第16話 山の森_犬そっくりさん?


 だいぶ力が戻ってきた。まだ足がプルプルしてるけど、立ち上がれないことはない。体の痛みは……背中はやっぱり痛いかな。でも動けないほどじゃない。


 気持ちも落ち着いたので、やっと辺りを見回す余裕が出てきた。


 僕たちを助けてくれた大きい犬さんは……。

 犬、なのか……?

 一度は流しかけたけど、普通に考えてこの大きさで、しかも光る棒をどこからか出して魔大熊を瞬殺する犬って、アリか? でもアーサーも小型魔獣を瞬殺できるし、大きさ的に釣り合ってる気もする。


 もう一度観察させてもらおう。モフモフしてるけど、キリッともしてる。首回りはフサフサだけど、顔はシュッとしてる。カッコいい。ちょっと狐っぽいけど、姿形はやっぱり犬だよね。しかしデカイ。

 悩ましい……。


 世の中には想像もできないような不思議な生き物がいるって支部長が言ってたし、もしかしたらそれなのかも。


 えーと、【幻獣】だったかな。


 とても珍しくて、一生のうち一度でも目にすることができたら大ラッキーだって言ってたっけ。あれ、じゃあ違うのかな。

 考えてると『そろそろいいかな』と言われてしまった。うん、まぁいいや。短い付き合いなんだから、気にしてもしょうがない。なにより大事なのはこの獣が助けてくれなかったら僕は死んでたってことだ。


「はい。あの、僕はなにをしたらいいんでしょうか」

『つい最近小さくて可愛い生き物を拾ったんだけど、死にかけてて困ってるんだ。助けてあげてほしい』


 ……それは僕になんとかできることなんだろうか。


「えーとですね」

『あの子がなにを望んでるのか聞いてほしいんだ。言葉が分からないと、どうしてあげればいいのか分からない。それに、君のように器用に動く手も俺は持ってないからね』

「なるほど。……絶対に言葉が分かるとは言えませんが、一度会ってみます」


 今は鳥、猫、犬っぽい生き物と連続で【会話】できてるけど、魔獣には通じなかったし、上手くいくと言い切る自信なんて無い。本当に僕のスキルの力なのかも、まだはっきりしない。


『試してくれるだけでいいよ。じゃあ俺の巣穴まで来てくれるかな。向こうの黒い山の手前くらいなんだ』


 ──遠い。


 えっ、待って待って、遠過ぎるよ、陽が沈むまでに行って帰ってこれないよ。

 僕がいるのは山の森の中だけど、村から続いてる道の側だ。ここから山の奥へ向かってゆるい上り坂になっていて、どんどん木も大きく多くなっていく。そして急に傾斜がキツくなって岩山になる。

 大きな犬さんが言っている黒い山は、その岩山を越えて、さらに樹木の多い山を越えた先にある、とんでもなく高くてデカイ山のことだ。つまり最低でも山を二つ越えなきゃいけない。普通に歩いても一日以上かかりそうな距離がある上に、当然道なんてあるはずも無く、魔獣も猛獣も出る。む、無理です……。


「あの、今日は夕沈み時までに戻らないといけなくてですね」


 冒険者登録自体は明日までに行けば間に合うんだけど、山で野宿になると困るので嘘ではない。でもこれは後日にしてもらっても僕には無理なんじゃ……?


『大丈夫だよ、俺が運ぶからね。今日の金の光が満ちている間に、ここまで送ると約束する』


 それはそれで早過ぎる。僕が思ってる黒い山とは違うのかな。


『じゃあ行こう。咥えるか背中に乗せるかになるけど、どっちがいい?』


 どっちもキツイです……。

 咥えられるのはめちゃくちゃ怖い。でも背中に乗るのも……と、チラリと犬さんを見る。

 元は白い毛並みなんだと分かるけど、だいぶ泥や砂や色々なもので汚れてる。なにより、野生動物だ。

 そう……ノミダニシラミ、他にも人に危険な寄生虫が付いてる可能性が非常に高い。野生の生き物が村に入ってくることはほとんどなかったけど、もし入ってきても絶対に触るなと教えられてきた。


『咥えて運ぶには君は少し大きいかもしれない。上に乗せるよ』

「ちょっと待ってください」


 決定された。いや、行くよ、行くけどね。心の準備的なものがね。


 正直、少しためらうところはあったけど、でも犬そっくりさんの頼み自体を断るつもりはないんだ。

 命の恩人、恩犬だ。僕に出来る内容なら協力したい。嘘をつくような存在にも見えない。なら……い、行くしかない。


 上に乗せるって、背中に跨がれってことだよね。今は色々着込んでるし、手袋もしたままだから直接触れることはない、大丈夫。……大丈夫かな。聖浄水があるし、なんとかなるだろう。よし!


