第10話 告白

10-1 嬉しい報せ 

 8月も終わりに近付き、妙子や雄一の夏休みも終わった。再び学校に戻った。

 妙子にとっては、涼子や富子に会えるのが楽しみでもあったが、同時に心が重いものがあった。橋田の存在である。

 外は、残暑が未だ厳しかった。この暑さの中、又も、軍事教練の日々が始まるのである。時間割では、2日後に、その予定となっていた。2学期早々から早くも嫌な感じである。

 自転車に乗った妙子は、1学期同様、校内に自転車で滑り込み、そこから教室に向かった。

 校舎に入ると、妙子は崎田晴子に出会った。

 「おはよう、藤倉さん」

 「おはようございます、崎田先生」

 妙子は崎田から明るく挨拶されたことによって、少し、表情が明るくなった。

 晴子が言った。

 「良い報せがあるわよ、藤倉さん」

 「え、何ですか?」

 「今日の全校集会で分かるわ」

 そう言うと、崎田は妙子と別れた。

 「何があるのだろう」

 そう思いつつ、妙子は教室に向かった。荷物を自分の席の上に置いて、グラウンドに出た。勿論、全校集会に参加するためである。

 グラウンドに、次々と生徒達が出て来た。暑い中、常々、軍事教練がなされているグラウンドである。生徒たちの正面には、崎田や橋田等の教師が並んでいる。生徒達がグラウンドに出揃った頃に、校長の講話が始まった。

 「皆さん、おはようございます」

 生徒達が一斉に返答した。

 「おはようございます」

 「え~、我が皇国の銃後の守りとして頑張ってくれている皆さん、いつもご苦労様

 です。

  我が皇国の聖戦・大東亜戦争の勝利による大東亜共栄圏の維持は、皆さんの双肩

 にかかっているわけで・・・・・」

 いつも通りの月並みな内容から始まる講話である。妙子には、何が崎田の言う

 「良い報せ」

 なのか、分からない。残暑の厳しい中で立たされているのは、こちらとしてもしんどいのである。毎度のことだが、早く終わってくれないか、と思う。

 校長の講話が続いた。

 「さて、お知らせがあります」

 そう言って、校長が続けた。

 「こちらにおられる橋田先生ですが、この度、急ぎ、満州方面に転勤することにあ

 いなりました」

 生徒の間から、少なからぬどよめきが起こった。妙子の顔からは、少なからぬ笑みがこぼれた。生徒達の多くが、妙子と同様、笑みである。もう、これ以上、橋田に苦しめられることはなくなるのである。橋田の転勤の日時はいつだろう。何時、我々は橋田から解放されるのだろう。妙子をはじめ、皆がそれを聞きたがっていた。

 「皆さん、静かに」

 と校長は静粛を促すと、続けた。

 「橋田先生の転勤でありますが、夏休み中に決まったものであります。赤魔・ソ連

 と対峙する最前線の満州の学校から、教練担当の教諭として実績のある橋田先生

 を、問われまして、この度、橋田先生が満州に渡られることになったのでありま

 す」

 妙子は‐少なくとも、自分では表情を変えたつもりはなかったが‐自然と、その表情は解放感あふれる笑顔になっていた。まともに食料もない状況の中で、抑圧の種類が一つ減ることは大きな喜びであった。それは、涼子や富子も同じことであった。

 校長の講話は続いた。

 「ですので、今日が、皆さんが橋田先生と一緒になれる最後の機会です。橋田先生

 から皆さんに最後のご挨拶をしていただきます」

 そう言って、校長は指揮台から降り、代わって、橋田に指揮台に上がるよう、促した。指揮台の上に橋田が登壇した。

 橋田は指揮台から、生徒達を見回した。生徒の多くは笑みを浮かべている。橋田はそれを自分へのある種の「褒め」と受け取ったようである。

 「え~、私、橋田は、この度、転属となり・・・・・」

 いつもよりは、紳士的な態度である。流石に、公式の場だからか。いつも、怒声を張り上げているからか、かえって、その姿が異様なものに見えた。

 橋田の演説が続き、その内容は、校長と同じく、

 「銃後の守り」

 「赤魔・ソ連との戦い」

 といったものであった。

 妙子は笑みを浮かべながらも思った。

 「とにかく、あんたがいなくなれば、私達の苦労はその分減る。前線でその任務を

 しっかり果たしていらっしゃい。暴力的なあんたにゃ、前線勤務の方がお似合よ」

 妙子がそう思っている間、崎田も同じように思っていた。橋田の日々、生徒達に向けられた怒声に、崎田も苦しんでいたのである。それは、大東亜戦争が終わっても、まだ、彼女を戦争から解放させない具体的な姿でもあった。今が「平和」であると言っても、半ば戦時体制の延長にあることを、その度に崎田に思わせるものであった。

 戦争で夫を亡くし、自身も戦争中は非国民呼ばわりされかねない状況にあったことを踏まえれば、「聖戦」はむしろ、自分から幸せを奪うものであったのである。幸せを奪った戦争に、なぜ、戦後も苦しめられなければならないのか。

