第15話 山の森_白くて大きい、犬?


 僕たちを見つめている赤く光る六つの目。


 ガガボダノは目が六つあるって聞いてたけど、ほんとなんだな……。なんて、どうでもいいことを考えてる場合じゃない。

 逃げなきゃ、逃げなきゃ、と思考が空回りする。焦る気持ちとは反対に、少しでも動いたらガガボダノが一気に襲いかかってきそうで、怖くてピクリとも動けない。


 無意識に胸元に引き寄せていた猫くんが、ガタガタと震えてることに気がついた。胸ポケットから顔だけ出して喋っていた鳥くんも、置物のように硬直して動きを止めている。


 そうだ、この子たちがいるんだ。

 僕はこの子たちに「絶対守る」「助ける」って言ったんだ。僕がしっかりしなきゃ……!


 結界のある道まで距離的には少し。本気で走ればなんとかなる。なんとかする。


 ガガボダノがゆっくり近づいてくる。でもここらへんは木が多くて、体の大きいガガボダノの腕が枝に当たった。視線が僕たちから逸れた。──今だ!


 道のほうへ駆け出す。でもすぐに、なにかに足を取られて体が空中に放り出されるように前のめりになった。このまま倒れるとこの子たちが潰れる! 無理やり体をひねって地面に倒れこむ。石の上だったのか、肩と背中に硬い衝撃が走った。痛みで息が止まる。でもそんなのは後回しだ、早く起き上がって……。


 顔を上げたら、ガガボダノが太い枝を簡単にへし折っていた。マジか。あれ、僕の腕くらいの大きさがあるんだけど。

 それを持ったままこっちを見て……まさか投げつけるつもりなんじゃ……。


「待って! 言葉分かりますか!?」


 もしかしたら魔獣にも言葉が通じるかも、ということにやっと気がついた。お願いだ通じてくれ!

 しかしガガボダノは一瞬もためらわず、腕を振りかぶった。ダメだったヤバイヤバイ、無理無理無理無理!

 投げた! 枝が、目の前に迫って……。


 僕は体を丸めて山道をゴロゴロ転がっていた。どうやってあれを避けたのか自分でも分からない。ドンっと背中がなにかに当たって止まった。寝転がったまま足をやみくもに動かして後ずさろうとしても、全く進まない。どうして。

 道、道はどっちなんだ。


 ベシャリと音がした。魔瘴気のかたまりが落ちた音だ。また、ベシャリ……。近い。動けない。猫くんを両手で包んで抱き込むようにして体を縮める。


 ──その時間は、一瞬だったのか、もっと長かったのか。


 覚悟した痛みがこないことに気付いて目を向けると、なぜかガガボダノが動きを止めていた。僕の思考も動かない。

 そのまま見ていると、横から白くて大きななにかが突然飛び出してきた。そのままガガボダノに勢いよくぶつかる。え、なに?

 魔大熊とも言われるガガボダノの巨体が倒されて、ズシン……と地面に音が響く。そして白い──獣? が「ガウッ」と鋭く吠えたと同時に、どこからか青白い棒が何本も降ってきて、ガガボダノの体全体に突き刺さり悲鳴があがった。これはなんなんだ? なにが起こってるんだ?


 怖いけど目をそらせずにいると、青白い棒は溶けるように消えていき、一緒に魔獣を覆っている魔瘴気も消えていくのが分かった。その間、のたうつように動き、「グァアアアア!」と叫び続けていたガガボダノ。

 しばらくして声が聞こえなくなり、魔瘴気が全部消えて生身の姿を晒していた。そして完全に動かなくなった。


 死んだ……?

 僕たちは助かったのか?


 目の前には、ガガボダノの死体と、それを不思議な方法で倒した大きくて白い…………犬?


 フサフサした毛に細く絞れた腰、薄い水色の目。尻尾が揺れている。犬?


 外見は犬だけど、なんているのか? でも目の前にいるしな……。


 本当は、気にしなきゃいけないのは犬かどうかより、僕のことなんてひと噛みで殺せる危険な生き物が目の前にいるってところだ。まだ安心しちゃいけない、そう思うのに肩から力が勝手に抜けていく。だって、なぜかこの大きな獣は信用できる気がするんだ。

 実際に今も、僕たちを襲ってくる気配も無く、ただ静かにこっちを見ているだけ。


 あちこち痛むけど、上半身だけなんとか起こして座る。


 結構派手に転がっちゃったけど、鳥くん大丈夫かな。胸ポケットの中をおそるおそるのぞく。まさか潰れてないよね、ドキドキする。


『に、にいさんんんんん』


 ピヒョヒョーと震えた声が聞こえた。中にちゃんと収まってる。良かった、無事だった。

 えーと、猫くんは……。


『……可愛い』


 すぐ上から、若い男の人の声が聞こえた。


 いつのまにか犬さんが目の前まで近付いてきてた。いや、ほんと近い。今、この状況で何が可愛い……あ、猫くんか。

 僕の手の上で猫くんは、全身の毛をぽんぽんに膨らませて固まっていた。尻尾もぽんぽんだ。確かに可愛いけど、可哀想だな。


 驚かせないよう静かな声で猫くんに「たぶん、もう大丈夫だよ」と声をかけると、ビョンっと飛び上がったあと、僕の上着を前足でバリバリかいてよじ登り、少し開いていた襟から中へと飛び込むように入ってきた。

 肌着とシャツの間に挟まれてガタガタ震えてる。怖かったね、よしよし。上着越しに撫でる。


『ああああ……』

「すみません、猫くんも悪気は無いんですが」

『いや、仕方がない。俺は見た目が怖いから』

「そんなことは……。カッコいいと思います」

『いいんだ。小さくて可愛い生き物を守れただけで満足してる』

「あ、助けてくださってありがとうございました」

『丁寧にどうも。可愛い生き物の気配がしたから飛んできたんだ。間に合って良かった』

「そ、そうですか」


 理由が予想外。可愛い生き物の気配って、どんなんだろう。


『君は人間に似てるけれど、何という生き物なんだ?』

「いえ、人間ですよ」

『うん? でも会話できてるよね』

「あの、会話できるのはスキルの力じゃないかなと思っていて」

『すきる? それは知らないけど、そうなんだね。そうか……』


 透き通るような眼差しで見つめられて、不思議な感覚に背筋が伸びた。気持ちが引き締まるような、逆に緩んで穏やかになるような。

 教会の礼拝堂で、神像を前にした時とちょっと似てる。


『君に、お願いがある。危険なことじゃない。聞いてもらえるだろうか』

「はい。僕にできることでしたら」


 命を助けてもらったんだ。協力できることならするよ。

 でもその前に、鳥くんと猫くんは安全な場所で逃してあげなきゃね。

 あと、立ち上がるにはもうちょっと時間が欲しいかな。腰が抜けてるっぽい……。

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