破 真似事のレプリカ

「最近、辛くてさ――本当、国や病院は俺たち看護師を消耗品としか思ってない」

 後川小助うしろかわ しょうすけの表情には、幼少期に遊んでいた頃とはかけ離れた、疲れた印象があった。


 後川という二十四歳の男性は、僕の一番の古株の知り合いである。


 友達の少ない僕にとって、色々な遊びを教えて、友達作りに貢献した大事な存在であった。

 そして、僕の友達の中で唯一、下の名前で(小ちゃん)呼ぶ特別な存在なのだ。


 そんな小ちゃんが疲れているというのは、女性関係で殺されそうになって、助けを求めに来た時の一回を除いて、僕にとって信じがたい事だ。

 それが日常的に、頻繁にあるということは、それだけ異常な事だろう。


 いや、仕方の無いことだ。世間では一年を通して蔓延したウイルスのせいで、医療従事者である小ちゃんの身体も精神も、限界が来ていたのだ。


 絶対に弱音を吐かない小ちゃんが、年明け前に僕を呼んだ。社会人になってから、音信不通であった小ちゃんから連絡が来たのだ。


 僕は理由を訊かず、仕事を終えた後、急いで地元に帰り、小ちゃんの元に向ったのだ。  




 僕たちは初日の出を見るべく、モノレールが掛かる頑強な橋の上で立っていた。


 年はとっくに明けて、時刻は早朝の五時を指し、地平線の向こうは明るくなりつつあった。


「こんな仕事なんか――でも、俺にはこれしかない」

 小ちゃんの言葉には抵抗できないながらも葛藤があった。 


 まるで一週間前のクリスマスイブの夜、冷たい海に入水自殺をしようとした“僕”を見ているように感じた。それはつまり、小ちゃんが自殺してしまうのではないかと不安になった。


 実際あの日、僕が死ななかったのはラフカディアのおかけだ。


 そう、僕の造った存在――この世界の敵。


 だけど、ラフカディアはこの世界から消えてしまった。


 それに小ちゃんの前にラフカディアのような存在が現れる訳でも無い。





 もし、ラフカディアならどうするだろう・・・・・・。


 ラフカディアなら――





 ふと、ズボンのポケットの中が熱く感じた。


 外の寒さでかじかんだ手をポケットに突っ込むとジッポライターに触れた。

 ラフカディアが唯一、この世界にいた証――僕に残した一つの可能性。



『それは既に君の心の奥にある。君自身もその存在を知っているし、気づいてもいる。ただ、君はそれを“夢”として閉まっているんだ』



 頭の中でラフカディアが僕にだけ囁いたように感じた。

 それが過去の言葉セリフであったとしても、記憶の中のラフカディアが僕に、(この世界と戦え)と言っている。


「なあ、小ちゃん――君は好きな事はないかい?」


「何だよ義山。俺が真剣に愚痴を呟いているのに――てか口調どうした? そういうの要らんから、真面目に訊けってよ」

 小ちゃんはからかいながら言った。


「ああ、訊いているよ。でも、それだけでは小ちゃんが変わることはなければ、小ちゃんを取り巻く世界も変わらない」


「・・・・・・」

 小ちゃんは無言に僕の話を訊いた。


「小ちゃんは、僕が一週間前に自殺しようとしたって言ったら信じるかい?」


「自殺か・・・・・・ああ、信じる。というより、俺も自殺しようか考えていた」

 やっぱり、小ちゃんは世界に消されかけている。


「僕な、海に飛び込んで死のうとしたんだ。仕事で失敗して、やること全てが否定されて、まるで世界から無価値だから消えろって、恐怖に襲われてたんだ。だから、死のうとしたのに――どうしても死ぬ事が出来なかった」

 瞳から涙がこぼれた。僕はラフカディアみたいに格好よくは出来ないな。


 涙を手で拭って、話しを続けた。


「どうして死ねなかったのかった。その時、知ったんだ――いや、気づかせてくれたんだ。僕には、この世界にやるべき“存在”があるんだって」


「“存在”・・・・・・何だよ、その厨二病みたいな概念」


「“存在”とは自分がこの世界と繋がる一つの方法なんだ。つまり、小ちゃんがこの世界に絶望しながらも、なお生きることを止めないひとつの“可能性”、もしくは命綱のようなモノ・・・・・・