 しかし、崎田にしても、そうした状況に異を唱え得る立場にはなかった。

 橋田の暴力が自身に向けられたものではないにせよ、自身の精神を苦しめる橋田の存在を何とかしたかった。だから、夏休み中に橋田の満州への転属話が出た時には、崎田は橋田に、その話に乗るように強く勧めたのであった。「大東亜共栄圏」の看板を利用した、崎田なりの、体制へのある種の反逆だった。

 講話が終わって、橋田は指揮台を降りた。その内容は月並みなものなので、妙子は、あまりその内容をはっきりと覚えてはいなかった。しかし、内容はどうでも良いのであって、橋田がいなくなるということが、何よりも重要なのである。

 生徒達は、後任の軍事教練担当者がどのような者になるのかは分からぬものの、とにかくも久しぶりの解放感を味わった。

 妙子、富子、涼子の3人は、前学期と同じように、校内の同じ場所で弁当にしたが、いつもと同じ、ふかし芋とカボチャだけの昼食だったにもかかわらず、自然と話が弾み、明るい気分で過ごせたのだった。


10-2 手紙

 妙子は残暑の中、自宅に帰った。いつもの場所の自転車を置くと、玄関をくぐった。

 「ただいま」

 「おかえり」

 静江の声がした。静江はさらに言った。

 「妙ちゃん、倉本さんからお手紙よ」

 「え!?」

 思わず、驚きの表情を浮かべた妙子は居間に駆け込んだ。ちゃぶ台の上に一通の封書が置かれてあった。確かに、宛先は

 「藤倉 妙子様」

 となっており、自分あてであることはすぐに分かった。封書を裏返してみると、差出人は

 「倉本 芳江」

 となっており、住所は

 「満州国・・・・・」

 となっていた。芳江は内地を出ていたのである。そこに静江の声がした。

 「私もちょっと驚いた。倉本さん、満州に渡っていたのね」

 妙子はすぐ、封を切り、手紙を読んでみた。

 「拝啓 藤倉妙子様

 私は、ここ遠く、満州の地まで来てしまいました」

 という書き出しから始まった手紙は、妙子に語り掛けて来た。

 「妙ちゃん、最近はどうですか。元気にしているかしら?私は妙ちゃんが羨ましく

 思う。私も妙ちゃんのように勉強してみたかった」

 という意味の文面がつづられていた。

 「私も若い頃は一時的に女学校に通ってみたけれども、頭が悪くて、勉強にはつい

 ていけなかったし、妙ちゃんの今と同じ年齢の頃の昭和17年には、私の父は既に

 日華事変で行方不明になっていたし、家は結構貧しかったので、学校を中退して、

 田舎から、都会の海軍の零戦製造工場に出て来たの。

  うちは小作人の家だったから、貧しかったし、そんな生活とおさらばできればよ

 いと思っていた」

 妙子は、改めて、芳江の生い立ちを知った。芳江は引き続き、妙子に語り掛けて来た。

 「いつか、話したでしょう。私はドジだから、よくへまもやったし、それで、班長

 にぶたれることもあった。お前のような奴は皇軍兵士に、恥ずかしい限りだ、と言

 われることもあった。その後、行く当てもない時に、山村家に拾われて、山村家の

 使用人になったのでした」

 妙子は、当時の芳江の状況を思った。零戦製造工場で苦しむ芳江の姿に同情せざるを得なかった。妙子とて、橋田のことがあったからである。今日、妙子は橋田から解放されることを宣言されたが、今、芳江はどうなっているのだろう。妙子は先に進んだ。

 手紙の中の芳江が改めて語り掛けて来た。

 「妙ちゃん、深本さんちの多江さん、今、どうしているかしら?喜八さんの死の真

 相は、実はこうです」

 芳江を、市電に乗って見送った時、妙子は、喜八の死の真相を聞き出すことはできなかった。人前だったので、当然と言えば、当然だったかもしれない。しかし、芳江は、喜八の死の真相を知っていた。

