいだ。


 圧倒的な強さを誇る竜種じゃなければ越えられないと言われている黒山と、その両側に伸びる高い山脈。当然、その“山の壁”の向こう側に何があるのか、誰も知らない。


『小さい可愛い生き物があると言うなら向こうにあるんだろうね。じゃあ今すぐ行こう』


 …………簡単に言った。

 確かに、ここまでの走りっぷりはすごかったけど!

 外見は犬っぽいけど、実は竜種なのかなっ?


『俺は竜じゃない。そうだな……君ならいいか。俺は【天狼】だよ。人間は違う呼び方をしてるかもしれないけどね』

「テンロウ……?」

『狼の特殊個体だと思ってもらえばいいよ』

「オオカミ、ですか?」


 なんだろう、そういう種類の動物がいるのかな。よく分からないという顔をしてる僕を見て、『そうか、狼そのものを知らなかったんだね。生息地域が違えばそんなものか。だったら犬だと思っても仕方ないね』と満足そうに納得していた。なんか、犬って言ってすみませんでした……。


『あの黒い山を越えるには、俺でもこのままでは難しい。翼を出すから少し離れてもらえるかな』


 翼って出せるものなのかな? オオカミってすごい動物なんだな。

 バッグから大きめのタオルを出して、そーっと子犬を持ち上げて、ゆったりめにくるんで抱っこして移動。痛くない? 大丈夫?


「だいじょぶ。……天狼、すごい」


 うん、だいぶ言葉も話せるようになってきたね。──ところでこの子、人間の言葉をしゃべってる気がするんだけど……。確かめたくても他に人がいないから確かめられない。


 気になってソワソワしてるうちに、オオカミ……テンロウ? 天狼さんね、彼が背中からバサリと鳥の翼を出した。うっわ、すごい!

 馬くらいの大きさがある天狼さんから生えた翼は、それはもうデカイ。どうやって収めてたんだろう。

 真っ白で綺麗だ。落ちた羽根、もらったらダメかなぁ。

 見とれてたら『運ぶよ』と声がかかって、身体が持ち上がっていった。翼の真後ろあたりに降ろされたけど、邪魔にならないのかな。……翼を出したのは神力を解放するためで、実際に羽ばたくわけじゃないから平気、と。いいなら、いいです、ハイ。


 背中に乗ると、やっぱり元気が湧いてくるなぁ、不思議。小さい犬くんも同じなのか、しっかりした口調で喋り始めた。


「さすが天の名を冠する神獣だね……。【器を問う天の秤】とは聞いてたけど……弱ってなかったらボク危なかったよ」

「ん? 痛い?」

「大丈夫だよ。お兄さん……は、大丈夫?」

「大丈夫だよ?」

「正気っぽいね、うーん……、うん? 神気が……あれ? お兄さん、人間に似てるけど、竜人族?」

「違うよ。ちゃんと人間だよ」


 天狼さんにも似たようなことを聞かれたな。あっちはスキルの効果が不審だったんだっけ。

 今の神気がどうのっていうのは多分、鳥くんが僕の頭で叫んでたアレのせいだと思うんだ……。そういや聞こうと思って忘れてた。

 鳥くんはとポケットを見たら、出てるのは顔だけだけど、それをご機嫌に振りながらピッピーピィッピッピー! と歌っていた。……邪魔しちゃ悪いね、聞くのは後にしよう。


 猫くんは目が覚めたらしく「ウニャン!?」と大きく一鳴きして上までよじ登ってきた。襟から顔だけ出すそうだ。可愛い。


 猫くんが上にきたから、小さい犬くんをお腹のあたりでしっかり抱えて、と。荷物の忘れ物も無し。いつでもどうぞ!


『飛ぶよ。神力で守るけど、もしも気分が悪くなったら早めに教えて欲しい』

「分かりました!」


 返事をすると同時に、フワリと身体が浮く感覚、そして加速、さらに加速。


 僕たちは、鳥というよりも、弓から放たれた矢になった……。

 は、速すぎる。

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