 もう一度、訊くよ。君は好きな事はなんだい?」


「俺には、本当に打ち込めるような好きな事なんてわからない・・・・・・でも、強いて言うなら写真家になりたいと思っているけど、それはちゃんとした仕事ではない」


「立派な仕事ではないか」


「でも、現実的に無理だよ。写真家希望なんて沢山いるし、それに才能のある人ばかりで、俺の撮った写真なんか価値なんてないよ。好きな事なのに、それだと嫌いになってしまう・・・・・・」

 小ちゃんは、登ろうとしている太陽に背を向けた。


 まるで小ちゃんは“可能性”を自ら閉ざしている――いや、僕と同じ“夢”のままにしようとしている。


「小説を書いているんだ。それが僕の“存在”」


「えっ? 義山、小説家になろうとしてんの?」

 小ちゃんはこちらを振り向いた。


「ああ、そうだよ。それが今のやりたいこと。でも、書いても全然読まれないし。それに最初は小ちゃんと同じで怖くて、書くのが出来なかった。

 ネットに投稿して、誰からも評価されなかったらどうしようって思ってた。だって、それが俺の生きる希望だからさ――現実を知ったら、生きる意味を無くしてしまう。だったら、書かずに“夢”として今を生き延びるための言い訳にしようって考えてた」


 僕の瞳に太陽の光が映った。



「でも、そんなの“夢”じゃない、それは生に執着した“呪縛”だ!」

 僕は太陽に向って、小ちゃんに向けて、叫んだ。


「それでも、俺は怖いから・・・・・・今を、未来を、安定を失いたくないから、無理だ・・・・・・」


 小ちゃんは変わることは出来なかった。

 いくらラフカディアのように振る舞っても、所詮、僕には人を変える“力”が無い。



『君はどうして今の生き方が安定すると過信している。ソレは、君を蝕む毒だ。ずっと、そんな言い訳を飲み続けていると煮詰められた蠱毒になって、チャンスを逃して、可能性を自ら殺してしまう。例え、何不自由なく生きていくことが出来たとしても、後悔は君が死ぬまで呪い続けるだろう』



 僕にまたラフカディアの声が囁く。


「ええっ、今の誰!?」

 小ちゃんは僕に問いかけた。


「誰って?」


「今聞こえたじゃん。今の生き方が毒だとか」


「小ちゃんにも聞こえたのかい!?」


「当り前だろ。でも、俺たち以外誰もいないよな・・・・・・」

 小ちゃんにも聞こえたと言う事は、もしかしてラフカディアが現れたのか。


 僕は辺りを探したが誰もいなかった。


「そうかもな・・・・・・」

 小ちゃんは独りでにポツリと呟いた。


「何がそうかもな、なんだ?」

 僕は聞き返した。


「今すぐとは無理だけど、俺も少しずつ写真を撮ろうと思う」


「それで良いんだよ。どんだけ小さな一歩でも、やらないよりかは進んでいるんだから」


「義山! 今日は話せて良かったと思う。何か、今年は頑張れそうに感じるわ」

「ああ、僕も頑張るよ。それと今度、写真撮ったら俺に見せてくれよ。絶対に僕は応援するから」

 僕は笑顔で返した。



 それから僕達は各々の家に向った。


 僕はせっかく地元に帰ったのだから、実家に戻った。


 多分、この時に戻らなければ、この日の最悪は回避出来たのだろう。


 僕は実家に帰ると父親から、

「このウイルス野郎と一緒に居やがって、家に持ち込むなぁ! 来るなぁっ!」

 と言われて玄関で追い返された。


 ちなみに僕達、二人は感染者ではない。

 ただ、互いに医療関係の仕事に携わっているだけなのだ。



「全く、世界は正月早々から厳しいな」


 僕は空に向って、中指を立てた。

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