 「喜八さんは、農家に差し出せるものがなくなって困りつつあった山村に、多江さ

 んとの結婚の思い出の品である指輪を差し出すように迫られていました。農家から

 の食料の供給が止まって、自分の権力が将来的になくなるかもしれない山村太造

 は、それを恐れていたのです。

  しかし、喜八さんは、それを渋りました。貧しい中で、きっと、それが心のより

 どころだったのでしょうし、それをなくしたら、奥さんの多江さんにも見放される

 と思ったのかもしれません。喜八さんは当時、飲酒量が増えていましたが、それ

 も、太造と奥さんの間で、人間関係に苦しんでいたので、酒に逃げるしかなかった

 なかったからでしょう」

 そして、その日の事件の真相がつづられていた。

 「結局、喜八さんが思い通りにならないことに腹を立てた山村は、喜八さんを殴っ

 た。しかし、転んだ喜八さんは、運悪く台所の水場で石に頭を打って死んでしまい

 ました」

 妙子は、真相に驚きつつ、手紙の先を読んだ。

 「それで、太造は遺体の処理に、当然のごとく困りました。太造は、以前にも喜八

 さんを殴る等していましたので、今回もたいしたことはない、と勝手にタカを喰っ

 ていたのでしょう。しかし、今回ばかりはそうはいかなかったのです」

 「そこで、慌てた太造は、私に手伝わせ、夜中に近所の水路に喜八さんの遺体を捨

 てたのです。貴女も知っている通り、電力不足で街路灯は停電し、外は真っ暗でし

 たので、周囲に怪しまれず、遺体を運ぶことができました」

 そして、物取りの犯行に見せかけるため、現場付近に硬貨を蒔いて、急いで引き上げて来た、というのである。

 「奥さんの多江さんも、喜八さんが山村宅に行って、そのまま帰らぬ人となってし

 まったので、太造に何かされたと、薄々気づいていたのかもしれません。

 しかし、隣組会長につっかかれば、その後、どのような展開になるかわからない、

 と思って、太造にはつっかからなかったようです」

 さらに、手紙には、芳江が山村宅を出た理由もつづられていた。

 「その後、私は、農家に差し出すもののなくなりつつあった山村太造の命令で、山

 村の親戚で、東京近県○○の地主である篠原家に奉公に出されました。どこに行く

 当てもない私は、命令に従う他はなかったのです。それが、貴女に見送ってもらっ

 た数か月前のあの日のことでした」

 妙子は一瞬、はっとなった。

 「○○の篠原家って、私が買い出しに行った土地にあったあの屋敷のことじ

 ゃ・・・・・」

 妙子は先を急いだ。芳江が続ける。

 「篠原の家じゃ、私は殆どただ働きの上に、旦那のおもちゃだったのよ。何で、小

 作人に生まれた女って、この国では、こんな人生にならねばならないの?そう思っ

 て、復讐に出てやることにした」

 その復讐とは何か?

 「篠原は偉そうに大地主として地域内で威張っていた上に、皇国日本がどうのこう

 の、と言うから、ある時、お使いのふりをして篠原の印鑑と土地登記書を町役場に

 提出して、軍にあいつの土地と食料等を『寄付』してやったわ。そうして、あいつ

 に『貢献』させてやったのよ」

 そして、そのまま、芳江はその土地を抜け出し、偽名で客船に乗船して、大連に渡り、満州国に渡ったということであった。

 手紙の中の芳江は、さらに続けた。

 「篠原は土地の多くをなくして、小作人にも詰め寄られていることでしょう。太造

 は土地をなくした篠原から食料品が手に入らず、難儀しているでしょう。警察に最

 早、取り入れないから、今頃は、殺人容疑で逮捕されているかも入れない」

 妙子の脳裏で色々なことが氷解し、連結した。

 買い出しの時、行った先で篠原家の戸主らしき男が

 「ヨシエの奴」

 と言っていたのは、倉本芳江によるものだったのである。小作人らしき男達が詰め寄っていたのもそのためである。春江の微笑も、大威張りの篠原がひどい目に遭ってうれしい、という感情からのものだったのだろう。配給日に急に食料が減ったのも、そのために自分が買い出しに行ったのも、篠原の土地が軍に接収され、食料調達ができなくなっためだったのだ。先日の山村太造逮捕も、最早、警察に取り入れなくなったから、と考えれば、合点が行く。配給日に太造が姿をくらましたのも、警察の逮捕が怖かったからに違いない。当初、喜八の殺害容疑で幸長が逮捕されたのも、食料供給源たる太造との関係故に、他の者を逮捕することで、警察の社会に対するメンツ、即ち、権力は社会に対して機能していることを示したかったからなのだろう。買い出しからの帰りに会った多江の表情も、これで、夫を殺した真犯人が逮捕されて、1つの心の整理がついた、というものだったのだろう。

 手紙の最後の方には、次のようにあった。

 「そうそう、私、こちらである旅館に泊まりました。そしたら、本田美子さん、と

 いう貴女の幼い頃の友達に会いましたよ。貴女のことを話したら、とても懐かしが

 っていました。世間は広いようで、意外に狭いですね」

 妙子も懐かしくなり、何か、込み上げるようなものがあった。彼女も元気で頑張っているんだ、という思いがした。

 「でも、こんな私ですから、もう、日本には戻れないでしょう。あの日、貴女に駅

 前で御守を譲ったのは、機会を見て、外地に渡り、日本には、もう戻らないだろう

 と覚悟したからです。これから、私はどこかへ流れていきます。

                      妙ちゃん、お元気で。さようなら」

 主犯ではないとはいえ、喜八の殺人の際に、死体遺棄に手を貸してしまった芳江としては、手紙の中にあったように、もう、日本へは帰れないであろう。芳江が言うように、

 「世間は広いようで、意外に狭い」

 とすれば、この手紙が倉本芳江逮捕の証拠品になることがあるかもしれない。

 結局、妙子は静江と相談の上、手紙を風呂を焚く際、薪と一緒に燃やし、「証拠」を隠滅した。

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