 でも荷物を取りに行きたいから、本当に待ってもらうことにした。僕たちがいるのは……あ、土の神様の祠の真後ろだ。僕がぶち当たって止まったのは祠の後ろの壁だったのか。全然気付いてなかった。まだちゃんと頭が動いてなかったんだな。


 出ようと思えばすぐに出られるね。じゃあ、僕の服の中に引っ込んだままの鳥くん猫くん、お別れだ。森側か結界の向こうか、どっちがいい?


『絶対イヤっす!! 絶対にここから出ないっす!』

『絶対、出にゃい! おれはここに住む!』


 鳥と猫が僕に住むことになった。意味が分からない。


「あのね、これから僕はあの大きい犬さんの巣穴に行くんだ。僕に住むんなら一緒に行くことになるけど大丈夫?」

『大きいいぬってなんすか?』

『あのおっきいのならいい。怖いけど』


 『犬……、俺?』と呟いていた犬そっくりさんは、僕の胸ポケットから顔を出した鳥くんを見て『可愛い』と目を輝かせた。ほんとうに好きなんですね。あと近い。鳥くんは怯えて引っ込んでしまった。


 それから布越しに少し話してみたけど、二匹ともどうしても出ないって言い張るから、念を押して一緒に行くことにした。まあ、今はまだ混乱してるだけで、多分そのうちどこかへ逃げていくだろう。


 ロープを潜って結界を越える。入る時と違って、軽く、ぶよんとした空気の壁のようなものを感じた。ガガボダノから逃げてる時に道を目指してたけど、これだともし到着できてたとしてもすんなり通り抜けられなくて、結局捕まってたかもしれない。こわ。


 土の神様にもう一度お祈りを捧げて、荷物を担ぐ。そしてまた結界を越えて森へ。

 覚悟は決めた。行きましょう、えーと、なんて呼べばいいんだろう。“犬そっくりさん”は、犬だった時に失礼だし……。


「お待たせしました、犬さん」

『……俺は犬じゃないんだけどね』

「えっ」

『俺を犬だと思う生き物がいることに驚いてる』

「えーと」


 しまった、犬そっくりさんのほうが正解だった。


 怒ったわけではないみたいで、ため息をひとつついて『まぁいいか。持ち上げるから力を抜いて』と言ってきた。

 持ち上げる……僕を咥えて空中に放り投げ、背中に乗せる……?


 恐ろしい想像に固まっていると、勝手に体がふわりと浮かんだ。こっわ! なにこれ?


 何かに掴まれてるわけでもないのに、体がふわふわと飛ぶように移動して、犬そっくりさんの背中の上あたりで止まった。慌てて足を動かして跨ぎ、馬に乗るように犬そっくりさんに騎乗した。


 うわ、うわ、なんかすごい!


『神力で俺が守るから落ちることはないよ。でも落ち着かないだろうから首の後ろを掴むといい。……気分は大大丈夫だろうか』


 大丈夫どころか! めちゃくちゃ気持ち良い!

 すごい、こんなに腹の底から力が湧いてくるのなんて、生まれて初めてくらいだ。目の前にあるのは木ばっかりで、どちらかと言えば世界は薄暗いのに、全部が輝いて見える、すごい!

 今ならなんでも出来る気がする。王都へだって行ける。そして、どんな望みだって叶えられる……!


 ──でも、僕の望みってなんだ?


 それは……“地味でいいから穏やかにのんびり昼寝しながら生きていきたい”だ……。


 スッと冷静になった。王都なんか行ったって、することなんて何もないや。


 やたら野心的な先輩に「だからお前は駄目なんだ」って、しょっちゅうバカにされてたけど。でももし僕に野心が芽生えても、それは王都でやるようなことじゃないって、妙に確信がある。

 そもそも野心を持ったって、【スキル】が無いとどうしようもないしね。


 胸ポケットの中から鳥くんの「ピィーヒョ──ッ! ピッピィーッ」という謎の歓声。猫くんは「グルルッシュー! グルルッシュー!」とやたら興奮気味に喉を鳴らしてて、僕のお腹を揉みまくってる。君たち、どうした……。それより危ないからちゃんと中に収まっててね。


『大丈夫かな?』

「あっ、ハイ、じゃ掴ませてもらいますね」

『本当に大丈夫そうだね、すごいな。じゃ、飛ぶよ。強めに掴んでも構わないからね』


 飛ぶ? 走るじゃなくて?

 疑問に思った瞬間には、既に高かった視界がさらに、グン! と上がった。そして、急に景色が凄まじい勢いで横へと流れ出した。

 ちょ、なにこれなにこれ、怖い怖い怖い怖い怖い!


 慌てて身を伏せて、首のモフ毛を掴ませてもらう。あ、すっごいフカフカしてる……。

 違う、意識をモフ毛にもっていってる場合じゃない。信じられないくらい動きが速いよ、落ちたら死ぬ!


 ──あれ?


 少しして、ほとんど身体が揺れていないことに気付いた。

 木の幹や枝が間近に迫ってきては、横をすり抜けていく。避けてるんなら横に揺れるはずだし、そもそも犬そっくりさんの足が動いてるんだから縦揺れが無いとおかしい。岩を飛び越えた時も軽く揺れたくらい。視界から入ってくる情報と、実際の体感が違ってすごく戸惑う。

 葉っぱや小枝、小さい虫なんかが迫ってきて「顔に当たる!」と怯えたけれど、全部、目の前に透明の壁があるみたいに横へ避けていってる。小さく風が当たるくらいで、他からは守ってくれてるんだ。ちょっと肩の力が抜けた。

 犬そっくりさん、凄すぎる。


 ふわりと軽く浮く感覚があった。そのすぐ後、目の前にあったのは空の青さだけ。えええええ?

 あっ、飛んでる?

 斜め下へ目をやると、広々とした森が続いてるのが見えた。ところどころ木が線状に途切れてるのは道かな。あ、あそこの小さく屋根が並んだところってヨディーサン村じゃないかなっ? すっごい、上から見るとオモチャみたいだ! あっちの湖はマディワ湖だよね、小さく見えて変な感じがする。向こうに草原、山、街っぽいもの。あんな遠く、初めて見た!


 トンと地に降りた感触、次には視界は岩ばっかり。そしてもう一度ふわりと浮いて……。

 緑色の山がいくつも下に並んでる。もう岩山を越えたのか! そりゃ今日の夕沈み時までに送れるっていうはずだよ。


 黒い山へ向かう山の森へ入ってからも、犬そっくりさんの疾走は止まらない。こちら側の山は人が入ることがほとんど無い。雑草は高く生い茂り、見えてる地面の岩はゴツゴツして段差が多い。人の足で歩くのは大変そう。それに駆け抜けていってるけど、さっきから大型魔獣の姿がね……ガガボダノや見たことないエグいデカさの魔獣も、野生動物の群れも、目の端に映っては後方へ流れていってる。

 ここに置き去りにされたらすぐ死ぬ……。もう一度モフ毛をぎゅっと握りしめた。


『もうすぐ着く。速度を落とすよ、気をつけて』

「はい」


 犬そっくりさんの顔は結構前のほうにあるのに、不思議なほどはっきりと耳の近くで声が聞こえた。

 ゆっくりとスピードを落としてくれているのが分かる。優しいな。


 この山の木は僕が両腕を広げた長さより太く、見上げると首が痛くなるほど背も高い。そんな樹木の間を抜けると、ぽっかりと空いた小さな空間があった。木漏れ陽が当たって、そこだけ明るい。


 雑草を倒してできた寝床に横たわっている、小さい獣が見えた。


 白っぽい、あれは。──子犬?

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